ライブマーケット09出展模様似非動画(試作)

先日、台風の写真をストップモーションでなんちゃって動画にしてみましたが、

やはりちょっと、単調なんですよね。

 

今回はiMoveで動画部分をつくって、ライブタイプでテロップを入れるという

なんだか無駄にこだわってつくってます。だったらファイナルカットできっちり

作ればよいのかもしれませんが、イマイチ操作が分かっていない…

 

これはあくまで試作ですのでもっとましな形にできれば良いですが。

一応、音声も入ってはいたのですが、ライブタイプで出力した際に

音声がなくなりました。まあ、そういうものなんでしょうね。

 

う~ん不勉強だな。

それをその名で呼ぶことは出来ない。

「焼きそば」と銘打っているが、実際、の調理手順を考えると

素直には「焼きそば」とよぶには、はばかられる。

 

麺は揚げてはいるだろうが、それを焼くとは言い難い。

基本的にお湯を注いで捨てているだけだ。

 

しかし、味、食感の面から考えるのならば、それはそれほど

酷いものではないのかもしれない。

 

スナック菓子でありがちな「何とか味」よりは遙かに再現の度合いは

高いと言えるのだろう。

 

だから、私は、カップ焼きそばを焼きそばと認める度量は持ち合わせていると

言うことに疑念はない。

 

しかし、

だからといって、

 

揚げていない唐揚げを、フライパンで焼いただけの、衣付きの鶏肉のソテーを

「唐揚げ」と呼べるだけの度量を持ち合わせている訳ではない。断じて。

 

作りたて、なのにサクサクしない唐揚げは唐揚げと認める事はできない。

 

調理の手順を失敗した可能性は多大にあるのかもしれない。

 

ただ、今の時点、現状においてそれをその名で呼ぶことは出来ない。

 

 

ま、いっか。

 

最近、料理ネタばっかですねえ。ぼちぼち作品関係のネタを織り交ぜていきたい

ものです。

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He had outraged by the pizza-ogura & spiders

 

彼は小倉ピザに激怒した?いや、本質は其処ではないのかもしれない。

彼は自身が下した妥協に苛立った。その方が近いのかもしれない。

 

食事とは美味しく頂いてこそ、その真骨頂ではないのか。

その料理自体、食品自体の品質、テイスト、だけがその食事の

美味しさを決定するものではない。決して。断じて。絶対に。

 

食べたいときに、食べたいと思ったものを、一緒に食べたい人と、

食べてこそ、食べることに喜びを感じる。

 

裏を返せば、

 

食べたくないときに、食べたくないものを、一緒に食べたくない人と

食べなければならないと、食べることは苦痛以外の何物でもない。

 

池波正太郎のエッセイ、どのエッセイだかは忘れましたが、

確か、関東と関西のうどんの違いについて書かれている文章があるのですが、

 

関東の鰹だしベースの濃いめのスープというのは主に肉体労働を

する職人達が主に食していたからそういう味なのだと。

 

関西の昆布だしベースの薄めのスープというのは主に算盤をはじく

商人が食していたからそういう味なのだと。

 

という事ではないかと書かれていました。

 

つまり、「おいしい」と一言に称しても、それは、

環境、状況による部分も大きいという事なんでしょう。

 

小粋なジョークもタイミングを間違えれば失笑どころか

逆鱗に触れる事になりかねない。

 

昨夜、遅くまで肉体労働してきて、翌朝、起きて最初に食べる

正しくブレックファーストに口にするものがジョークのような

代物であったのならそれは激怒するに当たるものである。

 

それにしても、大して甘くない小倉小豆餡を塗りたくった上に

白玉がトッピングされ、それを邪魔するかのようにちりばめられた

ピザであることを無理に主張するチーズ。

 

この微妙な酸味とにおい。

 

そのあまりに無神経な主張が我慢ならない。

 

本当に美味しくまとめる気があるのなら、そこはチーズではなく

バター、もしくはマーガリンで仕上げるべきであろう。

 

チーズに対してこうも殺意を抱けるとは…人間とはすごいもの。

 

極めて矮小であると言わざるを得ない。そしてそんな自分を

嫌悪する。下らない。これほど下らないことがあるだろうか。

 

食べたくもないものを食べると妥協した自分に対して、自分自身の

感情を無視したことに対して怒りを禁じ得ない。

 

あまりの下らない出来事に、ここまで下らない、取るに足らない事に

頭を沸騰できる自分が理解できなくなって思い悩み、全てのやる気を

なくし、塞ぎ込んだ午前中を思うと本当に下らないと思う事に対しても

下らなく思えてくる。

 

そして、ようやく気持ちの切り返しがついている今がここにある。

 

NoにはノーとYesにはイエスと言える自分でありたい。

 

 

本文と関係なしにクモ画像貼ります。苦手な人いたらスマンス。

 

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神領駅の南口で、待ち合わせ中に発見。よく見かけるジョロウグモの一種かと。

巣を張り直しているのか、せわしなく動いてるところを撮る。よって足がぶれてます。

 

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春日井市某所。踊り場にて。蛍光灯の真下に、スイッチのひもを利用して巣を作ってる、

たぶんイエオニグモ。こんな器用な事するんですねえ。発見当初は巣を張りかけて

いたのか一心不乱にぐるぐると動き回っていましたが、この写真撮る頃には巣の

真ん中で鎮座。

 

名前に「家」が含まれているクモらしい絵だねえ。

 

光に集まる虫を捕るには好都合な場所かもしれんけど、撤去もされやすいかと。

SPARROWS IN THE TWILIGHT & PORK MISO SOUP etc…

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別段、勝ち負けにこだわっているわけではない。少々ひいきするのは今更どうでもいい。

しかし、一つだけ、たった一つだけ。許容しかねることがある。

その一言は聞き捨てならない。断じて許すことが出来ない。

その言葉の持つ野暮ったい響きはとても耳障りが悪い。

なぜにそのような言葉をわざわざ使うのか?

世間一般的に聞き慣れてはいない。

どういうつもりであれ、それに悪意を感じざるを得ない。

 

そちらがその気であるなら、こちらもこう呼ばせていただこう。

 

「原読売(はらよみうり)」とね。

 

そう言うなら少しは納得がゆく。「読売」と称するなら「中日」と対比として

正しい。「巨人」ときて「中日」とはいかに?

そこは「竜」なり「龍」であるはずではないのか?

 

まあ、それはどうでもいいとして。

 

秋の夕暮れは良いものですねえ。

 

ベランダから眺める狭い空も悪くはない。

スズメたちが家の屋根で戯れる様は実によい。

 

ただでさえ、足場の悪いところ。ましてや鳥類。歩くのは得意ではない。

たまに足を滑らせてすっ転ぶ様はとても和む。

 

まあ、こんな、肌寒くなった季節。食べるものも暖かいメニューが増えていきます。

豚バラ肉かたまりがあるなら、やはり豚汁がいい。

 

里芋、人参、大根、牛蒡などの根菜類。えのき、しめじ、出汁に使った

干し椎茸などのきのこ類。そしてようやく二分の一カットで100円を切るシーズンに

なっってきた白菜。具だくさんで、これだけでもう充分にご飯の友となれる。

 

 

そして、家族はだれも気がついていないだろうが、禁断の食材を一品入れておいた。

夕飯時、何も指摘がなかったと言うことは気がつかなかったのだろう。

そう、アレを入れた。

 

去年のこと、ひとり暮らしで自炊してるとどうにも食材を上手く使い切る事が

難しい。そこで少しでも食材を長持ちさせる為には、私は、何をすべきだろう

と考えた。冷凍するというのも良いのかもしれない、しかし、それは、

保存期間を長くする事はできても、結果的に、食材の旨みは減少してしまう。

冷凍とはいえ、長期間保存はあまりおすすめできない。

 

古来より、人間は食物を保存する一つの方法として干す。つまり乾燥させる

ということをしてきた。

 

干すことによって食材はその性質を変える。場合によっては旨みが増したり、

食感が全く異なるものとなったりする。

 

干して乾燥させるには天日の当たる風通しの良い場所が基本であろうが、

今日日の都会の真ん中では厳しいものがある。

 

世の中には、除湿器というものがある。エアコンの仕組みを利用し、内部機関を

冷やして結露させて空気中の水分を抜くというアレである。

 

これは主に、湿度の多くたまる部屋の湿度を下げる、もしくは、衣類を乾燥するのにも

用いられる事が多いかと思おうが、じつはそれだけではない。

 

じつは、除湿器はれっきとした調理道具でもあるのである。

そう言っても差し支えない。

除湿器の排気の吹き出し口に、乾燥させたい食材をつるすなりすれば、

いとも簡単に乾物を作ることが可能。

 

例えばこの時期、サツマイモをふかして、適度な厚さにスライスして干せば

芋の切り干しができる。スルメイカさばいて完全に干せばスルメができるし、

その手前で止めれば一夜干し、それをイカスミに漬け込めば塩辛も作れる。

 

いろいろと実験してみたが、いろいろと面白い。千切りキャベツを乾燥させて

それを水で戻して煮物を作ったところ、切り干し大根と同じ味、食感であった。

もやしを乾燥させ、それを味噌汁の具にしてみるとまるでメンマのように

しゃきしゃきとした食感になった。

 

もちろん、乾燥椎茸もできるが、その他のきのこでもやはり出来る。

エリンギを干しておいて、つい先日、密かにカレーに入れてみたが

誰も気がつかなかった。旨みは出ていたと思うが。

 

納豆を乾燥させると香ばしいおつまみができるが、納豆臭が乾燥部屋に

こもるのであまりおすすめできない。

 

キュウリも干してみた。乾燥すると黒い木の枝のような物体になりとても

キュウリのなれの果てにはとても見えない。これはどうなのかと

思いつつも、料理に使うことなく、ここ最近に至る。

 

ふと、したいたずら心で豚汁に入れてみた。

 

味は別段、特質なく、若干、心なしか酸味があったが特に

主張のある味ではなかった。

食感はキュウリの漬け物で有名なちゃん付けのアレを思い出す

歯ごたえのある食感だった。

 

変なものを食材に忍ばせておいて何の指摘もないとはどうにも

ツッコミのないボケみたいでどうにも寂しいものですねえ。

 

CSの行方が気になるのは分かるが料理はちゃんと味わって食べよう。

 

てなわけで?、除湿器は調理器具である。と主張してオチとさせて頂こう。

KANAYAMA WIDE CONVERTER

日曜と特売日のスーパーとは戦場である。

いかに、人に先んじるのか、しっかりと戦術を立てておかねば、

ただただ疲弊し、ごった返す人の波に時間を浪費するのみ。機を逃せば

望みの品は手に入らない。

 

まあ、兎にも角にも先んじれば良いという訳でなくあえて、遅い時間帯に

行けば思わぬ買い得品に出会うこともある。

 

ま、そんなこんなで、午前は過ぎて。

 

「俺、この展示が終わったら、この貰った招待券で美術展観に行くんだ。」

 

と死亡フラグを立てずに終わってしまいましたが、ともかく決行しようと

思い至る。

 

急遽、予定の前後が変わるが、現地にたどり着く。

閉館時間まであと1時間ぐらい。まあ、それなりに観られるでしょう。

 

で、まあ、金山南口を出て目前の名古屋ボストン美術館まで。

「ヴィーナス展」を観る。と言うよりも展示の解説文を読む方が多かったかもしれない。

女神信仰は古今東西変わらぬようですねえ。

 

西洋の伝統的な美術をみるに当たってはギリシャ神話とか聖書とかについて

知っていないとモチーフの持つ意味とかがよく分からないので理解度が違う分、

作品をより楽しめるもののようですが、そうは思うモノのなかなかねえ。

 

なんだろう、原作を読まずに二次創作物から入ってしまうのと同じ事か?

でも、まあそれはそれで別段間違いでもないでしょう。作品をどう楽しむ

かは、鑑賞者次第ですねえ。

 

あと、こういうミュージアム系の展示を観るとき、個人的にキャプションの

英文を読み込んで和文と比較してしまう。

なかなか面白いもので、例えば、「何とか柄何とか模様碗」とやたら長い

漢字の展示物が英文だとただの「bowl」になってたりとか、油絵の「油彩」は

「paint on canvas」と和文では絵の具に注目しているけど、英文だと

絵の具を塗っている素材の方に注目していたりする。

 

で、肝心の展示については、ギリシャ神話でも、ヴィーナスについて

クローズアップしているので、理解しやすいですねえ。神話の同じような場面

表現している作品が何点か置いているので分かり易いかもしれないですね。

 

まあ、「パリスの審判」については確実に覚えました。

 

まあ、登場人物が言語によって呼び名が違ったりでややこしいかなと思ったり。

 

で、ヴィーナス展を観たあと、上のフロアでやってた名古屋城本丸御殿の

障壁画復元模写展が良かったですねえ。入り口辺りにあった、竹林虎図?

だったっけか、あれが一番気に入りました。猫のように丸まってる虎がたまらんです。

あと植物のマラカイトグリーン?の色合いも良いですね。

金箔の地はまるで強い日差しの様。

 

さすがは天下の御三家のお城の装飾ですねえ。

 

どうもここの美術館へ来るとメインであろう展示よりもこっちオープンギャラリー

の展示の方が気に入ってしまう。

 

この前もゴーギャン展を観に行ったのに、「ノリタケ」の方が印象に残ってる。

 

で、展示も観終えて、外に出ると良い夕焼け。これは絶好のチャンス。

 

じつは、注文していたニコンダイレクトの限定アイテム、ワイドコンバーターアタッチメント

「NH-WM75」が丁度お昼に届き、これは何か撮りたいなあと思ってたんですよ。

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金山駅周辺

 

金山総合駅の南口から北口までぐるっと外を回ってみた。

 

やはり、街中などの情報の凝縮したロケーションでは効果的。

フレームに入れたいモチーフが難なく入る。

 

まあ、安いものではないけど効果は確実にありますねえ。

広角レンズを買うよりはお手軽かと。

見た目以上にちょいと重たいのが難点かなあ。

グランプリと書いて何と読むのか?

いやー、世の中は広いもので、舞台の上に呼び出されたとと思ったら、

衆人環視の中で腰にベルト、手首に枷を嵌められ、市中引き回しの上、

1年後に展覧会を強制的に開催させられるという刑罰があるとは

知りませんでしたよ。えーこれって何の刑?

 

こんなに嬉しいことはありません。もちろん、人前で拘束された上に

引き回される事ではありませんよ。そんな特殊な趣味はもってはいないですよ。

多分。

どちらかというと逆の方がいいかも。

 

冗談はその辺にしておいて。

 

以前に似たようなチャンスを与えられたのはいいが、パッと花火が上がったと思ったら

そこで燃え尽きて、ウダウダとダラダラしていて、結果の現状はどうなっているのか。

と随分と悩みもしたりしましたよ。

 

もう、そういう釈然としない日々を過ごす様な真似はしたくない。

またかよと、悪態をつくような事ではどうしようもない。

ビターだとかのたまってるようではぬるい。

 

まだスタートラインにすら着いていない。それでいて、一端のチャンピオン気取り

なんて思い上がりも甚だしい。

 

万が一、前回を下回るお粗末な展示をしたらもう、足を洗うべきですねえ。

 

最近読んだ本のあとがきに、

中途半端な才能の人間ってのはその中途半端な才能にあぐらを掻いていたら

一生、一流にはなれない。そのくせ、下手にに才能があるからいつまでも見切りを

つけられず、ずるずると醜態をさらしてしまうのかもしれないといった様な事が

書いてあったんだけど、なんとも自分には耳の痛いものでした。

 

名古屋で屈指の立地を誇るギャラリーで展示させてくれると言うんですから

もうね、その期待に十分に十二分に応えられる展示をしたい。

 

また、自分自身の限界を見定める良い機会に相見える事に感謝。

これを自分の中で最高のものにしたい。どのような規模であろうが

与えられるチャンスに対して常に最高の仕事をしたい。そうでなければ

潔く止めたい。常にクリエーターとして死ぬこと覚悟して事に当たりたい

ものです。決断が早ければ早いほど違う生き方を模索できます。

 

まあ、理想論ばかり唸っていてもだめですねえ。「モノ」という形にしてなんぼ

ですからねえ。

 

その為にも、あと一年間、食いつなぐ為に、日銭を稼がないとなりません。

制作に支障がない程度に。

当たるも当たらぬもどちらも等しい

 

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ライブマーケット一日目終了。

 

本日はお日柄も良く、恵みの雨が時折、激しく降ったり病んだり、いや止んだり。

 

来場してこちらにアクセスしてくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとう

ございます。

 

まあ、このブログはご存じのごとく、ではないかもしれませんが、多分に、

ある種、「痛い」要素を含んでおります。が、あまり気にせずに、スルーして

生あたかく見守って頂ければ幸いです。

 

本日、初めて、当たらぬも八卦な事柄を扱うその道のプロの方お話を聞いたのですが

実に興味深い。です。

 

世の中には講談師という職業があるそうですが、そういった方々は実際には

見ても居ないことを、さも見てきたかのような風に話されるそうですね。

 

それに近似値なのかもしれません。どちらも同列に扱うのは失礼かもしれません。

どっちに対してなのかは存じませんが。

 

いや、痛いところに手が届くというか。心当たりが有りすぎて、在りすぎて、

もうね。ある種の言葉の手品には大多数の人に当てはまるような事を

指摘して、さも、対象者を見透かすような錯覚を起こさせるそうですが、

そんなレベルじゃありません。と思いました。多分。

 

自分自身がうすうす、「こうすべきではないのか」と思っていた所を指摘され

てもう、やたらと頷いてるのみでした。

 

端的に言ってしまえば「アピールが足りない」に尽きます。

 

たかが、占いなのですが、それをどのように使うのかは当人の自由です。

 

根拠なんてないのかもしれない。でも根拠とはなんぞや?

 

なにかで成功するには実力がなくてはいけないかもしれない。

しかし、それは絶対条件とは限らない。時に、残酷にも、多分に

運の良さが雌雄を決してしまう事はあるようです。

 

今、読みかけの本があって、とある有名な武将の有名な合戦である

「桶狭間の戦い」はドラマチックな奇襲作戦ではなかったらしいという説が

あるそうで。

 

ある勝敗が決した時、人間というのは勝った原因、負けた原因を分析、推量して

しまうものだそうで。

その勝ちが劇的であればあるほど、その勝因を探してしまいたくなる。

 

しかし、それは単にたまたま相手陣営に不測の事態、天災に見舞われ、その結果

ろくに戦力を発揮できずに、戦力差が格段に下の相手に負けるのなんてのは決して

あり得ない事ではない。

 

しかし、そういう類の幸運を、可能性の低い幸運を呼び込むには最善を尽くして

いなければその確率は限りなくゼロに近い。諦めた時点で試合は終了です。

 

諦めないで最善を尽くすにはどうすれば良いのか。どうすべきなのだろう。

 

何かを疑っていてはその原動力たり得ない。

血路を開くには何かを強固に信じなければと力になり得ない。

 

疑うことは回避する事、逃げる際には有効に作用するのかもしれない。

信じることは向かい合うと覚悟を決めるということなのかもしれない。

その迷いのない攻撃の威力は計り知れない。

 

その一撃のための一助としての占いは比較的、リスクは、代償は

易いかと思います。

 

例えるのなら、

 

自分が役者だとする。与えられた役になりきるのに台本を読んで、

その台詞の語間を読み、この役、このキャラクターはきっとこうなんだ

と想像してその役になりきる事。その「語間」に当たるのが占いかもしれない。

 

かもしれない。多分。

 

まあ、私の直感も当たらぬも八卦のようなものかもしんないですけど。

 

ともかく、今年か来年出会うという「運命の人」とはどんなんだろうねえ。

 

自由を愛する「木」な人間がお送りいたしました。

 

もう、こんな時間なのに眠くないのはレッドブルのおかげ、というより

レッドブルのせいなのかもしれない。

ライブマ搬入道中記

明日、明後日行われるであろう、行われるに違いない。いや、

行われるライブマーケットの搬入に行って参りました。

 

車を手配して積み込んで出発。

 

夕刻。薄暮。サンセット。マジックアワー。

この時間帯、特にこの季節は夕方の景色は良いものですね。

つい、車を運転しててもカメラを構えたくなる。

 

しかし、今、この瞬間、私はドライバーであり運転手である。

パイロットでもなく水先案内人でも、ましてフォトグラファーたり得ない。

残念ながら。

 

とある免許の教則本にも書いてある。夕方、薄暮の時間帯はとても

危険な時間帯であると。空は昼のように明るいが、地面は夜のように

暗い。よって、昼の感覚でいると、暗くなって居るのに気がつかない、

見えないのに見えてるつもりでいると、思わぬ事態になりかねない訳で。

 

まあ、それは置いといて、吹上から若宮大通りを西へ、矢場町へ向かっていると

名古屋名物?100メーター道路に自動車が殺到、渋滞というか信号待ちしていると

一面真っ赤なブレーキランプが遙か遠くまで続いていて、

「まるで怒り狂った王蟲の群のよう」な迫力。もうね。まあ、こっちはどんどん

離れて行くので威圧感は無いですがね。

 

まあそんなこんなで搬入を完了しました。

 

ご用でも、お急ぎでもある方でも、寄って観に来てくださればコレ幸いです。

ブースは矢場公園の特設大型テントの西側辺りとなってます。

すいません。東側テント、公園中央付近でした。

私の心と秋の虫

買い物から帰って勝手口から買ったものを入れる。

家の壁に蛾?が張り付いてる。

やたらと平ぺったい二等辺三角形のようなフォルムで

本当にへばり付いているというのが表現として合ってるかのよう。

 

低く折り曲げている前肢、ピンと一文字に伸びた触角?らしきもの。

なんか、ステルス爆撃機のような先鋭的でかっこいいねえ。

蛾?△

 

で、図鑑で調べてみたものの特定できず。多分、蛾の一種ではある

と思うけど、案外蠅、蚊の類という線も否定しきれない。頭が蛾の

それっぽくない気がするんだよねえ。

 

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で、話は変わってもう一枚。

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家の外に置いてあるパルプ溶解専用の二槽式洗濯機で作業中にノソノソと登ってくる

虫一匹。

随分と小さいけどどうやらカメムシの一種だろうねえ。

様子を見てると金属パイプの棚まで登ってじっとしてる。

これは撮るしかないだろうと、カメラを取りに家の中へ。

急いで、虫撮り用の望遠系レンズ+接写リング+小型外付けフラッシュを

装着して再び外へ。まだそこにいる。間に合った~。

 

急いで2~3枚シャッターを切ると急に羽根をひろげて飛んでいってしまった。

よってイマイチ設定を調整する前で白飛びな画像しかないんだけど、

ソフトである程度修正してみたけどやっぱりちょっとね。あれだね。

 

こいつはすぐに分かってコバネヒョウタンナガカメムシだそうで。

 

小さいながら面白い形をしている。特に特徴的なマッチョな前肢。

以前撮ったホソヘリカメムシは逆に後肢のマッチョな太ももがいいし、

ホシハラビロヘリカメムシは白い腹がいいねえ。

 

ってなんか妙にマニアックな話になってんねえ。

パルプ作品考察

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ライブマーケットの準備も佳境です。はっきり言って目標、いや理想というレベルまで

物理的な時間が足りない。制作以外の部分が気になって集中できない。

 

まあ、こんな状態はいつものこと。ここで無駄に精神をすり減らして、会場で

セルフ反省会開催モードになって自己嫌悪に陥っている状態で、観に来ている

お客さんに感じ悪くなったりでもうね。アホかと。莫迦かと。アボカド。ドリア。

 

さすがにええ加減これではいかんのですよ。以前の自分であるならそこで

そのままなんですよ。

 

久々に大型作品に手を加えて気がついた事、いや、明確に分かった、意識できた

事があります。自分のパルプの作品は完成、というよりも完了、完結することは無い

んですね。

 

手を加えればその分成長し、その形状のさらに発展する先の形が見えてくる。

そこでまた手を加えるとまた違う形のイメージが出てくる。巡り巡る造形の無限地獄。

 

通常の、根っからの理想的なアーティストであるならば、多分、ここでゴールが

見えるまで時間制限なしに突っ走る訳ですが、下手にデザインをかじってしまった

自分、私自身はどこに、いつまでに用意して展示するという、動機、きっかけを外に

依存しようとする。

 

時間的制約という厳しい枷をつけた状態でやる訳ですから、当然、理想的な形

まで至る前に時間が来てしまう。そこで自分の中で折り合いをうまくつけられず

自分の技量のなさに原因を探してしまう。しかし、本当にないのは自分の認識力の

なさ。

 

完結しない作品を作り続けても良いのではないだろうか。

つねに変化、成長し続けるのが自分の作っている作品なのだと言うこと。

 

自分の作品が完成しないものだという事と、もうひとつ分かった事がある。

 

自分の作品はどんなに切り刻もうが、溶かそうが死なない。ということ。

そこに一片の残骸がのこればそこからまた新しい形を作ることが出来る。

 

もうね、なんとも気味の悪い怪物だろうね。ある意味、不老不死。というよりも

無老無死かな。老いる、死ぬといった概念を否定するというよりそいう概念すら

無い感じ?

 

まあ、その前提にはその造形を作り続ける人間がいる事が必要なんで、完全絶対

な存在という訳ではないんですがね。

10/17-18のライブマーケット

 

つい最近

テレビを観ていると「太い事」を売りにしているであろうタレントさんが

グルメリポーター的なことをしていて、魚料理だったかを口にした瞬間こう言ったんだ。

 

「すごい脂がのってる~!」てね。

で、オイラは思わず叫んでしまったんだ。

「すごい脂がのっているのはお前だろが~!」ってね。

 

心の中で。ええ心の中。心の中ですとも。

テレビにマジにツッコミ入れるなんて痛い事をやる訳がないじゃないですか。

 

と信じたい。自分を。

 

イメージ的にはダウンタウンのごっつええ感じの確か、やくざが借金の

取り立てに行くんだけどなんやかんやで情に絆されて回収できないというコント

の中でやくざの親分役の松ちゃんが海に潜ったガチャピンが言ったという

「わー海の中には不思議な生き物がたくさんいるよ~。」的なコメントに対して

「一番不思議な生き物はお前じゃ~!」な感じで突っ込んでるのとデジャヴュ

な感じ。

 

 

そいや、先日、とあるテレビ局のバラエティの歴史を振り返る的な

この季節ありがちな特別番組があったんですけどね。

なんか、微妙でしたねえ。倉庫と見せかけてじつはスタジオって見え見え

なのは、まあ、バラエティですからそんなやらせを突っ込んだところで

演出の範疇かとは思いますが、その番組の一応のお題目を上げておきながら

最後の結論が「それはみんなの心の中にある」的な落ちてないオチをナレーション

で入れられて何とも詰まらない終わり方だったのは駄目だねえ。

 

そのお題目の制約なのかもしれないけど、「笑う犬」が触れられていないのは

どうにも納得がいかんですよ。

 

まあ、「やるやら」の映像が出てる所で結構危ないことやってたんだなあと

当時を思い出してました。まあ、番組が終了した理由が事故だったのは

なるべくしてなった。といったところですかねえ。

 

えーとそうだ、今週末、名古屋、栄の矢場町、と言う表現はあっているか

分かりませんが、その矢場公園にてライブマーケットが開催されます。

そこに出店してます。まあ、なにか売ってるというわけではないですが。

コレ系のイベントって入場料取られる事が多いですが、このイベントは

無料で自由に出入りできます。

 

週末に名古屋の栄辺りに用事のある方はどうぞ立ち寄ってみてください。

台風過ぎて

今回は風変わりに動画ですよ。昨日の台風ですよ。

私の愛機ニコンD60は動画撮影機能はないんですが、先日、機能設定を

いじっていたらストップモーション作成とかいう機能があるのに気がついた。

 

てなわけで元は静止画像100枚です。これはこれで一見ただ単に撮って

並べてる様に見えますが、結構コツがいりました。

雨はフラッシュを焚いて白く際立たせてますが、これを撮ってる場所って

家の窓からなんです。フツーに撮影するとガラスにフラッシュが反射して

何が何やらな絵が出来るんです。

 

もちろん外は暴風雨。窓を開ければ大惨事です。

そこで、雨の時にレインコートを留めるのに使ってるゴム製レンズフードの出番。

AFでピントを合わせておいてMFモードに変更。窓にレンズフードを押し当てて

フラッシュによるガラスの反射を極力回避してます。

 

当初はレンズ買った時に「ご一緒にポテトはいかがですか」的なノリで

いっしょに買ってしまって、イマイチ使いどころ無いなと思ってたんですが

意外や意外、結構活躍してます。

眠れぬ夜を追い越して

 

 

「どーも、ショウリョウバッタのしょうたです。」

「はーい、トノサマバッタの、とのです。」

『人呼んで【ダブるホッパーず】でーす。』

 

「いやー、台風というかタイフーンが、テュポーンですねえ。」

「はい、無理無理、知ってる言葉をフルに駆使して、大したことない脳みそ

を少しでも良く見せようとしなくていいから。」

 

「まあ、誰かさん、みたいに脳みそまで筋肉でできてないですけどね。」

「ふーん、誰のことかなあ?マルピーギ管に手突っ込んで触角ピクピク

させてあげようか?」

 

「え~と、うーん誰のことだろうね。僕、脳みそが大したことないから分からないやー。

ははは。 ま、まあ、それは置いといて、とうとう台風18号が愛知県に上陸した

らしいよ。」

「そうね、窓の向こうからはビュンビュン、バチバチと風と雨が窓を叩いてて

ちょっと怖いよね。ブラウン管じゃなかった、液晶パネルの向こうでも昨日から

随分と危険だの危ないだの随分と張り切ってるけど、何か良いことでもあるのかしら。」

 

「だって、台風だよ。ワクワクしない方がおかしいよ。なんだろうねえ、あの

独特の緊張感。あの非日常的なふいんき、いや雰囲気。そして、午前6時までに

暴風警報よ解除されるなという祈りに似た心の叫び。そして解除されなかった時の

達成感。解除されてしまったときの失望感。ワクワクしすぎて宿題手つかずになるに

決まってるじゃないですかー。あと、テレビから流れる雨風に打たれるリポーター。

傘が折れてびしょ濡れになる人、川になった道を歩く人、を映すキャメラマン。

そしてテロップのせいで画面が一回り小さくなる時の苛立ち。」

「小さい13インチ液晶とかだと、もうよく見えないものね。小さすぎて番組見にくい

事、我慢ならないわ。あれは。」

 

「ニュース、情報番組ならまだしも、ドラマとか、アニメはもう台無しだー。

もっかい再放送しろー。◎HK。あれを流されるんだったら台風特番で差し

替えでいいよー。」

「まあ、それだけテレビばっか観てるから脳みそが大した事ないのね。

それと、台風、台風ってはしゃいでるけど、そのせいで、多大な被害を

被る方や、そんなトラウマを思い出して嫌な気持ちになる人が居ることを

知りなさい。このバカ。」

 

「バカ呼ばわりしなくてもいいじゃないか。そりゃ、酷い風雨の中でも深夜の

東名道を走ってるトラックとか見るともう、自分は何をしているんだろうと思うよ。」

「そうやってもっと、もっと、もっと自分のバカさを学ぶべきね。」

 

「…そこまで言われる筋合いはないよー。僕は褒められて伸びるタイプなのに。」

「裏を返せば褒められなきゃ伸びない、という事じゃないの。甘ったれてるだけじゃ

ない。」

 

「…もう、いいよ。どうせ僕なんて、後ろ脚の無い無能で無脳な甘ったれたバッタだよ…」

「すぐそうやっていじけるんだから。」

 

 

あとがき

 

先日、某放送協会の番組で、何とか問題という漫才コンビが特定の分野の偉い人

と会って話をする番組の再放送をたまたま観たんですよ。

いつもは、イマイチ頓珍漢なことばかり言ってるボケ役の方が、漫才について語り

だしたんですが、さすが、その道のプロフェッショナル。仕事の流儀。

 

は置いといて。

ツッコミ役ってのは世間一般ってのはこういう風だろうと、基準を作る役割があって、

それによって、ネタが分かり易くなるといった様なことを話してたんですよ。

ああ、割と良いこと言ってるなあと思ったら、なんか戦争がどうのとか語り出してまた、

いつものなんだかよく分からない感じに戻ってしまったんですが。

 

まあ、そこで、キャラ単体でテキストベースでいろいろ書いててもイマイチ

しっくりしてなかったので、漫才のように2人で書いてみたらどうかとやって

みましたが、まだまだキャラが定まってないのが浮き彫りに。

漫才風なのにオチらしいオチをつけられず。

最近詠んだ本に引き摺られてる感があるし。

 

 

文章って難しい…。

 

まあ、ただ、何かを説明するのにこういう表現をするのは、やはり有効に

作用するようで。

 

さて、もう台風もここいらから遠ざかって行きつつあるようです。

だらだら書いてたらもうこんな時間か。「ウェルかめ」はじまっちゃった。

では。

告知との遭遇

ある日の昼下がり、テレビを見ていたんですよ。ええ。

 

そうしているとですねえ。何というか、ちょっとしたドキュメンタリーな

感じの番組が急に始まりだしたんですよ。ええ。

 

タイトルで、提供スポンサーの名前が出てね。

 

あれ~、おかしいな~、変だなと違和感を感じたんです。

 

番組は、淡々と進み、その番組の主役はミュージシャンをしていた、

元議員で芸人の方の息子さんだそうで。ええ。

 

う~ん何だろうね。何か違和感を感じるんだけどね。

 

挫折して、料理店で下働きして、がんばったそうなんですよ。ええ。

 

そして、ですね、念願の店をかまえたそうなんですよ。はい。

なんか、何かが来るなと思ったんです。そろそろ。

多分、もうそろそろだろうと。ええ。

 

で、一所懸命、忙しく、大変なんだそうです。はい。

もう、来るだろう、もう来るに違いないとピーンときたんですねえ。

はい、ええ、もうね。

 

その人の健康を心配する奥さんが出てきたと思った次の瞬間。

 

とうとう、来てしまったんです。はい。

 

恐れていた、予測していた、懸念していたアレが。ええ。

 

特に変哲のないガラス製のコップ。まあ映像なので、アクリル樹脂かも

しれない。確信は持てないんですよ。はい、ええ。

 

その中には緑色、細かく言うなら、ミドルグリーン、ビリジアン絵の具のように

濃い緑色の液体が注がれているんです。

 

なんと、そのコップをつかみ取ると、何と一気に緑の液体を飲み干してしまった

んですね。ええ。

 

そして、そこから、そのドキュメンタリーとは関係のない人が怒濤のごとく

登場するんですよ、もう。凄い勢いで。

 

で言うんですよ。栄養素がどうだとか、どこの産地のどの原料だとか。

今なら特別であるとか、限定でああるとか。連絡先電話番号とか。

 

もうね、やっぱり、ここまでやるのかと。感心したね~。軽蔑と同時に。ええ。

 

もうね、みなさんもね、昼下がりの、テレビを見るときは気をつけてね。はい。

 

他にも、様を付けて呼ばなきゃいけないカプセル食品だとか、

「電話はしない」と言う、意味不明な主張とか。

体臭をやたら気にするアニメーションやら。

 

未知の告知に遭遇するかもしれませんからねぇ。ふふふ…