いきどおり、まかりとおる。-I say outrage claim.-

某放送協会の番組で、いわゆる名著と呼ばれるけれども難解で分かりにくい本を
25分×4回で要点を分かり易くまとめてくれるありがたい番組があるのですが、
最初の方は思想というか哲学などのノベライズではない著作が中心だったのですが、
ここに来て、日本人ならば殆どの人が読んだであろう、小学生でも読む事が出来る
文学作品を取り上げているのですが、その扱い方が酷い。

作者がこれはこういう経緯で書いたと語った。というものがほぼ無い状態で、
死後に発見されて出版されているものなのに、あたかもそれは全て間違いない
ものであるかのように断定されて妙に熱意を持って語られているのに著しく
違和感を禁じ得ない。

しかも、初回で、冒頭、真ん中を思いっきり端折って物語り上の結末をざっくりと
ぶちまけてしまうというのは、作品に対して失礼でないかと。デリカシーに欠ける
番組構成ではないかと。

作家の故郷に取材に言って、想像を巡らすのは自由ですが、それって、
好きな映像作品のモデルになった場所にいってブヒブヒと鳴いている、ちょっと
部外の人間からすると、どうにも引いてしまう、いわゆる「聖地巡礼」と大差が
ないのではないでしょうかね。

それを今年起きた未曾有の大災害となぞらえて、「可哀想」と上から哀れみの目
で見ている感じがしてとても、不愉快に思う。

作者は死を美化していない。といいつつも、番組の姿勢は「悲劇」というものに
酔ってはいないのだろうか。


個人的な価値観として、思想とか信念を説いた本ならそれを著した人間の
生き様というのは大事なのかも知れませんが、あくまで創作、物語であれば
それを書いた人間の生き様、善人とか悪党であるといった類のものは
トリビアみたいなもので、それほど重要でもない。特に、もう亡くなってしまった
人間の善し悪しなんて一種のキャラづけみたいなものです。

「これを書いた人はこんなにいい人だから作品も素晴らしい」というのは

ちょっと頭が良くなさそうな女子高生が友達との会話で
「この前、コンビニのレジでお金が100円ぐらい足りなくて、焦ったら、
店員のお兄ちゃんが100円出してくれた~。マジでいい人じゃね?」

と言ってるのと同じぐらい主観的で他愛のない事。

その店員のお兄ちゃんが本当にいい人なのかは会った事がないと分からない。
人が絶賛する作品が素晴らしいかは読んだ本人しか決められない。

人の善悪なんてものは案外、「働きアリ」の法則のように、
ある組織から悪人を抜くと残った人間の何割かが悪事をしだす、または、
悪人ばかり集めた組織の何割かが善人になる。みたいな事だったり
するものかもしれません。

観念であって、定規であって、価値感であって、実体が在るわけではない。

まあ、話を逸らしましたが、要は、今まで気に入って見ていたテレビ番組が
変わってしまって非常に残念だということです。