きょうというひのできごと

8月の最後の日曜日。巷ではお祭りですね。

嵐だというのに。

ああそうか、嵐だからこそお祭りなんだ。

 

ああ、なんか調子が出ない。

昨日、妄想力を使いすぎたかな。イメージが連鎖しない。

臨界点が遠い。臨終の時が遠いと思いたい。

 

ある目標に向けて作品を制作していたのですが、

できあがりかけた作品が思いのほか、良い形になりそう。

 

良いのは良いのですが、そのクオリティのものをその目標に

出すのはとても勿体ない気がしてきました。

 

作品を渡した先がちゃんと大事にしてくれるのかという疑問が

将棋真下、もとい生じました。大事にしてくれる可能性はないと

いうわけではないですが、無造作に投げ捨てられる可能性も

大きい。そもそもその目標のために作り始めたはずなのですが、

本末転倒。なんというか、愛着が強くなりすぎました。

大切なものだから、下手に傷物にされたくない。

そうでないとしても、自分の手から離す事はしたくない。

もうちょっと大事に育てたいなあと。

 

まあ、プロの仕事としてはどうなんでしょうね。

 

以下、今日という日のダイジェスト画像。↓

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平池に落ちていた羽根

 

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葉裏の虫

 

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片後ろ脚のない精霊飛蝗

 

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ひたひたと、音もなく忍び寄る秋の気配

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今宵の月

 

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ゴーヤの夜

ぼやきの蟻地獄

 

ネガティブでアクティブに。

 

初めまして。あじりです。

 

アリジゴクは前に進むことが出来ない。

 

でも、

 

前を向いていては見えない事がある。

大切なものは目に見えない。どこかの王子は確かそう呟いた。

そんな気がする。

 

目を頼るのは出来ることをすでに知っていることを、ただ出来るように

知ってるようにすることに他ならない。「見る」という一見ポジティブな

行為を言い訳に心の目を閉じている。

見ているが見ていない。それは大きなミステイク。

 

視覚を捨て去り、見えない、分からないという恐怖に打ち克ち、

第六感、心眼を開くこと。そこに新しい境地がある。

 

見ていないが、見えている。しかしそれは諸刃の剣。

 

ひたすらにポジティブを追求するのはただの阿呆。というよりも臆病者。

ネガティブでなければ見えない真実。ただ、真実とは残酷である。

 

そんなネガティブで残酷な世界で私はアクティブに生きる。生き抜きたい…

 

 

はい、気味の悪いポエムでした。う~ん、キャラとしてまだ仮想人格が

固まらないみたいですね。ま、いっか。あじりです。

下手な、似てないモノマネのように名前を連呼します。あじりです。

そんな訳で、雑談をします。あいじりです。

違いますタイプミスです。あじりです。

まっ、どうでもいっか。

 

さて、

 

冬場にしっくりきそうな定番カラオケソングを夏の終わりに歌って

いて気がついた、というよりも気になったんです。

 

ラブソングなのですが、歌詞の世界の中で「一億人から君を選んだんだ」

的な台詞のフレーズを言うんですが、一見、ドラマチックな良い表現だと

思いますが、ちょっと何かが気になるんです。

 

まず、なぜに「一億人」からなのかという疑問。いまの日本の総人口の

正確な数字は存じませんが、おそらくは一億二千万とか三千万人辺り

ではないですかねえ。ただその数字をそのままで使うと語呂が悪い。

で、千万人の桁を四捨五入して一億人。

 

そこでまた、問題です。一億人とは総人口のイメージですからその

なかには老若男女様々です。御年100歳を超えるけっこう元気な

おばあさまから、3歳のやんちゃな少年も、新橋のサラリーマンさんとか、

ちゃきちゃきのJKとか、渋谷の毛並みの悪いチャウチャウのような髪型の

お兄ちゃんとかも含まれてしまうのではないかと。

 

年の差はおろか、性別までも超越して恋愛対象とは、どんだけ

ストライクゾーンが広いというか、筋金入りの博愛主義者というか、

あらゆる可能性を無視しない末恐ろしいビリーバーなのかよと。

 

そんな「僕」に選ばれた「君」は相当すごいと思ってしまう。

 

まあ、かといって、適当に末広がりの8とか、縁起の良い奇数の7とか

でやろうとしてみたんですが…

「8人から選んだんだ」

「7人から探し出したんだ」

「7,8人の中から見つけた」

妙に親近感のある数字というか数の量、多さをイメージしやすい数であるために

やけに、妙に現実的すぎて違和感が強いです。といいますか、

ギャルゲの主人公ですかあなたは?という感じがします。

 

更に増やして、百人だとどうでしょう。

昔、某テレビクイズ番組にありましたよね、100人にあるテーマでアンケート

を取って、その中であった項目を回答者に答えさせる奴。

回答した際の「あるあるあるあるある」という観客の声援が特徴的ですね。

そいや、今でも放映中の某なんちゃらパークという番組の最後のダーツ

の時の一時期あった「くるま、くるま、くるま」「パ◆ェロ、◆ジェロ、パジェ◆」

のかけ声と似てますね。

えー、あっ、ちょっと待ってください、この番組も前述の番組も司会者の方同じですね。

 

そうか、ある種の人気番組には観客のかけ声ってありますね。

かけ声って結構、重要な要素なのかもしれません。確かに多いですね。

 

森田「今日は××ですね」

観客「そーですね」しかり、

 

司会「××の話、略して~、◆バナー」

観客「◆バナ~」とか、

 

あと、ちょっと違うかもしれませんが、「へぇ~」とか「ガッテン」とか。

 

閑話休題、話を戻して、百人というと他に

ちょっと昔に「もし地球が人口100人の村だったら」という話が流行ったり

しました。あとは「百人力」という言葉があったり、ムカデを「百足」と書いたり、

あと1世紀は100年ですね。

ある多い一定量、一瞬で数えられない量の事をおおざっぱに百と表現する事が

多いですね。まあ、そんなこんなで、やってみましょう。

 

「100人の中から君を発見しました」「100人の中にあなたがいた」

 

う~ん、ちょっと惜しいですかね。さっきよりはより現実的なイメージは薄らいで

います。えーと、同じ学校、いや、学年の中から選んだって感じですかね。

ちょっとドラマチック。使い方によってはアリな表現かもしれません。

 

さてでは次は千人ですか、あんましイメージが出てこないです。

 

えーと、例えば懸賞で「1000名様にプレゼント」と書いてあるとなんというか

これは結構当たるんじゃないかと、希望を持てる気がします。

あとは「千のかぜになって」という歌がありましたね。

うーん「かぜ」が1000ある状態とはどんなんでしょうね。分かりません。

なんだろう絶えずある感じですかねえ。

ちょっと視点を変えてみると、

「鶴は千年、亀は万年」「千客万来」というように千と万がセットになった言葉。

それが示す様に、もうここまで来るともうさほど違いがないんですかねえ。

物量、数量界の金メダル、銀メダルといったところですかねえ。

瞬間に数が浮かばないけどとにかく凄そうな気がするといった所ですか。

 

「1000人の中から君を捜しました」「そして1000人から君を見つけ出した」

 

どっかのちょっと規模の大きいイベントぐらいの規模ですかね。

あとはそう、規模の大きめな学校ならこれぐらいでしょうか。

ただ探すにしても大変そうです。でもまだ現実あり得なくのなさそうな

気がします。でも、そんな労力をかける情熱があるんですから悪い気は

しない気がします。

 

10000人ですか、前述の通りではありますが千とさほど差が感じられない

気がしますが、千円札一枚で買えるものと一万円札一枚で買えるものを

考えるとその差は実は大きいです。消費税を含まずにチ◆ルチョコ100個と

1000個です。100個ならまあ、だらだら食べれば一ヶ月ぐらいで無くなりそう

ですが、1000個となるともう、ちょっと苦痛を感じる量ですね。もうチロ◆なんて

食べたくないと思うに違いないです。何でこんなにあるんだと自問自答を繰り返す

事でしょう。

 

「一万人から君をみつめました」「一万人の中に君がいた」

地方都市が舞台の恋愛ですかね。もうここまでいけばもう大したものですが

どうしてもローカルなニュアンスを拭えない気がいたします。

 

一億についてはもう最初に述べてますので一個単位を飛び越えて

一兆。もう、数としてよく分かりません。

 

えっと、ウ◆トラマンに出てくるゼッ◆ンという怪獣の吐く炎が一兆度

という設定というのを某空想科学読本で読んだ気がします。

もうそんなデタラメな温度だともう、ウルト◆マンがやばいというような

レベルじゃなくて地球が危険だそうです。というかもう炎ではなくて

プラズマらしいですよ、私の記憶が確かなら。

 

「一兆人から君を発見した」「一兆人から君に巡り会った」

 

もうね馬鹿も休み休み言いましょう。人類の総人口ってざっくり

概算で100億人でしたっけ。実際もっと少ないでしょうか。浅学非才な

もので良くは存じません。気になる方は「世界総人口」でググってみれば

すぐ出てくるでしょう。

実際そんなに人いない。嘘なのはすぐに分かる。

 

こうして考えると一億人は丁度良い塩梅の数ではないでしょかね。

変にリアルな数字でもなく、あからさまに嘘っぽい数字でもないかと。

まあ、更に増やすとしたら、おそらく限界は100億人ですかね。

語呂的な意味でも。

 

でも、そうなるとまた難しいですね、浪略男女、もとい老若ニャンニョ、

いやいや、老若男女。すいませんタイプミスです。

年齢、男女はおろか、国籍、人種、母国語、既婚、未婚まで飛び越える

なんという大きな愛でしょう。あなたはどこの全知全能なる神様ですか。

全てがストライクゾーン。もはやこれではストライクという概念すら存在できない。

 

 

さて、

 

あじりとしての仮想人格を維持できる活動限界を超えてしまいました。

 

また機会があれば、あればですが、ま、いっか。

またお会いしましょう。あじりでした。

 

あ、そうそう、あくまでも、上記の投稿はフィクションであり実在の

ものとは何ら関係のない一個人の妄想から生じた創作にすぎません。

事実とは異なる情報を多分に含んでいます。

 

って中の人が言ってました。あじりでした。

虫の鑑定団

ウィザードリィというコンピューターゲームがあります。

RPG=ロールプレイングというジャンルのゲームにおいて

世界的に有名ですねえ。細かいことは詳しくないんですが

歴史の長いゲームで、何本も続編が出ていて、社会現象を

引き起こした国産の某大作ゲームにも多大な影響を与えている

ようです。

 

シリーズによって多少の違いはあるかと思いますが、

モンスター(魔物)の闊歩する迷宮(ダンジョン)の奥深くに潜む

賞金首、またはそこに眠る財宝を求めて、様々な種族、職業、価値観の

キャラクター(仲間)でパーティ(探索隊)を組んで迷宮を冒険する。

 

冒険に使用する様々なアイテム(道具)のほとんどは迷宮内の魔物を倒すと

落とす(ドロップする)宝箱から手に入れます。

 

手に入れたままの状態ではおおざっぱなジャンル、例えば剣、指輪といった

具合にしか分からない。そこで、アイテムを鑑定して判別するという必要が

あり、それはビショップという職業の技能か、魔法とか、あとは確か

冒険者が利用している商店に依頼するという方法もあったと思います。

まあ、ただ、記憶が曖昧なので間違いかもしれませんが。

 

まあ、ゲームの話はそんな大事じゃないんですが、最近、昆虫というか

虫の写真をやたら撮りまくっているんですが、その画像を整理する上で

どういう虫かを調べる必要がありまして。とくに固有の名前ね。

 

この虫の名前を調べる作業をしているとその「鑑定」みたいだなあと。

 

写真を撮る場所(ロケーション)は迷宮(ダンジョン)。

被写体(ターゲット)は魔物(モンスター)。

探し回って遭遇(エンカウント)。

シャッターを切るのは戦闘(バトル)。

ベストショットは会心の一撃(クリティカルヒット)

撮った画像(ピクチャー)は財宝(トレジャー)。

 

 

コガネとか、バッタとか、クモやら、チョウやらだいたいの科の辺りは鑑定は

できるけど、それ以上となると中々大変ですね。手元にある有力な資料は

昆虫のポケット図鑑なので説明が不十分だったり、記載されていない虫が

あったりで、不十分。

 

ネット上でも図鑑はいろいろとあるんですが、こちらも、ナニブン、無料で

見られるものですから、なかなか該当するものが見当たらない事も多々あります。

 

撮った写真と図鑑の写真、イラストを見比べて一番特徴が一致している

ものを選択する。姿が似通ったものは解説文の体長、出没する地形、時期

で推測をだすのですが、似てるものが多いともう大変ね。例えばヒョウモンなんたら

という蝶はポケット図鑑でも10種類ぐらい載ってて、特徴らしい特徴を見つけるのが

大変。

 

その虫が成虫の状態ならいざ知らず、幼虫の状態だともうね、わかんないですよ。

基本的に成虫の状態しか載ってない。ポケット図鑑。

 

かといって本格的な昆虫図鑑はね、値段がね。

中身を確かめられない高価なものはとても買えないですし。

 

まあ、それは置いといて、ここ最近撮った画像↓↓

 

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ゾウムシ?

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マメコガネと花

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たぶんバッタの幼虫

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セセリチョウ

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おそらくウラギンヒョウモン

 

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ナガコガネグモ

 

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アブ?

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ナナホシテントウVSエゾアカヤマアリ

 

枚数大杉ですね、ここいらで止めときます。

載せたい画像は山ほどあるのでキリなしだし。

 

ああ、あの虫のあの画像も載せたい~。

 

ですので単独で投稿にネタしてしまおう。

 

しっかし、ここんとこの撮影枚数がとんでもないことになってるなあ。

一日100枚以上のペース…

今のカメラ買って1年と2ヶ月ぐらい。現在、通算23500枚を超えました。

今月に至っては今現在で3550枚超えてます。

日に日にペースが早くなってるねえ。どこまで行くんだろう。

 

ともかく画像を整理する時間がかかって仕方ない。

なんとかならないもんだろうかね。

衝撃の瞬間

先日、おそらく渓流、山の中の小川ですかねえ。

そこを歩いているとすごいものを見たんです。

 

なんと、

 

川を泳ぐイカがいたんですよ。

真っ白いスルメイカ。

 

え~

 

しっかし、

 

淡水でも生きられるイカなんているんだっけか?

 

 

まあ、目を閉じて見る方の夢の中での話なんですけどね。

って、夢オチですかい。

 

寝るときはテレビをちゃんと切ろう。

おかしな夢を見る確率が格段に上がる。

 

まあ、よく、「別に眠るんじゃなくて、すこし横になって休むだけだ」

と寝入ってしまうことは日常茶飯事だったりする。

殺伐の大地

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もう少し早く気がついていれば良かったのかもしれない。

ベランダの里芋の葉の色が最近良くないなと思って

よくよく観てみると、極微少な、夥しい虫の群れが…

体長は大きい個体でも1ミリにも到底満たない。本当に小さい。

ダニのような類だろうか。手元のポケット図鑑では調べようもない。

丸いのは卵であろうか?赤い個体は何だろうか?

蜘蛛のように糸を張り巡らしているようにも見える。

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とりあえずせっかくなので撮影しておいて、あとは処理を

しないと。

 

こいつらはこいつらなりにコロニーを形成して、ある種の社会とも

呼べるかもしれないものを営んでいるのかもしれない。

 

それでも、私にとっては害虫でしかない訳で。

 

このまま放置すれば里芋の生育に悪影響なのは明白。

 

最悪、枯れてしまう可能性は大いにある。

 

ちょっと前に。

大根葉の茎、根元に入り込んで食い荒らすタイプの芋虫がいた。

そいつは茎のごく一部をかじってるに過ぎないが、根幹部分を

食われては、其の先の茎、葉の部分は枯れていく。

新しい芽も生えてすぐに食われて成長できない。

こうなってはもうその株は枯れるしかない。

 

一見目立たない部分にいる分、外敵に見つからない。

生存してゆくにはとても賢い選択ともいえる。

 

虫、生物ってのは、えさになるものがあればそこに生じ、見境なく貪る。

大多数で貪り食い尽くしてしまえばだれも生き残れないはずなのに。

 

そういった事を予見するような能力は虫にはない。そこで大量に死んだとしても

どこかで生き残った個体があればそれを元にしてまた数を増やす。

 

そう言う繰り返しの結果、自然は調和しているのであって、自然という

状態はそれほど甘いものではない。「みんな仲良く手をつないで平和」

なんてものは存在しないのだろう。

 

平和ってのは、秩序ってのは、そこにただ漠然と発生しているものではなくて、

だれかが明確な意志を持って行動しているからこそ維持される。

 

まあ、よくある説教ネタに、「人間ってのは他の生命を頂いて生きている」系

な話がありますが、肉、魚についてはそれは割とよく分かりますが、野菜に関しては

ちょっとそいうのはあんまし実感できないもんであります。

 

しかし、

農作物ってのはそれに群がる害虫、害獣を大量に駆逐し、排除して、その結果

収穫し食卓に上るわけです。

 

まあ、それに感謝するのは個人の自由かもしれない。ただ、直接に手を

下していないだけで、生きるものを大量に殺してる事には変わりないですね。

 

野菜って食品はある意味、場合によっては肉魚よりも、数の上では大量の

生命を殺した上でできているものかもしれないですよ。

 

「一寸の虫にも五分の魂」という言葉もありますし。

 

なんか、やっぱし、ベジタリアンにはあんまし共感できない。

 

まあ、どうあれ、食べ物は粗末にせず、大事に食せという事ですかねえ。

調理をする手間も馬鹿にならんですよ。

輸送、加工にどんだけco2を排出してるのかも無視できない。

 

なんか説教くさいオチになってしまったなあ。

晩夏の晩蚊

 

夏の終わりのころの蚊というのはとても厄介だ。

体長こそ小さいが、なかなかどうしてすばしっこい。

満を持して撃墜しようとしてもその風圧によってなのか

回避される。そして体長が小さいからこそ視認が難しい。

叩いた手に気を取られるともうどこへ逃げたのか見当が付かない。

 

壁面に留まった瞬間に標的が次にどう動くのかを考慮しつつ、

標的のやや上の空間に向けて迅速に、勢いよく、パチンと良い音を響かせながら

お手々の皺と皺を合わせて合掌。南無~。

 

まあ、そんなこんなで秋は深まってゆくわけですねえ。

雑談

「正義に燃える」って表現がありますが、これの「燃える」の箇所を

「萌える」に変えると、あら不思議。「正義に萌える」なんともミーハーな

チープな正義感みたいなニュアンスが感じられる。

 

「萌え」本来の用法として「草木が萌える」というのがありますが、

これも入れ替えると、「草木が燃える」ってなんか山火事?

ナチュラルな雰囲気が一転、環境破壊です。

 

話は変わって。

 

月曜日のゴールデンタイムに人気の酔うと露出癖のある

タレントさんとゲストが主に日本のどっかの集落、村、町に

出かける番組がやっていたりしますが、普通、この番組を

視聴する方はある種の和みを感じていられるのだと思いますが、

私はどうにも、この番組を観てるとイライラしてしまいます。

 

それはなぜか?

 

タレントの人の不躾で横着な態度ではないです。あれです。

画面の中によく灰色のふわふわした毛虫が映り込んでるところです。

 

音声を収録しているであろうマイクが頻繁にフレームインしてくるんですよね。

 

私が心得違いをしていないのであれば、出演者以外のスタッフは見えては

いけないもののはずですよね。

 

行き当たりばったりな番組なので、状況的にどうしようもなくて見えて

しまう事はあります。ただ、あまりにも多すぎる。特に天井が低い訳でも

ないのに上から毛虫が下りてくる。とても自然に。

 

中の人は気にならないのかなあ。二台あるカメラの一方が

フレームインする場合は一応、避けてるみたいだけど。

 

番組の構成的に多少音声が上手く拾えてなくても字幕をガンガン演出で多用して

いるのでそれほど問題ないと思うのですが。

 

そんだけ気になるなら観なきゃいい?できればそうしたいけど、

丁度うちは夕飯時なので家族が観たがるので致し方なし。

某先の副将軍様を観る訳にもいかんし。

 

ともかく、灰色の毛虫は嫌いです。

ぶらり道路の車窓から其の壱「山梨」

もう夏も終わりかけてますねえ。

お盆は皆様どう過ごされたでしょうか。

ウチは日帰りで中央自動車道で山梨までとか、日帰りで中央自動車道で信州

までとか行ってきました。

 

さいわい、東名道の例の崩落事故の影響をもろに被るタイミングを外れてか

さほど酷い渋滞に巻き込まれないですみました。

 

最近は運転をしないでもっぱら助手席がデフォルトな設定。

といってもナビゲーターと言う訳でもないです。カーナビは

付いてますので。で、何してるかというと、

 

字数はひらがな表記にすると8文字で、「し」で始まって「い」

で終わる、真っ暗な場所ではできない、レンズから取り込んだ

光を電気信号に置き換えて静止画像としてのデータを記録媒体に

記録する行為、そう、あれです。

 

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トンネルとナビ

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下り坂からの好景

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フェンスを越えて

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雲と山脈

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含みのある表現

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建ち並ぶ家々

 

動いている乗り物から写真を撮るのはなかなか難しいもので、

もたもたしているとあっという間に被写体は通り過ぎていきます。

 

でも、そこがいいんですよねえ。なんというかシューティングゲームというか

流鏑馬というか。

 

撮影という一見、静的に思われがちな行為に一瞬を切り取るという明瞭な

アクティブさを強く感じることができます。

 

撮りにくいからこそ、良いカットが撮れたときのの感動もひとしおです。

 

「其の弐 信州編前編 ~山の観光地は蕎麦ばかり~」にたぶん続きます。

キャラクター考察

キャラクターってのはいわゆる偶像。ある種の神様ですねえ。

信仰的な意味合いではなく、あくまで広義な意味でのね。

 

要とされる状況があればそこに生じ、その状況が

なくなればいつのまにか忘れ去られ、存在しなくなる。

 

まるで存在し、生きているように感じるが、自我というものが

存在せず、その代わりに、外部からの願望を存在の拠とするため

それが存在しなくなれば、関心がなくなってしまえば存在することは

できない。

 

人間は自分が自分を存在していると認識できれば存在を維持できる。

しかし、キャラクターは見ている、知っている人間の関心、執着心がなくなる、

見ている人間がいなくなれば、存在は消えてしまう。

 

見ている人の空想、思考の中である種の仮想的な自我が再生されている

に過ぎない。

 

仮想自我ってのは実在の人物、生きてる人間にもあって、その人物を見ていた

第二者、第三者が「多分あいつはこういう時はこうするに違いない」と想像する事で、

実際の本人が本当にそうなのかとは限らない。

 

あくまで、キャラクターという存在が起こす行動はだれかの仮想自我から

生じるもので、多くの人が思っているイメージとのギャップが大きい場合、

それは受け入れられない、そのキャラの存在感、普遍性、リアリティを

損なう。

 

実在の人、物ってのはキャラとして、偶像としての都合の良い要素のみで

構成されて存在していないので、その普遍性を損なう要素が多い分、

そのイメージを維持するのは難しい。現人神な状態はあまり長く続かない。

 

だから、実像が亡くなってイメージだけの存在になれば神になり、

イメージを失うとただの人になるのではないかなあ。

 

なんだか考えがまとまったようでなんか曖昧な気がする。

やっぱ日本語はむづかしいねえ。どうにも明瞭じゃない。

横文字、蟹文字は便利だけどかえって分かりにくくなるね。

ミーティングin レイニーday

久しぶりにスペ9のミーティング。

前回はえーと何年前でしたっけ?

オリンピックイヤーだった気がします。

まあ、そんな嘘は置いといて。

 

親の言うことには素直に従うものではないね。

もしくは、質問するときはちゃんとした回答をレシーブできる人を

選ぶべき。質問力が問われる。

 

餅は餅屋。気象予報は気象予報士。

 

怪しいと直感したのなら、傘は持っていくべき。誰がなんと言おうとも。

「だろう」運転ではなく「かもしれない」運転に徹するべきと教本にも

述べられているだろうに。

 

まあ、それはそれとして。中部圏を中心に店舗を展開する。某有名

コーヒーショップの、冷えていて限りなく牛乳に近いコーヒーの略称が

「アイモ」だった。

 

なぜに「アモニ」でも「アイモニ」でもなく、ましてや「モアイ」でもないのだろう

というどうでも良い疑問を抱きつつも、ミーティングが終了。

 

まだ終電まで余裕があるので栄から千種まで歩きつつ、夜景撮影会。

 

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水のしたたる良い路線図

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名古屋テレビ塔とオアシス21

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ドラゴンズの応援バナー

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41と広小路の交わる処

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名古屋高速高架下、横断歩道上の街路灯

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バス停と消火栓と街路灯と街路樹

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JR千種駅プラットホーム

雨天の夜景は、やはり中々良いものです。路面に水がたまると

鏡のように光を反射してくれるので光量が不足しがちな夜間において

それを多少なりとも補ってくれるし、いろんな灯りの色を混ぜてくれるので

より色感溢れる絵が撮れます。まあ載せたカットにはあまり関係ないかも

しれませんが。

 

写真撮影において雨天ってのはどうしても倦厭されがちですが、ちゃんと防水

の備えをしていれば、おもしろい絵が撮れます。

 

自分はかえって悪天候の方が晴天時より写真を撮りたくなる性分なものですが、

変ですかねえ。

 

あと、天気の中で一番明るい状態になるのは、晴天時じゃなくて、

昼間に雨が降っていて、止んで、地面が乾かないうちに太陽が顔を出した

瞬間じゃないかと思います。

 

まあどうでも良いんですが。

普遍性にあこがれる

人間ってのはどうにも移ろいやすくて変わるからこそ

良い部分ってのはあるけど、変わると言うことに嫌気がさす

なんてことはよくあるもんです。

 

一瞬前までは何かを決意し、その次の瞬間には弱音を吐いてる。

昨日信じたものを今日は信じられない。

調子よく、2,3回うまくいって、次回、なぜか続かない。

この前会った時は愛想よくしてくれたけど、次はどうだろうか。

とか、とか。

 

人は常に変わり続ける。状況、時間、関係によって様々に。

諸行無常。色即是空。無味乾燥。人の噂も七十五日。

犬が西向きゃ尾は東。そんなの常識。

永遠なんてあり得ない。だからこそ惹かれるものがある。

全てが変わってしまう世の中だから何か変わらないものを

見つけられればそれはそれはもう、尊いものなのかもしれない。

 

一時的にかもしれないけどね。

ゆめのまさゆめ

寝ていてたまに夢を見る。よくあるジャンルにどこかの町へ

行っている夢ってのが多くて、見慣れない町並みで、夢の中の

設定では聞いた事のあるもしくは行ったことのある町ではあるけど

全く見覚えないってパターン。

 

川崎から名古屋へ帰る途中、静岡の焼津の手前で、いつか見た夢と

かなり似てる景色を見た。知らないはずなのに知っている。デジャヴじゃ

ないんだよねえ。多分。

 

まあ、だから、今日見た、見たことのない東京はどこかで見るかもしれない

とおもってみたり。

妄想散歩その一「シデコブシ」

ベランダで大根葉に付いたアオムシを撮ってたら、シデムシが

足にくっついてた。

動物の死体に集まる虫なんで縁起が悪い、というか何でベランダに?

 

まあ、そんなことがありました。

 

場面は変わって。ふと散歩をしてると植えてある木に「しでこぶし」と

札がかかってて、なんか響き的に「死出拳」と字を当てて誤変換してみる。

頭の中で。

 

うーん、なんという暗殺拳法。

 

きっとあれですよ、瞬時に一撃で絶命させるのではなく、その拳を受けた者は、

じわじわと死に蝕まれてはいつか死に至るに違いない。

 

ってそれだとアレだな、受けても受けなくても人はみんな普通にいつか死ぬ

んだけどね。

 

んなわけでメメントモリーなオチで締めてみる。

 

ああ、あと、「しでこぶし」ってのは「幣辛夷」と書くらしいですよ。

なんかピンとこないですが。

つか、この投稿のおかげでシデコブシが死出拳で変換されるように

なってしまいました。やれやれ。

空想を超える現実

夏のかぜに吹かれ、微熱と軽い頭痛の中、ママチャリ(ある地方ではけった

マシーンとも呼ばれる)の、たるんだチェーンを取り替える。

 

ベランダ菜園で最近の生育具合の悪い原因を発見し、憤慨しそれを取り除くも、

あまりの損害に、「農業とは戦争である」と実感する。

 

夕時のテレビ時代劇の分かりにくい演出、脚本にいちいち突っ込みを

入れ、大してフリークでもないのに「ほんと最近の時代劇は駄目だな。」と

不毛な突っ込みを入れる。

 

そんな他愛のない平凡な一日を送る中年の姿がそこにはあった。

 

私ですが。

 

それとは全く無関係に、昨今、世間、巷を騒がせていたニュースに新たな局面が。

あまりの衝撃に明日(今日)遠出で、朝早いのに興奮してねむれいせん。

 

ほんと、おそがいがや。

 

と、どっかの市長みたく、文章に、方言をわざとらしく使うのは分かりづらい

上に、響きに特徴のある言葉ってのはうざいので止めとこう。ネイティブじゃないし。

 

いや、ほんと、びっくりですよ。テレビで速報入って入ってたので、ネット上でも

いろいろなネタが転がってるかなと野次馬根性を出したのが運の尽き。

噂は噂、話半分。ただ、今まで感じていた違和感が、一気に解消された様な

爽快感と、背筋も凍り付くような衝撃の新情報。

白日の下にさらされる嘘。裏返る、もとい、表返るオセロ、またはリバーシ。

羊の毛皮を被った狼。狼の毛皮を被った羊。連邦の白い悪魔。衝撃の真犯人。

黒幕。ハンニンハヤス。

 

まさにどんでん返し。

こんな超展開を考えたのは誰だよと。現実は小説よりも…

 

もうね、今日日、テレビドラマでもこんな超展開あり得んよ。

被害者がじつは黒幕とは恐れ入る。

 

とりあえず、ちょいと落ち着いてきたのでもう寝よう。

明日を生きなきゃ駄目です。

ぶらり公園探訪その1「小幡緑地(東園)」

名古屋市守山区で公園と言えばまず小幡緑地でしょうねえ。西園、本園、

東園と3つとびとびになってて、県道15号線沿いに西園、本園とありますが、

東園はなぜか小幡と称してても、尾張旭市、しかも本園から最短距離で行こうと

すると森、というよりは山の中、住宅街の車がすれ違うのに苦労するぐらいの道を

通らないといいけないという微妙な位置関係ではあります。

 

県道213号線に隣接してる側の駐車場は、そこそこ広く、道路の向かいに

コンビニがあるので運送とか、営業の方が休憩がてら駐車しているのが

よく見受られます。

 

もし、車以外の交通手段はバスぐらいですかねえ。ただ、そこまでして行くような

施設は特にないですが。

 

公園のほぼ中央を東名高速道路が真っ二つにしているというなかなか見当たらない

特徴。まあ、県内には入り口のド真ん前に高圧線のでっかい鉄塔が鎮座してる

ユニークな公園もあったりしますけどね。

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話を戻して、基本、公園ってより山道っていう印象ですね。

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舗装されてない部分が多いです。まあ、その点、自然が豊か、

たぶん、カブトムシとかいると思います。

木の樹液をすするカナブンを見かけるぐらいなので。

あと蓮が群生している池にはチョウトンボが飛んでますね。

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グラウンドとかその他、公園と呼称されるからには在りそうな施設はだいたい

ありますね。

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今回気がつきましたがなかなかおもしろいプレイスを見つけました。

動物のオブジェの遊具の群生地帯。

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狩りをするライオンの図

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まあ、よくある遊具なのかとは思うけど なんというか哺乳類の

ガタイがよいというか、ごついというか、筋骨隆々さね。

作り手のこだわりを感じる…

しかもこのこれでもかと置かれている量はなんちゅうか圧巻。

まあ、公園遊具のマニアでも、フリークでも、フェチでもないので

よく存じ上げないのですが。

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まあ、良い感じで風化してて、良い塩梅で適度に管理されてる味のある公園ですね。

フゴーチャンプル

ポピュラーな沖縄料理にゴーヤチャンプルちゅうのがありますね。

そしてややマイナーなのにフーチャンプルってあるじゃないですか。

ゴーヤチャンプルに欠かせない材料はゴーヤは当たり前として、

豆腐、本当はシマドウフなんでしょうが、まあウチでつくるぐらいなら

木綿豆腐でじゅうぶんかと。

しかし、ゴーヤはあるが豆腐がないという状況は往々にして

あり得る訳です。そこでフーチャンプルとゴーヤチャンプルを

ニコイチしてまえという次第。

本当はクルマ麩であるそうですが、そんなんないので普通の

パッケージに「ふーちゃん」が付いてる麩を使う訳です。

既出な組み合わせで別に名前があるかもしれないですが、

あえて呼ぼう。「フゴーチャンプル」と。

なんか富豪みたいだし、荒くて強い息づかいみたいでええんでないですか。

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ゴーヤはスプーンで種を取って刻んで塩もみ

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ニンジーン

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麩を水でふやかしてから水気を絞る

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イレギュラーな材料かな。エッグプラントことナス。

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麩を卵に漬ける

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マグロ油漬けと一緒に炒める。

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野菜を炒める。

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一応材料ごとに炒めると吉。

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合わせる。

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溶き卵×2個分。を流し入れる。

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調味料を入れて完成。フゴーチャンプル。

 

できはまずまず。(不味いのまずじゃない。)

豆腐じゃなくて麩だから食感がふんわりしてます。

麩はもっと多くてもよかったかな~。

マメコガネ撮影会

先日、ベランダに出る。雨水のたまった器にマメコガネが

なぜか浮いている。土左衛門か?

豆小金土左衛門。なんか人名っぽいねえ。

 

とりあえずすくい上げてみると指にがっちりとしがみついて

離れない。ちっさいのにツメがしっかりと指の皮膚に食い込んで

なかなか離れない。まあ全長10ミリに満たないのでがっつり

ツメを立てられても痛くはない。


なんとか引っぺがして敷いてあったビニール袋の上に置いて

様子を見る。

 

なんか死んだふりしてんだけどさー。

さっきあんなにしがみついてんだからバレバレでしょ。

かーいいねえ。このまま放置も勿体ないので今後の資料

として撮影会。

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いやーいいですわ。この筋金入りのドジッ子は。

指先へ這ってったと思ったら先っぽで停止。

 

真ん中の脚をぴーんと伸ばして前バネを広げて

おっ、飛ぶのかと思ったら真っ逆さまに落ちてんの。

 

かとおもえば全脚を放射状に広げている姿には

ある種の神々しさが漂ってるねえ。

 

 

 

次のネタはこいつかな。