楽しいHOME展、展示中間報告 ”Exhibition interim report .”

-明星美術部展 リベラルアートな暮らし展- 「創作ピンホールカメラとその写真展9」
 無事に終了致しました。

「パルプ作家の楽しいHOME展」は好評開催中です。会期が半月を切りました。まだご覧に
なっていない 方はぜひともご覧下さると幸いです。ショーウィンドーからちらりと覗いて行く
方も多いですが、折角ですから中に入った方がよく見えますよ~。建物の構え的に、
ちょっと 入りにくいかもしれませんが、ウェルカムです。
 


土日祝日を含めて、一部平日も会場にて作品の手直しとか、制作などをしてます。


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DSC_4919.JPG posted by (C)かゆきゅう
8月31日


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DSC_4936.JPG posted by (C)かゆきゅう
9月1日


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DSC_4948.JPG posted by (C)かゆきゅう
9月2日


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DSC_4952.JPG posted by (C)かゆきゅう
9月5日

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DSC_5060.JPG posted by (C)かゆきゅう
9月15日

中間地点からの眺望。 -The view from a neutral. -

先日、パラリンピックも終了したようで、一連のスポーツの祭典が終わりました。

スポーツというのはゲームであって、ゲームというのは競争することを娯楽に
したものであると思います。

まあ、私の場合はゲームというと、まず思い浮かぶのはスポーツではなくて
ビデオゲーム、テレビゲーム的な方の今やゲームの代名詞としてのゲームですね。

まあ、テレビに接続する据え置き型も携帯機に比べればいまやマイナーな立場
な気がします。そして程度の差こそあれ、ネットワークに接続して不特定の誰か
と競うものが多くなりました。ゲーム専用機のゲームだけでなく、スマートフォンの
アプリケーション、パソコンのブラウザを利用した、いわゆるソーシャルゲームも
数多くあります。

まあ、それはそれとして、どんなゲームにせよ、「競う」事というのはどうしても
自分の願望、欲望を刺激されて、気をつけないと楽しんでいた筈が、強い
プレッシャーやストレスの元になってしまっている事がよくあるものです。

勝負して誰かが勝つということは反面、誰かが負けていると言う事は当たり前
な事なのですが、「人よりも優位でありたい」「あのトロフィーがどうしても欲しい」と
いう思いが強すぎると、不毛で不要な憎しみを抱えてしまうものです。

勝負に入れあげ過ぎて、同じチームに弱い人間がいると邪魔者扱いをしたり、
のけ者にしたり、自分の思い通りに事が進まないと暴れ出したりとか、
「たかがゲーム」の筈なのに、「楽しむ」事が疎かになってしまって、娯楽で
ある筈 のゲームでつまらない思いをするのはなぜなんでしょうかね。

ゲームであるからこそ、思い切りの良いプレーができたり、あり得ない程の
アクシデントをどうにか切り抜けようとするのが面白かったりしませんかねえ。

単にスポーツを観戦している場合でも国とか地域とか自分の価値観で
特定のチームを応援して勝ってスカッとする反面、負けてモヤモヤ、イライラ
というのもなんだかおかしなものです。

ただでさえ人が生きる上では避けられずに争ってしまう事なんてのは
沢山あります。例えば領土問題とか。

戦争ってのは人を傷つける事の代名詞みたいなものですが、人を傷つける
のはそれだけとは限りません。人を傷つける事なんて、無意識に、何も
考えなくても できる簡単な事だったりします。

相手を負かすというのは、相手にとても不都合な真実を突きつける事でもあって、
それが自業自得であれ、それなりにダメージを受けるもので、ある種の
精神的な暴力になったりもします。

ですから、例え「平和の祭典」などと称する様なイベントであっても
スポーツ、ゲームが競争するものである以上、暴力的な、乱暴な事が
どうしても つきまとう ものなのかもしれません。

…などとウダウダと語りましたが、それでも私はゲームをやるのも観るのも
止めませんけど。

「争う事」を恐らく、人類は止められません。しかし、その中でも必要のない、無用な争い
を判断して、避ける努力を忘れるべきではないですねえ。

勝敗などを過度に、常軌を逸脱するほどに固執した人間ほど醜悪に見えるものも
そうそう、ありませんし。


…っと、すいません、展示の話をしようと思ってしょっぱなに雑談入れようとしたら
雑談が本編になってしまいました。

ここで一旦切ります。