つくつくぼうしのなく夜に。-Type of cicada's cry at night.-

ある日、目が覚めるとそこは腐海だった。

いろいろな物で溢れかえっているが、そこに置いたが最後、
どうしてもそれが必要な時に見つからないという魔の空間。
なぜこれがここに存在しているのか、忘れられ、放置された、物の墓場。

今まで自分はなぜこんなあまりにも混沌とした場所に居たのだろうか?

今日の自分には理解できない。分からない。思い出せない。

吐き気がする。虫酸が走る。心が毛羽立つ。
こんな所に居る自分自身を疑う。信じられない。


本来、「穢れ」ケガレというものは汚れるとか、汚くなるという意味ではなくて、
ハレの日の「ハレ」と対を成す言葉、日常であるケの日の「ケ」が涸れたり枯れる
事、つまり、平常の日々の暮らしが送れなくなった状態を指す言葉なのだそうな。

まあ、今の自分の現状に即した、何とも当意即妙な事だろう。

物ってのは使える状態で持っていないと意味がない。いざというときに見つからない
物というのは役に立たない、持ってる意味がない。ただひたすら空間を満たして
圧迫するだけの、良くありふれた、使い古された言葉で言うところの「ゴミ」でしかない。

そんなゴミに押しつぶされ、二進も三進もいかず、ゴミの山で悶えてる自分というのは
なんとも馬鹿馬鹿しい話だなあ。

とある有名な漫画のとある話。狭い穴から手が抜けなくなった男が、医者に腕を切って
もらうが、結局その男の腕が抜けなかった理由は手に宝石というか高価な物を握っていた
からなんだそうだが、まあ、そんな男に似た愚しさだなあ。自分。

欲を出して手に余るものを持っていても何にもならないねえ。

押してダメなら引いてみろ、掴んでダメなら離してみましょう。

といった、今日の、作業に移ろうにも使いたい物が見つからず、仕方なしに部屋の整理整頓を
始めるも、探し物は見つからず、片付けているはずの部屋はより散らかり出す始末…。

まあ、そんな類の悔恨な懺悔の反省文でした。


君の未知なる宇宙の物語展以降、パルプにクレヨンなり、オイルパステルでの色つけが
表現としての相性が良いと考えて、実験及び、調べ物をしてみたのですが、クレヨン、
オイルパステルの特徴、特性である、固形油脂、蝋の柔らかさは塗るには良いが、
保存性の観点からすると、塗装面の色材が安定しない上に、固着させるための決定的な
方法が見当たらないので、いかんともしがたい状態なのですが、ではオイルパステルの
オイル抜き。つまり、パステルを用いてはどうかという仮定の過程で実験してみました。
パステルならばフキサチーフでなんとか出来るはずですから。

大学時代に買い込んだ画材群に確かあった筈だと、軽い気持ちで腐海探検を始めたの
でした…。

まあ、長い長い探検の物語はまた別の話として、パステルを使うのは問題無いようです。
パルプとの相性は良いですねえ。

まあ、ただ、こすって広げる際に、指が痛いのを何とかしないと。一旦、手製絵具を
塗った後のザリザリ具合は紙ヤスリのようです。紙などでこすると紙がボロボロですわ。


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