熱している鍋は混ぜ続けなければ焦げ付いてしまう。-Heat the stew pot that must continue to stir. Would otherwise burn the bottom of the pot.-

今日も今日とて、つらづらと話があっちゃこっちゃ飛びますので、まず、投稿タイトル
に即した話からしておこう。

今日、いや、すみません、コレを書いている時間からいくと昨日ですが。晩ご飯を
カレーライスにしたんです。

 カレーを何度か作った事のある方はお分かりかと存じますが、一般的な
カレーのルウのとろみというのは小麦粉や、糖分などが含まれているから
なのですが、そういうとろみを含んでいる液体というか、半個体を加熱する
際には、十分に撹拌をしないと、鍋底が焦げてきて、最悪の場合、まあ全部
焦がすという事は滅多にしなくても、焦げが重篤な状態までいくと、
焦げてない部分にも焦げたニオイが染み込んでしまいまして、正直、

マズいです。
おいしくないです。

ですから、加熱中は焦げない様によく鍋をかき混ぜないと駄目です。

ああ、別に今日、そういう失敗をした訳ではないですよ。
もう十年以上昔の話ですね。

ふと、思うのですが、昨今の日本経済の様相ってのは案外この、焦げかけてる
カレー鍋みたいなものかもしれないですね。

お金というのもおいしい、甘いものですから、一カ所に固まってしまうと鍋全体から
観ると非常によろしくない状態ですね。底の方に凝り固まって、お焦げが鍋に充満
してくると社会というカレーはどんどん焦げ臭くておいしくなくなってしまうの
ではないかなあと。

そいや王様のレストランで、毎回最初に料理にちなんだ格言みたいのが出てきて
ましたよね。

その中に、「社会で起こる事は鍋の中でも起こる」だったかその逆で、
「鍋の中で起こる事は社会でも起きる」かも知れない。そもそも「社会」で
合っているのか、もしかしたら「世界」だったかも知れない。
 まあ、その様な言葉があったんですが、

あながち誇張という訳でもなく、結構、的を得ている言葉なのかも知れないですね。


さて、さて、話は変わりますけども、まあ、この先は実に下らないので、読まなくても
結構ですけども。


先日、iPod、iPhoneのアプリが色々と復興支援の名の下にディスカウントされ、その
金額を義援金に回すとか、無料で提供というような自然発生的なキャンペーンが展開
されていたのですが、普段はおそらく目にも留めないようなアプリをダウンロード
してみたりしたんですよ。

まあ、その中にいわゆるギャルゲも含まれていたのですが、何と言いますか。

存在とか、傾向自体はネットなどを通じて何となく分かってはいたのですが、
なんちゃって半可通なマニアな私としてはここいらを機会にちょっと触って
みよかと魔が差したのですが、いやーすごいですね、最近のアプリは。

テキスト、グラフィック、音声のボリュームが半端ないですね。

ですけども、それがそれで良いとも言い難いんですよね。

大概のギャルゲってのはゲームのシステム的な区分でいうとアドベンチャーとか、
サウンドノベル的な位置づけになるんですよね。
ぶっちゃけて言うと色々な選択肢を選ぶ事によって物語が分岐する、一時期あった
書籍ジャンルのゲームブックの電子版というか。ノベルゲームというか。

まあ、ギャルゲではないけど、一番最近やったソレ系のゲームとなるともうね、
結構古いんですけど、プレイステーション版の「かまいたちの夜」だったか、「弟切草」
ぐらいしかないんですよね。

その頃のものもグラフィック面は結構キレイに出来てましたけど、さすがに「喋る」までは
なかったですねえ。まあ、その「喋る」演出方法が合ってるのかは別として。

言葉と一言でくくってしまっても、喋る言葉と、こういう風に書いている言葉って
厳密な話、異なるじゃないですか。

それを吹き出し部分だけとはいえ、音声で読まれてしまうとどうにも文章を読み
にくいなあと。

本の良い所って自分のペースで読める所がありますよね。でも、
そこに音声という要素が加わってしまうとどうにもペースが狂う。
いちいち全部の音声を聞くのが面倒というか、そこにどうしても待ち時間が
できてしまって、冗長になってしまうんですよね。

読み飛ばしてもかなりある文量なのにそんな音声をいちいち聞いていたら時間が
かかって仕様がない。

あれですね、最近のゲームでありがちな基本的に操作が出来ないムービーシーンと
同じですかね。そいや、某大作RPGをプレイしてて、最初辺りはゲーム進行上の
不都合があるといけないからと 真面目にちゃんとムービーを観てたのに、中盤以降
さすがに億劫になってしまって、結構な頻度でムービーをスキップしてましたね。

まあ、ムービーを観たい、このキャラの声を聞きたいという人もいると存じますが、
私的にはぶっちゃけて、歯に衣着せずに言ってしまえば、正直、必要ないんですよね。
制作者側に申し訳ないというしかないですが。

文章を読むときはそれに意識を集中させたいんですよね。
ぶっちゃけ、ビジュアル的なものも要らない。

ラノベで挿絵が要らないと思ってしまうぐらいのレベル。

なんというか本末転倒。

挙げ句に、かわいいキャラクターとの会話云々よりも、
うんちく知識の話に興味が向いてしまう。

いや、もっとそのパンクロックの話を詳しく聞かせてくれとか、
もうね、ギャルゲをプレイすべき態度じゃないな。完全に。

人間がすれてるから、人から訳なく妙に優しく接されると正直、
気味悪いというか、なんかコイツ企んでるんじゃないかと
身構える質でして。どうしても甘ったるい展開は苦手です。
作り話なんですから嘘くさくて当然なんですが、そこで一旦引いて観て
しまう。白けた目で事物を見てしまう自分がいる訳で。

ヒーローショーで中の人がどうとか言っちゃう中二と大差ない感じ?

ああ、なんかすんごいネガティブな自分を発見してしまったな…。
やだやだ。

まあ、今回、自分にはギャルゲが向いていない事を確認できましたとさ。

落とし神にはなれそうにありません。ま、 戯言ですが。

さて、これはこれでめでたいのかな?


ま、自分の可能性よりも不可能性を知る方が経験としては有益かもです。

可能性、出来る事をを知る事よりも、出来ない、不可能な事が分かった方が
自分の方向性、個性てのが良く理解できるものですよ。

可能性を知れば人は無理をする。不可能性を知れば人は無茶をしない。