情熱に代わる資産なし。-No alternative to enthusiasm assets.-

先日、様々な企業が集まるイベントに行く機会がありました。
まあ、通常ならば、そんな所へは行く事もないのですが、私は
経営者って感じの人種でもないですし。

イベントで意中の出展ブースを探すという行為はインターネットで
検索するのと良く似ていますねえ。

引っかかり易いサイトなり、コンテンツは、イベント会場における
出入り口、経路にまっすぐにつながる通路に面したブース。

出てきにくいサイトというのは特に用でもなければ人が来そうに
ない、場所が良くないブース。

まあ、それであっても、見つけられる人は必要な情報、探している
ブースにたどり着くものです。これはネットでも同じかと。

いろいろな企業、会社が集まるということは、ビジネスのパートナー
を探すという側面は多大にありますよねえ。専門技術、ノウハウを
持っていても 製品を流通させる方法が無かったり、資金が無ければ
どうしようもないですし、逆に、独自の新しい商品を探したり、有望な
投資、融資の先を探すというのもあります。

まあ、探しているのがどういった相手であれ、最終的にパートナーとして
組むかどうかというのは、相手の熱意であったり、やる気であったり、
積極性であったりしますよね。いくら、実績を見せつけられてもそれらが
感じられないと、どうにも決められないものです。

まあ、仕事なので、お金というのは大事なんですが、どうせなら気持ち
よく仕事したいですし、熱意のない人間と組んでも成功しそうな気が
しませんし、期待もできかねます。

情熱などのメンタルなものを、貯蓄と同じものでコツコツと積み
重ねて行くと。立派な財産になるかと。

どんな事であれ、日々の積み重ねがものをいうものです。

継続は絶対的な力になり得ます。

作品も1日にして成りません。たとえ、即興的に1日で出来上がった
としても、それは、そこに至るまでの思考、経験、技術、知識、作業
などの蓄積があるものです。

アートに於いても、継続性というのは大事です。

結局の所、一定の作業を日々蓄積できる熱意、情熱、態度を持てる事
ほど大切な財産は無いという事ですかね。

まあ、他愛のない、ありふれた感情論と言われるかも知れませんが、
でもそれが人生をより良く生きる為の究極的な事ではないだろうかと
 考える次第です。

そう考えつつ、脾肉を当座の花にしつつ、日々精進する次第。

情熱はお金で買えません。もしかしたら、ある種の才能ですかねえ。