Treat or Treat. お菓子をくれないなら出すまで要求します。

はい、十月も半ばを過ぎてもう今年もあと僅かですねえ。…今年は本当に色んな事があり過ぎました。来年こそは…などと、こんな早い時期から鬼に笑われる事をしても、しょうもないですわ。

ツイッターのアイコンをハロウィン仕様にしてみたのですが、やっぱアイコンにはシンプルさが求められますねえ。個人の所感としてはアイコンとしてはイマイチ微妙なのですが、原画サイズでは割合上手く描けてるつもりなので自画自賛しつつ、大きいサイズのをココに貼って晒し者の刑に処してみます。



まあ、そもそもは別段、季節ネタのアイコンとかやる気はなかったのですが、ふと思いついてサラサラと描いたのが意外にハマってましたので、これをトリミングして、そのままアイコンにしてしまおうとも思ったのですが、どうにもトリミングがキッチリと決まらないので上のをタブで描いてみた次第ですわ。


で、そもそものこのネタは、庄内川を散歩中に恐ろしく錆びて尖ったフォーク状の農具が川岸に漂着しているのを見たのがキッカケであったりします。

そうなると、先日の豪雨がなければおそらくはこの絵は描いていないんだろうと思います。豪雨の結果、川の、河川敷の状態も随分と変わって、通常っであれば背の高い草などが生い茂って入れない様な場所、以前はその場になかった漂流物などあるわけで、まあ、こういうシュチュエーション自体も一期一会なわけですねえ。

まあ、川から発祥して、キャラに反映されるという過程がなんだか、七福神の弁天様は元々は蛇の神様でその蛇の神様の元となったのがインドの川とかいう話を思い出したりしております。

流れ着いた悪魔のフォークDevil's Fork stranded

てなわけで、先日の投稿の彼岸と落日の川とゴールデンロッド -Golden rod and the equinoctial sunset river-」の「逆縁起もん(さかえんぎもん)」シリーズとも言えなくもない、「むしのくに」しょうたハロウィンバージョンでした。 立体化は…するのか分かりませんけど。

彼岸と落日の川とゴールデンロッド -Golden rod and the equinoctial sunset river-

堤防を歩いていて、その傾斜にいつの間にか真っ赤な彼岸花が咲いている。先日の豪雨の影響で漂着した残骸をものともせずに咲いている赤い花を見ると、確かにある種の不気味さを感じざるを得ないですねえ。

ちょっと昔の日本では大水やら、川の氾濫というのは毎年のどこかで必ず起きて、その度に甚大な被害、犠牲というのは出ていたのではないかと想像するのですが、そんな悲惨な出来事があった後の川原に、いきなり真っ赤な花が点々と咲き出したりしたら何らかの関連性を感じてしまうのは人間として当然のことかも知れない。

まあ、しかし、そういうものと関連付けられる花というのもなんだか可哀想な気がする。
黒猫とかカラスとかコウモリに不吉なイメージを抱くのと同種のものなのかな。

ホラーというかオカルトというか。

縁起が悪い。つまりは、負の縁起物。悪い、不気味というのも、縁起物の一部かもしれないですねえ。良薬口に苦しというか。毒は薄めて適量使えば薬にもなるというものです。

西洋の建物の外壁などの装飾としての悪魔の像、ガーゴイル。日本の家屋の屋根に置かれる厳つい表情の鬼瓦。など、本来は不吉、怖いものを逆に破魔、厄除け、魔除け、お守りにするというものひとつのあり方です。

そいや、縁起物の筆頭、招き猫は色によってご利益というのか、効能が違うそうで、黒の招き猫ってのは「厄除け」だったような覚えがあります。まあ、黒猫が不気味ってのは西洋から来た、舶来のイメージらしいですけど、それと関連があるのか、それとも偶然の一致なのか知りませんけど。色としてのイメージで赤白黒ってのは生命の根源的なもので、特に黒ってのは「死」のイメージでしたっけ。

なんにせよ、災い転じて福と成す。禍福はあざなえる縄の如しですかねえ。

逆縁起もん。新シリーズが出来るかもしれません。

と、いったことを散歩中に考えた。というと様になるのかもしれませんが、すいません、今この文章をタイピングしているうちに思いつきました。

カメラ持って出ると、散歩してるんだか、撮影しているのか分からない次第です。

のめりこんでくると草むらだろうが何だろうが被写体に向けて猛進してしまうことがたまにありますこの動画のように。




まあ、しかし、眼レフデジで短焦点レンズの醍醐味であるボケをかましまくって撮影した画像って
サムネイル画像にするとイマイチ見栄えがしませんかねえ。トリミングとかするべきなのかなあ。

PCモニタ上でフルサイズの画像を拡大して「うわ。これヤベえ」って結構、興奮するんですけどね。

構図がイマイチなんかなあ。

てなわけで、リンク先のフォト蔵で元サイズの画像を見て頂けると幸いです。


収穫。-Harvest.-

セイタカアワダチソウ-goldenrod-

ススキと庄内川-Miscanthus and Shonai River-

志段味観測所 Shidami gauging station

川辺で埋もれる。 -Buried by the riverside.-

影の木と落日-Shade trees and sunset-

水辺の終日。-Riverside dusk-

運命の歯車は未だ空回り続ける。Fate still idled gear continues.

駆けつけ3本といいながら4本でしたね。読み返して気がつきました。

震災以前、私は東京でGEISAIというアートのイベントに出展しようとしていて、それが震災の影響をモロに被って中止と相成ったわけでございますが、今後もこのようなイベントは続いてゆくのだろうと、ぼんやりと考えていたのですが、どうやら今後は、規模をやや縮小して、出展者も絞り込んでいく方針に運営側が方針を変えたようですね。そのレギュレーションの条件、年齢制限に引っかかってしまいまして、そのレギュレーションがこれから変更なければもう、参加の機会がなくなってしまいました。

まあ、そもそもは東京方面に営業をかけるとっかかりとして、ごくごく軽い、浅はかな考えで、エントリーしたものなので、別段、主催者を崇拝している訳でもないのでそれほど深刻に考えてはいませんけどね。まあ、若い連中を集めた方がシンパとか派閥を作りやすいですよね。


まあ、しかし、今年も空回ってる感はハンパないですねえ。嫌な事が続いてる。って気のせいですよ。禍福はあざなえる縄の如しというものです。ピンチはチャンスでチャンスはピンチなんですよ。



まあ、コツコツと活動は続きます。このつくし型、つくし系のランプシェードの制作の様に。

ひとつの事をやり続けられるのが一流のやることです。コロコロとやる事が変わるのは三流ですかねえ。まあ、迷ってしまって右往左往してしまうのはじつに人間くさくてそれはそれで良いとも思いますが、それを認めてくれるほど世間は広大ではないですかね。近しい人は認めてくれるかもしれませんけれども。










動画動画動画動画。videos videos.

随分とお暇しておりました。更新を再開致しますです、はい。最近はバンザ~イ展も

なんとか無事に終了し、若干のサプライズというか、避難勧告というか、避難指示が

あったりとか、なかったりとかしましたが相変わらずの三歩進んで二歩下がるという、

実に、人生はワンツーパンチな、人生は重い荷物を背負いて坂道を登るが如しな、

楽観も悲観もできない、真ん中の気持ちの両端をぐらりくらりと揺れ動いている最中で

あったり、なかったりします。


まあ、どのようにも変化する状況であれ、自分自身のやるべき事は変わらない。そう思って
行動していく事は変わりがない。そう信じていたい今ではあります。

まあ、しかし、7年間、曲がりなりにも「デザイン」と名の付く科に在学していた為か、基本的な
ロジックはそう簡単には変われないようで。最近は用の美というよりは、美術的な側面で活動
していた様に自分としては思うのですが、工芸、英語で言うところのクラフト的な方向性はやはり
自分の中では主軸であろうと考える私があります。


工芸というのはデザインの一分野として含まれています。クラフトデザインという言葉があるぐらいですから。やはり、代表的なものと言えば、ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフト運動でしょうかねえ。


工芸というのは素材とその加工技術に依存するものです。その両方に精通していなければ成立しません。


パルプ、もっと広げて紙というのも工芸の素材として歴史の長いもので、紙というものが誕生してかなり早い段階で、再利用、リサイクルも行われていたようです。


更に言うと、日本では伝統工芸で紙というと和紙であります。張り子細工とか、名前を失念し
ましたが、使い終わった台帳などを貼り固めて柿渋などを塗った実用品など、再生パルプとさほど変わりのないものもありましたが、それらの職人は今日ではあまり見かけないようです。


明治以後、紙の主流は、記録媒体としての紙は「和紙と筆」から、「洋紙とペン」に移り変わり、和紙はそれ以前と比べて随分と需要が減ったそうです。

洋紙の再利用を前提とした工芸はそれ程多くはないのではないでしょうか。いくら電子化が進んだとは言え、紙というのは日常的にまだまだ使われているものです。資源の有効利用というのはどの時代でも、重要な事です。

高度経済成長期に日本の物作りを支えたものに、段ボールという画期的な梱包材があった事は
それほど知られていませんかねえ。某ロボットアニメのタイトルに「ダンボール」と付いていたりも
しますけれど。古紙という不用になった資源を利用して軽くて丈夫な梱包材を作ったのは、「ドイツ人が土から爆薬を作った」に匹敵するぐらいのすごい事だと思ったり、というのは言い過ぎですか
ねえ。

たとえ話で「砂漠で砂を売ることが出来るのが一流のビジネスマン」というような話をどこかで聞いた
気がしますが、どこにでもありふれたものから新たに新しい物、価値あるものを作り出すのが一流
のアーティスト、デザイナー、クリエーターではないでしょうかね。


そんな存在に私はなりたい。と思う次第であります。

なんというか、決意表明みたいなものに文量を割いてしまいましたが、ここからがこの投稿の本題です。ごめんなさい。

いかんせん、パルプ造形というのは世間的にマイナー過ぎて見向きもされないというか、存在すら知られていないのですが、まあ、地道に広報活動をすることはパルプ造形家として重要な仕事、果たすべき責務であると思うのですが、こつこつとウェブ上で広報してはおりますが、なんというかリアクションが薄いですね。同じ手段、同じ方法で延々と続けるのも精神的に辛い物ではあります。


なので、ちょっと方針を変えてみて、作業風景を動画で撮影してアップしまくるという、半ば公開ワークショップ的な事を始めてみたいと思います。


とりあえずの駆けつけ三本です。



紙をパルプに戻す。そのいち。

Paper back into pulpOne of them.


紙をパルプに戻す。そのに。

Paper back into pulpThe two.




紙をパルプに戻す。そのさん。


 Paper back into pulpThe three.


チョコの包み紙をひたすら剥がす作業

Working earnestly to peel the chocolate wrappers.



必ずしも観やすい映像ではない点はお詫び申し上げます。さすがに最後まで観る方はそうそう
いませんよね。


まあ、しかし、映像で改めて自分の作業を見返すと、なんというか客観的に自己を観られるような
気がしてきますね。腕毛って映像だと結構目立つなあ。とか。いや、まあ冗談として。作業の効率化ができそうな、できないような。仕事量とスピードがまだまだ遅いかなと。

まあ、自分の課題が見えてくるというのは良い事だと思います。