空想と現実の廻間に在るもの。What Lies between fantasy and reality.

だめですねえ。忘れっぽいというか。
基本的、根幹的な事。自分の作品制作のスタンス、スタイル。

どうも招き猫というモチーフは秀逸な原型、モデルが存在するのでそっちに引っ張られる。コピーになってはいけないし、緻密で、繊細になっては自分の作品ではないんです。境目はきっちりと分けるのではなくて、段差をきっちりつけるのではなくて境界は曖昧であって、そこに決まり事なんて無い筈なんです。そんなのは子どもが横断歩道の白い部分だけ歩こうとするのと同じです。単にそういう遊びをしているに過ぎない。その遊びを遊びとして遊んでいるのなら問題ないですが、遊び上のルールを万物が避けられない絶対的な物理法則でもあるかの様に縛られては問題です。

これはある種、空想と現実の区別が付いていません。空想を現実と思い込んでいます。まあ、元々、現実と空想はさほど明確に区別なんてできない物では無いかと思いますが、自由なのに自由が無いと思って生きるのはとても勿体ない事だろうし、詰まらないし、苦しいはずです。ましてや、そんな在りもしない不自由で他人を縛り付ける様な事をしてはならないし、傷つけるのも意味が有りません。悲劇でしかない。

緻密である必要は私にはない。リアルは求めていない。求めるのは空想と現実の廻間。底に有ると思えば存在するし、無いと思えば存在しない。そんな曖昧な存在。

昔、どなたかが、私の作品を観て、「絵本の中から飛び出してきたみたいですね」と言ったのですが、まさしくそれですねえ。物として存在しながら現実の物とは思えない物。

まあ、だからもっとのびのびと剛胆に思い切って軽々と作るべきなんです。というか、作れば良い。ただ作るのにロジックなんていらない。

などと、久々に午後、近所、といっても隣の市で市外という、遠くて近い場所を散歩しながら、写真でも撮りながらそんな事を考えたりしました。しっかし、「卵によるいたずら」とは何なんでしょうかねえ。生卵でも投げつけるのかねえ。



posted by (C)かゆきゅう