黄昏て斜陽。-Consider the culture of the sunset.-

Big mountains and cloud-scale
Big mountains and cloud-scale posted by (C)かゆきゅう

Twilight sea of clouds.
Twilight sea of clouds. posted by (C)かゆきゅう

古い有名な詩だか随筆に「夏は夜が良い」となっていたりしますが、
個人的には春においても、夏であろうが、秋はもちろん、冬であっても
一日の中で一番に心が踊るのが夕暮れ時、黄昏だったりします。

どの季節でもその季節なりの夕焼けがあり、日暮れがあり、トワイライトな
光がめまぐるしく変わる、昼でも夜でもない不可思議な、逢魔が時。

一日が終わってしまってもの悲しい。なんて言われたりもしますが、
一日を無事に乗り切ったという満足感を感じる時間帯でもあると思います。

終わりがあるって大切な事です。じゃなきゃ何も始まりません。

繰り返す一日一日をしっかりと生きてこそ新しい明日が来るというものです。

どんな偉業も、繁栄を誇る大都市も一日だけでは成し得ないものです。

その大事な一日を積み上げてみる夕焼けはとても綺麗なのです。


と、まあ、達成感のない日常を諦めずに何とか生きている次第ではあります。

「君との未知なる宇宙の物語展」を終えてから、手のひらに収まる様な小さな造形を
どんどん作り貯めてそれを素材として様々な活動の、制作の核になるのではないかと
思い続けています。

パルプを紙から戻して、材料を準備する事と、小さなカタチ、作品を作ると言う事は
等価値であるのではないかと考えています。

そして、それを完成した作品として成立させるのは、自分であるし、見知らぬ誰かであっても
良いのではないのかなと。

作家自らが手を下さない、ある程度、自分で作品を完全に制御しない制作の手法というものも
あります。いわゆるモダンテクニック、モダンメティエと称される、偶然性を重んじるスタイルの
延長線上にあるのかなあと。

まだまだ机上の空論ではあるかもしれませんが、どういったカタチが良いのかは、追々、
考えていきたいテーマです。

ただ、単に、作品を観て貰う。それだけをやっていてもそいうアートな活動ってもうダメな
気がしてます。もっと観客と戯れるような事をやっていかないと、新しい形態を考えていく
事をしなければなりません。

今日日、専門学校はおろか、大学というアカデミックな所にマンガやアニメの学科が出来ている
時点で、もうそれらはサブカルチャーではないんではないかと。普通にメインなカルチャーなの
ではないかと。

伝統とか、これはこういうものだという固定化されているイメージってのはもう死滅しているかも
知れません。

もっと、創造的に活動していかないとどうしようもないのではないかと思います。

アーティストも坊さんみたく、世の中、世間一般大衆から認知されなくなったら、
只のタダ飯食らいになってしまいます。

昔からの伝統工芸の興亡を見る限り、技術にかまけていても、必要とされなく、
理解されなくなったものは消えるのみですねえ。

ボトムダウンってのは大事ではないでしょうか。文化ってのはまず、裾野が拡がってこそです。


さて、なんだか話がぼやけてきたので今宵はここまでです。おやすみなさい。