時には負けを認められる余裕

aj091105

とうとつに、とつぜんに、こんばんわ。あじりです。

 

「脱官僚依存」という言葉が世の中にはあるのだそうですが、

 

この言葉って、

 

官僚依存という状態から脱するという「脱-官僚依存」という解釈、

そして、

脱官僚という考え方に依存している「脱官僚-依存」という考え方、

あと、

脱官という僚に依存しているという言葉、

というのは無理があります…

 

まあ、最後はアレですが、日本語って曖昧だよねえ。

それこそ、官僚の方々が行使すると噂される言葉のマジックのよう。

 

まあ、議論が解釈、認識の違いをひたすら主張する事に終始して、

認める事が出来ない様はなんというか、まるで詰まらないスポーツの試合を

観るかのようですね。

 

スポーツである以上、試合であり、死合い。相手と戦ってなんぼですから、

何としても相手に勝たねばならない訳ですが勝ちに執着、とゆうよりも負けない

事に死なないことに固執するあまりに、防御にばかり専念しすぎて一見不毛とも

思える牽制の仕合になってしまい、観る側からすると非常に退屈な詰まらない

地味な絵が延々と続く訳です。

 

退屈というのは人を殺します。精神的に。

どうせ死ぬなら生き生きと死にたいもんですねえ。死に死にと生きたところで

それは生きてるっていえるのでしょうか。

 

国の最高峰に位置する議論の頂上がこのような状態ではどのようなレベルの

議論も上手くゆくはずない。社会は上手く回らないと絶望すら覚えてしまうので

はないでしょか。

 

特にこんな不毛な議論を観ている様な暇人ってのは仕事を引退して、

時間が出来たのは良いが結局、その時間の使い方が分からない方が

多いのではないでしょうか。そんな人が、そんな退屈な、倦怠的なものを

観てしまったら、明日に希望を抱けるのか。

 

野球とかも、最近は特に弱点のないチーム、アベレージ的に強いチームでないと

優勝できないというのはどうもちょっとねえ。イチロー的な強さはあっても

良いんだけど、みんなそういう様な風になっても面白くないかなと。

 

球界の盟主といわれる様な球団でもバランスが良すぎてもうね、なんかアレですねえ。

まるで黒鉄の城。

 

なんというか、生きるという意味はどう死ぬかという事を考えないと見えないのでは

ないかねえ。

 

よりよく生きたいと考えると現実に絶望する事が多いかと。

よりよく死にたいと考えられれば絶望的な現実に希望も見いだせるかもしれない。

 

「面白きこともなき世を面白く」ってね。

 

ま、いっか。

どう考えるのかは人次第だし。私は人じゃないですが。