我流コミュニケーション論-Self-taught Communication Theory-

動画をwebにほとんど制限無くアップロードすることができるなんて
まあ、すんごい世の中になったものだなあと思える。

ISDNからネットを始めた人間からするとスピード的に、コスト的に、
ありえないよね。しかも無線でなんて、ある種のサイエンスフィクション
なレベルだよね。

まあ、そんな月並みの感慨なんて大して価値がないし、意味もない。

そのドラスティックな変化の反面、自分自身を取り巻く環境ってのは、
ディテールは変わっても本質的にはさほどの変化をしていない。

どんなコミュニケーションツールを手に入れても、使う人間の
スキル、性質に依存して、社交的な人はより幅広く、友達の少ない
人間はいつまでも孤独でいるものです。

でなきゃ、「ぼっち」だの「リア充」なんて言葉が存在している訳は
ありません。

デジタルデバイドという、情報端末を扱える人間とそうでない人間の
格差が叫ばれて、もう随分と、10年くらい経ってる気がしますが、
コミュニケーション能力における断裂、デバイドというのもあるんでは
ないでしょうかねえ。

このコミュニケーションデバイドってのはデジタルデバイドと違って、
機械によるものではなくて、コミュニケーション能力の差による
ものが大きいかと思います。

思っている事を他人に誤解無く伝える。というのは、想像以上に
難易度が高いものです。どうしても、人間は自分の感覚を真ん中に
置いて、自分を世界の中心として考えてしまいがちで、他人の感覚
気持ちを理解するのはなかなか難しいですね。

厄介なのは、ちゃんと伝えている「つもり」なだけで、他人には殆ど
わかってもらえない事に気がつかない場合が多々あるという所で、
とりあえず「伝えた」という行動、アクションに満足してしまって、
安心してあぐらをかいて、すれ違っている事に気がつかず、
気がついた時は後の祭り。というのはよくある話です。

逆に人の言っている事を「聞いた」つもりになっているけど、全く
理解していない。それどころか全く逆に理解している。なんて事
もよくあります。

まあ、ですから、コミュニケーションってものはとてもむつかしい
ものでそれ以上に、人が人として生きて行くにはとてつもなく
重要な事である。という事を念頭に置いて、きちんと「伝える」
事をこなしていくことをしていかねばなりません。

相手に「分からない」と伝えるのは相手を否定してしまっている
ようで、心苦しい面があるものですけど、必要な確認作業です。

コミュニケーションというのはギャップを確実に埋めていってこそ
信頼性を増して強固なつながりになるものの様に思います。


生きていく上でかなり重要な事なんですけど、その割りには
ちゃんと教えてもらえる事ってさほどないですね。

コミュニケーションって。

学習教科でもないですから、テスト、試験なんてものありません。
つまり、自分は苦手なのかどうかをなかなか実感できないです。

実体験で失敗、例えば失恋とかですと、割とよく自分自身が気に
しているコンプレックス、欠点を破局の原因と考えてしまう事が
理由として挙げられると思いますが、案外、重要なのは
コミュニケーションのギャップを丁寧に埋めるという積み重ねが
できたかどうかも大きいのではないかと。

ええっと、「恋愛は勘違いから始まる」とか言いませんでしたっけ。

まあ、ですから、その勘違いというギャップを埋められなければ
恋愛関係ってのはいつかは破局するものかも知れません。

人間、失敗してもちゃんと失敗した理由が分かる人間とそうでない
人間がいるものですが、そういう、「気づき」を持てる人間は
やはり、優れたコミュニケーション能力がある人だと思います。


人生においての失敗の殆どはコミュニケーションの失敗とも
言っても過言ではないかも知れません。

人生で起こる事の大半は勘違いに起因しているかと。


と、コミュニケーション能力については誰よりも自信がない
私が語るというのも、なんだか、ちゃんちゃらおかしい話では
あります。

てなわけで、この投稿の本来の目的である所の、「動画を
アップロードしたよ」から、カナリ脱線して、自分の
コミュニケーション低能の馬脚を露わにしていたりします。

ようやくカタチが見えて来ているかなあ。
三工程ほどパルプを盛った分の作業動画をまとめてアップしました。

三種類のものを作っていますが最終的にはひとつになります。


4月9日分






4月6日分





3月29日分





まあ、しかし、どうにも伝え方が上手くなくて申し訳ない。

まあ、でもどうすればよいかという事も分かりませんので、手探りでも
いろいろなカタチで伝えるという事を続けてまいります。


コミュニケーションで最終的に、究極的に大切な事はやはり「伝えたい」と
「ちゃんと理解したい」という強い思いがあるのかどうか。

気持ちというのはとても大事です。基本的に事実や真実よりも尊いものだと
考えます。