Pulp molding, a slide show.



世の中、社会ってのはおもちゃ箱だね。いろんなものがつまっていて、お気に入りもあれば、
イマイチどうでも良いものもある。それぞれに愛着や、思いがあって、それで遊ぶ事で何か
を願ったり、想像したりする。
でもそれらは壊れやすくて、なくしやすくて、いつの間にか消えてしまう。部屋から
おもちゃ箱がなくなったのは一体何時の事だっただろうか。全く覚えがない。
遊んだ記憶はおぼろげながら、断片的に覚えているのに。

願いなんていつ忘れてしまうか分からない。人はいつまで明日を迎えられるか分からない。

だからその一瞬を、一日を、強く焼き付けて、その日その日に出来る事を出来るだけやらないと。
宵越しの銭を持たなかったという江戸の庶民の様に。

明日は必ずみんなに等しく来るとは限らない。

明日やろうと思う事を実行できるとは限らない。

今日出来る事は今日にしかできない。明日は明日の風が吹く。

もし、明日を迎え得られて、今日が昨日になったなら、その昨日を忘れないようにしよう。

忘れてもいつの日か思い出そう。

今日があるって幸せなことです。



おおっと、変な感じに脳みそ茹だってしまいました。

ちょっとクールダウン。


そろそろ、制作にも熱が入ってきた感じです。まあ、あれやこれや考えたところで、
状況が良くなるとも限りません。

身動きできなくなるぐらいなら、いっそ考えない方が良いかもしれません。

そもそも、制作において制御が行き届くタイプではないので、兎にも角にもフィーリングで
がしがし作っていくしかないですよ。

どうにも、中途半端にデザインをかじっている人間なので、コンセプト的なあれやこれやを
ネチネチとウジウジと考えてしまいがちです。

作りながら思考して、完成してから作品を理解するものですから、途中でこまいこと聞かれても
非常に困るですね。


まあ、なんというか世の中もですが、私個人としても、将来とか、安泰とか安寧を悶々と考えた所で
物事に絶対はないです。まあ、宗教ではあるかも知れませんが。

ああいうどうにもならない大災害、自然災害も人災もいつ来るかは分かりません。

心の安らぎを得たいという気持ちも一種の欲望ですよ。金銭、物質を欲するのとなんら大差ないです。
過ぎた欲望ってのは身を滅ぼします。それが世の常です。
身の丈、現状、将来性などなどのバランスを鑑みて妥協をしなければ、本当に自分の欲するものは
手に入りませんよね。

人は何かを得るにはそれ相応のリスクを負わなければなりません。

捨てる事の出来ない人間は拾う事はできません。

いくら「ものひろい」特性を持っていても、拾ったものをバッグにしまわなければ新しくものを拾えません。