構えない構え。"Style without style."

状況確認。

えんぎモンの制作締め切り間近の為、単位を一日と区切らずに、制作できる時は制作。
疲れたら休憩、眠くなったら寝るといった、感覚的なサイクルに移行中。

構えない構え、こだわらないこだわり。ノンスタイルなスタイル。

武術で真の達人が達する境地、無形の位。

まあ、そんな格好良くないですけどね。


ま、今夜も眠さが限界になるまで寝ないつもり。
飲み物の補給も食い物の補給も済んだので、これからバチバチとキリクリと粛々と平々に、

状況を開始します。


絵はなくともイメージはできる。"Picture is not here, but the image can be thought."

新しい芸術のムーブメントというのは大抵、それまでの主流とされてきた、すばらしいと
されてきた事を否定することで、アンチテーゼとして出発することが良く見られますよね。

先日書いた事でもありますが、芸術ってのは特異点、出っ張った杭でなければ、認識されなくて、
普通な事をしていても、あまり意味のない事だと思います。

まあでも、しかし、観客にある種のトラウマを植え付ける事が芸術なんでしょうかね。

気味の悪い、気持ちの悪いもの、ナンセンスで、頭が困惑するもの。
醜悪なもの。挑戦的で攻撃的なもの。スキャンダラスな表現。

音楽で言うところのパンクロックな感じ。
「ファックユー」な精神。


強烈な感情でもって、欲望でもってそれらそれをぶちまける。
無心に、何も考えずに、吐露する。

熱い情熱というのはとても大事ですが、感情だけがすべてなんでしょうか。
全く制御されない生まれたままの感情をぶつける事が至上とするなら、

それが芸術ならば、

ごく普通な人間が真面目にコツコツと芸術家を目指すなんて無理ですよね。
それが大学まで行ってしまったら完全に真逆にベクトルが向いています。

生まれたままで、子どもなままが最高だとするなら、最高の芸術は
アールブリュットとか、アウトサイダーアートになると思います。


野性的な感情を持っているのも人間ですが、物事を冷静に見極める理性も人間の
持っているものではないでしょうか。

多くの人間による経験と伝承によって積み上げられた技術と思想。

芸術というものもそれらに含まれていると思います。

そういう地道な事を日々、積み重ねて、人に認められる人であろうと努力するのも
極めて人間的な事です。

動物はただ居るだけで動物ですが、人間が人間たりうる為には、絶えず
人間であろうとする事で、人でいられるのではないでしょうか。

それはある種の「やさしさ」ではないでしょうか。

人が人と穏やかにつながっていたい、関係を持っていたい気持ち。

つながり、関係に依存するのが人間。人と人の間にいるからこそ人間です。


感情的なのも人間的だと言われていますが、そこをもっと考えてみると、
人間的というよりも動物的、もっと言えば生物的な事なのかも知れません。
人間も動物の一部、動物も生物の一部でありますから。

外から受ける刺激によって生じた衝動をそのままダイレクトに行動に反映させる
のが感情的ならば、そういうことなのだと思います。



よく、昔の人間はもっと感情的で、野性的、要は原始的だったと思われがちなんです
けど、本当にそうなのでしょうか。

現代人ほどの理性を持っていなかったんでしょうか。

技術など、現代では当たり前なものがない分、妙な先入観で昔の人間を軽く、馬鹿に
して観てないでしょうか。

昔ほどの、生きる為に過酷な環境下において、団結力というのは必要不可欠ではないで
しょうか。

鋭い爪も、牙も、強靱な皮さえ持っていない裸の人間がどうやったら生き残れるのでしょうか。
集団の中の個体が感情的に気ままに動いていては集団として機能するでしょうか。

現代の方がよほど団結していなくても生きられると思います。孤独であろうと、物理的には
可能ですよね。

ですから、昔よりも今の情報ばかり溢れてしまって何だか分からない、人と人との関係性が
薄い現代の方がよっぽど感情的ではないかと単純に考えます。


そして、子どもというものに純粋で神聖なイメージを抱いてしまいがちですが、本当に
そうなんですかね。多少の未熟さが見られるものの、子どもだって立派な人間です。
人間の一様態です。

もちろん、多少の理性も備えてますよ。場の空気だって読めるし、打算的に子どもらしさを
利用する聡さも持ってます。それに早く一人前の人間として見られたいという欲求の強さは
相当なものです。人間であろうとする心は大人以上かも知れません。

ですから人間らしく努力するのが人間であるのなら、子ども以上に人間らしい人間は
いないのかも知れません。

ですから、その向上心を畏怖して大人は神聖視、ある種の尊敬をしているのかも知れません。

若干、話がそれました。


まあ、今日の昼下がりにやっていた岡本太郎の特集番組を観てて、テレビショッピングばりに
無制限に賛美されてて、もうちょっと客観的な感じにやって頂けたら何の疑問も感じなかった
のですが、どうにも取り上げられ方が変だったのでなんとも腑に落ちなくてウダウダと
岡本太郎をよく知りもしないのに、考え込んでしまいました。

でも、やっぱり、あの作品を作るスタンスの分かりやすさ、印象の鮮明さはすごいですよね。
一般的にも幅広く認知されてる筈ですよ。

ただ、ああいう極端な印象なタイプの人間は例外的な存在、特別な存在だからこそ成立する
もので、強く憧れて、そのスタンスを自分なりにローカライズしないまま生真面目に真似をした
ところで意味がないですよね。

自分的には芸術家の中の芸術家というのは、しっかりとした知識、技術、経験を元にしながら、
そこから大幅に飛躍できる、「守、破、離」の段階を踏んでいる人だと思います。

芸術家ってのは賢くて人の知らないところでしっかりと勉強しているものだと思います。
そんでもって人の持っているイメージ、先入観を上手く利用できているものですよ。
そして観客にある種の夢を見せる事ができる。


ああ、なんだか自分とはほど遠い、雲の上の存在だなあ。

ま、それでも、私は自分の信じるものをカタチにしていくだけですけどね。


さて、ちょいと、毎日連続投稿を目指して、色々やってきましたが、ここいらで一旦
リセットしてみます。ひさびさの画像なし投稿。

ええかげん、日付がどんどん遅れていってノルマ的にきつくなって、自分で上げすぎた
ハードルを自分で下げるという、自作自演。マッチポンプ。 orz

今週末はケツカッチンな感じがするので、更新できないかもしんないけど、
個人的に、月間アクセス記録更新を目指しているのでちょっと頑張ってみます。

マイノリティの中のマイノリティなレポート。"Minorities in the minority report"


さて、徹夜明けのハイな気分で書いた、痛いポエム的な何かを後に
追いやる為に始めましょうか。

さて、サンクガット イッツ フライデー。略して
TGIFなおめでたいノリで参りましょうか。

よくある深夜アニメにおける、第一話で何か色々な理由が有ったり
無かったりで、パンツやら裸が見える描写が入るのはもう何というか
儀式めいてる気がします。

もう、少女漫画における伝説的な都市伝説的な「遅刻しちゃう」と
トーストをくわえて駆け出すのと同じようなものかもしんない。

パンつながりか?

ええかげんに使い古された感が強くて、そういう作品ってのは大概、
つまらない…。とも言い切れないんだよなあ。

化物語は思いっきりそいう、描写入ってたりしたけど、それを抜きでも
十分にというか、そんなエロ要素なんかどうでもいい感じに面白かった
んだよなあ。話の持ってき方と、演出がすんごいツボったんだな。


まあ、あれだね、パチンコ屋に初めて行って大当たりとかしちゃうと、
 それが忘れられんくなってもう一度、みたいな感じでズルズルと深みに
ハマる現象と一緒かもしんない。やった事無いけど。

たまたま、見かけた深夜アニメが面白くって、「また次があるかも知れない」
とチェックしだすも、大半は微妙なものばかりで、結構、チープで下らない、
オリジナリティの低い、安直なものばっかりだったりしますわな。

さて、まだ2匹目のドジョウはいるんでしょうかねえ。



まあ、どうでもいいですが、最近、ようやく、フリークな方々が好きそうな
基本的にキャラで萌えて楽しむ、ゆるやか系というか、お約束設定のオンパレード
なアニメが苦手な自分に気が付きました。

なんか、結局、自分は普通がどうのではなくて、どこのジャンル、
グループに行っても、上手く馴染めないのかも知れません。

あれですね、働きアリの中のサボってるアリを集めて集団を作ると
サボってたアリが働き出して、また一定の割合のアリがサボってる
という話と一緒で、

マイナー人間のグループに入るとその中でも更にマイナーで孤立する
という感じ なのかもしんない。

なんだそのマイノリティーの中のマイノリティーみたいなのは。


まあ、なんか、こだわりというより壁を作っちゃってるのかもね
自分で。

こだわるってのは、「これじゃなきゃダメ」「これは絶対やだ」って感じに
排他的な事でもあるよね。

ある意味、人を許せるかどうかでもあると思う。

こだわりを捨てられないというのは人を信じられないというか、
不信感の表れなのかも。

人の価値観を認めないというのもこだわりの一つの側面なのかも。

まあ、そんなものは誰だって一定以上は持ってるものだろうけど。

特に自分はそれが強いレベルなんだろうなあ。

軽くこの人生を振り返ってみると、やたら妙な所で偏狭にこだわってた
よなあ。

まあ、しかし、捨てられるなら捨てるけど、捨てられないなら持ってるより
他はないものだよな。



って、なんだか全然おめでたくないノリになってんじゃん。

まあ、こだわりをこだわってても、何にもならないねえ。

気にしないのが一番ですわ。

とある虫のさざめき。"One of them ripple certain insects."

ワタシはだあれ?

ワタシはとしふみ。

オトシブミのとしふみ。

ワタシは思う。

極論を言ってしまえばアートというのはおかしな事。

日常ではなく非日常。通常ではなく異常。ハレであってケでは無い。

とキッチリと打ち込んだ釘ではなくて、ビョンと飛び出ている釘。

ルーチンワークではなくて、ソーシャルワーク。

アーティストってのは非日常を作り出す存在。
 日常から離れた特異点であり、非日常が日常な存在。
型を作るのではなくて、型を破る、型破りな存在。

そうありたい、そうであって欲しいとワタシは望む。

しかし、人というのは一定のリズムというものがなければ
日々を送るのも苦しい。

アーティストという存在、現象を持続していくには一定の法則が
 なければ、一貫性がなければその存在、現象はつかめない。

水源の一雫などは見えない。ひとつに集まってこそ、川になってこそ
 大河となってこそ人には見えるし、尊敬もされ、畏怖の念も持たれる。
尊厳を持てる。

不連続な連続。 日常的な非日常。絶えず変化するという万物の理を
体現し、そこに永久不変の真理を視る。

しかし、変化、異常というのはこわいものである。

一寸先が見えないのはこわい。

でも10年先が見えてしまうのもこわい。

日常では見ないで済んだワタシの持つ、ひどく脆弱で矛盾したワタシを
直視してしまう。

見えない闇を見入ってしまう。

何も見えないワタシの目など無いのと一緒だと錯覚する。

通常で異常な、変わる代わる世界においてもカラダの奥底に
自分の中心に変わらぬワタシをもっていなくてはならない。

どんなに孤独で孤立であろうとも、挫けてはならない。
諦めてはいけない。ワタシの存在を疑ってはいけない。

変わらぬ一点、曇らぬ一点を抱き、常に変わらなければ。

不連続から連続を見出し、連続から不連続を作る。


しかし、迷う、疑う、馬鹿馬鹿しくなる。

でもそんなワタシの弱さから目を背けていては意味が無い。

そんな弱さとも手を取り合って作らねばならない。
もっとワタシを知る為に。どんなワタシも信じられる様に。

アリ?ウサギ?"Ants like rabbits? Such as rabbits or ants."


先日、ベランダのプランターをうごめく小さい黒い影。
アミメアリがボチボチ今年も活動を再開したようですねえ。

全長せいぜい3ミリセンチメートル程度なので、結構コツが居る。
ええ、カメラで撮るならの話です。

マクロ撮影機能は最近のデジカメならどれにでも付いてると思いますが、
それでも余り大きく撮れないですねえ。

やっぱ、デジイチに接写リング付けて、久々に標準レンズ。

Pristomyrmex punctatus
Pristomyrmex punctatus posted by (C)かゆきゅう

ここまで寄って撮れます。

やっぱよく見ると違うなあと。

ええ、カメラの性能の話じゃなくて、一応このアミメアリをベースにして、
イメージソースとして、アミー・メアリという、ちっこいオレンジ色のキャラ
を作ったんですが、





先日のつるの絵の件でもそうですが、いまいち、アミメアリ
の形を消化しきれていなかったなあと。

というか、これはどっから出てきたアイデアなのやら。アリには
パッと見、見えないよなこれ。

ですので、

よーく見てみて、ディテールを抽出して、キャラにフィードバックして
みたらこうなりました。

うさぎ?

何とも面白いなあ。つか、以前のキャラがポケモン的な進化前でコレが
進化後みたい。

今回は偶然にハマってしまったんですが、むしをどうぶつに置き換えてキャラ化
というのもなんだか騙し絵みたいで、面白いかもしれません。

モチーフが2種類って仮面ライダーの怪人みたいだな。

まあ、てなわけで、いきなりですが、「むしのくに」の第二シーズンが私の中で
静かに始まりました。

咲いてこそさくら、散ってこそさくら。"The blooms eventually fall."

日曜日。6月に豊橋でやる展示みに向けてのミーティングに行へ。

少し早めに着いたので駅周辺を散策。

Double cherry-blossoms
Double cherry-blossoms posted by (C)かゆきゅう

Yae-zakura
Yae-zakura posted by (C)かゆきゅう

八重桜は今が満開。

After falling Sakura flower.
After falling Sakura flower. posted by (C)かゆきゅう

こっちのさくらはもうほぼ終了ですねえ。

Scattered sakura and campaign posters.
Scattered sakura and campaign posters. posted by (C)かゆきゅう
さくらの花が散った木の下の選挙ポスター掲示板。
なんか不吉かな。

The cover picture of a fire hydrant fireman.
The cover picture of a fire hydrant fireman. posted by (C)かゆきゅう

消化栓フタの絵って結構バリエーション多いのな。豊橋はこういう
良いフタが多いなあ。

This is a cover for what?
This is a cover for what? posted by (C)かゆきゅう

ちょっと古めの仕切り弁のフタ。

History of old-house feel.
History of old-house feel. posted by (C)かゆきゅう

いい感じに古い建物。

Towering department stores.
Towering department stores. posted by (C)かゆきゅう

いいかんじのビルヂング。

Manholes picture of fireworks.
Manholes picture of fireworks. posted by (C)かゆきゅう

ここにも手筒花火の絵のマンホール。

Stop at the intersection.
Stop at the intersection. posted by (C)かゆきゅう

なんとなく歩行者信号を見上げてみる。

Trains running in the road afar.
Trains running in the road afar. posted by (C)かゆきゅう

豊橋というと路面電車有名ですよね。

Toyohashi Station.
Toyohashi Station. posted by (C)かゆきゅう

駅前の路面電車。

Sun light leaking from the trees.
Sun light leaking from the trees. posted by (C)かゆきゅう

Manholes picture of the harbor.
Manholes picture of the harbor. posted by (C)かゆきゅう

今度は港の絵のマンホール。バリエーション多いなあ。

Entrance hall future children.
Entrance hall future children. posted by (C)かゆきゅう

豊橋こども未来館。ここで6月の展示に参加します。
詳細は決まり次第アプしていきますのでよろすく。

つるっと出てたつるつるなつるが机をつる。"Tsuru Tsuru desk, vine vine vine was out Innovation"


さて、ダブルヘッダーでも張り切っていきますよー。

いえ、こちらの話です、大意はありません、気になさらずに。

昨日に引き続き鶴です。昨日とはえらい違いですが。
某エクスカリバーみたいだなというか、あれは鳥なのか?
 そいや、ツタージャとエクスカリバーってなんだか似てる気がするのは
気のせいかな?
あっちはたしか動物のモチーフとしては蛇だったよな。

まあ、それは置いといて、

そうそう、名古屋周辺では机を動かすことを「机吊る」といいますよね。
あと、授業の間の休み時間の事を「放課」って言うってのもありますよね。

で、まあ、そんなことはハッキリ言って関係ないですけど。

昨日、いや、先刻のいまいちイケテナイ、イカさない鶴の絵を描いた事に
よって、ようやく鶴の鶴らしさを掴めた気がします。

哲学的に申せばイデアを掴んだといった感じです。

やっぱ、緻密に書き込んで、まるで写真のようなものが描けるより、
思いっきり簡素化された中にそのモチーフらしさを表現できた方が
断然に気持ちがいいなあ。まあ、写真のようなリアルな絵って描いた事ない
ですからサッパリと分からないのですが。

絶対途中で、「なんか違う」って思いだして、どんどんその違和感が膨らんで行って
途中で止めちゃうんですよねえ。それか、「こんだけ描けば何だか分かるだろう」
で、やや書き込みが甘い状態でストップします。

鶴とか、キリンとか、「細長い」という特徴のものってキャラ化しにくいですよね。
キャラ化ってのは大体、省略する事ですから、長い所は短くなりがちなんですよね。
で、長いものって、なんというか、リアルな感じがしますよね。人が、二頭身と、
八頭身では八頭身の方がリアルな感じがしますよね。

だからどうしても手足とかを長くするとなんだかキャラっぽくないんですよね。

そいや、「◯頭身」って「◯等身」とも書かれていますけど、本来的な意味、
頭を一単位としていくつ分かを表してるんですから、
「頭身」のほうが正しい気がしますが、どうなんでしょうねえ。

これも置いといて、

まあ、自分が描いていて気持ちのいい絵というのはぱっとひらめいて、
さらさらと、つるっと一気に短時間で描けるものだったりしますね。

なんというか、自分の中にはある種のそいう、瞬間の感覚を、
それが無くならないうちにスパッと切り取りたいという傾向が
あるような気が。でもパルプ造形はそんな風に一日で完成なんて事は
絶対ないから絵と立体は違うのかなあ。自分の感覚的に。

書道的な感覚なのかな。と、書道が苦手な人間が言っても説得力ないか。
ラクガキ的と言った方がしっくりかな。

見ながら絵を描くな。しっかり集中して描け。"Drawing should not seen motif. Draw with tightly focused."

縁起モンの引出物のペインティングの作業に入る前に復習がてら鶴の写真を見て絵を描いておこうと思うも、自己の表現力というボトルネックに直面するというか、

自分の興味のレベルがイマイチ高くないものへの観察眼のなさというか、持続的に観る
という事の難しさを感じる。

資料にした写真は「鳥 Birds」久保敬親という写真家の撮った写真集で、初版が1989年
という古めのものですが、資料としては申し分ないですねえ。

川崎に居たときにアゼリアという駅前地下街でやってたブックバーゲンで入手したん
ですが、まさか具体的に有効利用できるとは当時は思っていなかったなあ。

そうそう、鶴と一言で言っても日本では丹頂鶴のことですよね大概。
英名がJapanese Craneで日本を代表する鳥のひとつなんですねえ。

手本があるということは具体的な目標、ある種のゴールがあるわけで、
その明確な到達点があることによってある種の型にはどうしてもはまって
しまいがちです。

どうしても自分というものはメモリを、RAMをあまり積んでないPC、
もしくはプロセッサのコアが一つしか無いCPUみたいなもので、
 同時に複数の事をこなすのが大変に難題です。 下手にバックグラウンド処理
 しようとするとフリーズするというものです。

ですから、観る時は観る、描く時は描く事に専念するべきですねえ。

分かり切った嘘とかを平気で吐いたりできない人間なもので、どうしても
現物が目の前にあると嘘をつけないというか、自分の認識を疑ってしまって
対象に合わせようとするあまり、自分の得意な方向とは逆の事をしようと
 してしまって無理をしてでも、結果はイマイチという、誰得なのか分からない
事をやってしまいます。

どうも、自分の表現の傾向は、読み取ったイメージをトコトン簡略化して再構築
してシンプルなカタマリ、記号として出力されやすいようです。
パルプ造形ってのは緻密な形態には向いてないのと同じで、だから、自分の表現と
 マッチしていてやりやすいのかもしれません。

そもそもを考えると、具体的なモチーフを設定してパルプで作品を作り始めた
事自体が割と最近の話ですね。

とりあえず手の動くままに、余り意識をせずに、手の感触を頼りに、切れ端を作る。
 その切れ端に更に盛っていって、これは「こんな形の一部だろう」と徐々に形が
 見えてきて、ある程度までいってようやく具体的なイメージになる。
 
そのような手順を踏んでました。

あの頃はなんというか、抽象主義みたいな感じで、具体的なイメージを持つ事を
嫌悪して避けてたぐらいだったような記憶があります。

「何か言いたいけど、聞かないでくれ」みたくとても矛盾した心境だな。

まあ、そういう悶々とネガティブなのも若さというものかも知れません。
 認めたくないものだな、若さ故の過ちというものを。

まあ、ポジティブで活動的な事=若さと考えられがちですが、逆もしかりですよ。
プラスな方向に思い込めるという事は、マイナスな方向にも思い込めます。
徹底的に内に籠るのも若さです。

どちらにせよ、感情がどうにも抑えられないのが若さってやつです。

スマホは深い深い電子の谷を越える事はできるのか。"What smartphone would be to transcend the deep, deep valley of the digital divide?"



おニューな携帯を弄っていたら午前2時を回ってしまいました。かゆきゅうです。

いやあ、スマートフォンってホント、いいものですねえ。

写真機能を売りにしてると言う訳でもないので、大して期待してませんでしたが、

カメラ携帯と謳ってない製品でも性能は十分です。そんで、「通信」という
かなり高いアドバンテージがあるのではないでしょうかね。

そもそも、そこそこのレベルのコンデジを買う人間が持つ写真へのこだわり
なんてたかが知れてる。

 データ通信を前提としたスマートフォン、もう電話ではないですね、超小型のPC
 ですね。それにカメラは欠かせない入力デバイスです。

カメラ単品だけでは存在し得ない状況がでてくるのではないでしょうかね。
記録した画像を即その場でもウェブにアップロードして公開できるというのは
かなり革命的な事ですよ。

ちょっと前では写メなんて画質の面ではどうにも、デジカメの品質には
遠く及ばないものでしたが、デジカメで撮ったまんまの品質でユビキタスに
いつでもどこでも一対一、一対多数に送信で来てしまうんです。

コンデジというカテゴリはそういう携帯、スマホなどに食われるでしょうね。

まあ、ただ、しかし、今の最新式、最先端のガジェットとはいえ、弱点は
ありますね。

まず、まだまだ高い端末の価格。今日日は携帯本体の価格もあまり割引とか
しませんから、結構びっくりする値段ですよね。スマホなんて、普通のPCが
買えるレベルですね。まあ、それを分割にして月々数千円で金利無しに
出来たりしますが。

そして、まだ問題なのは通信料金がまだまだ高いですねえ。定額パケットの
上限が設定されたとはいえ、だいたい5000円というのはちょっと苦しいですね。
そこに通話料などがのっかってしまうとね。10000円を越えにくいとは
思いますが、できればトータルで5000円以内辺りになると取っつきやすい
かなあと。

でもですよ、その通信コストが解消されてもまだ問題があるんですよ。

バッテリーの問題。

色々なスゴい機能がついてすんごい便利なスマホですが、 それらの機能を
フルに使うと、稼働時間が非情なぐらい短くなります。

 どんな便利な携帯でも電池切れればただのオブジェですよ。

ですから、例えパケット使い放題だと言っても、バッテリー温存の為に
必要ない機能はこまめに消す。というなんともエコで慎ましい運用を
心がけないと ダメです。

それが嫌なら、予備の電源などを沢山、準備しておかなくてはいけません。

あとは、インターフェイスが直感的になったとはいえ、まだまだ操作が簡単という
訳でもないですし、ベストなパフォーマンスで使おうとするとかなりコツがいります。

結局はケータイの皮を被ったパソコンですよ。スマートフォンって。

その自由度の高さ、拡張性の高さは、複雑さや分かりにくさに繋がってます。
 まだまだ、マニアのオモチャなのかもしれないです。

ですから、この世のケータイが全てスマートフォンにはなりませんね。

 多くの人が使えるのはもっと自由度が低くて、シンプルなものじゃないですかね。
って、ガラケーじゃないのかそれは。

ことに超超高齢化の進んでいる日本においてはどれだけのお年寄りがスマートフォン
を使いこなせるかと考えたら、結構難しいですよ。まあ、お年寄りの中にも新しい事
好きの積極性をもつ方もいますけど、大概は「最近の機械はサッパリ解らん」と
開き直って全く使いこなそうとしない、じいちゃんだったりしますよ。

まあ、二極化していくんでしょうねえ。

正しくデジタルデバイド。

その両者間の谷は益々深くなっていくんでしょうねえ。

まあ、情報端末といえどただの道具です。どれをどう使いこなすかは
当人次第であります。

強力な武器にも、単なる暇つぶしの道具にもなります。

まあ、個人的には情報収集、活動発信に有意義に、有効に使いこなして
元を取りたいなあと思案中ではあります。

手始めに制作中画像をツイッターに貼っていこうかなあと。


卵の殻が先か黄身が先か?"Which came first, the egg yolk or the egg shell?"


よく物事を始める際にいきなり、続けるか分からないのに、一揃いのものをしっかりと
準備してしまってから始める人を「形から入る」などと言いますけど、
 形から入らない場合は何と言うのだろうか。

形の反対って何でしょう。
「ハード」と「ソフト」な意味だと「内容」でしょうか。
外見だとすると中身。
物質だとすると精神。

格好だけではなりきりきれない。短期間ではやはり付け焼き刃な感は
拭えませんですかねえ。

しかし、外側をしっかりと固めれば、内面がついてくることは充分に
あり得ますよね。

健全な精神は健全な肉体に宿るとも言いますし。

えっと、「僕らの七日間戦争」という映画の中で冒頭に生徒指導の
教員が「服装の乱れは心の乱れ」なんて事を言ってましたよね。

ん、でもこれってのは個人の心構えと言うよりは、団体行動上の規律を
保つ為の話ですかね。



まあ、お試し期間中とか、ある程度の基本をマスターした者が状況によって
形をくずすのが普通で、最初からガチガチにやってしまうのは違うのかも
知れないですね。もしくは、そういう事ができる財力、神経をやっかんでの
皮肉。

まあでも、始めて、ある一定の段階になると、自分自身の形をしっかりと定めないと
居住まいを正して真剣に心身を構えないと、その先のレベルには到達できませんよね。

どうせ、趣味だから。とか変に線を引いてるとレベルアップは望めませんよね。

その、先へ進む覚悟という面で、形から入るということも必要なのでは
ないかと思います。

本当の始まり、真のスタートラインに立つ為に、どう自分の形を作り込むか。

ビデオゲームのロールプレイングゲームでは、始める最初に自分の分身である
キャラクターの様々なパラメーター、能力、技能、外見、性別、職業などを
を決めるキャラクターメイキングという作業をするゲームがありますけど。
こういうキャラメイクって、現実においても自分自身をどう見せて、
どうなりたいかを考える場合、必要ですよね。

なりたい自分という上級職にクラスチェンジする為には、
自分があるべき姿にフォームチェンジすることも必要かもしんないです。

そんな事を最近考えます。

何と言うか、自分の中に感じる違和感、何か違う気がする。
でもなんだかはっきりしない。でも、このままの自分は何かちがうだろうと
自分の中から沸き上がってくるコレジャナイ感が解消できないでいる。

いわゆる普通とは離れた所に居るし、更に離れて行こうとしている自分が、
何だか冴えない普通な格好というのはどうなんだろうかと思うんです。

普通の格好ってのはいわば戦場での迷彩服ですよね。目立たない様にする為の。

特にどうにも変な癖がついてしまって、それをからかわれた人間ってのは
ひたすら隠れようとしてしまうものですよね。

とりあえず、普通という仮面で偽装して、目立たなくしてとりあえずの安寧を
得るのですが、それって本当にしあわせかって言ったら難しいですよね。

常に自分自身が嘘をつく事を人から強制されているみたい。本人がどういう
つもりでかは分からないけど、嘘をつくと人は意識的にも無意識的にも罪悪感を
感じてしまうものです。

それに嘘というのは一つ、ついてしまうとどんどんと新しい嘘を重ねなくては
いけなくなるものらしいですし。余計に辛くもなるかも。

ですが、そういう嘘をつくのを止めて、自分の本性を晒しても、世の中とか、
周りが認めてくれるとは限りません。確実に波風が立ちます。諍いが起こるかも
しれません。

でもさ、現実ってのはこういうものですよ。人に分かって貰いたい、
自分を認めてほしい。人から認めてもらえる人でありたい。
そうありたいという所で、一番無難で、手っ取り早く人に認めてもらう
方法は人に媚びる事、おもねる事。人の都合の良い自分。滅私奉公。

普通に生きるならそれも悪くないです。
でもさ、そっから離れようとしている人間なのに、決めかけて迷ってる
人間なのに、そういう所で、縮こまっていてもどうしよもないでしょうに。


アーティストってのは
信じられ、怖れられ、怖がられ、疎まれ、奉られ、
敬われ、嫌われ、忌まれ、願われにゃくてはならない。

だから存在しうるのではないかと。


って、ちょっと「化物語」からセリフを引用して改竄してみました。

まあ、本来は、「アーティスト」ってのは「怪異」という
妖怪変化、魑魅魍魎の類の事なんですけど、

アーティストってのはそういう存在でないかとも思う訳です。
異質、特異であって、普通、平凡であっては存在し得ないもの
じゃないですかね。

普通でないからこそ、その存在を許されている。

ですから、人にある程度の違和感、異質感を持ってもらう事も
必要なのでないかと思うのです。短絡的かもしれませんが。

まあ、でも、そんな些細な事で変われるものならば、どんどん変わりたい
と思います。

私は、過去の自分がどうにも嫌いで、ひたすらに「変わりたい」と
願い続けて不器用ながら生きてきた様なもんですし。

そうやって今の自分は昔と比べれば、随分とマシに思えますし、
わりと好きだと思ってます。

まあ、色々と言ってきましたが、結局の所、何か変わりたいと思うものの、

何をどう変わったら良いのかという答えはまだ見つかってません。

という、ダメダメなオチがあったりしますがね。



今回は久々にアナログで紙にお絵描きしてスキャニングしてみました。
やっぱ、アナログの方が線の質感がユニークですよねえ。

一枚目のPCで着彩した絵は「フエキ建築用ソフトカラー鉛筆」って、本来はこういう
用途に使うものでないもので書いてみました。

文具売場じゃなくて、ホームセンターの土木建築関係のコーナーにあって
資材のマーキングなどに使うペンらしいです。

クレヨンの芯のシャープペンシルみたいで、面白い線が引けます。

ある意味、大人のクレヨンかもしれないです。

まあ、2枚目は普通に文具ですが、三菱 ユニボール シグノ 超極細0.28ミリの
インク色がブルーブラックって、恐らく、普段の筆記には余り用いないであろう
ピーキーな細さと色のボールペンです。勢い良くガリガリ書いてると、紙が破け
そうですね。って、やっぱそういう用途じゃないよな多分。

さて、制作中写真でも上げて行きたいとこですが、どうにもシックリと来て
ないんですよね。

塗装作業に入ってないから地味なんだよなあ。

例え、独りぼっちであってもチームワークは必要である。"For example, teamwork is essential, even alone."

うーん、絵の描き方が、まず写真をどれ使うのかから始めると、シュチュエーション
コメディみたいなストーリーの組み方みたいな。というか、舞台から発想して
いく感じ。

場があって、そこに人が集まる。みたいな。

この絵のの元ネタの写真は2002年の4月に春日井市の落合公園で撮ったものです。

地元の人間なら知っている花見の名所ですね。

ただ、この近辺のロールのフォルダを見ても、さくらの咲いているいわゆる
ベタな絵が少ないですね。今の私なら、平気で5〜60枚は撮ってるとこですが。
まあ、メモリー、バッテリーの容量の都合というのもあるでしょう。
しかし、写真から積極性を感じない。
まあ、写真は撮れば撮るほど、上達し、積極的になるものですねえ。

変に拘ってて、妙に構えてるし、消極的だなあ。

で、これ、まず最初に卒業した大学のクラスメート数人が集まって
花見でバーベキューをした後日に、出直して撮っているんですよね。

まあ、グループでいると団体行動を重んじて、単独行動をしない彼は
なんか、写真を撮りたかったけど、周りに遠慮して、撮らなかったん
だろうなあと。

で、後日、わざわざ、サイクリングも兼ねて尾張旭から走ってきてるんですから
なんかエネルギーの使い方がおかしいな。さすが20代。

何か迷って、モヤモヤして、ネガティブなんだけど、妙な事をしだすと有り余る
体力で突っ走ってんなあ。

なんだか壊れかけの電化製品みたいだな。

まあ、そう思うと、若いのは若いなりに大変だったよなあと。
 感情を全然制御できなくてブン回されてたなあ。

それを思うと、ある程度ハンドリングできている今の自分は バランス的には
悪くないなと。

ちょっとは冷静に物事を見られるようにはなったつもりです。
が、まだまだ、思考力が足りてないし、行動力も不足しております。

まあ、こうやって、自分の撮った過去写真は日記を読み返すよりも客観的に
昔の自分を見る事ができますね。

写真ってのは撮る人間の視点が反映されますが、写したものにはその視点、
意図とを越えたものも一緒に写るものですから自分の思っていた事と現実がどう
いう関係だったのかを今の視点で推量で来ます。

日記というのは自分の感情を並べてしまいますので、事実はどうだったのか
その証拠を確認しづらいのではないかと思います。

 それに、過去の自分の精神の荒廃ぶりはさすがに直視したくないなと。
過去のラクガキを見るのでも、ちょっとした恐怖を伴ったものを、
 それを文章なんてもので見たらまた発狂しそうですよ。

 まあ、今が今とて正常でまともなのかとは限りませんけど。

 基本的に、過去の自分と今の自分、未来の自分はすべて別物ですよね。

人間て一日ごとに別人が入れ替わってるような気がします。

もっと短いスパンの可能性もありますが。




起きて寝るまでがその日の人格が生きている時間。

寝て起きるまでに新しい自分が昨日までの記憶を引き継いで新しい
自分がまた一日を始める。

でないと、昨日まで満足していた事が今日になって不満に思えたり、
妙に落ち込んでいた自分が馬鹿に思えたりってなんだかおかしな気がします。

別人なのであれば何となく納得できる様な。

まあ、一日一日、一人しかいないその日の自分を大事につないで行ってこそ、
その先には輝かしい日や、素晴らしい景色が見えてくるのではないでしょうか。

 そのすべては一人で作るんじゃなくて、その日、その日の代わりの居ない、
 休む事が出来ない自分が請け負うものでないかと。

 だれが抜けても、自分という人生は完結しません。

 せっかく過去の自分達が積み上げたものを一人の自分がぶち壊すなんては、
 本来やってはいけない。過去の自分達の思いを汲んで、例えその日が辛くても、
 悲しくても、下らなく見えても諦めてはいかんのではないかと思います。

今日の自分という存在が居ると言う事は、過去の自分達が引き継いできて
くれたからで、一人孤独に進んできた訳じゃない。自分だけであっても一人
ではない。

いろんな艱難辛苦を共にしてきた自分という人生の仲間なんです。


ま、こうやって一つのものを複数として、複数のものを一つのものとして
捉えてみると、違った景色が見えてきて面白いですね。

こうやって、視線を自由に動かせるか否かって、人生が辛いか否かに関わります。

さて、今日の自分は自分としての役割りを自分なりに果たせたのかな。
次の日の自分に良い状態でバトンを渡せたんだろうか。

まあ、それはもう、また、別の自分の話ですね。

私達は進む、夕暮れの帰り道を。"We go, way back in twilight together."

一年は四つの季節に分けられますが、その一年の四つ季節を人間の一生に
なぞらえて青春、朱夏、白秋、玄冬などと言われたりします。

人の普段の一日は大概、どこかへ出かけて行って、帰って来ますよね。
では、その一日を人の一生に例えてみた時に、人はどこかへ出かけて行ったと
すると、また同じ場所に帰るのでしょうか。

そういえば、年を取ると逆に子どもに戻って行く。なんて言いますね。
戻るにしても、往路と復路では同じ道であってもやはりいろいろと
違うものですよね。

出かける時はどうしても、ピリピリと緊張をしてしまうものですが、
帰り道というのは何だか安心感がありますよね。

まあ、ですから、帰り道の象徴である、一日を無事乗り切れたという
達成感、安堵感を得られる夕日、夕焼けというのは、個人的に、朝日、
朝焼けよりも好きなものです。

まあ、同じ夕方でも、日曜日の夕方の終ってしまった感というか、
サザエさんシンドロームな空気感はどうにも苦手ですけどね。

また、何が起こるか分からない一日が来てしまうと思うと、憂鬱なものです。
人生は善くも悪くも回りますから、それが怖いですよね。

ドキがムネムネする感じというのはたまには良いけど、それを毎日というのも
考えものです。

まあ、でも、そんな感じで、分からなくて普通です。怖くて普通なんでしょうねえ。


写真を素材にお絵描きってのは良いのですが、上記にあった様に、自分の撮ってる
写真って夕焼けが多いんですよね。暗い絵か、オレンジ色の絵に偏るかなあ。

ま、いっか。

さてさて、制作作業の写真もコンスタントに上げて行かないとなんだか
仕事してない様に思われそうですんでとりあえず、あまり、作為とかを
せずに、適当にポートレイトしてきます。

20110411Work today-1.
20110411Work today-1. posted by (C)かゆきゅう

20110411Work today-2.
20110411Work today-2. posted by (C)かゆきゅう

うーん、画像だけだと状況というか、塗装もしてないやつだから
さっぱりわからないですかねえ。ダメじゃん。

豊橋の展示用作品もボチボチペースを上げてかないと大変なんですよね。
モチーフに困るというか、モチーフに迷いますね。 なんだか自分の中で
 何かしっくりしていない部分がある。迷いがあるかな。
 
まあ、そこいら辺の自分のリミッターを外さないと中途半端になりそう。
 気を付けないとな。

引きでもんズに関しては25体分の原型というか芯の削り出しは終了してます。
随時パルプ盛りも平行して行ってますので、順調ですねえ。

まあ、とにかく、何事も、日々の積み重ねですねえ。
毎日動かして行かないと、滞ってしまいます。

まあ、本サイトの更新が停滞してて申し訳ないけど。

綺麗なバラには棘があり、美しいサクラには魔力が宿る。"Every rose has its thorn. There's no SAKURA without a magic power."

Nameko and zucchini Tomato sauce Pasta.
Nameko and zucchini Tomato sauce Pasta. posted by (C)かゆきゅう

投稿タイトルに反して、いきなりの食べ物画像。そして、備忘録的なレシピ。

先日、昼食に作った「ナメコとズッキーニのトマトソースパスタ」

材料:なめこ、ズッキーニ、ニンジン トマト缶、スープの素(コンソメ、中華何でもお好みで)、
オリーブオイル、にんにく、とうがらし、塩、こしょう、バジル(生、乾燥問わず)

スライスしたにんにく、とうがらしを適量オリーブオイルを入れたフライパンで加熱。
にんにくが茶色くなってきたら、とうがらしは取り除いて、具材を投下し、塩こしょう。
順番はニンジン、ズッキーニ、なめこの順だと各素材に適度に火が通ります。
塩こしょうはお好みの量で。
炒めたら、トマト缶の中身を投入し、スープの素を入れる。水分が少ないようなら
水を入れて濃度を調整。バジルを入れて風味を整える。

仕上げはフライパンにゆでたパスタを入れて和えても、皿に盛ったゆでパスタに
ソースをかけても、どちらでもいいですね。

パルメザンチーズを振りかけてもよさげです。


さすがに昼ご飯が即席麺ばかりだと正直、飽きが来てしまいますので、ちょっとパスタなどを。
ソースとか、ゆでたパスタを容器にいれて冷蔵庫で保管すると、暖めるだけですぐ食べられて
便利ですよね。


さて、ここからが本題です。


サクサク春のさくら祭り~。

たとえ、パン祭りは中止でも、自重モード、いえ、自粛ムードなぞなんのその。

不貞、不謹慎どんとこい。サクラは咲きます。どこにでも。


サクラには人を癒す力があるって、どこぞのヤブ医者さんも言ってました。

いやあ、サクラはスゴイですよね。すごいですが、散った後に

効果が消えて五月病突入というケースもベタで良くありますけどね。


さて、

春の陽気に誘われて、ふらりとサクラを見に行こう。

と言う訳でなく、先日の投稿通りに、家でダラダラとゲーム三昧を予定して
いましたが、急遽、名古屋の桜山まで人の用事の付き添い。

別に、そこいらの浮かれてるリア充に影響された訳じゃないんだからね。
ただ、付き合いで行っただけなんだから~。

では以下、ひたすらサクラ画像をお楽しみ下さい。


In Owariasahi. Side of the reservoir.
In Owariasahi. Side of the reservoir. posted by (C)かゆきゅう

Owariasahi towards the Nagakute.
Owariasahi towards the Nagakute. posted by (C)かゆきゅう

Like a stage drama, the scene of cherry blossoms school zone.
Like a stage drama, the scene of cherry blossoms school zone. posted by (C)かゆきゅう

Flowers still bloom.
Flowers still bloom. posted by (C)かゆきゅう

It feels like summer and spring come together.
It feels like summer and spring come together. posted by (C)かゆきゅう

Composition is predictable.
Composition is predictable. posted by (C)かゆきゅう

Sakurayama Sakura.
Sakurayama Sakura. posted by (C)かゆきゅう

Like a rose bud.
Like a rose bud. posted by (C)かゆきゅう

Sakura Yamazaki river views.
Sakura Yamazaki river views. posted by (C)かゆきゅう


Sakura of the brook in the city.
Sakura of the brook in the city. posted by (C)かゆきゅう

Sakura and Spiraea thunbergii trail.
Sakura and Spiraea thunbergii trail. posted by (C)かゆきゅう


What plane is that the cherry blossoms can be seen this.
What plane is that the cherry blossoms can be seen this. posted by (C)かゆきゅう

Families walk the path of Sakuras.
Families walk the path of Sakuras. posted by (C)かゆきゅう


本来ならば、今日も、趣味的なネタを炸裂させたかったところですが、流石にちょっと限界です。
披露、いや疲労的な意味で。

書きたいネタが湯水の如く、放射性物質の如く、増殖しているのですが、っていうのは不謹慎
極まりないか。申し訳ない。

まあ、原子炉を排泄物で説明すると分かり易いですよね。
つまり、人間も単なるクソ袋です。自制心という閉じ込めている殻が、自己の驕り高ぶった
汚物であるどす黒い感情の熱や、圧力で裂けてしまえば自分の中からひたすら、
臭いもの、汚いモノを吐き散らかす訳です。


まあ、ですが、そうなのですが、
その「綺麗」だとか、「汚い」という概念は誰が決めるのでしょう。
そんな極めて感覚的な根拠は誰が示せるでしょうか。

世の中には毒ではあるけど、有益な物質は沢山あります。

どんなに清潔に見えても、清潔であっても、当人が汚いと思えば汚いモノでしか
ありません。

どれほど、不潔で、吐き気を催しそうなものであっても、当人がケセラセラと、
箸にも棒にも掛けなければ、汚くもないです。

世の中に、綺麗なモノも、汚いモノも、存在しません。
ただ、綺麗という認識、汚いという認識が頭の中に価値観としてあるだけです。

と、話が脱線気味に動き出して危険極まりないので、ここいらで終了です。


久々に今日はノーお絵かきでフィニッシュです。



いやあ、せっかくの美しいサクラの画像載っけといて、随分と酷く汚い終わり方だな。

まあ、ですから、そう言う概念とか価値観というのは…。


そいや、美意識の中には、美しいものは美しいという美意識と、

醜い事を美とする美意識、「醜悪美」というもの

あるそうですよ。

確か、川崎生まれの偉大な芸術家がそう言ってたような気がします。

週末はウチに籠ってゲーム三昧です。-My weekend will play a video game in the house.-

土日ってブログの更新はどうしようかなあ。

習慣ってのは、やっぱ、毎日続けてこそ、意味がある訳だし。
このブログのスタンスが、ビジネス、プライベートかと問われたら
正直、微妙と言わざるを得ないかもなあ。

ま、気負わずに、いつも通りに脈絡なく参ります。


ネットの世の中というか世界では主に個人がアップする情報はマイクロブログが
中心になっていくらしいですが、
どうにも、自分は140文字とかで文章をぶつ切りにアップロードしていくと
いう事が出来ないと言う訳ではないですけど、なんかすっきりとしないというか。

いまいち気分よく使えていないなと。

どうにもツイッター等のマイクロブログだろうが長文を書きたくなってしまって、
 ツイートを連続でつぶやくのはちょっとね、フォロアーを中途半端に増やして
しまってるからリアルで面識のない方が多数で、しかも、フォローが少ない人も
中にはいますので、そういう人のタイムラインを占領してしまうのはちょっと
ばかし、気が咎めてしまいます。

 まあ、それならば、長文はやっぱし、コッチのブログで書いて行った方が、
みんな幸せなのではないかなと。

まあ、何だろう、こういう変なとこで押しが弱いのは表現者としては
駄目なのかもしんないですけど。

終末なので、って、「しゅうまつ」で変換して、最初の候補が「終末」なのは
自分自身、終ってるなあと。いやだよほんとに。


さて、週末なのでお絵描きは趣味的なネタで行こうかなと。


これを見てる方はそれ程、ゲームに関してマニアックなのか、
やり手のフリークなのかはよく分かりませんけど心持ち丁寧に
書いてみます。

ポケモンを去年末辺りからプレイし始めてどっぷりハマっております。
現行最新作のブラック&ホワイトのブラックでイッシュ図鑑が一部レア
ものを除いてもうすぐ埋まりそうなとこまで来ました。

ソフト一本で頑張りました。

そんな所に、海外版のBWが発売された様で、GTSで海外のプレーヤーと
ポケモンを交換できる様になって新しい楽しみも出て来ましたね。

まあ、ただ、肝心のサイトのリニューアルが諸般の都合で未定になって
しまっていつになるのやら。


いわゆる昔からある普通の大作RPGは新作がでても旧作もプレイ
してみようと思う事はそれほどないですよね。

で、ポケモンの面白い所、というか、えげつない所は、旧作からも
ポケモンを連れてくる事が出来るんですよね。

しかも旧作でしか出てこないポケモンも結構多い。

まあ、旧作と言っても全シリーズで出来る訳でもなくて、

一番最初に出たポケモン、ゲームボーイ、ゲームボーイカラー
で出ていたシリーズとは全くデータに互換性がないそうですね。

まあ、条件がちょっと厳しいですがゲームボーイアドバンスからの
シリーズからはドミノ的に最新作まで持って来れるそうです。

それにしても、そこまで古いデータを持ち込めるゲームというのも、
なかなか無いですよねえ。

まあ、ポケモンに関わらず、最近のゲームはデータがカートリッジとか
ディスクの中にとどまらずに、キャラとかアイテムなどを、ネットなどの
通信を介して受け渡しできるものが増えてきましたよね。

結構すごい世の中になってますよね。ちょっとしたSFですよ。
もし、今、自分が十代の子どもだったら狂喜乱舞してるますよ。
めっちゃ羨ましいですわ。

まあ、現代っ子には至極普通な事なんでしょうけどね。

で、そんな訳で、とうとう、旧作「プラチナ」にも手を出してしまった訳ですわ。

いやあ、これはこれで遜色無く面白いですねえ。

難易度的には断然プラチナの方が難しいし、やれる事が多過ぎてかなり
大変です。

きっちりと準備をしておかないとジムリーダーとか、うざい幼なじみに
あっけなく負けてしまいますわ。

こうして見てみると、ブラック、ホワイトは一旦リセットというか、
かなり構成をシンプルにして、対象年齢を若干下めに設定し直した
という印象がありますね。一応のエンディングを観るまでは旧作の
ポケモンが一切登場しませんし。

まあ、プラチナとブラック&ホワイトの間にあるソウルシルバー&ハートゴールド
はどうなっているかは知らないんですけどね。

ゲームの最初にゲームのメッセージ表示を「漢字」と「かな」が選択できる
辺りとか。便利だけどイマイチ分かりにくポケッチてきなシステムの廃止とか。

あと、状態変化がフィールド上で影響しないとか、わざマシンが無くならないとか。
マップの構造、物語展開も、基本的に一本道な感じで、次にどこへ行けば良いのか
分からなくなりにくい気がします。

何と言うか、地道な新規ユーザーの取り込みをちゃんと考えているなあ。

まあ、それでも、アニメから入ってきてる小学校低学年、幼稚園児にしてみれば
相当難しいと思われますけどね。まず、ひらがなは読めるけど、カタカナ読めない
レベル。 ウチの姪っ子が頑張ってプレイしてたのは印象的でしたわ。

まあ、課題もまだまだあるとは思いますが、その姿勢には頭が下がります。


ウチらがリアルタイムでやってきた大作RPGはどんどん対象年齢が上がり過ぎて
新規ユーザーを取り込めなくて袋小路に突っ込んでしまったのとは対照的ですよねえ。

まあ、マニアからすれば、ヌルいという事なのかもしんないですけどね。

こういうベテランとルーキーのバランスをとるというのも難しいものです。
コダワリのあるユーザーはどうしても、ちょっと変わってしまうとソッポを
向いてしまうものですし。

最悪、新規ユーザーの掘り起こしに失敗し、なおかつ、既存のユーザーの
離反を招くと言う、誰得な状態になります。

まあ、何と言うか、こういう話はゲームだけにとどまらず、いろんな業種でも
 当てはまることですよね。

アニメ業界にしても、日本の社会構造にしても。

中庸ってのは、普通ってのは本当にとっても難しいですねえ。


あらら、趣味の話をしてたのに、なんだか真面目臭い、抹香臭い話になって
しまいました。

話がワンパターンだな。いかん、いかん。

もっとふざけた話がしたいです。


てなわけで、挿絵もポケモンネタ。
いきなり、最新作でもなく、御三家でもないという、でも、序盤から入手
できるポケモンの最終進化形という微妙なマニアックさです。

申し訳ない。


今宵、月が見えずとも。埒の明かない夜としても。- I can not see the moon tonight in fog. No see the outline of a dark night.-

大概、人が絶望する時は、たまたま、今まで自分が知らなかったものを
世界のとてもネガティブな面を直視してしまって、それまでの自分の中の
現実と思っていたお花畑が、単なる妄想上の産物だと思い知ったとき
なのではないでしょうかね。

単に知らなかっただけ。たまたま今の今までそんなケースに出会わ
なかっただけ。

まあ、自分の中の現実感を壊されるというのはとてつもなくショッキングな
事です。

多くの人は、正常な、不足なく充足している状態であれば、人に辛く当たる
事は、それ程ないです。ただ、それが、切羽詰まって、刺客が行く手を
塞いでいるのにも関わらず、手にしている刀が鞘から抜けない様な状態、
追い込まれていると、冷静ではいられないでしょう。心細い。

そんな様な時は、些細な事でも、どうにも心が波立ってしまって必要
以上に相手に食って掛かったり、相当冷たい仕打ちをさも当然の如くして
しまうものです。

現実は何も変わってはいない、少しばかり見方が変わっただけです。

全てが全て、ポジティブに優しい事ばかりじゃなくて。
皆が皆、ネガティブに冷たい訳じゃない。

そういう、世の中の一部分にフォーカスが合ってしまって、
それが動かなくなる不具合に気が付かない。

そういう、思考停止、視点固定状態こそが、全てを悲観する元凶です。

そういう類いの畏れに似た猜疑心が何もない筈の暗闇から鬼を呼び出したり
するんです。

 現実を直視する勇気も必要ですが、見えているけど見るべきでない、
見る必要のないものから目を逸らす、クールにスルーできる聡明さも
 持ち合わせていないと。

 逃げたいのであれば、逃げても良いんですよ。臆病者と罵られようが、
 生きてこそです。

とあるタイムマシンの出てくる映画で居ましたよね、「臆病者」と
言われる事が大嫌いで、 それをからかわれるとムキになって相手の
挑発に乗ってしまって、大失敗をする主人公が。

最終的に彼の運命を変えたのは何だったでしょうか。
えっと、タイムマシンではないです。それはきっかけに過ぎなくて、
色々な経験、失敗を重ねて自己の愚かさに気が付いたからです。

まあ、世の中色んな事がありましたが、様々な変化がありましたが、
不幸な事を経験し過ぎて、ネガティブにしか考えられなくなりがちですが、
世界の根本的な部分はなんら変わりないです。

良い奴も悪い奴も普通で目立たない奴もいるのが世界です。

ただみんな、ショックで臆病になってるだけです。

そんな臆病風に吹かれて波紋が広がっている世界ですが、それでも
愛すべき、愛おしい世界である事はいつになろうとも変わらない筈です。

泣いて過ごしても、笑って過ごしても同じ時間です。

自分の思う様に過ごせば良いんです。

で、まあ、少しでも余裕があるようなら、隣の人間の事も慮っていければ
ちょっとはマシなっていくかもしれないです。



ふー、今日の天気が、ある歌のタイトルを連想して、そこから色々と
連想が繋がってまた歌に戻るとは予想だにしませんでしたわ。

カラオケ2連チャンの影響ですかねえ。

やっぱ歌はいいですねえ。聞くのもいいけど、歌うのも歌をもっと深く
味わえて、理解度も、感動も強まりますね。
上手下手とか、人に聞かせる聞かせないとかは置いといても。


まあ、世の中、先が分からなくて、どうとでも転がるのは面白いですねえ。
全ては繋がってるんですよ。糾える縄の様に。


えっと、投稿の挿絵についても書いといた方がいいかな。
先日の投稿も分かりにくいですが矢田川の河川敷で撮った
写真を元にしてます。

昨日のが2000年で、今日のは2001年に撮ったもの。
私の愛すべき最初のデジカメ、フジのファインピクス4700ZB。

あの頃、コンデジでもそこそこの性能のものは記録メディア、
オプション込みで10万円越えたんですよね。

今なら、入門機クラスと言えどデジ一眼がレンズキット込みで
買えてしまいますねえ。

ですから、あの当時、デジカメって結構時代の最先端なイカした
ガジェットではありました。

まあ、ですから若干荒めの画像ですがそこそこ良い絵だと思って
使ってみてます。

 先日が、黄昏れる福犬(リアルバージョン)で、
今回は、むしシリーズにしようかと藐然と考えてて、
元画像を弄り回しているウチに、夕方の写真なんですが、
夜みたく加工して、じゃあ夜行性のむしがいいかなと考えて、
 クワガタですね。

まあ、ガーリーな感じですが、本来、メスのクワガタは顎部分が
それほど大きくないんですよね。

まあ、でもいいか、「くわが◯つまみ」というキャラも世の中にゃ
いますし。

ま、行き当たりばったりな絵なので特にメッセージとかないですけど、
クワガタ風な妖精と夜川辺の図ということで。

で、川の絵ちゅうことで、この投稿はスメタナのモルダウを聞きながら
お送りしましたー。男〜は大き〜な川になれ〜♪

ではみなさま、おはようございました。良い週末を。