カタストロフィ-At the present catastrophe.-




現段階では残念な結末ではあるが。それは致し方ない。現状では止めた方がよいのであろう。

GEISAI#15中止。

正直、今年の活動において結構、当てにしていた部分がある。
これによって何か新しい展開が出てこないかと期待していたが、まあ、通常どおりに
開催されていて、何かしらの出会いがあったとは限らないけれども。

名古屋での活動にあまり期待を持てていない現状において、色々なジャンルの人間が
恐ろしい密度で密集している東京の未知の可能性に漠然とした希望を持っていた。

金城ふ頭と有明ではどうにも埋まらない差というものがある。

少なくとも今年の前半の予定が白紙に近い状態という、自分の行き当たりばったりさも
悪い。

どうにも、1個目標を持つとそっちに一辺倒で、他の事をいまいち並行処理できない。

自分からいくつも抱え込む様な真似はどうも気が散るというか、ある種の不真面目に思えて
どうにも自分から多極的に動くのは倦厭しがちである。

ひとつひとつにちゃんと向き合いたい思いがある。

どうにも副業を持つのも苦手だ。

どうにも「どっちも」という選択肢は基本的にない。

結局、中途半端な役にはなりきれない。

どうせなりきるなら完全になりきりたい。その役をロクにこなせないとしても。

私ってほんとバカだな。


まあ、現状においては悲劇的な結末。いわゆるカタストロフィ。

でもさ、悲劇は起きてもそこで終わる訳じゃない。どんな物語にも続きがある。

続きがあれば、それがハッピーエンドになる可能性はある。

かえって、ハッピーエンドの続きというのは悲劇につながっているものである。

フィクションでは特に。

幸福な人が幸福に暮らしているのはドラマにならない。成立したカップルのその後なんて
基本的にノロケ話でしかない。描くに値しない。「末永く幸せに暮らしました」の一文で
もう十分である。

続いてしまうからこそワタオニは延々と嫁姑の、家族のいざこざは絶対に絶えないし、
ガンダムは永久に終わらない戦場に立つ訳である。

私は思う春を迎えて以来、常に自分を変えたいと思い続けてきた。こんな不甲斐ない
現状から少しでも抜け出たいと藻掻いてきた。

現在の自分というのも、客観的に観てしまえば、実にみすぼらしいものかもしれないが、
昔の頃の自分の精神的に追い込まれてどうにもならない緊張感の悲壮感の怠惰な日々
よりは遙かにマシだと自信を持って言える。

明らかに普通とは縁遠い、そういう場所に自分はいるけど、ここで終わる気はない。
そんなの絶対に許せない。だから藻掻き続ける。

まあ、現状、具体的に期待できるものはないけども、可能性なんて無いに等しいかも
しれないけど、世の中にはデタラメのような奇跡も魔法の様な事もあるかも知れない。

いわゆるデウスエクスマキナという無茶苦茶でご都合主義な展開。

信じる信じないというか、こんなの絶対におかしいよ、と思えるような悲劇も
奇跡も起こりうるのが現実ってものではないか。

変に期待ばかりしてもいけないけど、絶望ばかりしても起こる現象は起こるもの。

その現象をしっかりと受け止められる冷静さを持っていなくてはいけない。


うーん、なんだか話がようわからんくなってきた。


まあ、ともあれ、いろいろありましたが、私は元気です。


GEISAIの運営の方々も後処理が大変かと思いますが、次回を楽しみにお待ちしています。
開催できなかったイベントの後片付けなんてとても疲れるものだと思いますが。

チアマンの作り手に対する優しさには、何というか勇気を頂きました。色々と批判はされた
でしょうが、個人的には感謝しています。


さて、明日からも普通に頑張るか。