式年のオリジン ”The origin of Sengu years.”

 何かを続けるということはなかなかに難しいもので、続けているもの、繋がっているもの
をなにかひとつでも持っている人間というのは幸せ、というよりも幸運なのではないかと。

 奇しくも同じような放送時間帯で、愛知と三重の間辺りで、本来ならばカバーしているエリアが
異なる通常は競合しない同系列の放送局の裏番組として、ごく限られた地域ではあるものの、
遷宮の儀式の中継とポケモンの最初のシリーズを忠実にアニメ化した作品が被っている
というのは、自分の穿った目で見るとなんだか共通している部分があるような気、というか
錯覚を覚える次第です。

 まあ、時間とか歴史とか価値観的に同列に語る事にかなりの後ろめたさを感じつつも、
一定の単位の時間、継続して続いている所と、定期的にコンテンツの中核(と呼んで
良いのか語弊があるかも知れない)が新しい入れ物(シリーズ、ソフト、ハードウェア)
に置き換わり、そして世代を超えて人々から親しまれているという点は共通しているかと
思います。

 あ、あとキャラクター(と括って良いのか分からないけども)が多種多様な世界観。
というのは、万物に神が宿り、森羅万象を擬人化するのが大好きなこの国ならでは
なのかもしれません。なんでもかんでも萌え化するのとか。最近の流行で行くと
戦艦とかね。

 まあ、ちょいと話が逸れました。まあ、かといって本題らしい本題がある訳でもない
のですが。ひとまず閑話休題。

 物事が続く、続かないというのはそれなりの理由があるものですが、大本の根幹、
根本の部分でモチベーションを持てる、持てないという差は「信じる」ことができるか
どうかが大きいと、最近の私は常々思うのですが、なかなかどうして、意識的に
「信じる」ようにするのは絶望的な難易度を誇る所業なのです。

 昨今の社会情勢、ただでさえ人間というのはネガティブな情報に過敏に反応する
ようにできていて、テレビ、ネットなどの影響で日々大量の情報に触れると、結果的に
 様々な物事の悪評ばかりが耳やら鼻やら目についてしまう訳で、そういう過敏な
メディアリテラシーが情報というものに対してまるで人体の中のウィルス、細菌、
毒物に対する抗体の様に、アレルギーの如くに過剰反応をして、シャットダウンして
しまって「信じる」事の難易度をスーパーハードモードにしてしまっていると私は
仮定して考えます。
  まあ、要は自律神経を意識的にコントロールするようなもので、制御なんて
できるのか皆目見当つかないですね。ただ、その問題を意識していることで
多少は、気休め程度には緩和できるのではないかとも思う訳です。

 まあ、しかし、赤と緑なのに不思議だね。御三家なのに扱いが…。それ以外は
面白かったのになあ。サカキかっけー。




 などと感想を述べている、残念だけどXYは見送りかなあと思っているkayu9

がお送りしました。