やりたいことと、出来ることが一致しなくたって、世界は面白い。Life is funny, but his ideals and reality are different.



自分がこうやりたいのに、才能、身体能力が足りなくて、全く自己の想像を大幅に下回る。

なんてことは人生ではよくあること。問題はそこでスッパリ、サックリ、カッキリと諦めて、コロッと
忘れて違う事をするのか、

馬鹿みたいに、出来もしないことをひたすら失敗しまくって、アホのようにもがき苦しむのかは、
当人次第というか、生き様だよなあ。

偏屈な執着は不幸というか、いらん苦労を重ねるだけの詮無いことなのかもしれないけど、

そういう、物分かりの悪さってのは、クリエーターにゃ必要な事なんじゃないかなあ。

全てを悟りきっているかのように、聖人君子であるかのように、振る舞うことなんて出来ないから。

醜い欲に塗れようとも可能な限り、可能性を追っていたい。何時までやれるか分からないけど。

自分がどんだけ情け無くても、不器用だとしても。

やりたいことと、出来ることが一致しなくたって、世界は面白い。



さて、いわゆる歯医者の弁、もとい、敗者の弁は置いといて。


宗教において、祈る対象となるものを具現化するというのはよくある。

無論それは、芸術、アートであるよね。ジャンルとしても。


逆に、祈ってる人、願う側を具現化する事はそれ程多くないのではないかな。

特に立体化はあまりされないんじゃないかなあ。

まあ、こじつけかもしんないですが。


何だろう、「お願いシリーズ」とでも呼ぼうか。そんな新たな展開が出てきたりしてます。

今までやった「むし」、「縁起モン」などのキャラクターを元に、祈るというよりも、お願いしてる
ポーズな小さいパルプ製フィギアを可能な限りたくさん。とりあえず、長靴いっぱいぐらいは
作りたいと思ってます。

一種の媚態なのかな。てことはさ、祈るということは神仏に媚びるという事になる…のかなあ。

まあ、何かを人にお願いする時は、多かれ少なかれ、媚びる、愛想を振りまくものだよね。



あと、「むし」シリーズは虫をキャラ化して、もっと虫に関心を持って欲しいなあという思いで
作り出したシリーズなのですが、絵を描いて、立体にするだけではそれは不完全ではないかと。

キャラクターには設定が必要でそす。って、なんだよ「でそす」って。「です」だよ。

で、設定をいろいろ妄想中なんですが、とりあえずキャラ同士の相関図というか関係性を
ショウリョウバッタの「しょうた」を起点に考えてみて、ふと気がつくと、

へたれ男子を取り囲むハーレム状態というとても残念な事に…。オイオイ、深夜アニメか、ギャルゲ
かよ…。

まあ、そのまま採用するかは別として、キャラの性格付けがしっかりとしてきたかもなあ。
で、その設定をどう活かすのかも問題だけど。

つか、どうしても、性根が捻れてる厨二病なので、なんかグロくなりがちだな。
しょうたの後ろ脚のない理由とか。


さて、夜も白んできそうな時間帯にさしかかりましたので、今宵はここいら辺しておきます。