それがリアルだなんて、思ってる奴の幻想に過ぎない。 -Reality is an illusion that people are watching.-

いわゆる普通と称される、ごくごく平均的な環境、身体能力、精神状態
三拍子揃った人間からすれば、家から出て電車に乗って街まで
ゆく事なんて平気の平左なのだろうけども、その一つが欠けている
自分からすると、意外にそれは割と容易ではないのかも知れない。

目的や場所にもよるけれども、基本的に徒歩、もしくは自転車だけでは
済まない位に離れた場所に行くのは簡単に考えられがちだけれど、
そうではない。例えば、小学校の低学年の子どもが行くとなると、
簡単な事と割り切れない。もしくは、急遽、海外で暮らさなければ
ならなくなった人間が電車に乗って街まで出るまでには言語的に、
土地勘的に高いハードルがある。

遠出をする事に限らず、そうやって、あり得る可能性を想像する事が
できるのは大事ではあるけども、だけれども、それをやり過ぎると、
自分が対処できない事態に出くわすのではないかと、好ましくない事が
起こってしまうのではないかと考えてしまうのは別段、特殊な人間と
いう訳ではないと思う。

そして、現実にそういったアクシデントなどに遭遇してしまった人間は
また遭遇するかも知れないと少なからず恐れてしまうし、その出来事の
トラウマ、不快感を避けたいと自己防衛を始める人もいるのだろう。

完全な防御を決め込むとその人は「ひきこもり」と呼ばれる存在に
なる。

その、ひきこもりになる、ならない の分水嶺、明らかな埒は
それでも出かけるか否か。

今日はどんな日なのか、良い日なのか、悪い日なのか、それは
終わってみなければ分からない。

昨日の事はどうだったかは誰でも分かるけど、明日の事が分かる
人はいない。予測はできるけど。

今日という日が生きにくいのは昨日ばかりを見ているからなのだろう。
昨日を省みながら、嫌な事に遭わないように「安心」とか「安全」とか「安定」
で身を固めるのは人間って、弱いものだから仕方ないけど、でも、そこに依存
しすぎても良い事はないよね。

何が起こるか分からなくて怖くでも、明日というものに積極的に関わって
行かないと、向かって行かないと、結局は上手く回らない。

今の日本に必要なのは、そういう事なんじゃないのかな。


みたいな事を、外出の準備に手間取ってなかなか出られなくて
予定の時間を少し過ぎてから家を出て、歩いて駅に向かい
ながら考えた。




どうして、あの時にこうしてしまったのだろうという後悔というのは
常に人生においてしてしまうものである。

見たくもないものを見てしまった時に、自分の中の現実という
価値観、指標が、甘ったれた、実に幼稚でいい加減なものだと
思い知らされる事は残念ながら、よくあるものである。

そんな事はいわゆる「いい大人」になってしまった人間ならば
分かりきったことではあるのだけれども、しかし、そう分かった
つもりでいても、驚き、打ちのめされることはまだまだ沢山ある。

社会人の鉄則に「5分前行動」というのがある。私の場合はもっと
神経質で、慣れていない状況だと30分以上余裕を持たせる事が
割とよくある。

大小様々なロスタイムが生じても大方は問題ないのだが、日によっては
殆どロスタイムが発生しなくて、予想以上にスムージィーに現地に
到着なんて事がある。

まあ、しかし、予定時間に間に合うにしてもそれには限度というものが
あって、30分も早いと、相手に迷惑を掛けてしまいかねないので、
やはりここでも5分前というのが問題のない所だろう。

という訳で、時間を調整するために栄の錦三近辺のコンビニを
目的なく、はしごしてみる。という、なんとも意味があるのか
どうか疑問の余地があまりない事をあえて断行してみた。

普段、コンビニなんて殆ど行かない、寧ろスーパーマーケット
の方が気軽に入れる人間なのに。


名古屋でも屈指の繁華街、ビル街ということもあって、こんなに必要
なのだろうと思うぐらいコンビニエンスストアが100メートル毎に
あるような気がする。そしてなぜかやたらと目にする
「デイリーヤマザキ」 それほど歩いているつもりもないのに3店も
あった。

フタのラベル部分が良く見えるように陳列されているカップ麺の
商品ロゴが達筆すぎて読めないと思ったら、上下逆さまだった。
その昔、バイトで商品陳列をやった事のある人間としては
見過ごせずに直して、特に何も買う訳でもなく店を出た。


どこのコンビニチェーンだかは忘れてしまったが、某国民的
有名漫画家の作品を原作としている映画とのコラボとやらで、
いろいろな商品がその映画のキャラをあしらったものに
なっていたのだが、それを集めた棚に陳列されていた
丸い飴を棒をさしたキャンディ、チュッパチャップスなのか
は確認していないが、それが入った箱の中に何故か、
無造作に置かれた「ベーコン巻きおにぎり」が…。

誰が悪いとか杓子定規的に言うつもりはない。
お店の雰囲気というのは店員だけが作るものではなくて、
そこに出入りするお客というのも大切だと考える。

ちゃんと商品を元の場所に戻さない客も悪いが、
おそらく、昼、もしくは朝の混雑時にされたと予想される
ものが夕方の段階で商品棚のチェックがなされていない
のは店の管理が行き届いてるとは言い難い。

ま、そんな些細な事からうまく回っていない現実世界を
突きつけられて、感慨深げに反応してしまうのは
如何なのだろう。

と、ふざけ半分で始めたコンビニ巡りを少し後悔するのでした。



というわけで?先日告知したART IN BOX展のオープニング
パーティに出席してきました~。

どうにもこういう場では人に話掛けられなくて、今回初参加で
知り合いの方もいませんので、思いっきり「ぼっち」になって
しまいましたが、なんか、こういう経験に慣れてるのか、以前なら
手持ち無沙汰で、内心、「やべぇ、やべぇ、どうしよう!!」的に
キョドってしまうのですが、なんだろう、今回は妙に開き直って、
気ままに飲食しつつ、気を使って話掛けて下さった画廊のスタッフの
方と少し話などをしつつ、基本、ぼっちでありながら、ぜんぜん
寂しくないという、端から聞くとやせ我慢に見えなくもない不思議な
楽しい時間を過ごさせて頂きました。

まあ、こういうパーティというのはその場の雰囲気もありますよね。

そういえば、画廊の方から、私の作品を観て、私の事を知ってると
おっしゃった豊橋から来た方は誰だったんだろう。おそらくは
この前、半年前の大学の同窓会展に参加した造形大のOGの方
だとは思いますが、世間は狭いというか、意外な所で繋がる
ものですなあ。

展示場所はちょっとわかりにくいかも知れませんけど、画廊の入り口
から、壁づたいに観ていって、入り口の方向に折り返した時に見える
壁面にあります。

すんごい異形な感じでKYかもしれませんけど、観に行って頂ければ幸い
でございます。