均衡に向かって天秤は絶えず揺れ続ける。-Aims to keep moving constantly Scales equilibrium.-

ふきあれるかぜ。はるのいぶき。


寒暖の差が大きいとどうにも身体の調子を崩しがちですね。

寒暖をわざとらしく抑揚つけて発音するとカウントダウンっぽく聞こえますよね。

そう、季節が変わっていくカウントダウンはすでに始まってますね。

と、あまり上手くない。でも、ドヤ顔で言ってみますね。

さて、さすがにしゃべり方がくどいのでここいらで止めときますね。


よし、三時という惨事は回避できそうだ。


本日買った本を5時間で読み切る。あまり関心しないなあ。

どうにもバランスってものが取れないなあ。スイッチが入ると猪突猛進して、
無茶をして身体を痛めがちですわ。

どうにも本を読むというのは、まあ、ゲームとか、でもいいですけど、
心は動いているのですが、身体は一カ所に固まってしまって不自然に停止した姿勢を
強いてしまって身体には良くないですねえ。身体がかちこちになってしまいますわ。

まあ、バランスなんて崩れてしまったら、またそこから均衡をとるべく、中庸に持って行くべく
普通に頑張ればいいんですよね。

うん、普通が良いよね。普通最高。

バランスばかりを気にして、自分自身がしたいと思う事を、欲求を抑え込むのも、
やり過ぎると問題です。


人間常に平常でいられる訳ではないです。そうでなくなってしまう瞬間というのは
どんな人間にもあります。努力して少なくできても、なくす事はできません。

かえって、「私は常に冷静だ」と高をくくるのは非常に危険です。

「こんなことは現実にあり得ない」という思い込みが危険なのはここ最近の大災害で
痛感しますよね。

世の中は原則と例外があって回ってるものです。

っと、なんだか先日と似たような事を異口同音で繰り返してますかねえ。


ペンタブの練習をここ最近コンスタントに割合、真面目に持続してやってるんですが、
描画線を洗練させようと躍起になる余り、なんだか味気のない線になってやしないかと、
躍動感のない線なってないかと思うんですが、ちょっとここいらで、制御しようとする
意識を外して、フィーリングでがしがしと線を引っ張って行こうかなと。

まあい、自分の描くタイプでない絵を、違うテイストを習得しようともしてますけども、
どうにも柄じゃない事をしすぎてるきらいがあるかなと。

努力は良いけど、無理はいけない。犬は猫にはなれないし、猫は犬になるべきでない。

あくまで自分の描画スタイルの確立を目指して。

予定調和というのもつまらないので、調和予定な感じでもうちょっと頑張ってみよう。

おっと、またバランスの話をしているなあ。

ふつふつと沸き上がる普通な気持ち。-normal to feel like a rush of water.-


テンションが張らないな。心がときめかないな。ワクワクさんが、いや、ワクワクさが足りないな。

そいや、モノランモノラン終わるのか。キャラデザわりと好きだったが…。


まあ、ここ2週間ほどの、異常な日常感がやはりおかしかったのだろう。


しかし、いかんな、無気力相撲ばりの脱力感。後ろ向きな予定調和。

やるべき事はあるが、動きが鈍いな。



まあ、とはいっても普通なレベルってどの程度なんだろう。普通にやる気のあるレベルって

どこなんだろう。


何もしなくても疲れる。忙殺されすぎても疲れる。中庸に疲れの溜まらない普通なレベルって
どの辺りだろう。


結局、前提となる基準が見当たらなければ普通なんてものは存在しない。

柔らかい地面に三脚を立てても安定感は得られない。


前提ってのは、慣習とか、原則ってのは限りなくアベレージ化したもの。平均値だから、
そんな前提の当てはまらない例外、突出したピンポイントには対応できない。


この世で不滅不変の普遍的な法則があるとすれば。すべてのものは必ず変化すると言う事
ぐらいしかない。


だから、変わらないものに惹かれる。憧れる。願う。拝みもすれば、恐怖もする。

それは仕方がない。どうにもしようがない。残念だけど。

まあ、だから、突如として序序に、粛々と忽然に変化を繰り返す。


そいう、変化を日々楽しめる心持ちでないと、そんな即興的で、ライブな人生を
楽しめないと、生きる事ほど困難な事はない。


そう、だからせいぜい、普通に生きることを、普通に受け止めて、普通でいればいい。
世の中、普通にいかない。人生に普通はそれほどない。

自分の身体の外側には普通はない。自分の内側にこそ普通はある。


普通って言葉は普段からあまりに普通に使われすぎて分からないけど、
安心感のある、とても大切な言葉だな。

ちょっと擦り傷だらけで、ぼろっちく見えるかも知れないけどさ。


だから、駅の時刻表の「普通」の表示にがっかりしない。だって、やっぱ、普通が普通なんだし。

快速とか、急行とか特急は異常で特別なんだよ。特に特急ってたしか特別急行の略
じゃなかったっけ。


そいや、昔のMacintoshってFinderのメニューの「特別」って項目からシステム終了してたよね。

電源切るのも普通じゃないんだなあ。



まあ、戯言ですけど。


ともかく、普通最高。普通っていいよね。

めきめきと芽吹き目覚め春めくリズムのマーチ。Conspicuously and budding of spring awakening march rhythm.




Japanese Dandelion and Honeybee.
Japanese Dandelion and Honeybee. posted by (C)かゆきゅう

Estimated Star Magnolia.
Estimated Star Magnolia. posted by (C)かゆきゅう

Fishing Pond and spring sunshine and shade.
Fishing Pond and spring sunshine and shade. posted by (C)かゆきゅう

Horsetail full.
Horsetail full. posted by (C)かゆきゅう

The slope of the spring weather.
The slope of the spring weather. posted by (C)かゆきゅう

Cherry blossoms bloom in October as well. Photos of them at the end of March
Cherry blossoms bloom in October as well. Photos of them at the end of March posted by (C)かゆきゅう

日曜日に志段味スポーツセンター辺りを散歩。

もう春だねえ。

タンポポはフランス語で「ライオンの歯」というのは去年辺りにネタにしたかと思いますが、

つくしの英名は「ホーステイル」。馬のしっぽだそうですなあ。

まあ、しかし、そこいら中にライオンの歯とか馬のしっぽが転がってるって、どんなサファリパーク
なんだろうなあ。

志段味は在来種のタンポポが結構多いねえ。さすが名古屋のチベット。
やっぱ、タンポポは外来種よりも、在来種の方がかわいらしくていいねえ。

まあ、あとは動物ネタじゃないけどシデコブシって英名はスターマグノリアちゅうらしいねえ。
マグノリアってのは西洋ではよく見る植物の名前っぽいそうですけど。

シデコブシってここいらだと普通に植わってるけど、基本的に東海三県辺りにしかないそうな。
身近すぎてそんな貴重な植物とは思わんかった。


桜も東京の標準木の靖国神社の桜が咲いたそうで。ソメイヨシノなんだよね。

写真のは残念ながら、桜は桜でもジュウガツザクラという種類の桜。
名前からして春秋年2回花が咲く桜なんだろうねえ。


そいや、桜はバラ科だそうで。綺麗な薔薇には棘があると言うけども、

綺麗な桜には棘がないんだねえ。くくりとしてはバラに近いんだけど。

まあ、世の中、原則と例外は付き物という事で。


さて、絵を描くのに地味に時間掛かりすぎで、ここいらがお時間となりました。
この程度のレベルのものは1時間ぐらいで描けないかなあ。

まだまだ、修行が足りないなあ。

腰砕けて懺悔あり。Ye all regret the hurt from the waist.


幸福は一日にして成らず。

壊すはたやすい、しかし、作り上げるのは年月を要する。

失ってこそ人はその大切さを、有り難さを、思い、悔いる。

失う痛みを知ってこそ、真の価値を知る。


しかし、残念ながら人間とは忘れる事のできる存在である。

そして、何度も何度も、何度であろうと、同じ後悔をするのである。

愚かな人間は過ちを繰り返す。

メビウスの輪の中でひたすら後悔を繰り返す。


聡明な人間は失敗を生きる糧とする。

その因果の鎖を、新たな可能性によって引きちぎる。

その希望を胸に刻む。その希望までに積み重ねた後悔によって強く。



そして、いつの日にか、腰痛を克服するのである。



はい、仰々しい言葉で語りまくっていましたが、腰痛の話です。

まあ、しかし、一日、というよりも一瞬で壊した健康というのは
なかなかすぐには治りません。

注意一秒、怪我一生なんて上手い事を言ったものですわ。


まあ、しかし、無理しないつもりでも、身体というのはとっさに動いてしまうものですわ。

そのとっさが悪魔の瞬間なんですよね。


平生、差し障りのない身体能力といえど、イレギュラーな事態の時に

思わぬ負荷が掛かって、身体バランスのキャパを容易に越えるんですね。


健康というのも、非常時への備えの基本ですよね。


通常なら簡単にケアできるものが、非常時になるとなかなか容易にできない。

それどころか、その不備が致命傷につながる事も充分に考えられます。

ですから、備蓄をすることだけが、防災への備えではありません。


生きている以上、身体は必ず自分にくっついてるものです。

ものをなくす事はよくありますが、身体をなくすなんてことはあまりないでしょう。

身につけた健康と知識は非常時においても、とても大切です。


うーん、腰痛が防災の話に繋がるとは意外だなあ。

ま、ともかく、早う腰を治して、身体を鍛えないとなあ。

まず普通に戻るのが大事だねえ。

まあ、おとなしく、横になってます。


横になってプラチナでもやってよう。

ムックルかわいいよね。


三歩進んで二歩下がる。-Three steps forward two steps back from.-


一日休んだら、ペンタブの操作能力が下がってるような気が。

というか何だろう。やはり腰のせいなのかねえ。身体中心軸がしっかりと安定しないと

手の先の操作もぶれるというのもあり得るか。

しっかし、画力の安定が…。

つか、どこを持って普通とするのかまだ決まってもいないけどなあ。

なんかこの招きコガネ、なんだか微妙にリアルタイプな感じでちょっときもい。

投稿のテーマ的には昨日のと逆が良かったかも。


雑談をします。


日本放送協会の朝ドラもボチボチ終わるけど今期は結局、ほぼ盛り上がらなかったな。

やっぱ、ゲゲゲの女房の大成功の前には思いっきりかすんで見えるね。

ゲ女の上手いのは、一見、実話と見せかけて、色々と脚色して昔のあるあるネタを、
懐かしさをいろんな所に組み込んで、エンターテイメントとしてかっちり作られているから
面白いよね。いろんな層の視聴者も上手く取り込んでる。

てっぱんは…もうなんだろうね、現代が舞台なんだけどイマイチ世相が反映されていないし、
登場人物が全員いい人ばかりで没個性的なんだよね。

一人ぐらいどうにもならないろくでなしがいても良いと思うんだけど。

この物語はシビアな人間関係を含んでいるのに全く活きていないよね。

なんでみんな、嫉妬という感情を持ってないんだろう。虚勢されてるみたいで
すごく気持ち悪い。それともそれほど人を好きじゃないのかな。

頭で分かっていてもどうにもならない感情ってあると思う。

血のつながりのない家族の関係ってものすごくバランスが危ういかと。

よそよそしくもしていられないけど、仲良くなりすぎるのもそれはそれで嫉妬を覚える
んじゃないのかな。

血のつながらない娘をかわいがりすぎる旦那を冷静に観られる嫁ってこの世に
存在するのかな。

旦那なんかどうでもいいみたく冷めてる関係にも見えない。

後光の差すぐらいの聖人にも見えないし、人間くさい感情も見受けられない。

個人的に、尾道のおかんが悪役になれば上手くドラマチックに展開できたんじゃないかな。

大阪に出た動機も鮮明化するし、終盤に和解する様に持っていくと、きれいにまとまった
気がする。

そういう、使えそうな設定を潰してしまって、ヒロインのドラマ性が出てこない。それを
周りのキャラがわざとらしくヒロインを引き立てようとするイベントばかりで、
各々キャラが魅力的に描けない。どんどん、微妙な空気のドラマが展開してく。

なんでこんなに人間の負の感情に背を向けたドラマにしたんだろうねえ。

まあ、オープニングから失敗してるような気がしないでもないか。

地味すぎだよなアレ。パンピーが踊る映像というのも何か安直な希ガス。

まあ、いいや。

ネタとして楽しみに観てたけど、もうちょいと飽きた。

歳月と言う重荷を背負いて。-Stacked time very heavy.-

残り10分にすべてを書ける?


あさ。木曜日の朝。小冬日和な肌寒い朝。週の半ばを越えて折返しを過ぎた頃。


電車の中はとても疲れた顔ばかりな気がした。




昼。曇りがちでちょっと温もり寂しい横風が吹きすさぶ。


そんな昼、伝説の魔法のスイーツを求める小一時間の未知なる領域への冒険。


中村日赤まで。RPGではお約束。お使いクエスト遂行し完遂。




夕。自分の中の悪い部分。ある種の暗黒面である。自分との戦い。


自分の身体とのせめぎ合いのバトル。


自分の中の腰の爆弾との質疑応答。


腰痛との熾烈な闘い。


ギックリというダークサイドに落ちそうになる。ギリギリで回避。


自分の中では劇的なドラマチックな展開。人には絶対に分からない。


君の知らない私だけの物語。




夜。帰りの電車は割と元気だ。終わるという事も一種の幸福なのだろう。


人間とは現金なものだ。


駅のホームから改札口へと吸い込まれていくエスカレーターの人の列。


なぜか、なぜだろうか。


大道芸でよくあるエスカレーターのパントマイムみたいだと思う。


本当が嘘で、嘘が本当に見えることもある。




晩。神領の改札付近の構内の照明は若干緑がかっていて、なんだか異次元世界。


気味が悪い。気持ち悪い。


歩き煙草よりも走り煙草の方がタチが悪い。


前の歩行者は追い越せばよいただの悪夢のようなもの。


走り去っていく2輪の軽車両のまき散らす煙は避けようのない現実。


マナーの悪い、手癖の悪いスモーカーは死ねばいい。


全ての人ははいつか死ぬのだけれども。でも、なるべく早くして欲しい。


はい、無理でした。10分で終わらなかったので。この似非ポエムは終了。

いつも通り、ダラダラ書きます。

しかし、いかんなあ、後半がやけにネガティブだわ。

人間ってこういう所でお里が知れるよね。


神領って良い駅だよ。普通しか停まらないけど。車両整備場あるし、
駅前に交番もできるし。

ちょっと古びた良い感じの書店に、ローソンもあるよ…。


フォローになってないかな申し訳ない。


世の中にはいろんなものがいろんな値段で売られているよね。

デパ地下でも500円以下の弁当があるし、地下街に6~800円の
サンドウィッチもある。

1個600円のプリンとか、ファーストフードっぽいのにトッピングとかすると

1000円以上するカレーとか。

最近は何でもかんでも「安ければ正義だ」みたいな風潮があるけどさ。

あまりにタイトな余裕のない価格設定の商売って、ものすごい辛いよね。

もう削れるとこないから働かされてる人の待遇を削ってるのが大半でしょうに。

無理矢理な値段は大概どっかの立場の弱い部分への負担を強いる。

儲けてはいけないのかな。そんなお金は汚いんでしょうか。
卑しいのかな。不潔かな。

ブルジョアは全て悪。というのも随分と酷いステレオタイプな気がしますけど。

儲けるだけ儲ければよいのではないかとも思います。そんで余裕を持っていて、

ここぞという時に、必要なところに、適正に使われるのなら
問題はないんじゃないかな。

例えば災害時の義援金とかさ。

ない袖なんて振れないし。


一番酷いのは小金を貯め込んだ、成金気取りが、ひたすらため込んで、

使われないで、あげく死後に醜い遺産相続争いの火種になっちゃう様なのだと

思うけれども。


使う目標があって貯めるお金は別に良い。

ただ漠然と不安に駆られて貯め込むお金は死んでるよね。

まあ、お金は天下の回りものちゅうことですよ。お金は社会の血液ですわ。


まあ、お金お金って言ってる自分もどうなのよと思うけどー。

つか、何か話が変な方向に進んだな。


まあ、しかし、どんだけ抹香臭い事を声高に叫ぼうとも、人間ってのは
仙人じゃないんだから、霞を食って生きられないよね。

最低限度の食い扶持がなけりゃ、餓死してしまうよ。

あと、結構さ、預金残高と精神的な余裕というのも比例するよね。

まあ、だから健全なる精神は健全なる経済でなり得るとも思う訳です。

武士は食わねど高楊枝、というか、ボロは着てても心は錦ともいうけどさ、
ボロボロで薄汚い格好って、自尊心が結構傷つくよね。

精神が崇高な人間ってのは一握りしかいない。大半の人間ってのは脆弱で
脆いモンですよ。


自分に出来た余裕ってのは、その余裕を誰かのために使えば
いいんじゃないかと。

そんでみんながある程度の余裕を持てれば、そこそこ良い社会になるんじゃないかと。


と、なんか妙に小綺麗な言葉が出た辺りで止めよう。

なんか疲れすぎて灰になっとる。いや、ハイになってる。

さて、もうそろそろ、作品画像をアップしていきたいなあ。

つか、もういい、寝ろ自分。

何かタイトル関係ない本文で申し訳ない。
本当は腰痛の話で盛り上がる予定でしたが、ノリで変な方向に行っちゃいました。
ごみんなさい。

カタストロフィ-At the present catastrophe.-




現段階では残念な結末ではあるが。それは致し方ない。現状では止めた方がよいのであろう。

GEISAI#15中止。

正直、今年の活動において結構、当てにしていた部分がある。
これによって何か新しい展開が出てこないかと期待していたが、まあ、通常どおりに
開催されていて、何かしらの出会いがあったとは限らないけれども。

名古屋での活動にあまり期待を持てていない現状において、色々なジャンルの人間が
恐ろしい密度で密集している東京の未知の可能性に漠然とした希望を持っていた。

金城ふ頭と有明ではどうにも埋まらない差というものがある。

少なくとも今年の前半の予定が白紙に近い状態という、自分の行き当たりばったりさも
悪い。

どうにも、1個目標を持つとそっちに一辺倒で、他の事をいまいち並行処理できない。

自分からいくつも抱え込む様な真似はどうも気が散るというか、ある種の不真面目に思えて
どうにも自分から多極的に動くのは倦厭しがちである。

ひとつひとつにちゃんと向き合いたい思いがある。

どうにも副業を持つのも苦手だ。

どうにも「どっちも」という選択肢は基本的にない。

結局、中途半端な役にはなりきれない。

どうせなりきるなら完全になりきりたい。その役をロクにこなせないとしても。

私ってほんとバカだな。


まあ、現状においては悲劇的な結末。いわゆるカタストロフィ。

でもさ、悲劇は起きてもそこで終わる訳じゃない。どんな物語にも続きがある。

続きがあれば、それがハッピーエンドになる可能性はある。

かえって、ハッピーエンドの続きというのは悲劇につながっているものである。

フィクションでは特に。

幸福な人が幸福に暮らしているのはドラマにならない。成立したカップルのその後なんて
基本的にノロケ話でしかない。描くに値しない。「末永く幸せに暮らしました」の一文で
もう十分である。

続いてしまうからこそワタオニは延々と嫁姑の、家族のいざこざは絶対に絶えないし、
ガンダムは永久に終わらない戦場に立つ訳である。

私は思う春を迎えて以来、常に自分を変えたいと思い続けてきた。こんな不甲斐ない
現状から少しでも抜け出たいと藻掻いてきた。

現在の自分というのも、客観的に観てしまえば、実にみすぼらしいものかもしれないが、
昔の頃の自分の精神的に追い込まれてどうにもならない緊張感の悲壮感の怠惰な日々
よりは遙かにマシだと自信を持って言える。

明らかに普通とは縁遠い、そういう場所に自分はいるけど、ここで終わる気はない。
そんなの絶対に許せない。だから藻掻き続ける。

まあ、現状、具体的に期待できるものはないけども、可能性なんて無いに等しいかも
しれないけど、世の中にはデタラメのような奇跡も魔法の様な事もあるかも知れない。

いわゆるデウスエクスマキナという無茶苦茶でご都合主義な展開。

信じる信じないというか、こんなの絶対におかしいよ、と思えるような悲劇も
奇跡も起こりうるのが現実ってものではないか。

変に期待ばかりしてもいけないけど、絶望ばかりしても起こる現象は起こるもの。

その現象をしっかりと受け止められる冷静さを持っていなくてはいけない。


うーん、なんだか話がようわからんくなってきた。


まあ、ともあれ、いろいろありましたが、私は元気です。


GEISAIの運営の方々も後処理が大変かと思いますが、次回を楽しみにお待ちしています。
開催できなかったイベントの後片付けなんてとても疲れるものだと思いますが。

チアマンの作り手に対する優しさには、何というか勇気を頂きました。色々と批判はされた
でしょうが、個人的には感謝しています。


さて、明日からも普通に頑張るか。

微塵切りだ包丁。-Chopped by the knifes.-


冷蔵庫にナスがあったので、といっても、ネットに接続する記録装置のことじゃないよ。

つか、冷蔵庫にNASってどんなシチュでどんな無茶で神経質な使われ方だろうか。

もしかしたらあり得ない事でもないかもしれない。


まあ、それは放置しておいて。

ナスで夕餉のメインのを張るようなメニューというと、まあ、麻婆ナスかなと。

ちらと今日、きょうの料理ビギナーズでもやってたなそいやと思い出しつつ、
挽肉ないけどどうしよかと思ったら鶏むね肉があったのでこいつをみじん切りにしよう。

しかし、きょうの料理ビギナーズは結構参考になるなあ。
どうにも今日日、妙にアレンジが利きすぎた無国籍料理みたいなメニューの料理番組が
多いからあんまし参考になんないんだよなあ。まあ、ビギナーズも結構簡単アレンジな
メニュー多いけどね。

料理も大事なのは基本のベーシックだと思います。

まあ、しかし、やっぱハツ江ばあちゃんはいいよね。初音ばあちゃんはイマイチ微妙だけど。

基本的にミンチ肉ってあんまし買わないんですよねえ。どうも持ちが悪い。ドリップがよく出て
きがちです。

そんなんだったら塊肉を買って自前でミンチにした方がよいですね。

グラム単価がミンチと塊では殆ど差がないので味、鮮度を考えると塊肉がいいですねえ。
手間がかかるんですが、そいう一手間が愛情なのですよ。

それに、包丁2本で叩いて粗挽きな感じに仕上げる事もできますし。

しっかし、この包丁2刀流でまな板を叩くのは気持ちいいですねえ。

ノリの良い音楽聞きながらだとついエキサイトしてしまいますわ。


で、上のトップ絵につながるわけなんですけど。

最近、ようやくペンタブの感覚に慣れてきました。

といっても、まだまだ、納得のいく、じぶんなりのPCならではの絵が描けてませんけど。

まだまだ、練習あるのみですねえ。

さて、そいや、この投稿のタイトルは知ってる方は分かるかと思いますが、そうです
あれです。

キテレツ大百科のお料理行進曲。歌でコロッケの作り方を覚えられるステキソングです。
2番はナポリタンだったっけか。

考えてみるとこういうお料理レシピな歌ってそんなにないですねえ。もしかすると
知らないだけかも知れませんけど。

うーん、おむすびの歌ぐらいしか思いつかないな。

そいや、藤子不二雄アニメの中でもキテレツ大百科って、特徴的なテーマソングが
ない代わりに、名曲揃いな気がしますね。

今日日のアニメだとガンガンOP、EDが変わってくので普通ですかね。

そう考えるとキテレツ大百科が放映されていた、あの辺りが転換点だったのかなあ。

検索で引っかかってきた皆様申し訳ない。



さて、キーボードが暖まってきたので制作日記でも始めますか。


まあ、実際、何の比喩でもなくネットブックのキーボードを操作しているので、
本体から発せられる熱で若干キーボードが暖かくなってるんですけどね。


最近はちょいと小さいサイズの作品を作ってるのでそこいら辺の技術革新というか、
乾燥時間の短縮に使えるテクニックをみいだしていたりします。

パルプってのはどうしても柔らかくするのに水分を多く含んでいて
丸いカタチ、塊で作ってしまうと乾燥にどうしても時間が掛かる。
それは作品のサイズが大きくなればなるほど如実に出てきます。

そこで小さい丸い玉を作っておいて乾燥させてそれを芯にするんです。

この芯の利点は乾燥時間の短縮および、整形のしやすさが向上します。

パルプ全体が柔らかいと、例えば表面をきっちりと整形すると裏面が表面の整形の
圧力で裏面が変形してしまって、また裏面を調整、で、またちょっと変形した表面を
手直し。と言った具合に、柔らかく整形しやすいが為に、カタチがゆがみやすいの
ですが、

この芯を用いれば表面は新しく盛ったパルプで整形しやすいですが、固い
芯材のお陰で不用な歪みを解消できるんです。

これのおかげで、ちょっと小ぶりな作品の制作スピードがちょっと早くなりました。

まあ、こんな感じで、一意専心に精進したいなと存じますけれども、こんな支離滅裂な
雑談を長々と続ける自分には似つかわしくない言葉かも知れません。

吹けど響かず。押せど動かず。Sound the trumpets blowing come out even. Undaunted even by pressing the mountains.



あいさつをしても、そこでまず構築される人間関係は顔見知り程度ではないかと。
まあ、それを友達と称してもさほど差し支えのないモノとは存じますが、なんというか
根本的に何かがちがうのではないのでしょうかと。

親友、悪友というのはぽぽぽぽぽぽぽ~んと一瞬で虚空から出現するものでは
ありません。

そもそも、その場に存在していない対象にあいさつなんて出来るのでしょうか。

「魔法の言葉」なんて適当な売り文句を並べて立てるが、魔法ってのは本来的な
意味では「人を惑わす技法」に過ぎません。極端に言ってしまえば嘘です。



定型文、紋切り型の中の王様です。キングオブモンキリです。あいさつというものは。


どうしても気持ちを込めずに乱用してしまいがちです。


そもそも、「おはようございます」というのは本来の意味としては違うでしょう。

業界によってはその日最初に会った人に対して「おはようございます」だったり
します。朝昼関係ないです。早くないじゃん。

小学生低学年の大半は「いただきます」を「板抱きます」としか理解していない
でしょうに。

ちゃんと心を込めて「ありがとう詐欺」もとい、「ありがとう」って言える人間は
どれほどいるでしょか。


自分自身がフレンドリーな雰囲気、言葉、仕草、態度で相手に接してこそ友達は
できるものです。

言葉だけで、態度が伴わないのではぶっちゃけ無理。


とはいっても、人間ってのはとかく勘違いをするものです。
ちょっとしたきっかけで人を好きになったり、嫌いになったりします。

恋愛ってのも結構、勘違いから始まるものですよね。

まあ、そういう関係ってのはなかなか続かないものです。

上辺だけの付き合いだけでは人間はいつまでも孤独なままです。

まあ、だから、友達がいないというのも勘違いして上辺の付き合いをしてない
という点ではある意味マシかもしれません。

「友達を作ると人間強度が下がる」とも言いますし。


はい、ここまでちゃんと読んで頂いた奇特な方。

「なんかこいつ下らない事でネチネチうるさいな。こいつ友達いないんじゃね」

とお思いかと思いますが、


正解です。


まあ、いないというか、かなり少ない。

と言っておかないと語弊、誤解が生まれるかな。


うだうだと書き連ねましたが、コミュニケーションってのは理屈より感情が大事
ですねえ。あとポジティブさも。


そうだ、勘違いされるといけないので補足。

別に私はACのテレビCMが嫌いって訳ではないですよ。

むしろ好きですよ。ネタ的な意味で。


まあ、しかし、この一大事がなければここまで注目もされなかっただろうに。

ある意味、時代に選ばれたのかもしれませんね。

おそるべし。「ありがとウサギ」いや、「こんにちワン」だっけか。


以下、土曜に展示のミーティングで豊橋まで行って来ました。
ある意味、お土産画像。

Toyohashi City manhole cover
Toyohashi City manhole cover posted by (C)かゆきゅう


Toyohashi City fire hydrant cover.
Toyohashi City fire hydrant cover. posted by (C)かゆきゅう

Sun river level.
Sun river level. posted by (C)かゆきゅう

Gas cap.
Gas cap. posted by (C)かゆきゅう

いやあ、豊橋は下を向いて歩いてるだけでも面白いですねえ。

手筒花火の絵柄をあしらった消火栓、マンホールは比較的新しいものでしょうか。
ガスを瓦斯と書いてる蓋も時代がかっていていいなあ。


Route 1 and Toyokawa road intersection.
Route 1 and Toyokawa road intersection. posted by (C)かゆきゅう

いや、なんか久しぶりだなあ。川崎から自転車で帰って来た時に浜松辺りからは
国道一号線を走ってきたので良く覚えてます。自転車スロープが降りる側に
ついて無くて担いで降りててこの斜めに設置された看板を撮った記憶がある。

探せば出てくるはず。探さないけど。

前回は一号線を、今回は県道400号線こと豊川街道を歩いたんですけど。

言わば過去の自分と現在の自分が同じ交差点で全く予期していなかった理由で
交差したんですねえ。


個人的にすんごい感慨深いなあ。まあ、分かんないでしょうけど。



さて、制作のほうはと申しますと、ホント申し訳ない事ですがこの前代未聞の
大惨事をきっかけに自分の中でかみ合っていなかった、というか欠けていた
歯車がぴったりとはまった感じで、

制作のモチベーションは悪くないです。

縁起物で験担ぎが祈願に、願いとか、祈る、というなんだか宗教くさい方向に
向いてきて、なんだか気持ち悪いかなあと思っていたんですが、このご時世
ならば、祈る事は別段、異様な事ではないかなと。

それまでのわだかまりというのかブレーキが外れた感じです。

これからしばらく、時間をかけて、コツコツと作りながら祈ろうと思います。

飽きっぽい私ですが、どれだけやれるか自分を試すような感じでもあります。

祈りというのは、長く祈ってこそ価値が、真価が問われるのではないかと思います。

一時の感情の高まりで、一気に突っ走って、しまうのはなにか違いますよね。

いまのこの旬なタイミングを狙ってパフォーマンスで終わってしまうのは浅薄
ですねえ。

今、必要なのはもっと長い時間を想定して、持続的に動く事でしょうに。

なんか、こう、くだらない話がしたい。-Laughing joke to say.-

いやあ、久しぶりに餃子を一から手作りしました。皮も小麦粉にお湯を注いで練ってこねて
伸ばして棒状にして90度づつ回しながら包丁で皮一枚分を切っていく。
それを効率悪いけど一枚一枚手で伸ばす。

風邪っぽくて寝てたから作業に取りかかる時間が遅すぎたな。


挽肉はミンチ肉じゃなくて豚バラかたまりをフードプロセッサにかける。
あんの味付けがしっかりできんくってやや失敗だな。
ニンニク入れ忘れるとかどんなけだよ。



やっぱ、慌てたり、焦ったりはいかんね、ミスの元だわ。


普通が一番だわ。

無理もしてはいけないし、だれててもいけない。真ん中の気持ち。

希望だけでは舞い上がるし、絶望だけでは息苦しい。

その、普通という、調和の取れた、中庸な状態ってのも日に日に変化するし、常に同じではない。

たとえ、明日何が起ころうとも、その起こった事の中での普通の範囲で普通にしてればいい。

すべての人が早く、居るべき場所に帰れますように。Return home as soon as all people.

物理的に危険な目に遭ったり、生活インフラがずたずたで、プライバシーの守れない場所での
生活を余儀なくされてる。

とても危険な場所へ任務という仕事に行ったり。

錯綜する情報、刻々と変わる状況に惑わされたり。

失態を晒して叱責される人たち。

残念ながら命を落としてしまった大勢の人たち。

テレビ、モニターの前で観ている事しかできない人たち。

何だか分からないけど、なんか空気がいつもと違うと思う子どもたち。

何かをしようとして思い切り空回りする人たち。



みんな不安で、余裕なんて無い。精神的な意味でも、物理的な意味でも。

漠然と無力感を感じる人も多いはず。


まだ、その状況で、やるべき事を見いだせる人は幸せかも知れない。

何も出来ないでいる人はそれはそれでとても辛い。

自分はなんて役立たずなんだろうかと悩んで、疲れていく。

精神的に疲弊する。

そんなところに自分ができそうな事を見つけて張り切ってみたら、てんで役に立ってないどころか
逆に迷惑な結果になる始末。

周りは相当にピリピリしてるから、相当に罵詈雑言を浴びせてしまう。

何かしてる輩からみれば仕事の邪魔。何もしてない輩の若干のやっかみもある。

「格好つけようとするな」「目立とうとするな」「売名行為だ」

酷いと「こんな時にけしからん」

なんだか戦時中みたいな言葉だなあ。というか、戦時中はこんな雰囲気だったのかもね。

日本人は変わっていないというのならね。

こうやって一丸となって戦争してたんかな。

世界が賞賛した日本人のスゴイ部分というのもやっぱ善し悪しでさ、ある意味怖い部分があるね。

国全体である一点の目標が設定された時の全国民の意識の結束具合が異常に強い。

強すぎて周りが見えなくなりそうで怖い。

一個人の思いは置き去りにされがち。ただのわがまま、甘えだとして。

確かにとても大変で深刻な事態ではある。でも、社会が抱えている問題は一つだけではない。

凄惨な、甚大な被害が出た地域に注目されすぎて、置き去りにされかけた茨城のように。

遠くの人たちを思う余りに、自分の一番身近な人間が精神的に参っている事に気がつかない。

そいう当人が自分の普通でない精神状態に気がついてない。

遠隔地で、物理的には被災していなくとも、精神的には日本にいる人間、海外から日本を
見ている人も広義の意味では被災しているかと。

症状としては軽微であっても、自分は今、普通の精神状態じゃないという事に気がつかないと
いけないと思う。

前線も大事だけど、後方がしっかりと盤石の、普通な健全な状態でないと駄目ですよね。

共感する事はとても良い事だけど、「被災地の人は大変なのに自分はのうのうと暮らしてて
良いのだろうか」などと自己嫌悪とか罪悪感を感じていてもそれに大意はないかと。

だって、世界には自分が気がつかない所で苦しんでいる人間が沢山いますし。


まあ、そんな事を言ってても、つい、いろいろと考えてしまうものです。

いつも普通に観てるテレビとか、Twitterが普通じゃないのに、どうやって普通になれというのだろう。

こんな状況で普通にする事を簡単な事だとは思えません。結構ハイレベルだと思います。

普通でいる事の困難さを舐めてはいけません。


まあ、テレビも深夜辺りには普通にCM流れてたりしますので、今週中には割と普段の雰囲気には
近づいてくると思いますが。

いやほんと、2ちゃんまとめサイトに載ってるとても不謹慎な発言たちに、ある種の感慨を覚えて
ほっとするなんて異常ですよ。変ですよ。おかしいですよ。○テジナさん。


さて、色々うだうだ言いいましたが、自分も何も出来ない自分を認めることが出来ずに余計な
事をして迷惑をかけてしまって本当に申し訳ないです。

多分、これからも、自分勝手な思い込みで突っ走って、だれかれに迷惑をかけてしまうかも
しれません。でも、行動せずにいられないんです。多分、またどこかで叱られるとは思いますが、
その叱られた事をしっかりと踏まえた上で、人に迷惑をかけず、人の役に立てるようになりたいと
思っている所存です。

まだ、しばらくはTwitterに画像を貼りませんし、ブログの投稿をツイートすんのも自粛します。
まあ、状況を見て再開します。

そんな遠くでもない気がしていますが。ナニブン気分屋なのでコロッと舌の根が乾かないうちに
行動しているかもしれません。そんなバカです。申し訳ない。

さて、危機的状況において、何も出来ない人間がする古来からの儀式というかおまじないが
ありますよね。「祈る」というアレ。

自分なりの祈りをカタチにする作品を、自分自身、祈りながら作ってます。小さいモノを
沢山作ろうと思っていて、とりあえず目標は千羽鶴にならって1000体作りたいと思います。
とりあえずのかけつけ5体。

Return home as soon as all people.
Return home as soon as all people. posted by (C)かゆきゅう

すべての人が早く、居るべき場所に帰れますように。

というわけでカエルです。祈ってるカエルです。

親父ギャグですか。いえ、、縁起担ぎです。

日本の伝統文化です。寒いギャグじゃないです。



いともたやすく壊れる日常。-Livelihood is very easily broken.-

GEISAI#15順延だそうです。詳細は分かりませんが、どうなるのでしょうか。

まあ、状況が状況ですから致し方ないですね。ここ2週間ぐらい頑張って準備していただけに

とても残念ではあります。



いともたやすく壊れる日常。→英訳→Ease with daily breaks.→和訳→毎日休憩と使いやすさ。


なんだ?意味が全く違うじゃないか。Google翻訳さんたらもう、脳天気なんだから~。



状況が状況なので、あまり、半ばライフラインと化しているTwitterのタイムラインを占有する事が
少々心苦しいのでここで、ダラダラと雑感というか、感傷というか、感情を吐露していきます。

自分できるのはせいぜい邪魔をしない事ぐらいですから。

マグニチュード8.8とか、震度7とか、数字を見た限り、あの阪神淡路の大震災クラスの大災害に
なりそうなのは分かってたけど、序序に流れてくるテレビ報道が怖すぎます。痛々しすぎる。

もう、言葉に出来ないよこんなの。

みんな不安だよ。自分も不安だよ。

さて、びびっててもなんにもなんないや。


テレビ観てるとさ、報道部から放送してて、アナウンサーはヘルメットしてるのに、後ろの職員は
していないとか、総理とか、大臣が作業着みたいなの着て会見してるけど、何か違和感あるよね。

某国の某将軍の普段着かよと。

多分、会見の後に、被災地とか、原発にでも乗り込むのかなあ。


まあ、それはどうでもいいけど。


ああ、何か、人の手では消火しようがない、大規模火災が煌煌と燃えてるのは
どうにも歯がゆいというか無力感を感じますね。

人間ってのは火を扱う生き物である筈だけど、大きく成長しすぎた炎なんて消す術はないね。
燃料が無くなるまでずっと燃え続けるだけ。

水もあんな大量に一気に流れてきてはもう何も太刀打ち出来ない。

そもそも、ちょっと地球の表面がずれただけでああも、甚大な損害を受けるのだから、

地球とか自然ってのは強大ですねえ。虫けらの前にそびえ立つ人間みたいなものですね。


そんなちっこい存在なんて目に入らないし、そんな見えないものの都合なんてお構いなしに
ただの気まぐれで蠢いたりする。

知らないうちにアリを踏みつぶしてしまう人間のように。


そんなとても弱い、矮小な人間ってのは、そいう人間同士で、助け合っていかなければ

あっという間に全滅ですね。


いやあ、人間なんて実に儚い存在ですね。忘れてました。


人間は特に一個人なんて実に弱いものですよ。それは忘れちゃいけない事なんですよ。

自己の発見ってのは自分の可能性から見いだすのではなくて、自分の不可能性から
見いだす物、らしいですよ。



syo-ta on Twitpic




たとえ蝸牛の歩みだとしても。-Even if snail's pace.-


自由にやっていいよと言われたとたんに、なんだかやりにくくなる。

本格的に、自分は今、何をすべきだろうか、何を今、成すべきなのだろうか、

などと、仰々しく考えてしまって、気がついたらその、「なにをするか」という

決断に時間をかけすぎて、そのやろうとした事をやるには残り時間が少なくて

結局、やらない。


何のためのロスタイムなのかと。

本当に、ただのロス。デッドタイム。無駄な時間というやつですねえ。



ちょっと、忙しかったけど、急に空き時間が出来る。言わば隙ですね。

または、ある種の慢心。まだ大丈夫だという。

隙というのは大概、対処を間違うと致命傷を負うものですね。


本当に、切羽詰まった段階にならないと本気を出せない。ある種の漫画にありがちな

中ボスシンドロームに填りがちだなあ。


まあ、ヒーローとかヒロインばりに常に本気モード、「何時だって命がけ当たり前だ」な

真似はできないけど、ボチボチ、がんばんないとなあ。


さて、反省もそこそこに。

先日、GEISAI#15の展示用の荷物を発送して、若干のローテンションですが、まだ支度が
全部済んだ訳でもないので、気合い入れないとね。

今回、ナニブン、パルプ造形屋かゆかわきゅう、一個人、一作家としての単独行動ですので、
あんまし大型のものの展示はしないです。

開運展のえんぎモン+αですねえ。作品よりも、作品を入れる箱に力を入れるという、変な事を
してます。

段ボールを貼り合わせて、パッチワークして、それにパルプとか、リサイクル素材の塗料で

コーティングして、ある意味、ある種の強化段ボール箱を作りました。


箱というのは、立体ですが、それを構成するのは平面なので、ある意味、二次元的な作業とも

言ってしまえない事もないのですが、平面に色を乗せるという絵画的な作業であっても、

とても造形的、立体的な作業だなと制作してて思いました。

やっぱり、立体造形と絵画には厳密な境界、明けるような埒はないですねえ。

完全にフラットな平面の絵なんてどこにも存在しないですね。

例えコンピュータグラフィックであっても、様々なフィルタ、レイヤーを多層的に並べて、
積み重ねて行って構成されているものですよね。


高校以降の自分は「絵」というものに若干のコンプレックスを抱いてしまって、ちょっと遠ざかった

ジャンルで頑張っていたつもりなのですが、最近は別段そこに線引きとかをする必要は

ないのではないかなと思ったりもします。


ここ最近、ほんの数日前、大学受験用の課題、補習で描いていたデッサンの画用紙の束を

発見して見返していますが、なんか、ひどいですねえ。

仕方なく、受験勉強で嫌嫌描いてるという体が露骨に表現されている。

とかく、3時間という区切りで、ある程度の密度の作業量を残さないといけないから

だだくさに汚い線を積み重ねているだけ。


モチーフも仕方なしに、だいたいのカタチを見るだけで、細部をしっかりと見ようともしていない。

筆記試験に例えるのなら、半分以上は山勘で、とりあえず解答用紙全部埋めた。という感じで

しょうかねえ。


おそらく、自分の絵が今までで一番評価されていたであろう、幼稚園、小学校の辺りってのは、

絵を描くのが好きか嫌いかで大体の評価が決まるものですよね。


子どもの描くレベルのスキルなんてたかが知れてる。


だから、自分は絵が得意だったのではなく、絵が好きだったんだろうなあ。


スポーツ選手と一緒で、絵を描くにおいても、いろんな場所で、どれだけの枚数を

描いていたか、どれだけ練習したかで絵というのは上手くなるものですよね。


どんな才能があろうとも、それなりの経験を積んでいなければ一流になんてなれる訳がない。

ちょっと褒められただけで勘違いして、舞い上がっているだけで、何の努力も無ければ

評価なんてされる訳ないんですよね。そんなレベルで評価して欲しいというのはただの

子どもじみた甘えでしかないですねえ。


まあ、自分に一番足りていなかったのは練習だと言う事を、30過ぎて気がつくというある種の

悲劇ですねえ。


まあ、しかし、裏を返せば、自分にはまだまだ、やるべき課題がいっぱいあるという事ですよ。

まだ、伸びしろは多く残されているということでもあります。


話をちょっと変えますが、

理想論を言うと、こういう美術、デザインの専門的な教育って、現状の学校教育では遅すぎると

思いますねえ。


大学で学ぶレベルのことは高校辺りの年齢で習得しているとその後が随分と違うと思うのですが。

その後の人生設計的に。

まあ、学校というのは指導要領上の制約で、たとえ生徒がそういう美術方面に進みたいと考えて

いたとしても、全ての生徒に均一に色々な教科をバランスをとらざるをえないですからねえ。


あと、高校の専門科に行くよりも、普通科行って、画塾通った方が筆記試験の関係で

美系の難関校に合格しやすいというのも何だか変な話ですねえ。


まあ、ですから、やるとするのならば、子どもの親御さん辺りがそういう環境を整えるしか

ないですよね。


何だろう、どんなジャンルでも、誰よりもいち早くはじめた人間、そういう環境にいた人間ほど

有利ですよね。


まあ、いろいろと御託を並べたところであっても、結局は続ける事を止めない、続ける事を続けて

行かない限り、良い結果というのは出ないですよね。


不器用な人間は不器用なりに前に進まなくてはなりません。



Play cat and an animal into a cardboard box.
Play cat and an animal into a cardboard box. posted by (C)かゆきゅう

「猫に段ボール」というのは「猫に小判」よりも語られるべき組み合わせではないかと思う。

猫の段ボール箱好きは異常ではないかと。


Backpacker encountered tourists group, like the feeling at that time.
Backpacker encountered tourists group, like the feeling at that time. posted by (C)かゆきゅう

先日窓から外を見てみると変な光景が。

電線にスズメの群れとヒヨドリが一羽だけ。すんごいバツが悪そう…。

えっと、すいません、この写真撮った後で調べるまで、ヒヨドリって全然知らなかった。
見た事あるけど名前何だろうな感じでした。

Yachoo!オンライン野鳥図鑑の検索性の高さはスゴイですね。

[形状イラストから調べる]の使い勝手のよさはなかなかないですよ。

植物、昆虫でもこういう図鑑があるといいなあ。



Tomei Expressway runs east toward.
Tomei Expressway runs east toward. posted by (C)かゆきゅう

庄内川堤防からの東名道の風景。わかりにくいですけど、
中央のトラックの向こうにある風力計と思われる風車を撮ってます。

Dark cloud emerges.
Dark cloud emerges. posted by (C)かゆきゅう

なんかやたら暗い雲出てるなと思ったらにわか雨まで降ってきたの図。

なんか、ここ最近の寒の戻りな天気で、まだ冬模様だよなあ。

寒いし、花粉飛んでるし良い事なしな天気だわ。

さて、準備、準備と。

卵殻塗装とクラックオレンジ。-Eggshell paint and crack orange.-


学校というのも、社会の縮図であり、学校内で起きるような問題は社会でも起きる。

もちろん、「いじめ」も社会である。

基本的に同学年のクラス内だけで、少々の差こそあっても、たかだか学生の持っている
力なんてたかが知れてる。

だけど、そういう一切の枠がない社会でのいじめってのは際限もないし、限度もない。
いじめる側は強大な権力、コネクション、財力を持っていて、一見、間違いのない、正しそうな
聞こえの良い正論で理論武装している。

自己の正義、利益を追求する事になんらおかしい事はないんだけど。それって、独善的で
自分勝手な側面がある。


枠がないから、事情もろくに知らない人間が首を突っ込んで事態を悪化させる。

勝手な決めつけで、ちょっと変なやつを、反撃する力のないやつを大声で誹謗中傷して
傷つけても自分のやってるに気がついてない、気がついてない振りをして、反省しない。

だって、みんながやってるし。みたいな言い訳をする。


重要な役割を任せられたから、仕事の出来ないやつを責めるのは当然。結果を出さないと
役を降ろされるから、当然、使えないやつは仲間に入れたくない。

だけど、表面上は「みんな平等に仲良くやりましょう」なんていい人でいようとする。

仲良しグループ内の仲間は大事だけど、他の連中の事なんて正直どうでもいい。

差別はいけないので、みんな平等に見てますとはいうが、数が多すぎていちいち見ていられない。
当然、肩書きとか成績で一定のラインを決めて、絶対に選ばれない人間がいるんだけど、
それは一応、内々だけの話でそんな差別はしていないという。

だった、最初から無理だと、差別してるって言ってた方がマシかもねえ。

期待していて裏切る事ほど酷い事はないよ。上っ面だけの優しさなんて暴力ですわ。


差別をするのはいかん事だけど、ヒステリックに差別だと糾弾すると、タブー化して、思って
るんだけど言わない。表面上は無いという扱いになる。

差別が不可視化されて、ますます事態を悪化させる事もあるよね。

思う事は自由。それを駄目だと言うのは簡単。

本当に必要なのは、その思ってる事ってのは「本当に正しいのか?」という疑問を当事者が
抱かなければ何の解決にもならない。

差別を差別してるだけだよ。


ぐだぐだこんな事を書いてても、仕方ないし、時間が勿体ないか。


まあ、なんか、今の日本を学校の学級に例えると、深刻に学級崩壊してる状態だよなあ。

という、雑感というか、最近の思う事。

まあ、世の中ってのはつまんないし、酷いし、めちゃくちゃなもんだよ。だから面白い部分もあるし。

面白き事も無き世を面白く。ってね。えーと、誰の辞世の句だったけか。


そいや、いじめってどんどん弱い人間に向かっていくよね。
そう考えると、学校のいじめって問題は始発でなくて終点なのかもな。

学校ってのは一種の模擬的な、練習的な社会。いわば、社会を映す鏡だよなあ。


まあ、何にせよ、人がどうのよりも、まず、自分が何をすべきかだよなあ。

自覚が無くても人を傷つけることもあるし、実際には起こっていなくても、事実でなくても、
思い込んで深く傷つく事もあります。

とかく、状況認識をしっかりしないとなあ。


まあ、ともかく、「いじめ、かっこわるい」



なんか、脈絡なくなってきたので、以下、制作過程の記録とその画像。


箱お絵かきとえんぎモンず。


Transport and Works exhibitions boxes.
Transport and Works exhibitions boxes. posted by (C)かゆきゅう

招きこがねの亜種シリーズという分かりづらいバージョンのウサギコガネと

オレンジ色のたぬき。ん、ちょっとカップ麺の名前ぽいかな。


白い絵の具は卵殻と白ペイントのミックス。表面のザラザラ感がたまりません。

なんかさ、卵殻って「ランカク」って書くと何だか六式使いみたいでかっこいいなあ。
はい、戯れ言です申し訳ない。

オレンジ色はまさにオレンジな色、いや、オレンジの色です。まあ、若干黄色っぽいけど。
オレンジ、ミカンなどの皮を乾燥させて粉砕してます。塗ったりしてると柑橘類の爽やかな
香りがして気分良いです。
ま、ただ、粉砕の仕方が悪いのか、水分を含ませると体積が膨張して、乾燥すると収縮すると
思いっきり、面白いぐらいにクラック、ヒビが入るので使いどころが難しい。
というか、むしろ、おいしいな。この、塗料として使いやすく調整されていない、ワイルドな質感は
面白いなあ。

赤は…、ランカク(赤玉の殻)とチューブの中で固まってしまって使えなくなった水彩絵の具を再利用、
というか、転用というか、サルベージしてます。

使わずに固化した絵の具って通常は捨てるしか無いんですよね。勿体ない事に。

色々な素材で、塗装実験してると絵の具って色を付ける為に作られてますから、そこいらの天然
素材の即席な顔料、染料なんかと比べるとすんごい発色いいし、耐久性も高いですから、何とか
利用してやりたかったんですが、私の制作スタイルというか、ポリシーなら何ら問題無く使えますね。


しかし、固まった絵の具ってどうやって入手すればいいんだろう。店頭では売ってないよね。


自分の作品って不用とされた素材で作ってこそ価値があるというか意味があるんですよね。
さすがに100パー、リサイクルとは行きませんけど。

ただ、バージンな、新しく生成された素材の良いクオリティ、ポテンシャルを全く使わないというのも
なんか頑なすぎて駄目だと思うんですよ。そこいら辺はバランスが大事です。


新しい部分と、古い部分が良いバランスで存在してこそ、良い調和、バランスが保てると思います。

作品に限らず、社会とか人間にしたってそうです。

今の社会の現状って完全にバランス崩れまくって不協和に陥ってるよなあ。

と、社会派ぽく装う。


Transport and Works exhibitions boxes.
Transport and Works exhibitions boxes. posted by (C)かゆきゅう

えびふらいさんの黄色は例の「クラックオレンジ」で。ヒビがちょっとフライの衣っぽくないですかねえ。

Transport and Works exhibitions boxes.
Transport and Works exhibitions boxes. posted by (C)かゆきゅう

手前のえんぎモンずは開運展で展示していたものですが、手前の鯛はそれから結構手が
加えられています。分かりづらいかも知れませんけど。

Mr. fried shrimp.
Mr. fried shrimp. posted by (C)かゆきゅう

えびふらいさんの衣にもクラックオレンジ塗装。

Transport and Works exhibitions boxes.
Transport and Works exhibitions boxes. posted by (C)かゆきゅう

これも招きこがねの亜種バージョンの赤カブト。
立体の方はただの赤ペイントなのでテカテカしてて感じが違うなあ。
つか、やっぱ二次元と三次元では何か違うな。


Transport and Works exhibitions boxes.
Transport and Works exhibitions boxes. posted by (C)かゆきゅう

一番でかいえびふらいさん。用の箱のボックスアート。
これも何だか、実物と違ってんなあ。
プラモとかのボックスアートだと違うじゃんってクレーム入りそうだなあ。
が、まあ、自分ってこういう仕様だからなあ。

緻密なものは作れないし、描けない。

面白みはあると、味があるとは自負しますが。



塗装作業の終わりが見えないな。8日までにどこまでクオリティ上げられるかだなあ。


そうそう、GAISAI#15のブースの場所が決定しました。

出展者名は「かゆかわきゅう」で、ブースは「A047」で、場所は開場入り口から見て左側の奥、

出展者のブースの中でも10本の指に入るトイレの近さですねえ。

角地で割と好物件ですね。

てなわけで、GEISA#15にお越しの際はトイレに行くついでに私のブースをご覧頂けたら
幸いでございます。


段ボール箱との死闘。-Death Match with a cardboard box.-

芸術であろうが宗教であろうが、何であれ、生きる上での自己の「しあわせ」について考える事には変わりはないのではないでしょうか。

それが作る側でも見る側でも。


幸福の第一歩というか、根本的な所に自己の抱える問題、悩みの解決というのがあります。

各々程度の差こそあっても、世の中、困っている人ばかりで、誰かに助けて欲しい人ばかり。で、兎も角、自分の問題を一番に、最優先に置きがちでないかと。


頼れる人間なんて周りに居ないから、結局、自分自身で解決しようと躍起になるんだけど、一向に目処が立たない。


自身の抱えてる悩み事というのは中々解決する事が難しい。

お金が無くて困ってる人間が、簡単にお金を持てる訳はない。お金の稼ぎ方が下手なのだから。
自分の不得意な能力を何のノウハウも無く、解消するのは至極難しい。

ただ、時間だけが過ぎて行く。

みんな救われずに疲弊していく。

倒れて行く。


逆に、自己の問題を解決するよりも自分の持つ得意な能力で他者の問題を解消していった方が、
多くの人が助かるのではないのかな。

自分の能力を自己の問題解決の為だけに使うのは正しいでしょうか。

自分が自分がと自意識が過剰なのは自分が救われたいだけで、他人の事が頭に入ってないからなのではないかな。

そんな自分勝手な奴が簡単に救われる程、世の中、甘くないよね。


などと、漠然と思いつつも、GAISAI#15に向けて準備中です。

まあ、何を思えども、言動が一致しないと抹香くさい説教となんら変わらないからねえ。
どう形にするべきかなあ。


そいやあさ、先日、クローズアップ現代でお寺の経営?でいいのか、とにかく、参拝者とか
檀家が減ってしまって坊さんの生活が立ち行かないというのを特集していましたが、

根っこの部分は同じなのかもしんないですね。

誰かから必要とされるからこそ、職業として成り立っている訳であって、誰も必要としないので
あれば坊さんもアーティストも要りませんよねえ。


さて、自分に何ができるのかなあ。と、暢気な事は言ってられないか。



以下、昨日までの作業風景。

段ボールを切り張りして、格闘しております。これが本当の段ボール戦記。

と、詰まらない冗句を書いたりしている時間の無駄遣い。


開運展でも展示した作品を入れる箱。当然ながらというか、今となっては、とてもありふれた運送に用いられる梱包材の王様。ダンボール。

地味な存在ではありますが、ダンボールができたことによって物流に与えた影響は計り知れないし、
日本の加工貿易、経済発展の足元を支えた要の素材であります。

物流で一回使われたダンボールの再利用。元々古紙を再生した素材を更に再利用。その上に更に再生パルプを盛るという再利用尽くしな箱です。


Transport and Works exhibitions boxes.
Transport and Works exhibitions boxes. posted by (C)かゆきゅう


Transport and Works exhibitions boxes.
Transport and Works exhibitions boxes. posted by (C)かゆきゅう


Transport and Works exhibitions boxes.
Transport and Works exhibitions boxes. posted by (C)かゆきゅう

Transport and Works exhibitions boxes.
Transport and Works exhibitions boxes. posted by (C)かゆきゅう

Transport and Works exhibitions boxes.
Transport and Works exhibitions boxes. posted by (C)かゆきゅう

Badger Magnet painted tea.
Badger Magnet painted tea. posted by (C)かゆきゅう

骨董品などのまがい物を古びた感じに細工するのに、紅茶などを使うらしいのですが、ちょっと実験的に塗装に使ってみました。この色にするまでに結構な回数かかってます。

塗装の染料、顔料ってのは意外な物も使えるかもしれませんねえ。通常は汚れとみなされるもので色をつけるというのも面白いかもしれません。

茶渋ってのは汚れの典型ですねえ。

Transport and Works exhibitions boxes.
Transport and Works exhibitions boxes. posted by (C)かゆきゅう

まだまだ、仕上げというわけではないのでどこまで手を加えられるか。

一番きつくて、面白い時間になってきました。


極力、楽しんでやれなきゃ、嘘ですなあ。