街に響く祈りの歌声。-Song of Prayer in the city sounds.-

さてさて、クリスマスイブの街からダットサンの如く、いや、脱兎の如く
帰宅して参りました。なんやかんやで骨付きチキンやら、イチゴの
ショートケーキも頂けましたので、なんやかんやでクリスマス気分を
それなりに満喫しております。

まあ、しかし、イブの日に、駅のロータリーに停車している、
いわゆる魔改造と言いますか、一般道路でドリフト走行やら
燃費の悪そうな爆音を響かせたりしそうな雰囲気の
特殊な改造を施された
トヨタのプリウス(現行型じゃなくて一代前)を見かけて、

ああ、これは、ちょっと前だとちょっと型の古めのクラウンを
いじりまくって、パーツ付けまくるような感覚なんだろうなあ。

と時代の流れを感じているのも束の間、

乗り込んだ電車に、ピチピチのホットパンツ、
福山雅治風に言うのならばホッパンを穿いた、おっさんに
遭遇という、未知なる邂逅をしてみたり、なかなか、おかしな
イブを送らせて頂いております。

まあ、かく言う自分も、昼ご飯にお手製のフィセルサンドイッチと
ふかし芋という、世にも奇妙な取り合わせを食するという
端から見られてしまったら、神経を疑われそうな事をしていますが。

今年もあと一週間となってしまいましたが、個人的には、
やり残した事が山積していて、

来年から、心機一転頑張ろう!

などと言っている余裕もなしに、
「思い立ったが吉日、それ以外は全部凶日」
な思いで、今年中にやれるところまでやらなければと
切迫している具合です。

今年は災害などで出出しに舞い上がってしまったのを
立て直せずにある種の冷静さを、客観性を見失って、
立ち直りきれずに、いろいろな勉強をさせて頂きました。

年始に大吉のおみくじを引き当てはしましたが、これは
その年内ではいろいろとツイていないとは思ったものの、
後で振り返ってみたら、2011年の経験が活きていたと
いうようなものでありたいですねえ。

と、年内最後の挨拶みたくなりましたが、年内にまだ
ブログ更新をする予定ですので、本年もまだまだ
ご愛顧くださいませ。

ともかく、皆様、メメント・モリー、いや、間違えました、
メリークリスマス。



パルプ造形デザイナー

かゆかわ きゅう

何とかと煙は高い所が好き。水は低い所を好む。-fools and smokes like high places, Water likes low places.-

ごくごく薄めたペイントを机の上に、正確に言うのならば
パルプの板の上に垂らして、それが板に吸収される、
溜まって流れる、違う色と混ざり何とも言えない色合い
に変わる様、水分を含んでいてグロッシィな光沢を
持っていた面が徐々に乾いていって、基材の表面の
凹凸、質感が現れて、マットな表情が顔を出してゆく
様をみていると、個人的な美意識、感覚からして、
とても とても とても 見ごたえのあるものだと思いつつも、
こういう感覚というのは一体どれだけの人に伝わるの
だろうかという疑問を抱え込んでしまう。

最近、パルプの表面処理、塗料などで着彩する際の、
パルプの風合いをなるべく損なわない仕上げというのを
探している。

どうにも、ただ、筆で塗るというのはどうにもしっくりとこない。

パルプの持つ、粗野で、自然な風合いの上に、人の
明らかな意図が見透かせてしまうようなタッチ、素材の
マダラな質感を一色で塗りつぶしてしまうような野暮で
不自然で不格好な表情はどうにも納得がいかない。

そういった点を何とかする方法として、よく薄めた塗料を
筆で塗りたくるのではなく、基材に落とす、垂らすというやり方
を実験するのではあるが、そこまで作為性を減らす、
モダンテクニック的な方法だと逆に制御ができなくなって
しまって手に余る。

別段、今更、抽象絵画を本格的に始めようという気もないので
もう少しバランスをとるべく、模索。

水というものは、高い所から低いところに流れるという、一見
誰もが知っているが、当然過ぎて、誰もが少し忘れがちな特性を
持っている。

つまり、液体の塗料を筆を使わずに制御する方法として、
高低差を使うという方法もあり得るのではないか。

平面ではなく、立体を扱っている事の強みもある。

実験してみる価値はあるかも知れない。

品質の差が商品としての優劣の差ではない。-High-quality products isn't good products.-

午後からピンホールカメラ展の受付当番。

当然と言えば当然ながら、出展者の方々とカメラの話を
するのですが、アナログのフィルムカメラという道具が
どんどんと進化して写真としてのクオリティが完成した所で
デジタルカメラが台頭し、

ある意味においてはアナログに劣る画質でありながら、
今やカメラといえば大概はデジタルで、アナログカメラ用の
フィルム、現像用の薬剤、本体やらの生産が急激に縮小
して無くなってしまったり、残ったものの、コストが割高に
なってしまって、ますます廃れていくのは、

弱肉強食といいますか、世の中の大半の人間というのは、
ものの質にこだわりをさほど求めていなくて、結局、決め手と
なるのは「今までにない新しさ」だったりするのかな。
と、刹那的な世の流れに一抹の寂しさを感じる所であります。


まあ、ですから、これからますます廃れていってしまうであろう、
アナログカメラをそこそこの手軽さで楽しめるのは今のうち
なのかもしれないですから、ある意味、これは貴重な体験を
するチャンスではないかとも思う次第です。

まあ、いわゆる、「バカでもチョンと押せば簡単に撮れるカメラ」
みたく、誰でもというのは無理ですが、だからこそ面白いです。

原始的、原初的な構造のピンホールカメラを自力で、改良を
重ねて、自分なりの完成度を目指すというのはとても楽しいです。

失敗、経験を積み重ねる事によって進化するカメラと一緒に
自分も成長するような、まるで、スポーツでもしているかの様な
面白さがありますねえ。

てなわけで、来年のピンホールカメラ展も参加したいなあという
気運が高まってきました。

今回は初の参加で、いろいろと気張りすぎたり、勝手が
分からなかったりで、暗中模索な感じでやってしまって、

中途半端にフィルムをデジタルに取り込んだりやって
しまいましたので、次回は引き延ばし機を自作しての、
印画紙に焼く所まで行けたら良いよね。

と、思いつつもどこまでやれるかは分かりませんが。

まあ、夢を見るのは自由です。


いきどおり、まかりとおる。-I say outrage claim.-

某放送協会の番組で、いわゆる名著と呼ばれるけれども難解で分かりにくい本を
25分×4回で要点を分かり易くまとめてくれるありがたい番組があるのですが、
最初の方は思想というか哲学などのノベライズではない著作が中心だったのですが、
ここに来て、日本人ならば殆どの人が読んだであろう、小学生でも読む事が出来る
文学作品を取り上げているのですが、その扱い方が酷い。

作者がこれはこういう経緯で書いたと語った。というものがほぼ無い状態で、
死後に発見されて出版されているものなのに、あたかもそれは全て間違いない
ものであるかのように断定されて妙に熱意を持って語られているのに著しく
違和感を禁じ得ない。

しかも、初回で、冒頭、真ん中を思いっきり端折って物語り上の結末をざっくりと
ぶちまけてしまうというのは、作品に対して失礼でないかと。デリカシーに欠ける
番組構成ではないかと。

作家の故郷に取材に言って、想像を巡らすのは自由ですが、それって、
好きな映像作品のモデルになった場所にいってブヒブヒと鳴いている、ちょっと
部外の人間からすると、どうにも引いてしまう、いわゆる「聖地巡礼」と大差が
ないのではないでしょうかね。

それを今年起きた未曾有の大災害となぞらえて、「可哀想」と上から哀れみの目
で見ている感じがしてとても、不愉快に思う。

作者は死を美化していない。といいつつも、番組の姿勢は「悲劇」というものに
酔ってはいないのだろうか。


個人的な価値観として、思想とか信念を説いた本ならそれを著した人間の
生き様というのは大事なのかも知れませんが、あくまで創作、物語であれば
それを書いた人間の生き様、善人とか悪党であるといった類のものは
トリビアみたいなもので、それほど重要でもない。特に、もう亡くなってしまった
人間の善し悪しなんて一種のキャラづけみたいなものです。

「これを書いた人はこんなにいい人だから作品も素晴らしい」というのは

ちょっと頭が良くなさそうな女子高生が友達との会話で
「この前、コンビニのレジでお金が100円ぐらい足りなくて、焦ったら、
店員のお兄ちゃんが100円出してくれた~。マジでいい人じゃね?」

と言ってるのと同じぐらい主観的で他愛のない事。

その店員のお兄ちゃんが本当にいい人なのかは会った事がないと分からない。
人が絶賛する作品が素晴らしいかは読んだ本人しか決められない。

人の善悪なんてものは案外、「働きアリ」の法則のように、
ある組織から悪人を抜くと残った人間の何割かが悪事をしだす、または、
悪人ばかり集めた組織の何割かが善人になる。みたいな事だったり
するものかもしれません。

観念であって、定規であって、価値感であって、実体が在るわけではない。

まあ、話を逸らしましたが、要は、今まで気に入って見ていたテレビ番組が
変わってしまって非常に残念だということです。



展示情報:創作ピンホールカメラとその写真展 Vol.8-Exhibition information.-

本日、「創作ピンホールカメラとその写真展 Vol.8」の
搬入に行ってきました。


会期は2011年12月14日(水)〜19日(月)まで
開場は午前11時から午後7時(最終日は午後5時で終了)
会場は名古屋、栄、ナディアパークの
国際デザインセンター・4階デザインギャラリーです



カメラもデジタル化が随分と進んで高性能でハイスピード、ネットにも
簡単にアップロードなどなど、もはや、アナログカメラととは別物の
様なぐらいに変化していますが、アナログならではの、ハンドメイド
ならでは面白さというのはあります。

カメラというものは現在、メーカーが作った製品を使うのが当たり前で、
素人が作るなんてとてもとても難しいと思われますが、穴を開けた箱と
フィルムか印画紙があれば成立します。

しっかりとしたものを、くっきりとした絵を撮るには技術が
要りますし、ある程度の知識が必要で、なかなか上手く
撮る事は難しいです。

いくつかの失敗を繰り返して、なんとかモノになるカメラ、写真が
できた時の感動というのはプライスレス。

どんどん自分で改良、開発する楽しさ、
「ここをこうすると、こういうものができないだろうか?」と
想像するのは詰まらない筈がない。

決してお手軽ではありませんが、人に用意してもらった娯楽にはない
面白さがある。


てなわけで、深く楽しむにはそれなりの知識が要求されるもの
ではありますが、個人的にはとてもユニークで面白いものが
展示されてると思います。少しでも興味を持たれた方は
ご覧になって頂けたら幸いでございますです。


おまけ?

先日の投稿の大黒屋画廊さんの「ART IN BOX」展の私の
作品なのですが。


参加する際にしっかりとした説明を聞いていなくて、でも、展示名に
「IN BOX」とあるので、よくよく考えてみれば、箱の中に入ってる
作品、というよりは、箱から出てしまっているどちらかと言うと
「ART OUT BOX」みたいな感じですね。ピンホールカメラの搬入
の帰りに画廊に立ち寄った際にそんな感じの指摘を受けて
気が付きました、というよりも、薄々は感じていました。

まあ、展示のルールに則っているのか微妙ではありますが、
個人的には小さな箱に押し込めるのは何だか「引きこもり」
みたいな感じがして、個人的な「内から外に出たい」という
欲求が表れているものだと自己分析してみます。

まあ、しかし、ひとつの題目、テーゼに対してアンチテーゼを
 投げかける事もいわゆるアートの世界では良くやられている事
 ではありますよね。

ルネサンスとか印象派とかダダイズムとか。まあ例を
挙げても恐らくキリが無いですけれども。


それがリアルだなんて、思ってる奴の幻想に過ぎない。 -Reality is an illusion that people are watching.-

いわゆる普通と称される、ごくごく平均的な環境、身体能力、精神状態
三拍子揃った人間からすれば、家から出て電車に乗って街まで
ゆく事なんて平気の平左なのだろうけども、その一つが欠けている
自分からすると、意外にそれは割と容易ではないのかも知れない。

目的や場所にもよるけれども、基本的に徒歩、もしくは自転車だけでは
済まない位に離れた場所に行くのは簡単に考えられがちだけれど、
そうではない。例えば、小学校の低学年の子どもが行くとなると、
簡単な事と割り切れない。もしくは、急遽、海外で暮らさなければ
ならなくなった人間が電車に乗って街まで出るまでには言語的に、
土地勘的に高いハードルがある。

遠出をする事に限らず、そうやって、あり得る可能性を想像する事が
できるのは大事ではあるけども、だけれども、それをやり過ぎると、
自分が対処できない事態に出くわすのではないかと、好ましくない事が
起こってしまうのではないかと考えてしまうのは別段、特殊な人間と
いう訳ではないと思う。

そして、現実にそういったアクシデントなどに遭遇してしまった人間は
また遭遇するかも知れないと少なからず恐れてしまうし、その出来事の
トラウマ、不快感を避けたいと自己防衛を始める人もいるのだろう。

完全な防御を決め込むとその人は「ひきこもり」と呼ばれる存在に
なる。

その、ひきこもりになる、ならない の分水嶺、明らかな埒は
それでも出かけるか否か。

今日はどんな日なのか、良い日なのか、悪い日なのか、それは
終わってみなければ分からない。

昨日の事はどうだったかは誰でも分かるけど、明日の事が分かる
人はいない。予測はできるけど。

今日という日が生きにくいのは昨日ばかりを見ているからなのだろう。
昨日を省みながら、嫌な事に遭わないように「安心」とか「安全」とか「安定」
で身を固めるのは人間って、弱いものだから仕方ないけど、でも、そこに依存
しすぎても良い事はないよね。

何が起こるか分からなくて怖くでも、明日というものに積極的に関わって
行かないと、向かって行かないと、結局は上手く回らない。

今の日本に必要なのは、そういう事なんじゃないのかな。


みたいな事を、外出の準備に手間取ってなかなか出られなくて
予定の時間を少し過ぎてから家を出て、歩いて駅に向かい
ながら考えた。




どうして、あの時にこうしてしまったのだろうという後悔というのは
常に人生においてしてしまうものである。

見たくもないものを見てしまった時に、自分の中の現実という
価値観、指標が、甘ったれた、実に幼稚でいい加減なものだと
思い知らされる事は残念ながら、よくあるものである。

そんな事はいわゆる「いい大人」になってしまった人間ならば
分かりきったことではあるのだけれども、しかし、そう分かった
つもりでいても、驚き、打ちのめされることはまだまだ沢山ある。

社会人の鉄則に「5分前行動」というのがある。私の場合はもっと
神経質で、慣れていない状況だと30分以上余裕を持たせる事が
割とよくある。

大小様々なロスタイムが生じても大方は問題ないのだが、日によっては
殆どロスタイムが発生しなくて、予想以上にスムージィーに現地に
到着なんて事がある。

まあ、しかし、予定時間に間に合うにしてもそれには限度というものが
あって、30分も早いと、相手に迷惑を掛けてしまいかねないので、
やはりここでも5分前というのが問題のない所だろう。

という訳で、時間を調整するために栄の錦三近辺のコンビニを
目的なく、はしごしてみる。という、なんとも意味があるのか
どうか疑問の余地があまりない事をあえて断行してみた。

普段、コンビニなんて殆ど行かない、寧ろスーパーマーケット
の方が気軽に入れる人間なのに。


名古屋でも屈指の繁華街、ビル街ということもあって、こんなに必要
なのだろうと思うぐらいコンビニエンスストアが100メートル毎に
あるような気がする。そしてなぜかやたらと目にする
「デイリーヤマザキ」 それほど歩いているつもりもないのに3店も
あった。

フタのラベル部分が良く見えるように陳列されているカップ麺の
商品ロゴが達筆すぎて読めないと思ったら、上下逆さまだった。
その昔、バイトで商品陳列をやった事のある人間としては
見過ごせずに直して、特に何も買う訳でもなく店を出た。


どこのコンビニチェーンだかは忘れてしまったが、某国民的
有名漫画家の作品を原作としている映画とのコラボとやらで、
いろいろな商品がその映画のキャラをあしらったものに
なっていたのだが、それを集めた棚に陳列されていた
丸い飴を棒をさしたキャンディ、チュッパチャップスなのか
は確認していないが、それが入った箱の中に何故か、
無造作に置かれた「ベーコン巻きおにぎり」が…。

誰が悪いとか杓子定規的に言うつもりはない。
お店の雰囲気というのは店員だけが作るものではなくて、
そこに出入りするお客というのも大切だと考える。

ちゃんと商品を元の場所に戻さない客も悪いが、
おそらく、昼、もしくは朝の混雑時にされたと予想される
ものが夕方の段階で商品棚のチェックがなされていない
のは店の管理が行き届いてるとは言い難い。

ま、そんな些細な事からうまく回っていない現実世界を
突きつけられて、感慨深げに反応してしまうのは
如何なのだろう。

と、ふざけ半分で始めたコンビニ巡りを少し後悔するのでした。



というわけで?先日告知したART IN BOX展のオープニング
パーティに出席してきました~。

どうにもこういう場では人に話掛けられなくて、今回初参加で
知り合いの方もいませんので、思いっきり「ぼっち」になって
しまいましたが、なんか、こういう経験に慣れてるのか、以前なら
手持ち無沙汰で、内心、「やべぇ、やべぇ、どうしよう!!」的に
キョドってしまうのですが、なんだろう、今回は妙に開き直って、
気ままに飲食しつつ、気を使って話掛けて下さった画廊のスタッフの
方と少し話などをしつつ、基本、ぼっちでありながら、ぜんぜん
寂しくないという、端から聞くとやせ我慢に見えなくもない不思議な
楽しい時間を過ごさせて頂きました。

まあ、こういうパーティというのはその場の雰囲気もありますよね。

そういえば、画廊の方から、私の作品を観て、私の事を知ってると
おっしゃった豊橋から来た方は誰だったんだろう。おそらくは
この前、半年前の大学の同窓会展に参加した造形大のOGの方
だとは思いますが、世間は狭いというか、意外な所で繋がる
ものですなあ。

展示場所はちょっとわかりにくいかも知れませんけど、画廊の入り口
から、壁づたいに観ていって、入り口の方向に折り返した時に見える
壁面にあります。

すんごい異形な感じでKYかもしれませんけど、観に行って頂ければ幸い
でございます。


ちこく、ちこく、ちこく、こくち。 -Exhibit announcements too late.-

展示情報


2011年12月10日(土)~18日(日)
GALLERY COLLECTION VOL.8 -ART IN BOX-
大黒屋画廊

2011年12月14日(水)~19日(月)
創作ピンホールカメラとその写真展8
ナディアパーク4階 デザインギャラリー





展示直前になってしまうと、作品を作る事や、ちゃんと展示が
できるのだろうかとか、そもそもこんな展示をする事にどんな
意味があるんだろうか、こんな事をしている自分は何なの
だろうとかを考え出すと、もうどうにも躁鬱な感じになってきて
どうにも、制作だけでも一杯一杯になってしまって告知関係が
二の次になりがちになるのはどうにかならないものかなと。

搬入に出る直前、展示場所に向かう道程の息苦しさといったら
ない。搬入に関わる以外の行動が極端に困難である。しかし、
搬入を終えての開放感は他に比べるものがない。


いろいろと場数を踏んでいるけど、まだまだ慣れきれない
し、直らない。

しかし、そういう部分というのは果たして経験でどうにかなる
ものとは限らないし、完治なり根治というのはあり得るの
だろうか。

とどのつまり、そういう不得手な部分を意固地になって
どうにかしようとする事は不自然で、出来ないことは
出来ない。そういう体質なのだからと諦めて開き直って
居直るのもひとつの方策ではないのだろうかとも考える
次第ではあります。

てなわけで、DMの類は全く出せませんでした。ごめんなさい。

まあ、DM、つまりダイレクトメール。案内告知葉書を出す
というのも厳密に考え出すと難しいものではあります。
ある種の社会人、業界人としてもマナーというのは何にも
付いて回ります。

バリバリにこなせる人間ならばバシッと決められるのでしょうが、
やれない人間からすると、デザイン、レイアウト、入れるべき
情報から始まり、適切なタイミングはどこだろうかとか、
最終的には送る際に貼る切手の柄、模様は何が良いのだろう
という、割とどうでも良いと思いつつも、ここら辺がちゃんと
やれるかの違いが、結構大事なのかも知れないとか
考えると頭の中がフリーズするのは分かってはいる。

と、平常時は迷いなく言えるが、大概、DMを出さなければ
いけないタイミングは大概、追い詰められ掛けてて、一番
物事がはかどらないで、内心はジリジリとアラームが鳴り
響いてる、サッカー実況で言うところの「今が一番辛い時間帯」
であったりする訳です。

と、いう訳で、タイミングを逸してしまいました。申し訳ありません。

ART IN BOX展は今日からです。クリスマスの買い物がてら
栄にお出かけのついでなどにいかがでしょうか。