街に響く祈りの歌声。-Song of Prayer in the city sounds.-

さてさて、クリスマスイブの街からダットサンの如く、いや、脱兎の如く
帰宅して参りました。なんやかんやで骨付きチキンやら、イチゴの
ショートケーキも頂けましたので、なんやかんやでクリスマス気分を
それなりに満喫しております。

まあ、しかし、イブの日に、駅のロータリーに停車している、
いわゆる魔改造と言いますか、一般道路でドリフト走行やら
燃費の悪そうな爆音を響かせたりしそうな雰囲気の
特殊な改造を施された
トヨタのプリウス(現行型じゃなくて一代前)を見かけて、

ああ、これは、ちょっと前だとちょっと型の古めのクラウンを
いじりまくって、パーツ付けまくるような感覚なんだろうなあ。

と時代の流れを感じているのも束の間、

乗り込んだ電車に、ピチピチのホットパンツ、
福山雅治風に言うのならばホッパンを穿いた、おっさんに
遭遇という、未知なる邂逅をしてみたり、なかなか、おかしな
イブを送らせて頂いております。

まあ、かく言う自分も、昼ご飯にお手製のフィセルサンドイッチと
ふかし芋という、世にも奇妙な取り合わせを食するという
端から見られてしまったら、神経を疑われそうな事をしていますが。

今年もあと一週間となってしまいましたが、個人的には、
やり残した事が山積していて、

来年から、心機一転頑張ろう!

などと言っている余裕もなしに、
「思い立ったが吉日、それ以外は全部凶日」
な思いで、今年中にやれるところまでやらなければと
切迫している具合です。

今年は災害などで出出しに舞い上がってしまったのを
立て直せずにある種の冷静さを、客観性を見失って、
立ち直りきれずに、いろいろな勉強をさせて頂きました。

年始に大吉のおみくじを引き当てはしましたが、これは
その年内ではいろいろとツイていないとは思ったものの、
後で振り返ってみたら、2011年の経験が活きていたと
いうようなものでありたいですねえ。

と、年内最後の挨拶みたくなりましたが、年内にまだ
ブログ更新をする予定ですので、本年もまだまだ
ご愛顧くださいませ。

ともかく、皆様、メメント・モリー、いや、間違えました、
メリークリスマス。



パルプ造形デザイナー

かゆかわ きゅう

何とかと煙は高い所が好き。水は低い所を好む。-fools and smokes like high places, Water likes low places.-

ごくごく薄めたペイントを机の上に、正確に言うのならば
パルプの板の上に垂らして、それが板に吸収される、
溜まって流れる、違う色と混ざり何とも言えない色合い
に変わる様、水分を含んでいてグロッシィな光沢を
持っていた面が徐々に乾いていって、基材の表面の
凹凸、質感が現れて、マットな表情が顔を出してゆく
様をみていると、個人的な美意識、感覚からして、
とても とても とても 見ごたえのあるものだと思いつつも、
こういう感覚というのは一体どれだけの人に伝わるの
だろうかという疑問を抱え込んでしまう。

最近、パルプの表面処理、塗料などで着彩する際の、
パルプの風合いをなるべく損なわない仕上げというのを
探している。

どうにも、ただ、筆で塗るというのはどうにもしっくりとこない。

パルプの持つ、粗野で、自然な風合いの上に、人の
明らかな意図が見透かせてしまうようなタッチ、素材の
マダラな質感を一色で塗りつぶしてしまうような野暮で
不自然で不格好な表情はどうにも納得がいかない。

そういった点を何とかする方法として、よく薄めた塗料を
筆で塗りたくるのではなく、基材に落とす、垂らすというやり方
を実験するのではあるが、そこまで作為性を減らす、
モダンテクニック的な方法だと逆に制御ができなくなって
しまって手に余る。

別段、今更、抽象絵画を本格的に始めようという気もないので
もう少しバランスをとるべく、模索。

水というものは、高い所から低いところに流れるという、一見
誰もが知っているが、当然過ぎて、誰もが少し忘れがちな特性を
持っている。

つまり、液体の塗料を筆を使わずに制御する方法として、
高低差を使うという方法もあり得るのではないか。

平面ではなく、立体を扱っている事の強みもある。

実験してみる価値はあるかも知れない。

品質の差が商品としての優劣の差ではない。-High-quality products isn't good products.-

午後からピンホールカメラ展の受付当番。

当然と言えば当然ながら、出展者の方々とカメラの話を
するのですが、アナログのフィルムカメラという道具が
どんどんと進化して写真としてのクオリティが完成した所で
デジタルカメラが台頭し、

ある意味においてはアナログに劣る画質でありながら、
今やカメラといえば大概はデジタルで、アナログカメラ用の
フィルム、現像用の薬剤、本体やらの生産が急激に縮小
して無くなってしまったり、残ったものの、コストが割高に
なってしまって、ますます廃れていくのは、

弱肉強食といいますか、世の中の大半の人間というのは、
ものの質にこだわりをさほど求めていなくて、結局、決め手と
なるのは「今までにない新しさ」だったりするのかな。
と、刹那的な世の流れに一抹の寂しさを感じる所であります。


まあ、ですから、これからますます廃れていってしまうであろう、
アナログカメラをそこそこの手軽さで楽しめるのは今のうち
なのかもしれないですから、ある意味、これは貴重な体験を
するチャンスではないかとも思う次第です。

まあ、いわゆる、「バカでもチョンと押せば簡単に撮れるカメラ」
みたく、誰でもというのは無理ですが、だからこそ面白いです。

原始的、原初的な構造のピンホールカメラを自力で、改良を
重ねて、自分なりの完成度を目指すというのはとても楽しいです。

失敗、経験を積み重ねる事によって進化するカメラと一緒に
自分も成長するような、まるで、スポーツでもしているかの様な
面白さがありますねえ。

てなわけで、来年のピンホールカメラ展も参加したいなあという
気運が高まってきました。

今回は初の参加で、いろいろと気張りすぎたり、勝手が
分からなかったりで、暗中模索な感じでやってしまって、

中途半端にフィルムをデジタルに取り込んだりやって
しまいましたので、次回は引き延ばし機を自作しての、
印画紙に焼く所まで行けたら良いよね。

と、思いつつもどこまでやれるかは分かりませんが。

まあ、夢を見るのは自由です。


いきどおり、まかりとおる。-I say outrage claim.-

某放送協会の番組で、いわゆる名著と呼ばれるけれども難解で分かりにくい本を
25分×4回で要点を分かり易くまとめてくれるありがたい番組があるのですが、
最初の方は思想というか哲学などのノベライズではない著作が中心だったのですが、
ここに来て、日本人ならば殆どの人が読んだであろう、小学生でも読む事が出来る
文学作品を取り上げているのですが、その扱い方が酷い。

作者がこれはこういう経緯で書いたと語った。というものがほぼ無い状態で、
死後に発見されて出版されているものなのに、あたかもそれは全て間違いない
ものであるかのように断定されて妙に熱意を持って語られているのに著しく
違和感を禁じ得ない。

しかも、初回で、冒頭、真ん中を思いっきり端折って物語り上の結末をざっくりと
ぶちまけてしまうというのは、作品に対して失礼でないかと。デリカシーに欠ける
番組構成ではないかと。

作家の故郷に取材に言って、想像を巡らすのは自由ですが、それって、
好きな映像作品のモデルになった場所にいってブヒブヒと鳴いている、ちょっと
部外の人間からすると、どうにも引いてしまう、いわゆる「聖地巡礼」と大差が
ないのではないでしょうかね。

それを今年起きた未曾有の大災害となぞらえて、「可哀想」と上から哀れみの目
で見ている感じがしてとても、不愉快に思う。

作者は死を美化していない。といいつつも、番組の姿勢は「悲劇」というものに
酔ってはいないのだろうか。


個人的な価値観として、思想とか信念を説いた本ならそれを著した人間の
生き様というのは大事なのかも知れませんが、あくまで創作、物語であれば
それを書いた人間の生き様、善人とか悪党であるといった類のものは
トリビアみたいなもので、それほど重要でもない。特に、もう亡くなってしまった
人間の善し悪しなんて一種のキャラづけみたいなものです。

「これを書いた人はこんなにいい人だから作品も素晴らしい」というのは

ちょっと頭が良くなさそうな女子高生が友達との会話で
「この前、コンビニのレジでお金が100円ぐらい足りなくて、焦ったら、
店員のお兄ちゃんが100円出してくれた~。マジでいい人じゃね?」

と言ってるのと同じぐらい主観的で他愛のない事。

その店員のお兄ちゃんが本当にいい人なのかは会った事がないと分からない。
人が絶賛する作品が素晴らしいかは読んだ本人しか決められない。

人の善悪なんてものは案外、「働きアリ」の法則のように、
ある組織から悪人を抜くと残った人間の何割かが悪事をしだす、または、
悪人ばかり集めた組織の何割かが善人になる。みたいな事だったり
するものかもしれません。

観念であって、定規であって、価値感であって、実体が在るわけではない。

まあ、話を逸らしましたが、要は、今まで気に入って見ていたテレビ番組が
変わってしまって非常に残念だということです。



展示情報:創作ピンホールカメラとその写真展 Vol.8-Exhibition information.-

本日、「創作ピンホールカメラとその写真展 Vol.8」の
搬入に行ってきました。


会期は2011年12月14日(水)〜19日(月)まで
開場は午前11時から午後7時(最終日は午後5時で終了)
会場は名古屋、栄、ナディアパークの
国際デザインセンター・4階デザインギャラリーです



カメラもデジタル化が随分と進んで高性能でハイスピード、ネットにも
簡単にアップロードなどなど、もはや、アナログカメラととは別物の
様なぐらいに変化していますが、アナログならではの、ハンドメイド
ならでは面白さというのはあります。

カメラというものは現在、メーカーが作った製品を使うのが当たり前で、
素人が作るなんてとてもとても難しいと思われますが、穴を開けた箱と
フィルムか印画紙があれば成立します。

しっかりとしたものを、くっきりとした絵を撮るには技術が
要りますし、ある程度の知識が必要で、なかなか上手く
撮る事は難しいです。

いくつかの失敗を繰り返して、なんとかモノになるカメラ、写真が
できた時の感動というのはプライスレス。

どんどん自分で改良、開発する楽しさ、
「ここをこうすると、こういうものができないだろうか?」と
想像するのは詰まらない筈がない。

決してお手軽ではありませんが、人に用意してもらった娯楽にはない
面白さがある。


てなわけで、深く楽しむにはそれなりの知識が要求されるもの
ではありますが、個人的にはとてもユニークで面白いものが
展示されてると思います。少しでも興味を持たれた方は
ご覧になって頂けたら幸いでございますです。


おまけ?

先日の投稿の大黒屋画廊さんの「ART IN BOX」展の私の
作品なのですが。


参加する際にしっかりとした説明を聞いていなくて、でも、展示名に
「IN BOX」とあるので、よくよく考えてみれば、箱の中に入ってる
作品、というよりは、箱から出てしまっているどちらかと言うと
「ART OUT BOX」みたいな感じですね。ピンホールカメラの搬入
の帰りに画廊に立ち寄った際にそんな感じの指摘を受けて
気が付きました、というよりも、薄々は感じていました。

まあ、展示のルールに則っているのか微妙ではありますが、
個人的には小さな箱に押し込めるのは何だか「引きこもり」
みたいな感じがして、個人的な「内から外に出たい」という
欲求が表れているものだと自己分析してみます。

まあ、しかし、ひとつの題目、テーゼに対してアンチテーゼを
 投げかける事もいわゆるアートの世界では良くやられている事
 ではありますよね。

ルネサンスとか印象派とかダダイズムとか。まあ例を
挙げても恐らくキリが無いですけれども。


それがリアルだなんて、思ってる奴の幻想に過ぎない。 -Reality is an illusion that people are watching.-

いわゆる普通と称される、ごくごく平均的な環境、身体能力、精神状態
三拍子揃った人間からすれば、家から出て電車に乗って街まで
ゆく事なんて平気の平左なのだろうけども、その一つが欠けている
自分からすると、意外にそれは割と容易ではないのかも知れない。

目的や場所にもよるけれども、基本的に徒歩、もしくは自転車だけでは
済まない位に離れた場所に行くのは簡単に考えられがちだけれど、
そうではない。例えば、小学校の低学年の子どもが行くとなると、
簡単な事と割り切れない。もしくは、急遽、海外で暮らさなければ
ならなくなった人間が電車に乗って街まで出るまでには言語的に、
土地勘的に高いハードルがある。

遠出をする事に限らず、そうやって、あり得る可能性を想像する事が
できるのは大事ではあるけども、だけれども、それをやり過ぎると、
自分が対処できない事態に出くわすのではないかと、好ましくない事が
起こってしまうのではないかと考えてしまうのは別段、特殊な人間と
いう訳ではないと思う。

そして、現実にそういったアクシデントなどに遭遇してしまった人間は
また遭遇するかも知れないと少なからず恐れてしまうし、その出来事の
トラウマ、不快感を避けたいと自己防衛を始める人もいるのだろう。

完全な防御を決め込むとその人は「ひきこもり」と呼ばれる存在に
なる。

その、ひきこもりになる、ならない の分水嶺、明らかな埒は
それでも出かけるか否か。

今日はどんな日なのか、良い日なのか、悪い日なのか、それは
終わってみなければ分からない。

昨日の事はどうだったかは誰でも分かるけど、明日の事が分かる
人はいない。予測はできるけど。

今日という日が生きにくいのは昨日ばかりを見ているからなのだろう。
昨日を省みながら、嫌な事に遭わないように「安心」とか「安全」とか「安定」
で身を固めるのは人間って、弱いものだから仕方ないけど、でも、そこに依存
しすぎても良い事はないよね。

何が起こるか分からなくて怖くでも、明日というものに積極的に関わって
行かないと、向かって行かないと、結局は上手く回らない。

今の日本に必要なのは、そういう事なんじゃないのかな。


みたいな事を、外出の準備に手間取ってなかなか出られなくて
予定の時間を少し過ぎてから家を出て、歩いて駅に向かい
ながら考えた。




どうして、あの時にこうしてしまったのだろうという後悔というのは
常に人生においてしてしまうものである。

見たくもないものを見てしまった時に、自分の中の現実という
価値観、指標が、甘ったれた、実に幼稚でいい加減なものだと
思い知らされる事は残念ながら、よくあるものである。

そんな事はいわゆる「いい大人」になってしまった人間ならば
分かりきったことではあるのだけれども、しかし、そう分かった
つもりでいても、驚き、打ちのめされることはまだまだ沢山ある。

社会人の鉄則に「5分前行動」というのがある。私の場合はもっと
神経質で、慣れていない状況だと30分以上余裕を持たせる事が
割とよくある。

大小様々なロスタイムが生じても大方は問題ないのだが、日によっては
殆どロスタイムが発生しなくて、予想以上にスムージィーに現地に
到着なんて事がある。

まあ、しかし、予定時間に間に合うにしてもそれには限度というものが
あって、30分も早いと、相手に迷惑を掛けてしまいかねないので、
やはりここでも5分前というのが問題のない所だろう。

という訳で、時間を調整するために栄の錦三近辺のコンビニを
目的なく、はしごしてみる。という、なんとも意味があるのか
どうか疑問の余地があまりない事をあえて断行してみた。

普段、コンビニなんて殆ど行かない、寧ろスーパーマーケット
の方が気軽に入れる人間なのに。


名古屋でも屈指の繁華街、ビル街ということもあって、こんなに必要
なのだろうと思うぐらいコンビニエンスストアが100メートル毎に
あるような気がする。そしてなぜかやたらと目にする
「デイリーヤマザキ」 それほど歩いているつもりもないのに3店も
あった。

フタのラベル部分が良く見えるように陳列されているカップ麺の
商品ロゴが達筆すぎて読めないと思ったら、上下逆さまだった。
その昔、バイトで商品陳列をやった事のある人間としては
見過ごせずに直して、特に何も買う訳でもなく店を出た。


どこのコンビニチェーンだかは忘れてしまったが、某国民的
有名漫画家の作品を原作としている映画とのコラボとやらで、
いろいろな商品がその映画のキャラをあしらったものに
なっていたのだが、それを集めた棚に陳列されていた
丸い飴を棒をさしたキャンディ、チュッパチャップスなのか
は確認していないが、それが入った箱の中に何故か、
無造作に置かれた「ベーコン巻きおにぎり」が…。

誰が悪いとか杓子定規的に言うつもりはない。
お店の雰囲気というのは店員だけが作るものではなくて、
そこに出入りするお客というのも大切だと考える。

ちゃんと商品を元の場所に戻さない客も悪いが、
おそらく、昼、もしくは朝の混雑時にされたと予想される
ものが夕方の段階で商品棚のチェックがなされていない
のは店の管理が行き届いてるとは言い難い。

ま、そんな些細な事からうまく回っていない現実世界を
突きつけられて、感慨深げに反応してしまうのは
如何なのだろう。

と、ふざけ半分で始めたコンビニ巡りを少し後悔するのでした。



というわけで?先日告知したART IN BOX展のオープニング
パーティに出席してきました~。

どうにもこういう場では人に話掛けられなくて、今回初参加で
知り合いの方もいませんので、思いっきり「ぼっち」になって
しまいましたが、なんか、こういう経験に慣れてるのか、以前なら
手持ち無沙汰で、内心、「やべぇ、やべぇ、どうしよう!!」的に
キョドってしまうのですが、なんだろう、今回は妙に開き直って、
気ままに飲食しつつ、気を使って話掛けて下さった画廊のスタッフの
方と少し話などをしつつ、基本、ぼっちでありながら、ぜんぜん
寂しくないという、端から聞くとやせ我慢に見えなくもない不思議な
楽しい時間を過ごさせて頂きました。

まあ、こういうパーティというのはその場の雰囲気もありますよね。

そういえば、画廊の方から、私の作品を観て、私の事を知ってると
おっしゃった豊橋から来た方は誰だったんだろう。おそらくは
この前、半年前の大学の同窓会展に参加した造形大のOGの方
だとは思いますが、世間は狭いというか、意外な所で繋がる
ものですなあ。

展示場所はちょっとわかりにくいかも知れませんけど、画廊の入り口
から、壁づたいに観ていって、入り口の方向に折り返した時に見える
壁面にあります。

すんごい異形な感じでKYかもしれませんけど、観に行って頂ければ幸い
でございます。


ちこく、ちこく、ちこく、こくち。 -Exhibit announcements too late.-

展示情報


2011年12月10日(土)~18日(日)
GALLERY COLLECTION VOL.8 -ART IN BOX-
大黒屋画廊

2011年12月14日(水)~19日(月)
創作ピンホールカメラとその写真展8
ナディアパーク4階 デザインギャラリー





展示直前になってしまうと、作品を作る事や、ちゃんと展示が
できるのだろうかとか、そもそもこんな展示をする事にどんな
意味があるんだろうか、こんな事をしている自分は何なの
だろうとかを考え出すと、もうどうにも躁鬱な感じになってきて
どうにも、制作だけでも一杯一杯になってしまって告知関係が
二の次になりがちになるのはどうにかならないものかなと。

搬入に出る直前、展示場所に向かう道程の息苦しさといったら
ない。搬入に関わる以外の行動が極端に困難である。しかし、
搬入を終えての開放感は他に比べるものがない。


いろいろと場数を踏んでいるけど、まだまだ慣れきれない
し、直らない。

しかし、そういう部分というのは果たして経験でどうにかなる
ものとは限らないし、完治なり根治というのはあり得るの
だろうか。

とどのつまり、そういう不得手な部分を意固地になって
どうにかしようとする事は不自然で、出来ないことは
出来ない。そういう体質なのだからと諦めて開き直って
居直るのもひとつの方策ではないのだろうかとも考える
次第ではあります。

てなわけで、DMの類は全く出せませんでした。ごめんなさい。

まあ、DM、つまりダイレクトメール。案内告知葉書を出す
というのも厳密に考え出すと難しいものではあります。
ある種の社会人、業界人としてもマナーというのは何にも
付いて回ります。

バリバリにこなせる人間ならばバシッと決められるのでしょうが、
やれない人間からすると、デザイン、レイアウト、入れるべき
情報から始まり、適切なタイミングはどこだろうかとか、
最終的には送る際に貼る切手の柄、模様は何が良いのだろう
という、割とどうでも良いと思いつつも、ここら辺がちゃんと
やれるかの違いが、結構大事なのかも知れないとか
考えると頭の中がフリーズするのは分かってはいる。

と、平常時は迷いなく言えるが、大概、DMを出さなければ
いけないタイミングは大概、追い詰められ掛けてて、一番
物事がはかどらないで、内心はジリジリとアラームが鳴り
響いてる、サッカー実況で言うところの「今が一番辛い時間帯」
であったりする訳です。

と、いう訳で、タイミングを逸してしまいました。申し訳ありません。

ART IN BOX展は今日からです。クリスマスの買い物がてら
栄にお出かけのついでなどにいかがでしょうか。

毎日おいしいご飯が食べられる事以上のしあわせは在るか?-More than happy to eat a delicious dinner there every day?-

なんでも、流星群が観られるらしく、Twitterのトレンドにも
「#流星群に何お願いする」というハッシュタグがトレンドに入って
いたりして。

まあ、こんな願掛けというのは大して益体のないものでは
あるのですが、こういうときににパッと自分自身の願いが出て
こないというのは、あまり、望ましくないというか、
生きている甲斐がないですよね。

例えば「毎日おいしいご飯が食べられますように」という
お願いがある場合。
額面通りに受け取れば、なんとも慎ましくも、幼稚な願いのような
印象を受けますが、

真の意味で「おいしいご飯」というのは何でしょうか。

一級や特級の厳選した食材、料理人や職人がその経験、技術、知識を
惜しみなく費やして完成した逸品。
というのはほぼ、間違いのなくおいしいものであるでしょう。

しかし、それを食べる人間の健康状態、精神状態などの
コンディションが万全でなければ、おいしく感じないかも知れない。
それどころか、
食べるという気も起きないこともあり得る。

「空腹は最高のソース」であって、
料理を食べる人間がおいしく頂こうという気持ちを
持って、食べられるお腹の状態でいなければ、どんなような
御馳走を、満漢全席を もてなされても、
苦痛にすら感じるものです。

適度に空腹でいるには適度に労働なり、運動なり、仕事を
していなければお腹は空きません。
それに食い扶持を稼がなければ生活というのは
成り立ちません。なんの努力もせずにタダ飯を食らっていては
本当においしい食事はあり得ません。
食べ物の価値が分からないまま、それを手に入れる苦労を
感じられなければありがたさを自覚しないまま
貪り食らうのはある意味、生命に対する冒涜でもあります。

ですから「働かざる者食うべからず」です。

食事というのは労働に対する対価である部分、ある種の報酬的な
部分もあります。「仕事の後の一杯」がおいしいのも同じような事かと。

料理というのは味覚が一番大事のような気がしますが、思っている
以上に視覚、触覚、痛覚、聴覚などの様々な感覚使っているもの
ということだそうです。

あ、痛覚も書いてるのは、唐辛子などの辛みを感じているのは
味覚ではなくて痛覚だという事です。

そして気持ちとか、記憶による部分も重要なものなのだそうです。

人間の特定の食物の「好き嫌い」というのは経験によるものが大きいもの
で、例え、おいしいものであっても、それを食べる前後に怒られたとか
悲しいとか、苦しいとか、嫌な記憶、辛い事があると、
そのおいしかったものが嫌いになってしまうことがある。

そして、食事というのはコミニケーションですから、一人で寂しく食べる
というのは、やはり、味気のないものです。

学校という、私が随分と遠ざかった場所には、友達を作れなくて
一人で昼ご飯を食べなくてはいけなくて、それを
他の友達のいる連中に見られたくないから、個室のトイレでご飯を
食べる、いわゆる「便所飯」というものがあるそうなのですが、

確実に「しあわせ」から限りなく遠い所にいるのは間違いないですね。


まあ、いろいろと「食べる」事について、だべって来ましたが、
ここ最近考えるに、思うに、おいしいご飯が食べられたと思った日
というのはしあわせである事の証左ではないかと。

一見、じつに下らない願いですが、そこに含まれる幸福感は
とても大事であると思います。

美味しいご飯の食べられない人生はしあわせであり得ません。

ノーフード、ノーライフです。




情熱に代わる資産なし。-No alternative to enthusiasm assets.-

先日、様々な企業が集まるイベントに行く機会がありました。
まあ、通常ならば、そんな所へは行く事もないのですが、私は
経営者って感じの人種でもないですし。

イベントで意中の出展ブースを探すという行為はインターネットで
検索するのと良く似ていますねえ。

引っかかり易いサイトなり、コンテンツは、イベント会場における
出入り口、経路にまっすぐにつながる通路に面したブース。

出てきにくいサイトというのは特に用でもなければ人が来そうに
ない、場所が良くないブース。

まあ、それであっても、見つけられる人は必要な情報、探している
ブースにたどり着くものです。これはネットでも同じかと。

いろいろな企業、会社が集まるということは、ビジネスのパートナー
を探すという側面は多大にありますよねえ。専門技術、ノウハウを
持っていても 製品を流通させる方法が無かったり、資金が無ければ
どうしようもないですし、逆に、独自の新しい商品を探したり、有望な
投資、融資の先を探すというのもあります。

まあ、探しているのがどういった相手であれ、最終的にパートナーとして
組むかどうかというのは、相手の熱意であったり、やる気であったり、
積極性であったりしますよね。いくら、実績を見せつけられてもそれらが
感じられないと、どうにも決められないものです。

まあ、仕事なので、お金というのは大事なんですが、どうせなら気持ち
よく仕事したいですし、熱意のない人間と組んでも成功しそうな気が
しませんし、期待もできかねます。

情熱などのメンタルなものを、貯蓄と同じものでコツコツと積み
重ねて行くと。立派な財産になるかと。

どんな事であれ、日々の積み重ねがものをいうものです。

継続は絶対的な力になり得ます。

作品も1日にして成りません。たとえ、即興的に1日で出来上がった
としても、それは、そこに至るまでの思考、経験、技術、知識、作業
などの蓄積があるものです。

アートに於いても、継続性というのは大事です。

結局の所、一定の作業を日々蓄積できる熱意、情熱、態度を持てる事
ほど大切な財産は無いという事ですかね。

まあ、他愛のない、ありふれた感情論と言われるかも知れませんが、
でもそれが人生をより良く生きる為の究極的な事ではないだろうかと
 考える次第です。

そう考えつつ、脾肉を当座の花にしつつ、日々精進する次第。

情熱はお金で買えません。もしかしたら、ある種の才能ですかねえ。

道具が変われば表現も変わる? -Expression changes probably also change the tool.-

ペンタブレットで絵を描く際に、MacならPhotoShopが入れてあるものの、Windowsのネットブック
には高機能なソフトが入っていないのでろくに使ってもいなかったのだけれども、何の気なしに、
ComicStudioの簡易版で遊んでみたら面白いねえ。グラフィックソフトでも、特にマンガを書く事に
特化したソフトだけあって今まで使い慣れたソフトとはまた違う感じがします。

簡易バージョンといえどかなり本格的な機能が入ってる。感覚的にいわゆるペイント系とドロー系
で言うところのドロー系のソフトな感じですが、描線の描き心地がペイント系な感じでとっつき
やすくてサクサク描ける。トーン貼るのがなんか楽しいなあ。

まあ、お遊び半分で機能もフルに使えてませんけど、良い刺激になりました。まあ、これから
マンガを描くか否かと言われると定かではないですけど、いろいろ遊んでみましょうかと思います。

お話を考えるって結構難しいというか、ある種の羞恥心を克服しないとできないものです
からねえ。まあ、自己表現を生業とするものが羞恥心を持って、自己を表現することに
物怖じしてしまうというのは何とも頼りない感じがしていけませんねえ。

ただ、その葛藤に打ち克った者だけが本物の表現者なのではないかととも思う次第であります。

技術よりもまず、表現に対する姿勢って大事ですね。夢はでっかい方が良いのですが、その夢に向かって踏み出した途端に、現時点の自分の無力さを思い知ってしまって、自分の無謀さに気がついてしまって、そこで止まってしまう事は往々にしてあります。

そこで更に先に進む勇気を持てるかが大事であったりします。

自己の無謀さに気がつけない鈍感な人間が一流の表現者になる事はないです。ある程度、自分の思いだけでなく、周りの状況、現実をしっかりと見極められる人間でなければ。


と、自分自自身にも、とても耳の痛い事を叫びつつ、まあ、頑張りましょう。

って、別にマンガを描くという訳でもないですよ。自己表現全般の話です。




失われかけた冬の風物詩。-Lost tradition in winter times.-

ハローウィンというケルト民族由来のお祭りも終わりまして、さすがにアイコンがハロゥイーン
仕様なままだと、なんだかメリハリが残念な感じなので、戻そうかと思いましたが、ただ戻す
というのも何だか味気ないので新規に描いてみました。

当初の案では、防寒着的な物でフル装備な状態を描いたりもしたのですが、やはり、
冬と言えば、「コタミカ」こと、こたつにミカンですよ。

ここ最近ではコタツが家庭から無くなってしまっった。なんて話を耳にはさみます
けれども、震災以降のエネルギー効率を重視する風潮からか、コタツが見直されている
らしいのですけれども、まだまだ、復活とも呼べない現状かと思います。

そのコタツ家庭の減少に伴って、ミカンの消費量も落ちているらしいですねえ。って、
いつぞやもネタにした気が。

ともかく、果たして、冬の風物詩である「コタミカ」の復権は出来るのでしょうか?

つづく…のかな。



春を待つミノムシの夢-Wait for spring alligator dream-

まだカメラが故障する前に撮っていた写真の投稿がされないままに下書きで
残っていたのでそのまま放置するのも勿体ないと思いましたので、この
タイミングでアップしておきます。もう11月なんですよねえ。早いものです。


春を待つミノムシの夢-Wait for spring alligator dream-
春を待つミノムシの夢-Wait for spring alligator dream- posted by (C)かゆきゅう


ジュウガツザクラ'Autumnalis' Higan Cherry
ジュウガツザクラ'Autumnalis' Higan Cherry posted by (C)かゆきゅう

十月にも咲くからジュウガツザクラ。でしょうねえ。安直なネーミングでは
あるものの、濁音混じりでちょっと仰々しいく長い響きは嫌いじゃないです。

桜とミノムシという組み合わせはなかなか無いというか、ミスマッチな感じで
おもしろいです。

そうそう、ミノムシは英語でバッグワーム。蓑の部分が鞄に見えるんでしょうねえ。
名前ってのは身近なものから付けられるもの。という典型ですねえ。

まあ、最近はあえて違う言語から持ってきてネーミングする事も多いかと思います。
特に商売関係のもの、新しいものという印象を与えたい場合は聞きなれないもの
にするものですねえ。

で、ミノムシの英語なんですが、もう一つ、アリゲーターというのがあるそうです。
Google翻訳で最初にミノムシの英語訳で表示されたのがアリゲーターでした。
何かの間違いだろうと、いろいろ検索してみたのですがどうやら本当の様です。

まあ、確かに蓑のゴツゴツした感じはアリゲーター、ワニの背中に見えなくも
ないですねえ。

いやあ、言葉ってホント、面白いものですねえ。

Treat or Treat. お菓子をくれないなら出すまで要求します。

はい、十月も半ばを過ぎてもう今年もあと僅かですねえ。…今年は本当に色んな事があり過ぎました。来年こそは…などと、こんな早い時期から鬼に笑われる事をしても、しょうもないですわ。

ツイッターのアイコンをハロウィン仕様にしてみたのですが、やっぱアイコンにはシンプルさが求められますねえ。個人の所感としてはアイコンとしてはイマイチ微妙なのですが、原画サイズでは割合上手く描けてるつもりなので自画自賛しつつ、大きいサイズのをココに貼って晒し者の刑に処してみます。



まあ、そもそもは別段、季節ネタのアイコンとかやる気はなかったのですが、ふと思いついてサラサラと描いたのが意外にハマってましたので、これをトリミングして、そのままアイコンにしてしまおうとも思ったのですが、どうにもトリミングがキッチリと決まらないので上のをタブで描いてみた次第ですわ。


で、そもそものこのネタは、庄内川を散歩中に恐ろしく錆びて尖ったフォーク状の農具が川岸に漂着しているのを見たのがキッカケであったりします。

そうなると、先日の豪雨がなければおそらくはこの絵は描いていないんだろうと思います。豪雨の結果、川の、河川敷の状態も随分と変わって、通常っであれば背の高い草などが生い茂って入れない様な場所、以前はその場になかった漂流物などあるわけで、まあ、こういうシュチュエーション自体も一期一会なわけですねえ。

まあ、川から発祥して、キャラに反映されるという過程がなんだか、七福神の弁天様は元々は蛇の神様でその蛇の神様の元となったのがインドの川とかいう話を思い出したりしております。

流れ着いた悪魔のフォークDevil's Fork stranded

てなわけで、先日の投稿の彼岸と落日の川とゴールデンロッド -Golden rod and the equinoctial sunset river-」の「逆縁起もん(さかえんぎもん)」シリーズとも言えなくもない、「むしのくに」しょうたハロウィンバージョンでした。 立体化は…するのか分かりませんけど。

彼岸と落日の川とゴールデンロッド -Golden rod and the equinoctial sunset river-

堤防を歩いていて、その傾斜にいつの間にか真っ赤な彼岸花が咲いている。先日の豪雨の影響で漂着した残骸をものともせずに咲いている赤い花を見ると、確かにある種の不気味さを感じざるを得ないですねえ。

ちょっと昔の日本では大水やら、川の氾濫というのは毎年のどこかで必ず起きて、その度に甚大な被害、犠牲というのは出ていたのではないかと想像するのですが、そんな悲惨な出来事があった後の川原に、いきなり真っ赤な花が点々と咲き出したりしたら何らかの関連性を感じてしまうのは人間として当然のことかも知れない。

まあ、しかし、そういうものと関連付けられる花というのもなんだか可哀想な気がする。
黒猫とかカラスとかコウモリに不吉なイメージを抱くのと同種のものなのかな。

ホラーというかオカルトというか。

縁起が悪い。つまりは、負の縁起物。悪い、不気味というのも、縁起物の一部かもしれないですねえ。良薬口に苦しというか。毒は薄めて適量使えば薬にもなるというものです。

西洋の建物の外壁などの装飾としての悪魔の像、ガーゴイル。日本の家屋の屋根に置かれる厳つい表情の鬼瓦。など、本来は不吉、怖いものを逆に破魔、厄除け、魔除け、お守りにするというものひとつのあり方です。

そいや、縁起物の筆頭、招き猫は色によってご利益というのか、効能が違うそうで、黒の招き猫ってのは「厄除け」だったような覚えがあります。まあ、黒猫が不気味ってのは西洋から来た、舶来のイメージらしいですけど、それと関連があるのか、それとも偶然の一致なのか知りませんけど。色としてのイメージで赤白黒ってのは生命の根源的なもので、特に黒ってのは「死」のイメージでしたっけ。

なんにせよ、災い転じて福と成す。禍福はあざなえる縄の如しですかねえ。

逆縁起もん。新シリーズが出来るかもしれません。

と、いったことを散歩中に考えた。というと様になるのかもしれませんが、すいません、今この文章をタイピングしているうちに思いつきました。

カメラ持って出ると、散歩してるんだか、撮影しているのか分からない次第です。

のめりこんでくると草むらだろうが何だろうが被写体に向けて猛進してしまうことがたまにありますこの動画のように。




まあ、しかし、眼レフデジで短焦点レンズの醍醐味であるボケをかましまくって撮影した画像って
サムネイル画像にするとイマイチ見栄えがしませんかねえ。トリミングとかするべきなのかなあ。

PCモニタ上でフルサイズの画像を拡大して「うわ。これヤベえ」って結構、興奮するんですけどね。

構図がイマイチなんかなあ。

てなわけで、リンク先のフォト蔵で元サイズの画像を見て頂けると幸いです。


収穫。-Harvest.-

セイタカアワダチソウ-goldenrod-

ススキと庄内川-Miscanthus and Shonai River-

志段味観測所 Shidami gauging station

川辺で埋もれる。 -Buried by the riverside.-

影の木と落日-Shade trees and sunset-

水辺の終日。-Riverside dusk-

運命の歯車は未だ空回り続ける。Fate still idled gear continues.

駆けつけ3本といいながら4本でしたね。読み返して気がつきました。

震災以前、私は東京でGEISAIというアートのイベントに出展しようとしていて、それが震災の影響をモロに被って中止と相成ったわけでございますが、今後もこのようなイベントは続いてゆくのだろうと、ぼんやりと考えていたのですが、どうやら今後は、規模をやや縮小して、出展者も絞り込んでいく方針に運営側が方針を変えたようですね。そのレギュレーションの条件、年齢制限に引っかかってしまいまして、そのレギュレーションがこれから変更なければもう、参加の機会がなくなってしまいました。

まあ、そもそもは東京方面に営業をかけるとっかかりとして、ごくごく軽い、浅はかな考えで、エントリーしたものなので、別段、主催者を崇拝している訳でもないのでそれほど深刻に考えてはいませんけどね。まあ、若い連中を集めた方がシンパとか派閥を作りやすいですよね。


まあ、しかし、今年も空回ってる感はハンパないですねえ。嫌な事が続いてる。って気のせいですよ。禍福はあざなえる縄の如しというものです。ピンチはチャンスでチャンスはピンチなんですよ。



まあ、コツコツと活動は続きます。このつくし型、つくし系のランプシェードの制作の様に。

ひとつの事をやり続けられるのが一流のやることです。コロコロとやる事が変わるのは三流ですかねえ。まあ、迷ってしまって右往左往してしまうのはじつに人間くさくてそれはそれで良いとも思いますが、それを認めてくれるほど世間は広大ではないですかね。近しい人は認めてくれるかもしれませんけれども。










動画動画動画動画。videos videos.

随分とお暇しておりました。更新を再開致しますです、はい。最近はバンザ~イ展も

なんとか無事に終了し、若干のサプライズというか、避難勧告というか、避難指示が

あったりとか、なかったりとかしましたが相変わらずの三歩進んで二歩下がるという、

実に、人生はワンツーパンチな、人生は重い荷物を背負いて坂道を登るが如しな、

楽観も悲観もできない、真ん中の気持ちの両端をぐらりくらりと揺れ動いている最中で

あったり、なかったりします。


まあ、どのようにも変化する状況であれ、自分自身のやるべき事は変わらない。そう思って
行動していく事は変わりがない。そう信じていたい今ではあります。

まあ、しかし、7年間、曲がりなりにも「デザイン」と名の付く科に在学していた為か、基本的な
ロジックはそう簡単には変われないようで。最近は用の美というよりは、美術的な側面で活動
していた様に自分としては思うのですが、工芸、英語で言うところのクラフト的な方向性はやはり
自分の中では主軸であろうと考える私があります。


工芸というのはデザインの一分野として含まれています。クラフトデザインという言葉があるぐらいですから。やはり、代表的なものと言えば、ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフト運動でしょうかねえ。


工芸というのは素材とその加工技術に依存するものです。その両方に精通していなければ成立しません。


パルプ、もっと広げて紙というのも工芸の素材として歴史の長いもので、紙というものが誕生してかなり早い段階で、再利用、リサイクルも行われていたようです。


更に言うと、日本では伝統工芸で紙というと和紙であります。張り子細工とか、名前を失念し
ましたが、使い終わった台帳などを貼り固めて柿渋などを塗った実用品など、再生パルプとさほど変わりのないものもありましたが、それらの職人は今日ではあまり見かけないようです。


明治以後、紙の主流は、記録媒体としての紙は「和紙と筆」から、「洋紙とペン」に移り変わり、和紙はそれ以前と比べて随分と需要が減ったそうです。

洋紙の再利用を前提とした工芸はそれ程多くはないのではないでしょうか。いくら電子化が進んだとは言え、紙というのは日常的にまだまだ使われているものです。資源の有効利用というのはどの時代でも、重要な事です。

高度経済成長期に日本の物作りを支えたものに、段ボールという画期的な梱包材があった事は
それほど知られていませんかねえ。某ロボットアニメのタイトルに「ダンボール」と付いていたりも
しますけれど。古紙という不用になった資源を利用して軽くて丈夫な梱包材を作ったのは、「ドイツ人が土から爆薬を作った」に匹敵するぐらいのすごい事だと思ったり、というのは言い過ぎですか
ねえ。

たとえ話で「砂漠で砂を売ることが出来るのが一流のビジネスマン」というような話をどこかで聞いた
気がしますが、どこにでもありふれたものから新たに新しい物、価値あるものを作り出すのが一流
のアーティスト、デザイナー、クリエーターではないでしょうかね。


そんな存在に私はなりたい。と思う次第であります。

なんというか、決意表明みたいなものに文量を割いてしまいましたが、ここからがこの投稿の本題です。ごめんなさい。

いかんせん、パルプ造形というのは世間的にマイナー過ぎて見向きもされないというか、存在すら知られていないのですが、まあ、地道に広報活動をすることはパルプ造形家として重要な仕事、果たすべき責務であると思うのですが、こつこつとウェブ上で広報してはおりますが、なんというかリアクションが薄いですね。同じ手段、同じ方法で延々と続けるのも精神的に辛い物ではあります。


なので、ちょっと方針を変えてみて、作業風景を動画で撮影してアップしまくるという、半ば公開ワークショップ的な事を始めてみたいと思います。


とりあえずの駆けつけ三本です。



紙をパルプに戻す。そのいち。

Paper back into pulpOne of them.


紙をパルプに戻す。そのに。

Paper back into pulpThe two.




紙をパルプに戻す。そのさん。


 Paper back into pulpThe three.


チョコの包み紙をひたすら剥がす作業

Working earnestly to peel the chocolate wrappers.



必ずしも観やすい映像ではない点はお詫び申し上げます。さすがに最後まで観る方はそうそう
いませんよね。


まあ、しかし、映像で改めて自分の作業を見返すと、なんというか客観的に自己を観られるような
気がしてきますね。腕毛って映像だと結構目立つなあ。とか。いや、まあ冗談として。作業の効率化ができそうな、できないような。仕事量とスピードがまだまだ遅いかなと。

まあ、自分の課題が見えてくるというのは良い事だと思います。

訂正情報。主に名古屋造形OB、OGの方向け。

名古屋造形大学の同窓会誌の43号の30ページに
 「ライブマーケット09ブースコンテストグランプリ受賞展」が記載されて
いますが、その会期の日付、
二〇一一年十一月三日〜八日」となっておりますが、
これは二〇一〇年の誤りです。
去年の「開運展」の展示情報となっておりますのでくれぐれも
お間違いのないようにお願い致します。

今年は展示の予定はありません


↓開運展に関連する投稿

開運展の全日程を完了しました(2010/11/05)
http://sp9-ky9.blogspot.com/2010/11/blog-post_09.html

開運展4日目。(2010/11/07)
http://sp9-ky9.blogspot.com/2010/11/4.html

開運展二日目。超ローアングル版動画。(2010/11/05)
http://sp9-ky9.blogspot.com/2010/11/blog-post_05.html

展示初日。(2010/11/04)
http://sp9-ky9.blogspot.com/2010/11/blog-post.html

展覧会情報:『バンザ~イ(/ ^o^)/展』

遅きに失した感がありますが、ここに告知致します。

9/10土曜日〜9/25日まで愛知県常滑市のアトリエキューノさんにて
『バンザ~イ(/ ^o^)/展』を開催しております。

17(土)、18(日)、19(月、祝)にはワークショップを開催します。参加費500円で
パルプ製のマグネット、ペン立てなどに絵付けや千代紙、布などを貼って頂けます。
作った作品は勿論お持ち帰り頂けます。

映画「20世紀少年」のロケ地にもなった昭和の風情が色濃く残ったやきものの
散歩道を散策がてらお立ち寄り頂ければ幸いでございますです。

DMイメージ4
DMイメージ4 posted by (C)かゆきゅう



↓アトリエキューノさんのブログの告知記事
http://atquno.exblog.jp/13544718/




↓以前撮った常滑の街並などの写真 
 


↓常滑関連の過去記事。

Tokoname walk walk.「常滑わくわく」 2011/07/26

作品を置かせて頂きました。I was allowed to put the works in the gallery. 2010/11/13

氷見の港と金沢名所めぐりツアーのようなもの。-Himi Fish Harbor and Kanazawa attractions around. Like a tour.-

さて、本日から9月です。

早速、8月を振り返る事からスタートしよう。
夏休みも終わりに差し掛かると、「夏休みがずっと続けば良いのに」と
どうしようのない思いを巡らせるのはほとんどの人に科せられた運命
みたいなものですねえ。

ただ、夏休みに限らずですが、冬休みも同様ですが、学校の長期休暇
というものにはもれなく、その休暇期間に応じた課題なり、宿題が
付いてくるものです。

ずっと終わりの無い夏休みを過ごしている人がもしも居るのならば、
その人はそれ相応の宿題を抱えているものではないでしょうかね。

さて、まあ、それは置いといて。

お盆休みに富山県の氷見、石川県の金沢を日帰り旅してきました。

日本海側はあんまり行ったことないから。というのが大体の理由ですかね。

去年は開運展に絡んで縁起物調べを兼ねて愛知県内の瀬戸、常滑を回って
お盆には信楽のタヌキを観にいったりもして、全く関連ないかなと思って
いたら、金沢に着いてから、「あれ、金沢というと九谷焼があるじゃん」
と土産ものを見て気が付つくという計画性の無さ…。

以前に瀬戸の招き猫ミュージアムで見た九谷焼の豪華な絵付けの招き猫を
見てすごく気に入っていたんですが、まさか図らずも去年の続きになって
いるとは少しビックリでした。

まあ、それはそれとして。まず最初に氷見にむかったんだったっけか。


DSC_7555
DSC_7555 posted by (C)かゆきゅう

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DSC_7646 posted by (C)かゆきゅう

三色の信号が縦配列なのは積雪対策なのかなと、眺めていると
港の近くで、忍者ハットリくんの看板やら、銅像が…。
あれ、忍者だったら、三重県の伊賀、滋賀県の甲賀ジャネ?
と思いつつ。後日調べたら、藤子不二雄先生は両方とも
富山県出身で、A先生は氷見市出身だったんですなあ。

漁港近くの道の駅到着。

まあ、氷見と言えば、ブリが有名だけど、時期じゃないよね。
朝ご飯に何か食べるとこ無いかと探してみるけど、レストラン
みたいなとこはまだ営業してない。で、隣のうどん屋さんは
営業してるみたい。というか、氷見ってうどんが名物なのな。
いいねえ、うどん。うどん専門店っていいよね。蕎麦が無いって
いいよね。蕎麦アレルギー持ちとしては。

まあ、うどんを食べてみたい所ではあったけど、キトキト定食なるもの
を頂く。うどん屋さんだから流石に汁物が美味しかった。ワタリガニの
みそ汁だったかな。観光地にしてはコスパが高いと思たよ。

市場的なお店はイロイロあるけど、流石に鮮度は抜群だったけど、
まあ、それなりのお値段でしたわ。

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DSC_7712 posted by (C)かゆきゅう

腹ごなしがてら港をブラブラ。こういうところだと
望遠系のレンズが使いやすいよね。うみねこ?が集まってる所を
パシャってみる。

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DSC_7747 posted by (C)かゆきゅう

良さげな橋を下から。

さて、文量も増えてきたのでここで一旦終了。
以下、次回予告的に金沢で撮った写真など。

オヤスミナサイ。






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DSC_7815 posted by (C)かゆきゅう

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DSC_7828 posted by (C)かゆきゅう

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DSC_7849 posted by (C)かゆきゅう

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DSC_7854 posted by (C)かゆきゅう

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DSC_7874 posted by (C)かゆきゅう

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DSC_7877 posted by (C)かゆきゅう

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DSC_7922 posted by (C)かゆきゅう

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DSC_7926 posted by (C)かゆきゅう

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DSC_7935 posted by (C)かゆきゅう

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DSC_7952 posted by (C)かゆきゅう

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DSC_8021 posted by (C)かゆきゅう

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DSC_8126 posted by (C)かゆきゅう

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DSC_8148 posted by (C)かゆきゅう

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DSC_8173 posted by (C)かゆきゅう


つくつくぼうしのなく夜に。-Type of cicada's cry at night.-

ある日、目が覚めるとそこは腐海だった。

いろいろな物で溢れかえっているが、そこに置いたが最後、
どうしてもそれが必要な時に見つからないという魔の空間。
なぜこれがここに存在しているのか、忘れられ、放置された、物の墓場。

今まで自分はなぜこんなあまりにも混沌とした場所に居たのだろうか?

今日の自分には理解できない。分からない。思い出せない。

吐き気がする。虫酸が走る。心が毛羽立つ。
こんな所に居る自分自身を疑う。信じられない。


本来、「穢れ」ケガレというものは汚れるとか、汚くなるという意味ではなくて、
ハレの日の「ハレ」と対を成す言葉、日常であるケの日の「ケ」が涸れたり枯れる
事、つまり、平常の日々の暮らしが送れなくなった状態を指す言葉なのだそうな。

まあ、今の自分の現状に即した、何とも当意即妙な事だろう。

物ってのは使える状態で持っていないと意味がない。いざというときに見つからない
物というのは役に立たない、持ってる意味がない。ただひたすら空間を満たして
圧迫するだけの、良くありふれた、使い古された言葉で言うところの「ゴミ」でしかない。

そんなゴミに押しつぶされ、二進も三進もいかず、ゴミの山で悶えてる自分というのは
なんとも馬鹿馬鹿しい話だなあ。

とある有名な漫画のとある話。狭い穴から手が抜けなくなった男が、医者に腕を切って
もらうが、結局その男の腕が抜けなかった理由は手に宝石というか高価な物を握っていた
からなんだそうだが、まあ、そんな男に似た愚しさだなあ。自分。

欲を出して手に余るものを持っていても何にもならないねえ。

押してダメなら引いてみろ、掴んでダメなら離してみましょう。

といった、今日の、作業に移ろうにも使いたい物が見つからず、仕方なしに部屋の整理整頓を
始めるも、探し物は見つからず、片付けているはずの部屋はより散らかり出す始末…。

まあ、そんな類の悔恨な懺悔の反省文でした。


君の未知なる宇宙の物語展以降、パルプにクレヨンなり、オイルパステルでの色つけが
表現としての相性が良いと考えて、実験及び、調べ物をしてみたのですが、クレヨン、
オイルパステルの特徴、特性である、固形油脂、蝋の柔らかさは塗るには良いが、
保存性の観点からすると、塗装面の色材が安定しない上に、固着させるための決定的な
方法が見当たらないので、いかんともしがたい状態なのですが、ではオイルパステルの
オイル抜き。つまり、パステルを用いてはどうかという仮定の過程で実験してみました。
パステルならばフキサチーフでなんとか出来るはずですから。

大学時代に買い込んだ画材群に確かあった筈だと、軽い気持ちで腐海探検を始めたの
でした…。

まあ、長い長い探検の物語はまた別の話として、パステルを使うのは問題無いようです。
パルプとの相性は良いですねえ。

まあ、ただ、こすって広げる際に、指が痛いのを何とかしないと。一旦、手製絵具を
塗った後のザリザリ具合は紙ヤスリのようです。紙などでこすると紙がボロボロですわ。


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さくさくっと制作日記。-Write a diary pulp molding production quickly.-

お盆がマジかってぐらい間近になってますねえ。まあ、世界経済的に
ちょいとヤバげな雰囲気で、今年は何があっても不思議じゃないですねえ。

まあ、だからといって疑心暗鬼になったところで何にもなりませんけどね。

まあ、経済も色々な指針やデータで騒ぎになったりしますが、最終的というか、
暴落なり高騰する背景には「信用」っていうけっこう曖昧で感情的というか、
感覚的な事だったりしますよね。

現実がどうかではなくて、実感を伴うか否かが一番重要だったりしますよね。

信じられるかどうか。

そんな事が重要ってなんだか宗教じみてますねえ。


まあ、それは、置いておいて、制作日記です。


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万歳展(仮)イメージを塗装作業。貼り作業。色のバランスがまだアレかな。
写真写りが悪いだけ。と思いたい。ちなみに左が使用前、右が使用後。


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塗料の実験で以前、鉄さびで塗料を作ってみたのの延長で、
使用済みホッカイロで塗装してみた。
ホッカイロは鉄粉が化学反応で酸化する過程で発生する熱を利用している
というのを小耳に挟んでいたので意外と入手が大変な鉄さびを割合簡単に
入手出来ると思いきや、使い終わったホッカイロには何か非常に固い粒が
混ざっていて、乳鉢ではちょっと擦っても砕けない位に固い。
酸化していない鉄の粒だろうかねえ。

まあ、細かく砕くのは諦めてそのままボンドを混ぜて水を入れて塗装してみる。
左のウサギっぽい画像の目とか、万歳展(仮)のイメージの線描的な部分に
使用してみた。色としては面白いかもしれません。

まあ、今後も色材の実験は続けてゆきます。

日々此制作日記。-This is the usual production diary.-

制作日記を久々に書きます。最近は制作一辺倒で、ブログ更新やら、営業活動やらが
後回しになりがちです。

物理的にも精神的にもパッツンパッツンの一杯一杯で、届かないところには
手が届いていないといいますか。

雑事とかお出かけが億劫ですねえ。まあ、展示のスケジュール的には気が抜けない
タイミングなんで、正直、制作以外のことはすんごいどうでもよさげです。

こんなタイミングで会議とか話し合いなんてとてもじゃないけど時間の無駄にしか
思えなかったりします。

お盆前にメドをつけておかないと、デスマーチが聞こえてきますわ。

まあ、それでも心に花を、ボロは着てても心は錦的な感じで余裕を醸し出して
いられる存在に私はなりたい。

ま、そんな詮無い事なんてどうでもよいです。本題いきましょう。


以下、制作中画像。


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先日の「君の未知なる宇宙の物語展」でちっちゃいキャラ造形群をほぼ
使い切ってしまったのでその補充及び、万歳展(仮)向けのちびキャラ達を
作っております。で、それを元にポータブルシュラインこと御神輿的なものを
作りたいと思案しています。

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万歳展(仮)のテーマイメージの平面的な立体。いや、立体風な平面かな?
まあ、ともかく、ちょっとした、ささやかな実験的な作品を制作中。
でも、まあ、自分の作品で実験的なアプローチでない作品の方が
少ないかな。常に作品は試作品。いいのか、わるいのか。


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この画像だけちょっとアクセス数が多かったりするのは何でなんだろうなあ。

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最初の方は割と違いが私の中で明確だったんですが、だんだんとあんまり
違いがなくなってきたような。


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DSC_7345-BANZAI EXB IM posted by (C)かゆきゅう

で、本日現在はこんな感じ。

DSC_7348-BANZAI EXB IM
DSC_7348-BANZAI EXB IM posted by (C)かゆきゅう

カタチとしては出来上がったのであとは色をのせて、紙を貼って装飾していく
段階ですねえ。


最近の私の制作動向というか、考えているのは立体と平面の混在化というか、
別段、そんな二次元とか三次元という括りって割とどうでも良いものでは
ないのではないかと。

数年前に考えていた「現実をフィクションする」というのと割合近い感覚といいますか。

通常、空想というのは現実の上において成り立っていると考えられがちなのですが
もしかすると逆なのではないか、はたまた、区別がきっちりとつけられるほどの埒
というのは存在しないのではないかといった感じです。

人類というのは物事を区別、分類して科学技術なり、文化なりを発展させてきている
のですが、そもそもその区別というのは、扱うものの都合や主観に基づいて、思考
する際に考えやすい様にジャンル分け、ソートされているものではないかと。

ですから、人の決めたジャンルではなく、自分自身のチョイス、ソートによって
ものを考え、発想しやすいように思考を整理することは大事ではないかと考えるに
至ります。

そんなわけで、二次だ三次だのの区別を自分の中から除外というか、ちょっとお暇を
お願いしまして、色々とやってみようかと。



まあ、そんな事とはあまり関係ないかも知れませんが、先日、遅ればせながら、
イラスト系のコミュニティサイトpixivを主戦場としたキメこな、現代アート、
カオスラウンジ騒動のまとめサイトを閲覧したのですが、まあ、なんというか、
単純でいて複雑というか。

そもそもは二次創作とか同人ってのは著作権的にグレーゾーンといいますか。
一概にギリギリセーフとも言い切れない、完全にアウトとも決めつけられない、
非常に難しい矛盾を孕んでいるものです。

なんであれ、制作、創作に於いて他者の作品のイメージなどを借りる際には
一定の作法ってものがありますよね。礼儀なり、仁義ってものがあります。

その一切合切を無視して悪目立ちをしてもどうなのかと。

既存のものに対して「そんなもんくだらねーぜ」っていう手法はアートの中には
ある事は理解していますが、パンクロックな感じはあるのでしょうが、
どうしてもそれは美しく見えない、共感もできない。

つか、人の作品を物理的に蔑ろにする行為には好意は持てません。

人の作った料理をろくに味わおうとしないでゴミ箱に投げ入れるのと
同じぐらいに人として根本的な部分を欠いている気がしてなりません。

まあ、そんな、自分の主観で、あれは下らないとかいう駄文をこれ以上書いて
も何にもクリエイティブでないので止めましょう。


もうひとつ、今回の騒動でpixivというコミュニケーションサイトの運営側の
思惑がちょっと、垣間見えた気がします。

pixiv発のオリジナルなコンテンツ、ムーブメントを作りたいんだなあと。

現状、pixivの主流なのはアニメ、マンガ、ゲームなどのキャラクターを
モチーフにした創作物が大半です。こういったネタは人が良く集まりますが
あくまで二次創作。著作権的にかなり微妙なので、サイトのオリジナルのコンテンツ
とは言えない。

ちょっと違うかも知れないけどニコニコ動画とかYouTubeみたいな展開を期待
しているのではないかなあと。

いままでpixivは二次創作的なイラストをアップするサイトという認識を強く持って
いたのですが、オリジナルなイラストもアップしていっても問題無いのかなと、
思っている次第です。

まあ、運営がそう思っていても、閲覧している方々の思惑とはまた違うものなんですが。