玄冬の雨の下のトノサマバッタ

雨の日。いつもの堤防へ。

砂利の敷き詰められた道を歩いていると足下で


何かが飛び跳ねる。

その風体からトノサマバッタの様。

しかし、数ヶ月前に見かけたものとは随分とその
様相は違って思えた。

特徴的な緑色は所々枯れ葉のように黄色く変色し、
黒ずみ、腹側の黄土色は、血色が悪そうな灰色に。
後ろ足は一本ない。
玉のようだった目が凹み、窪んでしまっている。
その眼は何か見えているんだろうか?

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まだ息があるのが不思議なぐらい。

そんなバッタが雨に打たれて佇んでる。

なんというか、その存在感には圧倒される。

虫というのは大体寿命が短い。成虫の状態で越冬する
ものは多くない。

人間の一生を四季になぞらえて青春だとか朱夏
白秋、玄冬とか表したりするけど、虫はその四季、
一年そのものが一生な訳で。

人から見れば、一年なんてそれこそ、あっという間で
あるけど、そういう、物理的な絶対的な時間は意味が
ないのかもしれません。

えーと、確か、地球という星が誕生して、といっても、

どこからが、誕生というのかは知りませんが、
誕生して現在までを一年だとすると、人類が出現した
辺りが、大晦日の23時59分だとかいう話があるそう
ですが、だからといって、人の一生を比べて、短いとか
意味がないというのは、それこそ、無意味な事の気が
します。

そこに、存在しているものの、積み重ねてきた時間。
そのものが支配されている時間単位によって長いとか、
短いとは関係なく。それなりの重さを持っているの
ではないかなどと、それこそ意味のない、他愛ない事を
思って感慨深げに思う晩秋、いや、初冬かな。

まあ、こうやってゆったりと考える時間は、また暫く
はそれほど無さそうです。

基本的に、怠け物なのもで。ゆっくりできるものなら
いつまでも、のんびり、マッタリしていたいものです。

でも、人として生きる上には、そうしている訳にも
如何ともしがたい訳なんですが。