パルプ作品考察

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ライブマーケットの準備も佳境です。はっきり言って目標、いや理想というレベルまで

物理的な時間が足りない。制作以外の部分が気になって集中できない。

 

まあ、こんな状態はいつものこと。ここで無駄に精神をすり減らして、会場で

セルフ反省会開催モードになって自己嫌悪に陥っている状態で、観に来ている

お客さんに感じ悪くなったりでもうね。アホかと。莫迦かと。アボカド。ドリア。

 

さすがにええ加減これではいかんのですよ。以前の自分であるならそこで

そのままなんですよ。

 

久々に大型作品に手を加えて気がついた事、いや、明確に分かった、意識できた

事があります。自分のパルプの作品は完成、というよりも完了、完結することは無い

んですね。

 

手を加えればその分成長し、その形状のさらに発展する先の形が見えてくる。

そこでまた手を加えるとまた違う形のイメージが出てくる。巡り巡る造形の無限地獄。

 

通常の、根っからの理想的なアーティストであるならば、多分、ここでゴールが

見えるまで時間制限なしに突っ走る訳ですが、下手にデザインをかじってしまった

自分、私自身はどこに、いつまでに用意して展示するという、動機、きっかけを外に

依存しようとする。

 

時間的制約という厳しい枷をつけた状態でやる訳ですから、当然、理想的な形

まで至る前に時間が来てしまう。そこで自分の中で折り合いをうまくつけられず

自分の技量のなさに原因を探してしまう。しかし、本当にないのは自分の認識力の

なさ。

 

完結しない作品を作り続けても良いのではないだろうか。

つねに変化、成長し続けるのが自分の作っている作品なのだと言うこと。

 

自分の作品が完成しないものだという事と、もうひとつ分かった事がある。

 

自分の作品はどんなに切り刻もうが、溶かそうが死なない。ということ。

そこに一片の残骸がのこればそこからまた新しい形を作ることが出来る。

 

もうね、なんとも気味の悪い怪物だろうね。ある意味、不老不死。というよりも

無老無死かな。老いる、死ぬといった概念を否定するというよりそいう概念すら

無い感じ?

 

まあ、その前提にはその造形を作り続ける人間がいる事が必要なんで、完全絶対

な存在という訳ではないんですがね。

10/17-18のライブマーケット

 

つい最近

テレビを観ていると「太い事」を売りにしているであろうタレントさんが

グルメリポーター的なことをしていて、魚料理だったかを口にした瞬間こう言ったんだ。

 

「すごい脂がのってる~!」てね。

で、オイラは思わず叫んでしまったんだ。

「すごい脂がのっているのはお前だろが~!」ってね。

 

心の中で。ええ心の中。心の中ですとも。

テレビにマジにツッコミ入れるなんて痛い事をやる訳がないじゃないですか。

 

と信じたい。自分を。

 

イメージ的にはダウンタウンのごっつええ感じの確か、やくざが借金の

取り立てに行くんだけどなんやかんやで情に絆されて回収できないというコント

の中でやくざの親分役の松ちゃんが海に潜ったガチャピンが言ったという

「わー海の中には不思議な生き物がたくさんいるよ~。」的なコメントに対して

「一番不思議な生き物はお前じゃ~!」な感じで突っ込んでるのとデジャヴュ

な感じ。

 

 

そいや、先日、とあるテレビ局のバラエティの歴史を振り返る的な

この季節ありがちな特別番組があったんですけどね。

なんか、微妙でしたねえ。倉庫と見せかけてじつはスタジオって見え見え

なのは、まあ、バラエティですからそんなやらせを突っ込んだところで

演出の範疇かとは思いますが、その番組の一応のお題目を上げておきながら

最後の結論が「それはみんなの心の中にある」的な落ちてないオチをナレーション

で入れられて何とも詰まらない終わり方だったのは駄目だねえ。

 

そのお題目の制約なのかもしれないけど、「笑う犬」が触れられていないのは

どうにも納得がいかんですよ。

 

まあ、「やるやら」の映像が出てる所で結構危ないことやってたんだなあと

当時を思い出してました。まあ、番組が終了した理由が事故だったのは

なるべくしてなった。といったところですかねえ。

 

えーとそうだ、今週末、名古屋、栄の矢場町、と言う表現はあっているか

分かりませんが、その矢場公園にてライブマーケットが開催されます。

そこに出店してます。まあ、なにか売ってるというわけではないですが。

コレ系のイベントって入場料取られる事が多いですが、このイベントは

無料で自由に出入りできます。

 

週末に名古屋の栄辺りに用事のある方はどうぞ立ち寄ってみてください。