足りないのは力でも役でもなくて。- We are really lacking in courage.-

まあ、ほんの些細な出来事だったのかも、ただの杞憂だったのかも知れない。


相手の心境なんて、本当のところ、分かるものじゃない。

自分の判断力、直感力は絶対じゃない。間違ってる事も多い。


気がつかないで過ごしていることなんて今までの人生で食べてきたご飯粒の数ほど、
星の数ほど、地球上の生命の数ほどあるかもしれません。

それはどうしようもないし、認識も出来ないので考える事すら出来ない。


でもさ、しかしさ、断言できない部分は残るのだけれども、多分この人は、困っているんじゃ
ないかな。とか、ちょっとしたことでも、して上げることが出来たのなら、その人はとても
助かるんじゃないかな。

と、

思う、思える場面ってのは確実にあるよね。どこで、どんな生活をしていても。

でもさ、簡単な事であるはずなのに、造作もないことで在る筈なのに、行動を起こせない。

それは自分の心の偏狭さの表れかも知れないし、この日本が抱えているおかしな現象
なのかもしれない。

でも、どちらだとしたっておかしいでしょう。これはこのままではダメでしょう。

普通では、在るべき姿じゃないよね。

余計なお世話かもしれない、いやそもそも、自分の恥ずかしい勘違いなのかも知れない。
空気が読めてないのかも知れない。

正しい事なのか、そうでないかなんて即座に、瞬時に判断できうるものではない。

それよりも、そもそも、試験のペーパーテストでもないのに、人生に合格点なんて
ないはずなのに、絶対的な正しさにこだわるのは何故なんだろう。

インフィニットなジャスティスなんてない。一方から正しく見えても、もう一方からは
間違って見えるなんてものは世の中に沢山ある。

人とぶつかることなんて当たり前。ぶつからずに自分の理想通りに生きる事なんて
絶対に不可能なものです。

自分自身を信じられない人間は他人を信じ切ることができません。
他人を信じている自分を信じられないのですから。


自分の思いには忠実でありたい。それは自分に嘘を付かないこと。
自分の嘘を見抜くこと。間違えることを恐れないこと。

だから、人に笑われようが、煙たがられようが、怒られようが、妬まれようが、
自己の判断に基づいて、決断して行動するようになりたい。

と、願う。


結局、人間ってのは他者あっての存在。人の間に関係が無ければ人間ではありません。

人のしあわせってやっぱり誰かの役に立ててるという実感は不可欠じゃないかと。


誰かのピンチを救うってのはとてもクールだし、自己のプライドを固持してくれるものですよ。

甘い考えではありますが。


他の親切な、お節介な誰かが助けを差し伸べるのを待ってるのではなくて、自分が瞬時に
動くべきでしょう。もし、だれも助けないのであれば、その救われなかった人に深い傷が残る。

助けが欲しいときに、誰も助けてくれないのは悲しいです。苦しいです。

救えなくても、手を差し伸べる、差し伸べられた事ってとても大事なものでないかと。

自分の困った時に助けられなかった事を恨んで、「助けなくて当然」という方便はなんとも
お粗末で悲しいもんです。

そんな、酷い、世知辛い世の中なんて生きてて楽しくない。

だから、自分が「何とかしたい」と思った時には、躊躇無く動けるようになりたいと
切実に思います。

今度こそはと思いつつ、いざ、動けるのか。まあ、それはその時にしか分かりません。

もしかすると、また、動けないのかも知れません、ですが、「何とかしたい」という思いは
諦めずに持ち続けたいと思います。

まず、誰かを些細なことで良いから救えないと。でないと、おそらく、一生、誰かを助ける
事が出来ないまま終わるんでしょうねえ。


いや、そんな人生嫌だし。つまんないし。生きる価値無い。

と、無類のビビリでチキンなくせに、こんな事を書いたりしてみる。