絵はなくともイメージはできる。"Picture is not here, but the image can be thought."

新しい芸術のムーブメントというのは大抵、それまでの主流とされてきた、すばらしいと
されてきた事を否定することで、アンチテーゼとして出発することが良く見られますよね。

先日書いた事でもありますが、芸術ってのは特異点、出っ張った杭でなければ、認識されなくて、
普通な事をしていても、あまり意味のない事だと思います。

まあでも、しかし、観客にある種のトラウマを植え付ける事が芸術なんでしょうかね。

気味の悪い、気持ちの悪いもの、ナンセンスで、頭が困惑するもの。
醜悪なもの。挑戦的で攻撃的なもの。スキャンダラスな表現。

音楽で言うところのパンクロックな感じ。
「ファックユー」な精神。


強烈な感情でもって、欲望でもってそれらそれをぶちまける。
無心に、何も考えずに、吐露する。

熱い情熱というのはとても大事ですが、感情だけがすべてなんでしょうか。
全く制御されない生まれたままの感情をぶつける事が至上とするなら、

それが芸術ならば、

ごく普通な人間が真面目にコツコツと芸術家を目指すなんて無理ですよね。
それが大学まで行ってしまったら完全に真逆にベクトルが向いています。

生まれたままで、子どもなままが最高だとするなら、最高の芸術は
アールブリュットとか、アウトサイダーアートになると思います。


野性的な感情を持っているのも人間ですが、物事を冷静に見極める理性も人間の
持っているものではないでしょうか。

多くの人間による経験と伝承によって積み上げられた技術と思想。

芸術というものもそれらに含まれていると思います。

そういう地道な事を日々、積み重ねて、人に認められる人であろうと努力するのも
極めて人間的な事です。

動物はただ居るだけで動物ですが、人間が人間たりうる為には、絶えず
人間であろうとする事で、人でいられるのではないでしょうか。

それはある種の「やさしさ」ではないでしょうか。

人が人と穏やかにつながっていたい、関係を持っていたい気持ち。

つながり、関係に依存するのが人間。人と人の間にいるからこそ人間です。


感情的なのも人間的だと言われていますが、そこをもっと考えてみると、
人間的というよりも動物的、もっと言えば生物的な事なのかも知れません。
人間も動物の一部、動物も生物の一部でありますから。

外から受ける刺激によって生じた衝動をそのままダイレクトに行動に反映させる
のが感情的ならば、そういうことなのだと思います。



よく、昔の人間はもっと感情的で、野性的、要は原始的だったと思われがちなんです
けど、本当にそうなのでしょうか。

現代人ほどの理性を持っていなかったんでしょうか。

技術など、現代では当たり前なものがない分、妙な先入観で昔の人間を軽く、馬鹿に
して観てないでしょうか。

昔ほどの、生きる為に過酷な環境下において、団結力というのは必要不可欠ではないで
しょうか。

鋭い爪も、牙も、強靱な皮さえ持っていない裸の人間がどうやったら生き残れるのでしょうか。
集団の中の個体が感情的に気ままに動いていては集団として機能するでしょうか。

現代の方がよほど団結していなくても生きられると思います。孤独であろうと、物理的には
可能ですよね。

ですから、昔よりも今の情報ばかり溢れてしまって何だか分からない、人と人との関係性が
薄い現代の方がよっぽど感情的ではないかと単純に考えます。


そして、子どもというものに純粋で神聖なイメージを抱いてしまいがちですが、本当に
そうなんですかね。多少の未熟さが見られるものの、子どもだって立派な人間です。
人間の一様態です。

もちろん、多少の理性も備えてますよ。場の空気だって読めるし、打算的に子どもらしさを
利用する聡さも持ってます。それに早く一人前の人間として見られたいという欲求の強さは
相当なものです。人間であろうとする心は大人以上かも知れません。

ですから人間らしく努力するのが人間であるのなら、子ども以上に人間らしい人間は
いないのかも知れません。

ですから、その向上心を畏怖して大人は神聖視、ある種の尊敬をしているのかも知れません。

若干、話がそれました。


まあ、今日の昼下がりにやっていた岡本太郎の特集番組を観てて、テレビショッピングばりに
無制限に賛美されてて、もうちょっと客観的な感じにやって頂けたら何の疑問も感じなかった
のですが、どうにも取り上げられ方が変だったのでなんとも腑に落ちなくてウダウダと
岡本太郎をよく知りもしないのに、考え込んでしまいました。

でも、やっぱり、あの作品を作るスタンスの分かりやすさ、印象の鮮明さはすごいですよね。
一般的にも幅広く認知されてる筈ですよ。

ただ、ああいう極端な印象なタイプの人間は例外的な存在、特別な存在だからこそ成立する
もので、強く憧れて、そのスタンスを自分なりにローカライズしないまま生真面目に真似をした
ところで意味がないですよね。

自分的には芸術家の中の芸術家というのは、しっかりとした知識、技術、経験を元にしながら、
そこから大幅に飛躍できる、「守、破、離」の段階を踏んでいる人だと思います。

芸術家ってのは賢くて人の知らないところでしっかりと勉強しているものだと思います。
そんでもって人の持っているイメージ、先入観を上手く利用できているものですよ。
そして観客にある種の夢を見せる事ができる。


ああ、なんだか自分とはほど遠い、雲の上の存在だなあ。

ま、それでも、私は自分の信じるものをカタチにしていくだけですけどね。


さて、ちょいと、毎日連続投稿を目指して、色々やってきましたが、ここいらで一旦
リセットしてみます。ひさびさの画像なし投稿。

ええかげん、日付がどんどん遅れていってノルマ的にきつくなって、自分で上げすぎた
ハードルを自分で下げるという、自作自演。マッチポンプ。 orz

今週末はケツカッチンな感じがするので、更新できないかもしんないけど、
個人的に、月間アクセス記録更新を目指しているのでちょっと頑張ってみます。