台風も温帯低気圧に変わる。変なルートだった。いつもなら太平洋側を
かすめて行くのだろうけど、日本海に出て上陸というのはそんなにない様な
気がするがどうなんだろう。
網戸に張り付いた横殴りの雨の跡を接写リングをかませて接写。
フラッシュを正面にぶつけてみた。まあ、画像の下部分が暗いのは
接写リングの分、長くなったレンズの影だねえ。やっぱ小型の外部フラッシュ
だと影になっちゃうねえ。内蔵よりはマシだけど。
パルプ原料の生産を本格的にすべく先日、紙片の詰まったプラ製コンテナを
二つほどパルプ製造機こと、今では珍しい二層式洗濯機のすぐ脇に移動。
しっかし、よくもここまで原料を溜め込んだもんだねえ。プラコンテナ7箱
ぐらいはあるのであと2〜3年は持ちそう。
まあ、まだ全貌見えず。概要はだいたい決めたものの、作りながら考えるというか、
作るのと平行してでないと考えられないので、とにかくまず制作ありきだなあ。
コンセプトなんて飾りですし。大まかな方角、方向性を決める為のもんですよ。
思いを文章で上手く伝えられると、それを極めたい思っているなら小説家を
目指している。
あくまでも、カタマリを作る事がしたいのであって、 書くのではなく描く事を
したいと思っている。
ハナからゴールが見えている、大方の予測が付いているものなんて作っても
面白いとはそれほど思わない。
最近は発泡スチロールや、スタイロフォームを芯材にしてのキャラクターオブジェ
の制作を専らしていたのだけれど、最近、久々に昔やってた乾燥と盛りを繰り返す
という、何と言えば良いか、ラピッドプロトタイピングというか、陶芸のひも造り
の技法に近い様な事をまた再開してるんだけどコッチの方が断然面白いねえ。
パルプというのは土台になるものに押し付けて、押さえて圧着して成形するもの。
紙も含めて。土台がしっかりとしてればキッチリと出来上がっていくんだけど、
ただ、乾いた部分に盛っていくと、パルプというのは言う事を聞いてくれない。
縮むし、曲がるし、歪むし、剥がれる。だけどさ、その歪みとか諸々の反発と
自分の造形のせめぎ合いが実に楽しい。これがパルプ造形の醍醐味と言って
よいかも知らん。
やっぱ、どんな、行動に、行為においても、しっかりとした反応、リアクション
が帰ってくるのが面白い。好きの反対は嫌いでなくて無関心。みたいな。
さて、もうそろそろ話を切り上げたいけども、ダメだ、手が止まらない。
今日は制作の傍ら、地上波で先日三週に渡って放映されてた20世紀少年を最後まで
観たのけど、やはり、国内実写映画の限界というかねえ、原作は全く見てないけど、
イロイロなパロディがちりばめられててすごい面白いんだろうなあと。
映画というのは大体2時間という枠の仲に上手く収めないといけないという制約上、
原作のお話を全部再現することができなくてひたすら削る。場合によっては展開を
変えるから原作を越える、同等に並べる映画は殆ど無いよね。漫画でも小説でもその
表現方法、媒体だからこそ出来る描写があるからそれを実写にした場合、どうしても
違和感を覚えるし、リアルに感じないし、とても滑稽になっちゃうし。だから、難しい
のだと思う。って、映画なんてロクに見ない奴が講釈タレても意味ないけど。
まあ、そのうちに原作は読んでみたいなあ。
で、この映画版20世紀少年なんだけど、一番言いたかったのは「イジメイクナイ」
ちゅうことなのかなあ。
でも、そんな、みんなから虐められた、無視された、忘れられたのが理由で世界を
滅ぼされても困る気が…。
まあ、人生子ども時代どころか青春時代も凄惨で悲惨なものだったんだろうなあと
想像はするが。
そいや、昔、同窓会で、昔の恨みを晴らすべく、同級生達に毒入りビール飲ませた
という事件って無かったけか。確か昔のテレビ番組「女神の天秤」で取り上げ
られていたような覚えがあるんだけど。
地球や世界を巻き込んだ壮大な大事件が実はよくよく考えてみると身内の喧嘩
だったってパターンて結構よくあるよね。フィクションだと。
まあ、なんだかんだ言った所で、世界を動かしているのは全て各々人格を持った
個人の集まりなんだから、行動原理とか理由なんてホント些細で個人的な事なの
は当たり前なのかも知れない。
はあ、描き過ぎた、いや書き過ぎた。でも、まあ、描くと言う字の意味には
絵だけでなく、文章、音楽、動きなどの表現にも使われるからどっちでもいいか。
いかんね、久々にブログ更新したら文章のキリが全く見えてこない…。
やっぱツイッターはやりやすいわ。リミットがある分。
開運展展示プランイメージラフスケッチ其の弐 Fortune exhibition, painting exhibition rough sketch of the plan. II
展示アイデア、ギャラリー部分です。
古くから言葉にも魂が宿るともいう訳で。字というのも開運をもたらす為に重要な
役割りを持っているものではないでしょうかねえ。
そいや、
去年のライブマーケットでは[SPACE9]の屋号を立体で作って板にかざりつけてました。
文字を造形するというのも面白いかもです。いわば、立体レタリング。
習字は苦手ですが、高校時代はデザイン科でポスターカラー、カラス口を使って
レタリングしてたなあ。確か、レタリング検定3級という微妙な資格も一応取った
ような気がする。まあ、今日日、デザインの現場でそいうレタリングはしないだろう
けど、
ある意味、この立体レタリングで、そのキネズカが役に立ったり…しないかな。
で、展示イメージに戻るけど、賑やかしさを出す為にはやっぱりカオス。混沌として
た方がらしい気がするのだが、あまりにも行き当たりばったりなのもダメかな?
カオスを計画するというのも変な感じですが、まあ、そんな方向で。
古くから言葉にも魂が宿るともいう訳で。字というのも開運をもたらす為に重要な
役割りを持っているものではないでしょうかねえ。
そいや、
去年のライブマーケットでは[SPACE9]の屋号を立体で作って板にかざりつけてました。
文字を造形するというのも面白いかもです。いわば、立体レタリング。
習字は苦手ですが、高校時代はデザイン科でポスターカラー、カラス口を使って
レタリングしてたなあ。確か、レタリング検定3級という微妙な資格も一応取った
ような気がする。まあ、今日日、デザインの現場でそいうレタリングはしないだろう
けど、
ある意味、この立体レタリングで、そのキネズカが役に立ったり…しないかな。
で、展示イメージに戻るけど、賑やかしさを出す為にはやっぱりカオス。混沌として
た方がらしい気がするのだが、あまりにも行き当たりばったりなのもダメかな?
カオスを計画するというのも変な感じですが、まあ、そんな方向で。
開運展展示プランイメージラフスケッチ其の一 Fortune exhibition, painting exhibition rough sketch of the plan. One
エントランスの吹き抜け部分、「かみのもり」のイメージ案。
もう、開催まで3ヶ月を切りましたので餓死が死、いいえガシガシとイメージをカタチに、
頭の中に抱いた考えを生命体に昇華させるべく、恐れず、騒がず、止まらず、止まらず、
淀まず、澄まず、張り切らず、憚らずに生きましょう、いえ、行きましょう。
だいたいのイメージは頭の中にあるので、其のイメージをこまめに伝達、発信して行かん
とね。そういう、クリエイターにとって必要不可欠な部分に欠陥があるのは自覚して
おります。とりあえず、苦手を苦手とせず、無理を無理とせずにとりくんでいかないと
自分自身のリミッターを外せません。諦めたらそこでゲームオーバーですよ。
どうもね、人に認められない生き方ばかり選んでしまいがちなんですが、それでは
いかんのですよ。生きる事もままならない。だからこそのこのテーマ「開運」なんです。
もう、開催まで3ヶ月を切りましたので餓死が死、いいえガシガシとイメージをカタチに、
頭の中に抱いた考えを生命体に昇華させるべく、恐れず、騒がず、止まらず、止まらず、
淀まず、澄まず、張り切らず、憚らずに生きましょう、いえ、行きましょう。
だいたいのイメージは頭の中にあるので、其のイメージをこまめに伝達、発信して行かん
とね。そういう、クリエイターにとって必要不可欠な部分に欠陥があるのは自覚して
おります。とりあえず、苦手を苦手とせず、無理を無理とせずにとりくんでいかないと
自分自身のリミッターを外せません。諦めたらそこでゲームオーバーですよ。
どうもね、人に認められない生き方ばかり選んでしまいがちなんですが、それでは
いかんのですよ。生きる事もままならない。だからこそのこのテーマ「開運」なんです。
熱に浮かされて見る夢のリアリティと死の話。Reality and dreams about death in fever.
胡蝶の夢なんて言葉があるように本来、夢と現実を区別する明確な明瞭な
基準は無いと思います。
しかし、これは現実だと確証のない確信を持って生きているわけですが。
先日、夏風邪で熱を出して虚ろな感じになっているとなんというか現実感が
希薄に感じられるという体験をしました。
後日、あの感覚は何なのだろうと考えて、いるとなんとなく分かった事が。
現実感ってのは感覚器官で感知できる強い情報。
非現実感ってのは感覚器官で感知しにくい弱い情報。
なのではないかと。
高熱によって現実感が損なわれた状況で自分自身の身体に何があったか考えると
体調不良による五感各感覚器官の機能不全。つまりは感覚器官の受信感度の低下で
通常は現実と思えるレベルの情報量を得られかったのではないか。
高熱でなくとも飲酒によって酔った状態でも現実感が鈍る事があるのを考えると、
まあ、間違いではないのかなあ。
で、話は変わって、昨日見た夢なんですが、夢なんでいろいろとツッコミを入れ出すと
キリが無いですが、いざ夢の中にいると、夢だと気が付かない物なんですよね。
ものすごくおかしい事だらけなのに。
大概は覚めるまで夢だと気が付かないものですが、珍しく今回は起きる間際に気が付き
ました。きっかけがじつに些細なもので、普段外出時に使ってるメッセンジャーバッグ
が夢にも出てて、通常は宿泊とかしない限り肌身から離すはず無いのに、ふと気が付いた
瞬間にそのバッグが無くなっていて、これは絶対におかしい。そうかこれは夢だと思って
目が覚めました。 ん〜、なんかすんごい根拠としては弱くないかと思うんですが…。
夢の中にいる自分ってのは、ある意味、今、人生を生きてる自分と同じもので、
夢で展開されるおかしな出来事に違和感を抱かないのと同様に、今、生きているから
こそ、執着して気が付かない事があるのではないかなと思います。
例えば死ぬという事は生きている人間にとってはそれこそ、文字通り死活問題です
しかし、死者からしてみれば、死ぬという事はもう過ぎ去った事でもあるし、そもそも
生者と同じ様に意識があるかも分からない。 生きている人間が死をそれほど特別に
考えているならば、死者と生者の感覚には大きな隔たりがあるのではないかなあ。
だから、死が辛いのはあくまで生者であって、死者は死を辛いとは考えないのでは
と考えても不思議ではない。
たとえ、どんなに酷い最後であっても亡くなった死者自身は安らかに眠っている
ものじゃないかと。
その最後が辛いとか、悲しいとか、 疚しく思ったりするのはその死者の近くにいた
生者なのではないかと。死者を弔うのは、その死者の為ではなく、その死によって
傷ついた生者を癒す為の儀式ではないかと。
まあ、藐然とそう思うに至る。今現在。
いけんなあ、またメメントモリーな話してんなあ。展示に向けてお祭りな感じで
お気楽極楽な空気を出したいとおもってんだけどなあ。根が暗いのか?
まあ、でも、死と言うものはネガティブに考えがちですが、実はそんなに暗くもなくて
重要なことではないかも知れません。
学生時代に深刻に悩んだ事を今考えるとバカみたいに思える様に。
基準は無いと思います。
しかし、これは現実だと確証のない確信を持って生きているわけですが。
先日、夏風邪で熱を出して虚ろな感じになっているとなんというか現実感が
希薄に感じられるという体験をしました。
後日、あの感覚は何なのだろうと考えて、いるとなんとなく分かった事が。
現実感ってのは感覚器官で感知できる強い情報。
非現実感ってのは感覚器官で感知しにくい弱い情報。
なのではないかと。
高熱によって現実感が損なわれた状況で自分自身の身体に何があったか考えると
体調不良による五感各感覚器官の機能不全。つまりは感覚器官の受信感度の低下で
通常は現実と思えるレベルの情報量を得られかったのではないか。
高熱でなくとも飲酒によって酔った状態でも現実感が鈍る事があるのを考えると、
まあ、間違いではないのかなあ。
で、話は変わって、昨日見た夢なんですが、夢なんでいろいろとツッコミを入れ出すと
キリが無いですが、いざ夢の中にいると、夢だと気が付かない物なんですよね。
ものすごくおかしい事だらけなのに。
大概は覚めるまで夢だと気が付かないものですが、珍しく今回は起きる間際に気が付き
ました。きっかけがじつに些細なもので、普段外出時に使ってるメッセンジャーバッグ
が夢にも出てて、通常は宿泊とかしない限り肌身から離すはず無いのに、ふと気が付いた
瞬間にそのバッグが無くなっていて、これは絶対におかしい。そうかこれは夢だと思って
目が覚めました。 ん〜、なんかすんごい根拠としては弱くないかと思うんですが…。
夢の中にいる自分ってのは、ある意味、今、人生を生きてる自分と同じもので、
夢で展開されるおかしな出来事に違和感を抱かないのと同様に、今、生きているから
こそ、執着して気が付かない事があるのではないかなと思います。
例えば死ぬという事は生きている人間にとってはそれこそ、文字通り死活問題です
しかし、死者からしてみれば、死ぬという事はもう過ぎ去った事でもあるし、そもそも
生者と同じ様に意識があるかも分からない。 生きている人間が死をそれほど特別に
考えているならば、死者と生者の感覚には大きな隔たりがあるのではないかなあ。
だから、死が辛いのはあくまで生者であって、死者は死を辛いとは考えないのでは
と考えても不思議ではない。
たとえ、どんなに酷い最後であっても亡くなった死者自身は安らかに眠っている
ものじゃないかと。
その最後が辛いとか、悲しいとか、 疚しく思ったりするのはその死者の近くにいた
生者なのではないかと。死者を弔うのは、その死者の為ではなく、その死によって
傷ついた生者を癒す為の儀式ではないかと。
まあ、藐然とそう思うに至る。今現在。
いけんなあ、またメメントモリーな話してんなあ。展示に向けてお祭りな感じで
お気楽極楽な空気を出したいとおもってんだけどなあ。根が暗いのか?
まあ、でも、死と言うものはネガティブに考えがちですが、実はそんなに暗くもなくて
重要なことではないかも知れません。
学生時代に深刻に悩んだ事を今考えるとバカみたいに思える様に。
うろおぼえで「リング」「貞子」を語る実験。The railroad Remember "Ring", "Sadako" talk test.
土用の丑の日。 ついったー大喜利のネタで思い出しましたが、
貞子というと今や、幽霊というかお化け的にある種の妖怪キャラとして扱われて
久しい訳ですが元々、一体どんなキャラクターなのか良く知らない人が大半なのでは
ないでしょうかねえ。
テレビ、映画では呪いのビデオから出てくる幽霊というイメージが強いですが、
原作小説では、確か、「呪い」というデータ、もしくはウィルスの様な存在だったはず。
非業の死を遂げたある種の超能力を持った女性(厳密には違う)が放り込まれた井戸が
埋められ、その上に建てられたロッジの部屋に設置されたビデオデッキで録画した際に
その怨念、呪いが念写、記録されてしまい。そのビデオを観た人間は一定期間後に
心臓発作で死亡する。その呪いを回避する方法がそのビデオをダビングして他の人間に
見せる事だったんだけど、その呪いはダビングされて行く段階でどんどん変異して…。
まあ、リングはホラーだと思うけど、らせん、バースディはSFな気がする。
あと、真の主人公はタカヤマリュウジ。最終的には無限増殖した貞子から世界を
救ってしまう位、凄いキャラのハズなんだけど、いかんせん、映像の貞子の
イメージやらインパクトのおかげで全く目立たない。
本当のバースディ本編は話のスケールが大きすぎて日本では映像化は無理だったん
だろうなあ。映画は原作本に収録されてた貞子の過去の短編を元にしているだけで
本来はバースディじゃないんだけど、原作読んでなきゃ分かんないよなあ。
キャラクターだけが一人歩きして、原作の物語の分からないパターンは何気に多いねえ。
ドラキュラとか、フランケンシュタインの怪人やら。
やはり、妖怪、お化けといった、恐怖の対象というのは良く知らないから、分からない
から怖いのではないかもしんないですねえ。
ああ、なんかまた「リング」シリーズ読みたくなってきたなあ。
つか、ビデオテープがもう古いメディアになってしまったなあ。
時代を感じるねえ。
今だったら、何だろう、デジタルレコーダーだと難しいねえ。ダビング10の
問題があるから、それ以上広めようもないのでえらく規模の小さい話になって
しまうねえ。
スマートフォンで撮影した動画をメールで送るとか、動画投稿サイトにアップして
大々的に蔓延というパターンになるのかなあ。
まあ、この親和性の高さと、どんどんと本来の出自から変異していく事こそ
貞子の能力かもしれないなあ。
貞子というと今や、幽霊というかお化け的にある種の妖怪キャラとして扱われて
久しい訳ですが元々、一体どんなキャラクターなのか良く知らない人が大半なのでは
ないでしょうかねえ。
テレビ、映画では呪いのビデオから出てくる幽霊というイメージが強いですが、
原作小説では、確か、「呪い」というデータ、もしくはウィルスの様な存在だったはず。
非業の死を遂げたある種の超能力を持った女性(厳密には違う)が放り込まれた井戸が
埋められ、その上に建てられたロッジの部屋に設置されたビデオデッキで録画した際に
その怨念、呪いが念写、記録されてしまい。そのビデオを観た人間は一定期間後に
心臓発作で死亡する。その呪いを回避する方法がそのビデオをダビングして他の人間に
見せる事だったんだけど、その呪いはダビングされて行く段階でどんどん変異して…。
まあ、リングはホラーだと思うけど、らせん、バースディはSFな気がする。
あと、真の主人公はタカヤマリュウジ。最終的には無限増殖した貞子から世界を
救ってしまう位、凄いキャラのハズなんだけど、いかんせん、映像の貞子の
イメージやらインパクトのおかげで全く目立たない。
本当のバースディ本編は話のスケールが大きすぎて日本では映像化は無理だったん
だろうなあ。映画は原作本に収録されてた貞子の過去の短編を元にしているだけで
本来はバースディじゃないんだけど、原作読んでなきゃ分かんないよなあ。
キャラクターだけが一人歩きして、原作の物語の分からないパターンは何気に多いねえ。
ドラキュラとか、フランケンシュタインの怪人やら。
やはり、妖怪、お化けといった、恐怖の対象というのは良く知らないから、分からない
から怖いのではないかもしんないですねえ。
ああ、なんかまた「リング」シリーズ読みたくなってきたなあ。
つか、ビデオテープがもう古いメディアになってしまったなあ。
時代を感じるねえ。
今だったら、何だろう、デジタルレコーダーだと難しいねえ。ダビング10の
問題があるから、それ以上広めようもないのでえらく規模の小さい話になって
しまうねえ。
スマートフォンで撮影した動画をメールで送るとか、動画投稿サイトにアップして
大々的に蔓延というパターンになるのかなあ。
まあ、この親和性の高さと、どんどんと本来の出自から変異していく事こそ
貞子の能力かもしれないなあ。
ギョウム連絡:会場コンセプト概要
ええと、展示の計画を考える上でマップを描こうといろいろ考えてみましたが、
どうにもねえ、どうにも空間的な絵を想像して描く能力がなくて表現できず、
頭の中にはイメージはあるけど、描写力が追いつかず、見るに耐えない。
でも、文章では語彙力がイマイチ足りない。
とまあ、どうにも指定されたフォーマットに落とし込もうとすると、
そのルールに引っ張られてどうにも二進も三進も、遅々として進まず。
とりあえず今あるイメージをここで出して行こうと思う。
ご存知の通りデザインギャラリーは吹き抜け部分の脇の通路部分が入り口となります。
2階のアトリウムから4階のこの通路部分はよく見えます。割合この部分というのは
外、と言っても屋内ですが、商業施設等とつながった空間です。
つまりは、日常空間に近い訳です。ですから、あえて単色、主に白一色の淡い色の
大きめの、自然物を意識した丸みのある作品を中心に配置して、ちょっと非日常感
を出して「かみのもり」を作ろうかと。 静かな森のイメージ。
単色無彩色のむしシリーズもここかな。
奥の典型的なギャラリースペースは、「かみのやしろ」
アーカイブ的なもので、立体作品、平面、写真、スケッチ、音声、映像、ライブ
など雑多な情報がイロイロと詰めこまれたサーバみたいなイメージ。
できるだけカオスで豪奢な感じかなあ。祭り本会場的に。
最近の作品の傾向である、着彩、装飾系はこっちを中心に展示したい。
前回展示だと壁面がなんかさみしい感じがしたので今回は壁面も活用した
展示をしたいねえ。
なんだろうなあ、具体的にあるもののイメージだと、久能山の東照宮かなあ。
日光は行った事ないから分かんないけど。
どうにもねえ、どうにも空間的な絵を想像して描く能力がなくて表現できず、
頭の中にはイメージはあるけど、描写力が追いつかず、見るに耐えない。
でも、文章では語彙力がイマイチ足りない。
とまあ、どうにも指定されたフォーマットに落とし込もうとすると、
そのルールに引っ張られてどうにも二進も三進も、遅々として進まず。
とりあえず今あるイメージをここで出して行こうと思う。
ご存知の通りデザインギャラリーは吹き抜け部分の脇の通路部分が入り口となります。
2階のアトリウムから4階のこの通路部分はよく見えます。割合この部分というのは
外、と言っても屋内ですが、商業施設等とつながった空間です。
つまりは、日常空間に近い訳です。ですから、あえて単色、主に白一色の淡い色の
大きめの、自然物を意識した丸みのある作品を中心に配置して、ちょっと非日常感
を出して「かみのもり」を作ろうかと。 静かな森のイメージ。
単色無彩色のむしシリーズもここかな。
奥の典型的なギャラリースペースは、「かみのやしろ」
アーカイブ的なもので、立体作品、平面、写真、スケッチ、音声、映像、ライブ
など雑多な情報がイロイロと詰めこまれたサーバみたいなイメージ。
できるだけカオスで豪奢な感じかなあ。祭り本会場的に。
最近の作品の傾向である、着彩、装飾系はこっちを中心に展示したい。
前回展示だと壁面がなんかさみしい感じがしたので今回は壁面も活用した
展示をしたいねえ。
なんだろうなあ、具体的にあるもののイメージだと、久能山の東照宮かなあ。
日光は行った事ないから分かんないけど。
2003 つくしの子はつくし?展スライドショー2003 Tsukushi Tsukushi child? Exhibition Slideshow
前回デザインギャラリーでの展示をスライドショーにしました。
iPhotoでパパパと仕上げるつもりが、エラー続出。
地味に時間がかかった。これなら動画編集ソフトで作った方が
早かったかも知れない。しかし、今更そんな可能性を考えた所で、
有益な事はない。
ああ、なんか、久しぶりにイスを作りたくなってきたなあ。
地味に長い上に、解像度良くないので見づらい。作り直すか?
登録:
投稿 (Atom)



