アリ?ウサギ?"Ants like rabbits? Such as rabbits or ants."


先日、ベランダのプランターをうごめく小さい黒い影。
アミメアリがボチボチ今年も活動を再開したようですねえ。

全長せいぜい3ミリセンチメートル程度なので、結構コツが居る。
ええ、カメラで撮るならの話です。

マクロ撮影機能は最近のデジカメならどれにでも付いてると思いますが、
それでも余り大きく撮れないですねえ。

やっぱ、デジイチに接写リング付けて、久々に標準レンズ。

Pristomyrmex punctatus
Pristomyrmex punctatus posted by (C)かゆきゅう

ここまで寄って撮れます。

やっぱよく見ると違うなあと。

ええ、カメラの性能の話じゃなくて、一応このアミメアリをベースにして、
イメージソースとして、アミー・メアリという、ちっこいオレンジ色のキャラ
を作ったんですが、





先日のつるの絵の件でもそうですが、いまいち、アミメアリ
の形を消化しきれていなかったなあと。

というか、これはどっから出てきたアイデアなのやら。アリには
パッと見、見えないよなこれ。

ですので、

よーく見てみて、ディテールを抽出して、キャラにフィードバックして
みたらこうなりました。

うさぎ?

何とも面白いなあ。つか、以前のキャラがポケモン的な進化前でコレが
進化後みたい。

今回は偶然にハマってしまったんですが、むしをどうぶつに置き換えてキャラ化
というのもなんだか騙し絵みたいで、面白いかもしれません。

モチーフが2種類って仮面ライダーの怪人みたいだな。

まあ、てなわけで、いきなりですが、「むしのくに」の第二シーズンが私の中で
静かに始まりました。

咲いてこそさくら、散ってこそさくら。"The blooms eventually fall."

日曜日。6月に豊橋でやる展示みに向けてのミーティングに行へ。

少し早めに着いたので駅周辺を散策。

Double cherry-blossoms
Double cherry-blossoms posted by (C)かゆきゅう

Yae-zakura
Yae-zakura posted by (C)かゆきゅう

八重桜は今が満開。

After falling Sakura flower.
After falling Sakura flower. posted by (C)かゆきゅう

こっちのさくらはもうほぼ終了ですねえ。

Scattered sakura and campaign posters.
Scattered sakura and campaign posters. posted by (C)かゆきゅう
さくらの花が散った木の下の選挙ポスター掲示板。
なんか不吉かな。

The cover picture of a fire hydrant fireman.
The cover picture of a fire hydrant fireman. posted by (C)かゆきゅう

消化栓フタの絵って結構バリエーション多いのな。豊橋はこういう
良いフタが多いなあ。

This is a cover for what?
This is a cover for what? posted by (C)かゆきゅう

ちょっと古めの仕切り弁のフタ。

History of old-house feel.
History of old-house feel. posted by (C)かゆきゅう

いい感じに古い建物。

Towering department stores.
Towering department stores. posted by (C)かゆきゅう

いいかんじのビルヂング。

Manholes picture of fireworks.
Manholes picture of fireworks. posted by (C)かゆきゅう

ここにも手筒花火の絵のマンホール。

Stop at the intersection.
Stop at the intersection. posted by (C)かゆきゅう

なんとなく歩行者信号を見上げてみる。

Trains running in the road afar.
Trains running in the road afar. posted by (C)かゆきゅう

豊橋というと路面電車有名ですよね。

Toyohashi Station.
Toyohashi Station. posted by (C)かゆきゅう

駅前の路面電車。

Sun light leaking from the trees.
Sun light leaking from the trees. posted by (C)かゆきゅう

Manholes picture of the harbor.
Manholes picture of the harbor. posted by (C)かゆきゅう

今度は港の絵のマンホール。バリエーション多いなあ。

Entrance hall future children.
Entrance hall future children. posted by (C)かゆきゅう

豊橋こども未来館。ここで6月の展示に参加します。
詳細は決まり次第アプしていきますのでよろすく。

つるっと出てたつるつるなつるが机をつる。"Tsuru Tsuru desk, vine vine vine was out Innovation"


さて、ダブルヘッダーでも張り切っていきますよー。

いえ、こちらの話です、大意はありません、気になさらずに。

昨日に引き続き鶴です。昨日とはえらい違いですが。
某エクスカリバーみたいだなというか、あれは鳥なのか?
 そいや、ツタージャとエクスカリバーってなんだか似てる気がするのは
気のせいかな?
あっちはたしか動物のモチーフとしては蛇だったよな。

まあ、それは置いといて、

そうそう、名古屋周辺では机を動かすことを「机吊る」といいますよね。
あと、授業の間の休み時間の事を「放課」って言うってのもありますよね。

で、まあ、そんなことはハッキリ言って関係ないですけど。

昨日、いや、先刻のいまいちイケテナイ、イカさない鶴の絵を描いた事に
よって、ようやく鶴の鶴らしさを掴めた気がします。

哲学的に申せばイデアを掴んだといった感じです。

やっぱ、緻密に書き込んで、まるで写真のようなものが描けるより、
思いっきり簡素化された中にそのモチーフらしさを表現できた方が
断然に気持ちがいいなあ。まあ、写真のようなリアルな絵って描いた事ない
ですからサッパリと分からないのですが。

絶対途中で、「なんか違う」って思いだして、どんどんその違和感が膨らんで行って
途中で止めちゃうんですよねえ。それか、「こんだけ描けば何だか分かるだろう」
で、やや書き込みが甘い状態でストップします。

鶴とか、キリンとか、「細長い」という特徴のものってキャラ化しにくいですよね。
キャラ化ってのは大体、省略する事ですから、長い所は短くなりがちなんですよね。
で、長いものって、なんというか、リアルな感じがしますよね。人が、二頭身と、
八頭身では八頭身の方がリアルな感じがしますよね。

だからどうしても手足とかを長くするとなんだかキャラっぽくないんですよね。

そいや、「◯頭身」って「◯等身」とも書かれていますけど、本来的な意味、
頭を一単位としていくつ分かを表してるんですから、
「頭身」のほうが正しい気がしますが、どうなんでしょうねえ。

これも置いといて、

まあ、自分が描いていて気持ちのいい絵というのはぱっとひらめいて、
さらさらと、つるっと一気に短時間で描けるものだったりしますね。

なんというか、自分の中にはある種のそいう、瞬間の感覚を、
それが無くならないうちにスパッと切り取りたいという傾向が
あるような気が。でもパルプ造形はそんな風に一日で完成なんて事は
絶対ないから絵と立体は違うのかなあ。自分の感覚的に。

書道的な感覚なのかな。と、書道が苦手な人間が言っても説得力ないか。
ラクガキ的と言った方がしっくりかな。

見ながら絵を描くな。しっかり集中して描け。"Drawing should not seen motif. Draw with tightly focused."

縁起モンの引出物のペインティングの作業に入る前に復習がてら鶴の写真を見て絵を描いておこうと思うも、自己の表現力というボトルネックに直面するというか、

自分の興味のレベルがイマイチ高くないものへの観察眼のなさというか、持続的に観る
という事の難しさを感じる。

資料にした写真は「鳥 Birds」久保敬親という写真家の撮った写真集で、初版が1989年
という古めのものですが、資料としては申し分ないですねえ。

川崎に居たときにアゼリアという駅前地下街でやってたブックバーゲンで入手したん
ですが、まさか具体的に有効利用できるとは当時は思っていなかったなあ。

そうそう、鶴と一言で言っても日本では丹頂鶴のことですよね大概。
英名がJapanese Craneで日本を代表する鳥のひとつなんですねえ。

手本があるということは具体的な目標、ある種のゴールがあるわけで、
その明確な到達点があることによってある種の型にはどうしてもはまって
しまいがちです。

どうしても自分というものはメモリを、RAMをあまり積んでないPC、
もしくはプロセッサのコアが一つしか無いCPUみたいなもので、
 同時に複数の事をこなすのが大変に難題です。 下手にバックグラウンド処理
 しようとするとフリーズするというものです。

ですから、観る時は観る、描く時は描く事に専念するべきですねえ。

分かり切った嘘とかを平気で吐いたりできない人間なもので、どうしても
現物が目の前にあると嘘をつけないというか、自分の認識を疑ってしまって
対象に合わせようとするあまり、自分の得意な方向とは逆の事をしようと
 してしまって無理をしてでも、結果はイマイチという、誰得なのか分からない
事をやってしまいます。

どうも、自分の表現の傾向は、読み取ったイメージをトコトン簡略化して再構築
してシンプルなカタマリ、記号として出力されやすいようです。
パルプ造形ってのは緻密な形態には向いてないのと同じで、だから、自分の表現と
 マッチしていてやりやすいのかもしれません。

そもそもを考えると、具体的なモチーフを設定してパルプで作品を作り始めた
事自体が割と最近の話ですね。

とりあえず手の動くままに、余り意識をせずに、手の感触を頼りに、切れ端を作る。
 その切れ端に更に盛っていって、これは「こんな形の一部だろう」と徐々に形が
 見えてきて、ある程度までいってようやく具体的なイメージになる。
 
そのような手順を踏んでました。

あの頃はなんというか、抽象主義みたいな感じで、具体的なイメージを持つ事を
嫌悪して避けてたぐらいだったような記憶があります。

「何か言いたいけど、聞かないでくれ」みたくとても矛盾した心境だな。

まあ、そういう悶々とネガティブなのも若さというものかも知れません。
 認めたくないものだな、若さ故の過ちというものを。

まあ、ポジティブで活動的な事=若さと考えられがちですが、逆もしかりですよ。
プラスな方向に思い込めるという事は、マイナスな方向にも思い込めます。
徹底的に内に籠るのも若さです。

どちらにせよ、感情がどうにも抑えられないのが若さってやつです。

スマホは深い深い電子の谷を越える事はできるのか。"What smartphone would be to transcend the deep, deep valley of the digital divide?"



おニューな携帯を弄っていたら午前2時を回ってしまいました。かゆきゅうです。

いやあ、スマートフォンってホント、いいものですねえ。

写真機能を売りにしてると言う訳でもないので、大して期待してませんでしたが、

カメラ携帯と謳ってない製品でも性能は十分です。そんで、「通信」という
かなり高いアドバンテージがあるのではないでしょうかね。

そもそも、そこそこのレベルのコンデジを買う人間が持つ写真へのこだわり
なんてたかが知れてる。

 データ通信を前提としたスマートフォン、もう電話ではないですね、超小型のPC
 ですね。それにカメラは欠かせない入力デバイスです。

カメラ単品だけでは存在し得ない状況がでてくるのではないでしょうかね。
記録した画像を即その場でもウェブにアップロードして公開できるというのは
かなり革命的な事ですよ。

ちょっと前では写メなんて画質の面ではどうにも、デジカメの品質には
遠く及ばないものでしたが、デジカメで撮ったまんまの品質でユビキタスに
いつでもどこでも一対一、一対多数に送信で来てしまうんです。

コンデジというカテゴリはそういう携帯、スマホなどに食われるでしょうね。

まあ、ただ、しかし、今の最新式、最先端のガジェットとはいえ、弱点は
ありますね。

まず、まだまだ高い端末の価格。今日日は携帯本体の価格もあまり割引とか
しませんから、結構びっくりする値段ですよね。スマホなんて、普通のPCが
買えるレベルですね。まあ、それを分割にして月々数千円で金利無しに
出来たりしますが。

そして、まだ問題なのは通信料金がまだまだ高いですねえ。定額パケットの
上限が設定されたとはいえ、だいたい5000円というのはちょっと苦しいですね。
そこに通話料などがのっかってしまうとね。10000円を越えにくいとは
思いますが、できればトータルで5000円以内辺りになると取っつきやすい
かなあと。

でもですよ、その通信コストが解消されてもまだ問題があるんですよ。

バッテリーの問題。

色々なスゴい機能がついてすんごい便利なスマホですが、 それらの機能を
フルに使うと、稼働時間が非情なぐらい短くなります。

 どんな便利な携帯でも電池切れればただのオブジェですよ。

ですから、例えパケット使い放題だと言っても、バッテリー温存の為に
必要ない機能はこまめに消す。というなんともエコで慎ましい運用を
心がけないと ダメです。

それが嫌なら、予備の電源などを沢山、準備しておかなくてはいけません。

あとは、インターフェイスが直感的になったとはいえ、まだまだ操作が簡単という
訳でもないですし、ベストなパフォーマンスで使おうとするとかなりコツがいります。

結局はケータイの皮を被ったパソコンですよ。スマートフォンって。

その自由度の高さ、拡張性の高さは、複雑さや分かりにくさに繋がってます。
 まだまだ、マニアのオモチャなのかもしれないです。

ですから、この世のケータイが全てスマートフォンにはなりませんね。

 多くの人が使えるのはもっと自由度が低くて、シンプルなものじゃないですかね。
って、ガラケーじゃないのかそれは。

ことに超超高齢化の進んでいる日本においてはどれだけのお年寄りがスマートフォン
を使いこなせるかと考えたら、結構難しいですよ。まあ、お年寄りの中にも新しい事
好きの積極性をもつ方もいますけど、大概は「最近の機械はサッパリ解らん」と
開き直って全く使いこなそうとしない、じいちゃんだったりしますよ。

まあ、二極化していくんでしょうねえ。

正しくデジタルデバイド。

その両者間の谷は益々深くなっていくんでしょうねえ。

まあ、情報端末といえどただの道具です。どれをどう使いこなすかは
当人次第であります。

強力な武器にも、単なる暇つぶしの道具にもなります。

まあ、個人的には情報収集、活動発信に有意義に、有効に使いこなして
元を取りたいなあと思案中ではあります。

手始めに制作中画像をツイッターに貼っていこうかなあと。


卵の殻が先か黄身が先か?"Which came first, the egg yolk or the egg shell?"


よく物事を始める際にいきなり、続けるか分からないのに、一揃いのものをしっかりと
準備してしまってから始める人を「形から入る」などと言いますけど、
 形から入らない場合は何と言うのだろうか。

形の反対って何でしょう。
「ハード」と「ソフト」な意味だと「内容」でしょうか。
外見だとすると中身。
物質だとすると精神。

格好だけではなりきりきれない。短期間ではやはり付け焼き刃な感は
拭えませんですかねえ。

しかし、外側をしっかりと固めれば、内面がついてくることは充分に
あり得ますよね。

健全な精神は健全な肉体に宿るとも言いますし。

えっと、「僕らの七日間戦争」という映画の中で冒頭に生徒指導の
教員が「服装の乱れは心の乱れ」なんて事を言ってましたよね。

ん、でもこれってのは個人の心構えと言うよりは、団体行動上の規律を
保つ為の話ですかね。



まあ、お試し期間中とか、ある程度の基本をマスターした者が状況によって
形をくずすのが普通で、最初からガチガチにやってしまうのは違うのかも
知れないですね。もしくは、そういう事ができる財力、神経をやっかんでの
皮肉。

まあでも、始めて、ある一定の段階になると、自分自身の形をしっかりと定めないと
居住まいを正して真剣に心身を構えないと、その先のレベルには到達できませんよね。

どうせ、趣味だから。とか変に線を引いてるとレベルアップは望めませんよね。

その、先へ進む覚悟という面で、形から入るということも必要なのでは
ないかと思います。

本当の始まり、真のスタートラインに立つ為に、どう自分の形を作り込むか。

ビデオゲームのロールプレイングゲームでは、始める最初に自分の分身である
キャラクターの様々なパラメーター、能力、技能、外見、性別、職業などを
を決めるキャラクターメイキングという作業をするゲームがありますけど。
こういうキャラメイクって、現実においても自分自身をどう見せて、
どうなりたいかを考える場合、必要ですよね。

なりたい自分という上級職にクラスチェンジする為には、
自分があるべき姿にフォームチェンジすることも必要かもしんないです。

そんな事を最近考えます。

何と言うか、自分の中に感じる違和感、何か違う気がする。
でもなんだかはっきりしない。でも、このままの自分は何かちがうだろうと
自分の中から沸き上がってくるコレジャナイ感が解消できないでいる。

いわゆる普通とは離れた所に居るし、更に離れて行こうとしている自分が、
何だか冴えない普通な格好というのはどうなんだろうかと思うんです。

普通の格好ってのはいわば戦場での迷彩服ですよね。目立たない様にする為の。

特にどうにも変な癖がついてしまって、それをからかわれた人間ってのは
ひたすら隠れようとしてしまうものですよね。

とりあえず、普通という仮面で偽装して、目立たなくしてとりあえずの安寧を
得るのですが、それって本当にしあわせかって言ったら難しいですよね。

常に自分自身が嘘をつく事を人から強制されているみたい。本人がどういう
つもりでかは分からないけど、嘘をつくと人は意識的にも無意識的にも罪悪感を
感じてしまうものです。

それに嘘というのは一つ、ついてしまうとどんどんと新しい嘘を重ねなくては
いけなくなるものらしいですし。余計に辛くもなるかも。

ですが、そういう嘘をつくのを止めて、自分の本性を晒しても、世の中とか、
周りが認めてくれるとは限りません。確実に波風が立ちます。諍いが起こるかも
しれません。

でもさ、現実ってのはこういうものですよ。人に分かって貰いたい、
自分を認めてほしい。人から認めてもらえる人でありたい。
そうありたいという所で、一番無難で、手っ取り早く人に認めてもらう
方法は人に媚びる事、おもねる事。人の都合の良い自分。滅私奉公。

普通に生きるならそれも悪くないです。
でもさ、そっから離れようとしている人間なのに、決めかけて迷ってる
人間なのに、そういう所で、縮こまっていてもどうしよもないでしょうに。


アーティストってのは
信じられ、怖れられ、怖がられ、疎まれ、奉られ、
敬われ、嫌われ、忌まれ、願われにゃくてはならない。

だから存在しうるのではないかと。


って、ちょっと「化物語」からセリフを引用して改竄してみました。

まあ、本来は、「アーティスト」ってのは「怪異」という
妖怪変化、魑魅魍魎の類の事なんですけど、

アーティストってのはそういう存在でないかとも思う訳です。
異質、特異であって、普通、平凡であっては存在し得ないもの
じゃないですかね。

普通でないからこそ、その存在を許されている。

ですから、人にある程度の違和感、異質感を持ってもらう事も
必要なのでないかと思うのです。短絡的かもしれませんが。

まあ、でも、そんな些細な事で変われるものならば、どんどん変わりたい
と思います。

私は、過去の自分がどうにも嫌いで、ひたすらに「変わりたい」と
願い続けて不器用ながら生きてきた様なもんですし。

そうやって今の自分は昔と比べれば、随分とマシに思えますし、
わりと好きだと思ってます。

まあ、色々と言ってきましたが、結局の所、何か変わりたいと思うものの、

何をどう変わったら良いのかという答えはまだ見つかってません。

という、ダメダメなオチがあったりしますがね。



今回は久々にアナログで紙にお絵描きしてスキャニングしてみました。
やっぱ、アナログの方が線の質感がユニークですよねえ。

一枚目のPCで着彩した絵は「フエキ建築用ソフトカラー鉛筆」って、本来はこういう
用途に使うものでないもので書いてみました。

文具売場じゃなくて、ホームセンターの土木建築関係のコーナーにあって
資材のマーキングなどに使うペンらしいです。

クレヨンの芯のシャープペンシルみたいで、面白い線が引けます。

ある意味、大人のクレヨンかもしれないです。

まあ、2枚目は普通に文具ですが、三菱 ユニボール シグノ 超極細0.28ミリの
インク色がブルーブラックって、恐らく、普段の筆記には余り用いないであろう
ピーキーな細さと色のボールペンです。勢い良くガリガリ書いてると、紙が破け
そうですね。って、やっぱそういう用途じゃないよな多分。

さて、制作中写真でも上げて行きたいとこですが、どうにもシックリと来て
ないんですよね。

塗装作業に入ってないから地味なんだよなあ。

例え、独りぼっちであってもチームワークは必要である。"For example, teamwork is essential, even alone."

うーん、絵の描き方が、まず写真をどれ使うのかから始めると、シュチュエーション
コメディみたいなストーリーの組み方みたいな。というか、舞台から発想して
いく感じ。

場があって、そこに人が集まる。みたいな。

この絵のの元ネタの写真は2002年の4月に春日井市の落合公園で撮ったものです。

地元の人間なら知っている花見の名所ですね。

ただ、この近辺のロールのフォルダを見ても、さくらの咲いているいわゆる
ベタな絵が少ないですね。今の私なら、平気で5〜60枚は撮ってるとこですが。
まあ、メモリー、バッテリーの容量の都合というのもあるでしょう。
しかし、写真から積極性を感じない。
まあ、写真は撮れば撮るほど、上達し、積極的になるものですねえ。

変に拘ってて、妙に構えてるし、消極的だなあ。

で、これ、まず最初に卒業した大学のクラスメート数人が集まって
花見でバーベキューをした後日に、出直して撮っているんですよね。

まあ、グループでいると団体行動を重んじて、単独行動をしない彼は
なんか、写真を撮りたかったけど、周りに遠慮して、撮らなかったん
だろうなあと。

で、後日、わざわざ、サイクリングも兼ねて尾張旭から走ってきてるんですから
なんかエネルギーの使い方がおかしいな。さすが20代。

何か迷って、モヤモヤして、ネガティブなんだけど、妙な事をしだすと有り余る
体力で突っ走ってんなあ。

なんだか壊れかけの電化製品みたいだな。

まあ、そう思うと、若いのは若いなりに大変だったよなあと。
 感情を全然制御できなくてブン回されてたなあ。

それを思うと、ある程度ハンドリングできている今の自分は バランス的には
悪くないなと。

ちょっとは冷静に物事を見られるようにはなったつもりです。
が、まだまだ、思考力が足りてないし、行動力も不足しております。

まあ、こうやって、自分の撮った過去写真は日記を読み返すよりも客観的に
昔の自分を見る事ができますね。

写真ってのは撮る人間の視点が反映されますが、写したものにはその視点、
意図とを越えたものも一緒に写るものですから自分の思っていた事と現実がどう
いう関係だったのかを今の視点で推量で来ます。

日記というのは自分の感情を並べてしまいますので、事実はどうだったのか
その証拠を確認しづらいのではないかと思います。

 それに、過去の自分の精神の荒廃ぶりはさすがに直視したくないなと。
過去のラクガキを見るのでも、ちょっとした恐怖を伴ったものを、
 それを文章なんてもので見たらまた発狂しそうですよ。

 まあ、今が今とて正常でまともなのかとは限りませんけど。

 基本的に、過去の自分と今の自分、未来の自分はすべて別物ですよね。

人間て一日ごとに別人が入れ替わってるような気がします。

もっと短いスパンの可能性もありますが。




起きて寝るまでがその日の人格が生きている時間。

寝て起きるまでに新しい自分が昨日までの記憶を引き継いで新しい
自分がまた一日を始める。

でないと、昨日まで満足していた事が今日になって不満に思えたり、
妙に落ち込んでいた自分が馬鹿に思えたりってなんだかおかしな気がします。

別人なのであれば何となく納得できる様な。

まあ、一日一日、一人しかいないその日の自分を大事につないで行ってこそ、
その先には輝かしい日や、素晴らしい景色が見えてくるのではないでしょうか。

 そのすべては一人で作るんじゃなくて、その日、その日の代わりの居ない、
 休む事が出来ない自分が請け負うものでないかと。

 だれが抜けても、自分という人生は完結しません。

 せっかく過去の自分達が積み上げたものを一人の自分がぶち壊すなんては、
 本来やってはいけない。過去の自分達の思いを汲んで、例えその日が辛くても、
 悲しくても、下らなく見えても諦めてはいかんのではないかと思います。

今日の自分という存在が居ると言う事は、過去の自分達が引き継いできて
くれたからで、一人孤独に進んできた訳じゃない。自分だけであっても一人
ではない。

いろんな艱難辛苦を共にしてきた自分という人生の仲間なんです。


ま、こうやって一つのものを複数として、複数のものを一つのものとして
捉えてみると、違った景色が見えてきて面白いですね。

こうやって、視線を自由に動かせるか否かって、人生が辛いか否かに関わります。

さて、今日の自分は自分としての役割りを自分なりに果たせたのかな。
次の日の自分に良い状態でバトンを渡せたんだろうか。

まあ、それはもう、また、別の自分の話ですね。