素材の実験

 

もしも、「スポンジ・ボブ」が明治、大正時代に日本に入って

来てたら、名前が「海綿太郎」に翻訳されていたかも

しれないなあ。ドラキュラとかみたく。しかし嫌な名前だなあ。

でも、イメージ的には浦島太郎みたいな気がしないでもない。

 

と、考えた時期もありました。

 

はい、本文と関係ありません。でも、まあ、いつ何時であろうと、

そいう、「もしコレがこうだったらどうなるんだろう?」という

想像力は持っていたいもんです。

 

先日、テレビで「ハンサムスーツ」という映画が放映された

翌日ですが、とある、製菓学校のケーキ販売の行列に並んで

いた時に、後ろでおばちゃんと思われる方々がその映画に

ついて話していたんですが…

「昨日の映画見た?」

「うん、あんなスーツあり得ないでしょ。」

的な事を言ってらっしゃったんですが、何とも全否定な、

身も蓋もない感想。

どっかの催事場のヒーローショウでの「中の人」に対して

どうでもいい事実を指摘する、思春期入りかけた子どもですかい。

 

とりあえず、現実にあり得ない事を「ある」という仮定で作ら

れるのが物語でしょうに。その物語が「ある」と仮定してるものを、

あり得ないとしてしまえば、お話はそこでおしまいですよ。

ただの嘘ですよ。

 

まあ、別にハンサムスーツが面白かったという訳ではないです。

コレの前に放映してた飛行機が舞台の三谷幸喜的なコメディを

下手に真似るとこういう痛い風になるという見本みたいな映画よりは

遙かにマシだとは思いました。

基本的に大人の童話って感じで上手くまとめられてました。

ただ、「チョコレート工場」的な演出を日本映画がやると、

なんともアレだなあ、とか、音楽のチョイスの仕方が狙いすぎで

なんか、下心が見えてちょっとね。

 

まあ、あとは、ああまでして人を試す潔癖症なヒロインは

嫌いだなあ。ちょっと上から目線な感じ。かえって真の姿が

逆の方が好感持てるんだが。

でも、やっぱ、ヒロインがアレだと、映画的に物語的にNG

なんですかね。

 

一応、ネタバレに考慮しつつ、いつの間にか批評になって

しまいました。話をタイトルに戻します。

 

先日「コウボウ日記その1」でも取り上げました「鞄衝立」、

なんか、漢字で書くと鞄が衝突してるみたいだなあ。

まあ、それは置いといて、それを作るに当たっていろいろと

実験しながら作ってます。↓↓

DSC_5248s

衝立の段ボールの壁面に柔らかめのパルプを鏝を使って

塗り壁よろしく塗りたくってます。

そして、その上にまたまた柔らかめのパルプを丸めて壁面に

投げつけるというなんとも、モダンメティエというかアクション

ペインティングな技法を実験中。

 

コントロールがなかなか利かなくて思う所に中々当てられ

なくて面白い。力任せに投げすぎると壁面にあまりくっつく

こと無く周りに飛び散るので力加減が難しい。

意識と無意識が良い塩梅で交差するのが楽しいですね。

 

橙と赤が梅というか椿というか花みたくて面白い。

 

しっかし、パルプ素材は構造材としてもの性質と色材として

の性質も使える面白い素材です。

 

あー、一応触れますが、衝立の後ろにも飛び散って見える

パルプはノーコンでああなった訳ではなくて、わざとやってます。

報告と告知、略してホコクチ

「あられもない」という言葉はなんとなく卑猥な
響きがありますが、ITの大辞林アプリでみたところ
によると、どうやら現代的に、今風に要約してしまえば
「ありえなくない?」という感じの言葉であって別段エロい
という意味は無いようです。先日の「注意」と一緒で
使われ方の問題かと。

はい、タイトルとは関係ない話でした。すみません、
覚えた言葉はトリアエズ使ってみて覚えようかと無理無理
ねじ込んでみました。やはり語学は使ってなんぼでやっと
習得できるものかと。

ホント、勉強は出来る時にしっかりしておくべきですね。
今更、自分の不勉強、語彙力の無さを今更、ホント今更ながら
ハヅカシナガラ、痛感する次第です。勉強したいと思いつつも、
時間がもっと欲しい。

おっと、またもや話がそれました。

とりあえず、先日言ってたものが完成。あにに金棒。
いや、おにに金棒。
ええ加減に作品ポートフォリオをまとめようかなと
考えつつ、紙媒体じゃなくて、手っ取り早く
何処でも見られる様に、ブログでまとめようと
思い立ち、新規に立ち上げてみた。
いままで色々とポートフォリオまとめてるんだけど
データがあっちゃこっちゃに行ってて思いの外戸惑った、
いや、手間取った。


kayu9 works

まだまだ、準備中ですが順次後悔予定。いや公開予定。

Allergie march

いやー今年もアレがとうとうきてしまいました。
テレビでももう、いよいよだとのたまってて、
ああもう対策をしていかないとなあ。いつもの
事とは思いつつも、早めに対策しないとね。

過剰反応ってのは分かってはいるんだけど、
どうにもならないんだよねえ。

アレルギー体質は幸いね。いや辛いね。

ホントね、もうね、まだ始まってもいないのに、
特集しすぎですよ。活躍しそうな選手に先鞭
付けるつもりか、手前の中継番組に下駄を履か
そうとしてるのか、スポタレとして知名度を
上げておきたいのか存じませんが、

露骨に大量に特集されると観たくなくなる、
というか意識的に避けたくなる。症状が悪化
すると、何としても強固に観たく無くなって、
それこそアレルギーみたくなるんだよねえ。

ホント、ただでさえ、通年、蕎麦とか山芋
とか自然薯とか猫とかアレルゲンが多い上に、
春先は花粉症でもうこっちゃ忙しいとゆうに、
メディアアレルギー、オリンピックアレルギー
までまで併発しるのはもうね。

冬季は特にタチ悪いっすは。花粉症と時期が
かぶるのはねえ、もう。盆と正月どころかGW
まで同時に来てしまった様なデジャヴュ感。

最悪。なんて言えるウチは最悪でもないらしいけど。

まあ、平和の祭典とは言っても、国家の威厳を
ひけらかしたいのとは戦争と変わりない気も
します。

アスリート本人にはまあ、ご随意に上を目指して
もらえば良いですが、国家の最先端な科学技術を
惜しげ無く注入してまでも世界一を目指すという
のもなんというか。それこそ世界一じゃなきゃ
だめなんでしょうか?二番目でも良いじゃないで
しょか?

どうせ、どこの国の人間でも大半は自国選手の
リザルトしか気にしてないでしょうに。

…まあ、なんて言っても、ただのひねくれた妄言
ではありますが。

まあ、別に平和主義者という訳でもないので、
概ね周りが平和だといっても常に心に戦場をもって
いなくちゃなあと。

平和な理想郷を求めて盲進した結果、
想像を絶する地獄絵図のど真ん中に。

なんてのは実際にあるらしいですから。

まあ、絶対的に分かりあえないのなら、
分かりあえないなりに付き合っていけばよい
じゃないですかね。

それこそアレルゲンのようにね。

と、無理矢理にアレルギーの話に戻した
ところで、終わろうかと思います。

わんこそばの早食いが世界一、最悪の拷問に
しか思えない人間がお送りしました。

ああ、そうそう、アレルギーってドイツ語なんですねえ。
まあ、元々医学用語なんで当たり前かもしんないですが。

凍結中尉

道路沿いに何げなく、佇む看板に目をやると、「凍結注意」と書かれています。

この「注意」を「中尉」に変換してみるとなんともアレだ~ね。「冬将軍」の配下みたいですね。

バトル漫画なら中ボスクラスなキャラに相違ないでしょう。さぞ、クールで冷徹なんでしょうねぇ。きっと「凍結中尉」の上にイカしたルビが振られるはずです。

まぁ、看板には「凍結スリップ注意」というのもあるんですが、これだと、アレです。

きっと漫画内での戦闘力のパワーインフレに置いてかれて、ギャグキャラに転向したんでしょう。

まあ、しかし、「注意」という言葉は危険な、緊張する場面で使われるので、ネガティブなイメージで捉えられれがちです。
しかし、「意を注ぐ」から注意なんですよね。そう考えると別段、悪い言葉ではないと思います。むしろ、良い言葉ではないでしょうか。

言葉というのもその使われ方によってそのイメージはかわるものの様ですね。




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コウボウ日記その1

前日節分ネタの続き。というか何だろう。

「おににかなぼう」の先頭の「お」を「あ行」の他の文字に

入れ替えて、その意味を捏造してみる。というお遊び。

 

あににかなぼう【兄に金棒】

きっとこの兄さんはとても頼りになるのだろう、いや、もし

かすると、かなり危険な人で、凶器を持たせると何が

起こるか分からない。俗に言う「既知外の刃物」という奴と

いう線も捨てきれない。

 

いににかなぼう【イニに金棒】

1、イニとはイニシエーション(通過儀礼)の略。

何らかの組織が何らかの儀式をするに当たって

あると便利な物、または儀式を知り尽くした頼れる人物。

 

2、イニとはイニシャライズ(初期化)の意で、門外不出の

情報を破棄するには物理的に暴力で壊すのが手っ取り早い

という事らしい。が、それではイニシャライズではなく、ただの

破壊行為である。

 

うににかなぼう【海胆に金棒】

ウニも、金棒も黒く、棘が付いていて、海に浮かぶことなく

沈むものであるが、海底のウニは生きていて動きもするが、

沈んだ金棒はただそのまま錆びて朽ちていくのみである。

という事からちょっと似ていても、だからといって同じ性質を

持っている訳ではないという例え。

 

えににかなぼう【縁に金棒】

「えに」とは「えん」を表記したもの。

日常、特に使い道のない、重くて邪魔なものであっても、

捨てずにおけばそこから奇妙な絶妙な出会いがある。

…かもしれないという絶望的な希望的観測。

 

おににかなぼうは…おっと、つかみの軽いネタのつもりが

長々と書いてしまいました。

 

ってなわけで閑話休題。原点回帰。初志貫徹。

 

10月6日から(予定)の展覧会に向けて上げて、揚げて、

挙げて、騰げていかないと、ちゅうことで、いろいろと制作中

です。

 

以前グループ展『(笑)』展の時に制作した一連の作品の

中に鞄の形をした衝立、いや衝立の形をした鞄かな。

それのマイナーチェンジ版というか、フルカスタム版と

いいますか、まあ、同一スケールの同一機能のものを

作っています。

 

作る形は同じですが、使ってる技法はちょっと違うん

です。まあ、観る側からすれば、全く無意味であはるんで

すが、私にとってはかなり違う事なんですね。

 

去年辺りから、ちょっとした手遊びで、金属板を切ったり曲げ

たりして、蝶番などの金具を手製で作ってみたりしました。

 

いつだったか、数年前、多分、私のじいちゃんが作った

ものかと思うんですが、確か、木製の箱だったか、角の

部分に金具が付いていたんですけど、その金具の裏が

何かのはずみで見えたんです。なんとその金具って、

何かの缶を裏返して使っていたらしく、なんかそれが

すごく印象に残ってて。とてつもなく当然のことですが、

「金具って自分で作れるんだ」と訳の分からん興奮を

覚えた次第な訳で。

 

金具なんてえのは近所のドゥーイットユアセルフなお店どころ

か大体の物が105円で買えるお店へ行けば事足りてしまう

のですが、そういうののブツってのは変にピッチリと

面白下げもなく、素っ気なく、味気ない妙に潔癖な感じが

して、自分の作品の材料としてはイマイチ不適格な、そうは

言わなくてもベストではないなと。感覚的に思う訳ですよ。

 

簡単に大量に買える安価な良品よりも、使い込まれた

情報を含んでいる不良な、不揃いな中古品を材料にする

事が自分の扱う素材として適切なのではないかと。

 

自分が専門とすべき素材は、再生パルプだけでなく、

再度素材化した素材全てではないかと。

なんだろうリサイクル造形家?再生工芸家?

 

そういう職業的な肩書き以前にそういう役目としての肩書き

なのではないかと。例えるのなら探偵という職業ではなく

物語上の探偵役という役目とでも例えましょうか。

そいや、デザイナーちゅうのも職業でもあり、役目でも

あるかと。

 

なんか大言壮語な感じになってきたのでここいらで。

蝶番画像でも載せておきます。

画像に殴り書いといてアレですが、ブリキとはスズメッキを

施した鋼板のことらしいですが(ウィキペディア調べ)、

この画像の缶はスズメッキでは無いような気もしますが、

専門外なので詳しくは分かりません。

 

まあ、そんなこんなで、脾肉を当座の花として、腐らず、

曲がれど折れず、諦めず、秋に向けてコトコト、じゃない

コツコツと作って行きます。

節分日記


と、いいつつ、きのうの写真。
DSC_4938r
先日の雨でたまった水たまりが冷えて凍って、日が出てきて
溶け始めるという絶妙なタイミング。刹那。
昨日は昨日で雨の中はしゃいで雨粒と夜景の写真撮ってた
りしたんだけど、アプするタイミングが在ればそのうちに…
出てこない可能性は多分にあります。
まあ、それはまた別の話ということで。

ちなみに画像の遠くに見える煙は春日井の王子製紙の煙突の煙です。

せっかく、何がせっかくなのか分からないけど。とりあえず
節分ということで、こんなんつくってみた。
DSC_4995r
DSC_4999r

完全新作ちゅうわけでなく、過去のグループ展「フィクション」
の時の作品を改装。というかアップデート。

手足が若干延長してる。やっぱバランス的にはこれぐらい
が正解な気がする。

この「フィクション」人形はたしか80体近く作ってるので
こいつを素体にしていろいろ作ってみたいねえ。
この作品のせいでギックリ腰になったんで、健康な体を
犠牲にした作品なんでもっと有効利用すべきなのかも
しんない。

いわゆる「鬼」のイメージの出自である、鬼門である丑寅の
方角。それをもじって牛の角を持ち、虎の柄のパンツを
穿いてるという典型的なクラシカルな、トラディショナルな
感じにまとめてみました。金棒も持たせようかと思い
ましたがまだ出来ていないのでおいおいということで。

ああ、「鬼心仏手」というのは誤植ではないですよ。
あえてこれで。

やらない善よりやる偽善みたいな感じで。

すいません、どうにも、根っこの部分がひねくれてまして。

あ、そうそう、2月3日が節分なのは2024年までだそう
ですよ。ウィキペディアによると。

運命散歩論

 

散歩っていいねえ。散歩最高。散歩最上。

空前絶後。抱腹絶倒。牽強附会。

まあ、冗談はさておいて。

 

未舗装の道を、道無き道を歩くのはいいね。
コンクリートとかアスファルトってのは
車輪を転がすには都合がいいけど、あんな平坦な
扁平な、フラットな削れず、凹まず、省みず、
踏むものすべてを拒否するような固く冷たい人工地面の
上を歩くのはただ、靴底を鑢で削ってるだけだからねえ。

散歩というのはね、本来的、根源的には地面との、もっと
大きく大言壮語を吐いてしまってもいいなら。許されるのなら、いや、

許されようが許されまいが言ってしまえば、

「地球との対話」であると、「星とのコミュニケーション」であると。

重力という絶対無比の力に屈しないようにいることは
生きているという事と同じ事ではないしょうか。

死ぬという事は重力に屈し、負けを認める事でも
あるのではないかと。一つの生命、自立した個人から
ひとつの星という塊の中にまた戻るという事。

重力にどう逆らい続けるかということは、人生をどう生きるかと言うことと同義。

重力というのは生命にとって逃げる事のできない「死」で
もあるし、「運命」と似ているのかもしれない。

どれも常にあって目に見えないもの。そして忘れてしまいがちなことでもある。

しかし、それを心の隅に置く事は大事なものであるかもしれない。
「死を忘れるな」といった言葉もある。

重力を知る、感じるには、歩くこと。感覚を研ぎすまして、足で
大地に触る事。例え直に触れなくとも、靴を間に挟んでも
感触というのは伝わる。草の上なら柔らかい感触。砂利道
ならゴロゴロとした塊の数々を、泥濘ならぐちゃぐちゃと
いう足音と気持ち悪い感触を。砂の上なら沈んで引きずり
こまれるような感覚を。雪の上なら片栗粉を握った時の様な
ギュッという奇妙でユニークな感触を。

どこが自分にとって心地の良い場所か、それが分からなくても、
いま自分が行る場所が心地よくないかどうか位は分かる。

もし、居心地が悪いなら、そこから動くべきである。
生きるものなら当然の事。意識すらする必要すらない。

自分自身の運命を開くには、スタートさせるには動く
事が必要。もしくは必須。いや必然。

そして、どこから、どこへ、どう動くべきかという事を
マネジメントなり、ロジスティクスをして我が身を運ぶ
ということをしなければ自分が居るべき場所ってのは
見つからない。分からない。到達できない。
たどり着いたことにすら気がつかない。

まあ、なんか戯れ言ですね。

庄内川を散歩しつつ、たどり着いた川下のホームセンターでちょっと前に
話題になったタジン鍋が980円なのを見つけて試しに買ってみるかと思いつき、
また庄内川を上流に引き返しつつ、そんな他愛もない事を考えてみた
日曜の午前だったりしました。

なんか、予想以上の分量の文になったねえ。

なんか、期せずして今度の展覧会のコンセプト、テーマ、
というよりもメインフレームと目してる

「開運(オープン・ロジスティクス)」

って言葉につながるとは思いもしなかったねえ。