虫の鑑定団

ウィザードリィというコンピューターゲームがあります。

RPG=ロールプレイングというジャンルのゲームにおいて

世界的に有名ですねえ。細かいことは詳しくないんですが

歴史の長いゲームで、何本も続編が出ていて、社会現象を

引き起こした国産の某大作ゲームにも多大な影響を与えている

ようです。

 

シリーズによって多少の違いはあるかと思いますが、

モンスター(魔物)の闊歩する迷宮(ダンジョン)の奥深くに潜む

賞金首、またはそこに眠る財宝を求めて、様々な種族、職業、価値観の

キャラクター(仲間)でパーティ(探索隊)を組んで迷宮を冒険する。

 

冒険に使用する様々なアイテム(道具)のほとんどは迷宮内の魔物を倒すと

落とす(ドロップする)宝箱から手に入れます。

 

手に入れたままの状態ではおおざっぱなジャンル、例えば剣、指輪といった

具合にしか分からない。そこで、アイテムを鑑定して判別するという必要が

あり、それはビショップという職業の技能か、魔法とか、あとは確か

冒険者が利用している商店に依頼するという方法もあったと思います。

まあ、ただ、記憶が曖昧なので間違いかもしれませんが。

 

まあ、ゲームの話はそんな大事じゃないんですが、最近、昆虫というか

虫の写真をやたら撮りまくっているんですが、その画像を整理する上で

どういう虫かを調べる必要がありまして。とくに固有の名前ね。

 

この虫の名前を調べる作業をしているとその「鑑定」みたいだなあと。

 

写真を撮る場所(ロケーション)は迷宮(ダンジョン)。

被写体(ターゲット)は魔物(モンスター)。

探し回って遭遇(エンカウント)。

シャッターを切るのは戦闘(バトル)。

ベストショットは会心の一撃(クリティカルヒット)

撮った画像(ピクチャー)は財宝(トレジャー)。

 

 

コガネとか、バッタとか、クモやら、チョウやらだいたいの科の辺りは鑑定は

できるけど、それ以上となると中々大変ですね。手元にある有力な資料は

昆虫のポケット図鑑なので説明が不十分だったり、記載されていない虫が

あったりで、不十分。

 

ネット上でも図鑑はいろいろとあるんですが、こちらも、ナニブン、無料で

見られるものですから、なかなか該当するものが見当たらない事も多々あります。

 

撮った写真と図鑑の写真、イラストを見比べて一番特徴が一致している

ものを選択する。姿が似通ったものは解説文の体長、出没する地形、時期

で推測をだすのですが、似てるものが多いともう大変ね。例えばヒョウモンなんたら

という蝶はポケット図鑑でも10種類ぐらい載ってて、特徴らしい特徴を見つけるのが

大変。

 

その虫が成虫の状態ならいざ知らず、幼虫の状態だともうね、わかんないですよ。

基本的に成虫の状態しか載ってない。ポケット図鑑。

 

かといって本格的な昆虫図鑑はね、値段がね。

中身を確かめられない高価なものはとても買えないですし。

 

まあ、それは置いといて、ここ最近撮った画像↓↓

 

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ゾウムシ?

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マメコガネと花

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たぶんバッタの幼虫

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セセリチョウ

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おそらくウラギンヒョウモン

 

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ナガコガネグモ

 

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アブ?

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ナナホシテントウVSエゾアカヤマアリ

 

枚数大杉ですね、ここいらで止めときます。

載せたい画像は山ほどあるのでキリなしだし。

 

ああ、あの虫のあの画像も載せたい~。

 

ですので単独で投稿にネタしてしまおう。

 

しっかし、ここんとこの撮影枚数がとんでもないことになってるなあ。

一日100枚以上のペース…

今のカメラ買って1年と2ヶ月ぐらい。現在、通算23500枚を超えました。

今月に至っては今現在で3550枚超えてます。

日に日にペースが早くなってるねえ。どこまで行くんだろう。

 

ともかく画像を整理する時間がかかって仕方ない。

なんとかならないもんだろうかね。

衝撃の瞬間

先日、おそらく渓流、山の中の小川ですかねえ。

そこを歩いているとすごいものを見たんです。

 

なんと、

 

川を泳ぐイカがいたんですよ。

真っ白いスルメイカ。

 

え~

 

しっかし、

 

淡水でも生きられるイカなんているんだっけか?

 

 

まあ、目を閉じて見る方の夢の中での話なんですけどね。

って、夢オチですかい。

 

寝るときはテレビをちゃんと切ろう。

おかしな夢を見る確率が格段に上がる。

 

まあ、よく、「別に眠るんじゃなくて、すこし横になって休むだけだ」

と寝入ってしまうことは日常茶飯事だったりする。

殺伐の大地

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もう少し早く気がついていれば良かったのかもしれない。

ベランダの里芋の葉の色が最近良くないなと思って

よくよく観てみると、極微少な、夥しい虫の群れが…

体長は大きい個体でも1ミリにも到底満たない。本当に小さい。

ダニのような類だろうか。手元のポケット図鑑では調べようもない。

丸いのは卵であろうか?赤い個体は何だろうか?

蜘蛛のように糸を張り巡らしているようにも見える。

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とりあえずせっかくなので撮影しておいて、あとは処理を

しないと。

 

こいつらはこいつらなりにコロニーを形成して、ある種の社会とも

呼べるかもしれないものを営んでいるのかもしれない。

 

それでも、私にとっては害虫でしかない訳で。

 

このまま放置すれば里芋の生育に悪影響なのは明白。

 

最悪、枯れてしまう可能性は大いにある。

 

ちょっと前に。

大根葉の茎、根元に入り込んで食い荒らすタイプの芋虫がいた。

そいつは茎のごく一部をかじってるに過ぎないが、根幹部分を

食われては、其の先の茎、葉の部分は枯れていく。

新しい芽も生えてすぐに食われて成長できない。

こうなってはもうその株は枯れるしかない。

 

一見目立たない部分にいる分、外敵に見つからない。

生存してゆくにはとても賢い選択ともいえる。

 

虫、生物ってのは、えさになるものがあればそこに生じ、見境なく貪る。

大多数で貪り食い尽くしてしまえばだれも生き残れないはずなのに。

 

そういった事を予見するような能力は虫にはない。そこで大量に死んだとしても

どこかで生き残った個体があればそれを元にしてまた数を増やす。

 

そう言う繰り返しの結果、自然は調和しているのであって、自然という

状態はそれほど甘いものではない。「みんな仲良く手をつないで平和」

なんてものは存在しないのだろう。

 

平和ってのは、秩序ってのは、そこにただ漠然と発生しているものではなくて、

だれかが明確な意志を持って行動しているからこそ維持される。

 

まあ、よくある説教ネタに、「人間ってのは他の生命を頂いて生きている」系

な話がありますが、肉、魚についてはそれは割とよく分かりますが、野菜に関しては

ちょっとそいうのはあんまし実感できないもんであります。

 

しかし、

農作物ってのはそれに群がる害虫、害獣を大量に駆逐し、排除して、その結果

収穫し食卓に上るわけです。

 

まあ、それに感謝するのは個人の自由かもしれない。ただ、直接に手を

下していないだけで、生きるものを大量に殺してる事には変わりないですね。

 

野菜って食品はある意味、場合によっては肉魚よりも、数の上では大量の

生命を殺した上でできているものかもしれないですよ。

 

「一寸の虫にも五分の魂」という言葉もありますし。

 

なんか、やっぱし、ベジタリアンにはあんまし共感できない。

 

まあ、どうあれ、食べ物は粗末にせず、大事に食せという事ですかねえ。

調理をする手間も馬鹿にならんですよ。

輸送、加工にどんだけco2を排出してるのかも無視できない。

 

なんか説教くさいオチになってしまったなあ。

晩夏の晩蚊

 

夏の終わりのころの蚊というのはとても厄介だ。

体長こそ小さいが、なかなかどうしてすばしっこい。

満を持して撃墜しようとしてもその風圧によってなのか

回避される。そして体長が小さいからこそ視認が難しい。

叩いた手に気を取られるともうどこへ逃げたのか見当が付かない。

 

壁面に留まった瞬間に標的が次にどう動くのかを考慮しつつ、

標的のやや上の空間に向けて迅速に、勢いよく、パチンと良い音を響かせながら

お手々の皺と皺を合わせて合掌。南無~。

 

まあ、そんなこんなで秋は深まってゆくわけですねえ。

雑談

「正義に燃える」って表現がありますが、これの「燃える」の箇所を

「萌える」に変えると、あら不思議。「正義に萌える」なんともミーハーな

チープな正義感みたいなニュアンスが感じられる。

 

「萌え」本来の用法として「草木が萌える」というのがありますが、

これも入れ替えると、「草木が燃える」ってなんか山火事?

ナチュラルな雰囲気が一転、環境破壊です。

 

話は変わって。

 

月曜日のゴールデンタイムに人気の酔うと露出癖のある

タレントさんとゲストが主に日本のどっかの集落、村、町に

出かける番組がやっていたりしますが、普通、この番組を

視聴する方はある種の和みを感じていられるのだと思いますが、

私はどうにも、この番組を観てるとイライラしてしまいます。

 

それはなぜか?

 

タレントの人の不躾で横着な態度ではないです。あれです。

画面の中によく灰色のふわふわした毛虫が映り込んでるところです。

 

音声を収録しているであろうマイクが頻繁にフレームインしてくるんですよね。

 

私が心得違いをしていないのであれば、出演者以外のスタッフは見えては

いけないもののはずですよね。

 

行き当たりばったりな番組なので、状況的にどうしようもなくて見えて

しまう事はあります。ただ、あまりにも多すぎる。特に天井が低い訳でも

ないのに上から毛虫が下りてくる。とても自然に。

 

中の人は気にならないのかなあ。二台あるカメラの一方が

フレームインする場合は一応、避けてるみたいだけど。

 

番組の構成的に多少音声が上手く拾えてなくても字幕をガンガン演出で多用して

いるのでそれほど問題ないと思うのですが。

 

そんだけ気になるなら観なきゃいい?できればそうしたいけど、

丁度うちは夕飯時なので家族が観たがるので致し方なし。

某先の副将軍様を観る訳にもいかんし。

 

ともかく、灰色の毛虫は嫌いです。

ぶらり道路の車窓から其の壱「山梨」

もう夏も終わりかけてますねえ。

お盆は皆様どう過ごされたでしょうか。

ウチは日帰りで中央自動車道で山梨までとか、日帰りで中央自動車道で信州

までとか行ってきました。

 

さいわい、東名道の例の崩落事故の影響をもろに被るタイミングを外れてか

さほど酷い渋滞に巻き込まれないですみました。

 

最近は運転をしないでもっぱら助手席がデフォルトな設定。

といってもナビゲーターと言う訳でもないです。カーナビは

付いてますので。で、何してるかというと、

 

字数はひらがな表記にすると8文字で、「し」で始まって「い」

で終わる、真っ暗な場所ではできない、レンズから取り込んだ

光を電気信号に置き換えて静止画像としてのデータを記録媒体に

記録する行為、そう、あれです。

 

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トンネルとナビ

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下り坂からの好景

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フェンスを越えて

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雲と山脈

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含みのある表現

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建ち並ぶ家々

 

動いている乗り物から写真を撮るのはなかなか難しいもので、

もたもたしているとあっという間に被写体は通り過ぎていきます。

 

でも、そこがいいんですよねえ。なんというかシューティングゲームというか

流鏑馬というか。

 

撮影という一見、静的に思われがちな行為に一瞬を切り取るという明瞭な

アクティブさを強く感じることができます。

 

撮りにくいからこそ、良いカットが撮れたときのの感動もひとしおです。

 

「其の弐 信州編前編 ~山の観光地は蕎麦ばかり~」にたぶん続きます。

キャラクター考察

キャラクターってのはいわゆる偶像。ある種の神様ですねえ。

信仰的な意味合いではなく、あくまで広義な意味でのね。

 

要とされる状況があればそこに生じ、その状況が

なくなればいつのまにか忘れ去られ、存在しなくなる。

 

まるで存在し、生きているように感じるが、自我というものが

存在せず、その代わりに、外部からの願望を存在の拠とするため

それが存在しなくなれば、関心がなくなってしまえば存在することは

できない。

 

人間は自分が自分を存在していると認識できれば存在を維持できる。

しかし、キャラクターは見ている、知っている人間の関心、執着心がなくなる、

見ている人間がいなくなれば、存在は消えてしまう。

 

見ている人の空想、思考の中である種の仮想的な自我が再生されている

に過ぎない。

 

仮想自我ってのは実在の人物、生きてる人間にもあって、その人物を見ていた

第二者、第三者が「多分あいつはこういう時はこうするに違いない」と想像する事で、

実際の本人が本当にそうなのかとは限らない。

 

あくまで、キャラクターという存在が起こす行動はだれかの仮想自我から

生じるもので、多くの人が思っているイメージとのギャップが大きい場合、

それは受け入れられない、そのキャラの存在感、普遍性、リアリティを

損なう。

 

実在の人、物ってのはキャラとして、偶像としての都合の良い要素のみで

構成されて存在していないので、その普遍性を損なう要素が多い分、

そのイメージを維持するのは難しい。現人神な状態はあまり長く続かない。

 

だから、実像が亡くなってイメージだけの存在になれば神になり、

イメージを失うとただの人になるのではないかなあ。

 

なんだか考えがまとまったようでなんか曖昧な気がする。

やっぱ日本語はむづかしいねえ。どうにも明瞭じゃない。

横文字、蟹文字は便利だけどかえって分かりにくくなるね。