KANAYAMA WIDE CONVERTER

日曜と特売日のスーパーとは戦場である。

いかに、人に先んじるのか、しっかりと戦術を立てておかねば、

ただただ疲弊し、ごった返す人の波に時間を浪費するのみ。機を逃せば

望みの品は手に入らない。

 

まあ、兎にも角にも先んじれば良いという訳でなくあえて、遅い時間帯に

行けば思わぬ買い得品に出会うこともある。

 

ま、そんなこんなで、午前は過ぎて。

 

「俺、この展示が終わったら、この貰った招待券で美術展観に行くんだ。」

 

と死亡フラグを立てずに終わってしまいましたが、ともかく決行しようと

思い至る。

 

急遽、予定の前後が変わるが、現地にたどり着く。

閉館時間まであと1時間ぐらい。まあ、それなりに観られるでしょう。

 

で、まあ、金山南口を出て目前の名古屋ボストン美術館まで。

「ヴィーナス展」を観る。と言うよりも展示の解説文を読む方が多かったかもしれない。

女神信仰は古今東西変わらぬようですねえ。

 

西洋の伝統的な美術をみるに当たってはギリシャ神話とか聖書とかについて

知っていないとモチーフの持つ意味とかがよく分からないので理解度が違う分、

作品をより楽しめるもののようですが、そうは思うモノのなかなかねえ。

 

なんだろう、原作を読まずに二次創作物から入ってしまうのと同じ事か?

でも、まあそれはそれで別段間違いでもないでしょう。作品をどう楽しむ

かは、鑑賞者次第ですねえ。

 

あと、こういうミュージアム系の展示を観るとき、個人的にキャプションの

英文を読み込んで和文と比較してしまう。

なかなか面白いもので、例えば、「何とか柄何とか模様碗」とやたら長い

漢字の展示物が英文だとただの「bowl」になってたりとか、油絵の「油彩」は

「paint on canvas」と和文では絵の具に注目しているけど、英文だと

絵の具を塗っている素材の方に注目していたりする。

 

で、肝心の展示については、ギリシャ神話でも、ヴィーナスについて

クローズアップしているので、理解しやすいですねえ。神話の同じような場面

表現している作品が何点か置いているので分かり易いかもしれないですね。

 

まあ、「パリスの審判」については確実に覚えました。

 

まあ、登場人物が言語によって呼び名が違ったりでややこしいかなと思ったり。

 

で、ヴィーナス展を観たあと、上のフロアでやってた名古屋城本丸御殿の

障壁画復元模写展が良かったですねえ。入り口辺りにあった、竹林虎図?

だったっけか、あれが一番気に入りました。猫のように丸まってる虎がたまらんです。

あと植物のマラカイトグリーン?の色合いも良いですね。

金箔の地はまるで強い日差しの様。

 

さすがは天下の御三家のお城の装飾ですねえ。

 

どうもここの美術館へ来るとメインであろう展示よりもこっちオープンギャラリー

の展示の方が気に入ってしまう。

 

この前もゴーギャン展を観に行ったのに、「ノリタケ」の方が印象に残ってる。

 

で、展示も観終えて、外に出ると良い夕焼け。これは絶好のチャンス。

 

じつは、注文していたニコンダイレクトの限定アイテム、ワイドコンバーターアタッチメント

「NH-WM75」が丁度お昼に届き、これは何か撮りたいなあと思ってたんですよ。

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金山駅周辺

 

金山総合駅の南口から北口までぐるっと外を回ってみた。

 

やはり、街中などの情報の凝縮したロケーションでは効果的。

フレームに入れたいモチーフが難なく入る。

 

まあ、安いものではないけど効果は確実にありますねえ。

広角レンズを買うよりはお手軽かと。

見た目以上にちょいと重たいのが難点かなあ。

グランプリと書いて何と読むのか?

いやー、世の中は広いもので、舞台の上に呼び出されたとと思ったら、

衆人環視の中で腰にベルト、手首に枷を嵌められ、市中引き回しの上、

1年後に展覧会を強制的に開催させられるという刑罰があるとは

知りませんでしたよ。えーこれって何の刑?

 

こんなに嬉しいことはありません。もちろん、人前で拘束された上に

引き回される事ではありませんよ。そんな特殊な趣味はもってはいないですよ。

多分。

どちらかというと逆の方がいいかも。

 

冗談はその辺にしておいて。

 

以前に似たようなチャンスを与えられたのはいいが、パッと花火が上がったと思ったら

そこで燃え尽きて、ウダウダとダラダラしていて、結果の現状はどうなっているのか。

と随分と悩みもしたりしましたよ。

 

もう、そういう釈然としない日々を過ごす様な真似はしたくない。

またかよと、悪態をつくような事ではどうしようもない。

ビターだとかのたまってるようではぬるい。

 

まだスタートラインにすら着いていない。それでいて、一端のチャンピオン気取り

なんて思い上がりも甚だしい。

 

万が一、前回を下回るお粗末な展示をしたらもう、足を洗うべきですねえ。

 

最近読んだ本のあとがきに、

中途半端な才能の人間ってのはその中途半端な才能にあぐらを掻いていたら

一生、一流にはなれない。そのくせ、下手にに才能があるからいつまでも見切りを

つけられず、ずるずると醜態をさらしてしまうのかもしれないといった様な事が

書いてあったんだけど、なんとも自分には耳の痛いものでした。

 

名古屋で屈指の立地を誇るギャラリーで展示させてくれると言うんですから

もうね、その期待に十分に十二分に応えられる展示をしたい。

 

また、自分自身の限界を見定める良い機会に相見える事に感謝。

これを自分の中で最高のものにしたい。どのような規模であろうが

与えられるチャンスに対して常に最高の仕事をしたい。そうでなければ

潔く止めたい。常にクリエーターとして死ぬこと覚悟して事に当たりたい

ものです。決断が早ければ早いほど違う生き方を模索できます。

 

まあ、理想論ばかり唸っていてもだめですねえ。「モノ」という形にしてなんぼ

ですからねえ。

 

その為にも、あと一年間、食いつなぐ為に、日銭を稼がないとなりません。

制作に支障がない程度に。

当たるも当たらぬもどちらも等しい

 

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ライブマーケット一日目終了。

 

本日はお日柄も良く、恵みの雨が時折、激しく降ったり病んだり、いや止んだり。

 

来場してこちらにアクセスしてくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとう

ございます。

 

まあ、このブログはご存じのごとく、ではないかもしれませんが、多分に、

ある種、「痛い」要素を含んでおります。が、あまり気にせずに、スルーして

生あたかく見守って頂ければ幸いです。

 

本日、初めて、当たらぬも八卦な事柄を扱うその道のプロの方お話を聞いたのですが

実に興味深い。です。

 

世の中には講談師という職業があるそうですが、そういった方々は実際には

見ても居ないことを、さも見てきたかのような風に話されるそうですね。

 

それに近似値なのかもしれません。どちらも同列に扱うのは失礼かもしれません。

どっちに対してなのかは存じませんが。

 

いや、痛いところに手が届くというか。心当たりが有りすぎて、在りすぎて、

もうね。ある種の言葉の手品には大多数の人に当てはまるような事を

指摘して、さも、対象者を見透かすような錯覚を起こさせるそうですが、

そんなレベルじゃありません。と思いました。多分。

 

自分自身がうすうす、「こうすべきではないのか」と思っていた所を指摘され

てもう、やたらと頷いてるのみでした。

 

端的に言ってしまえば「アピールが足りない」に尽きます。

 

たかが、占いなのですが、それをどのように使うのかは当人の自由です。

 

根拠なんてないのかもしれない。でも根拠とはなんぞや?

 

なにかで成功するには実力がなくてはいけないかもしれない。

しかし、それは絶対条件とは限らない。時に、残酷にも、多分に

運の良さが雌雄を決してしまう事はあるようです。

 

今、読みかけの本があって、とある有名な武将の有名な合戦である

「桶狭間の戦い」はドラマチックな奇襲作戦ではなかったらしいという説が

あるそうで。

 

ある勝敗が決した時、人間というのは勝った原因、負けた原因を分析、推量して

しまうものだそうで。

その勝ちが劇的であればあるほど、その勝因を探してしまいたくなる。

 

しかし、それは単にたまたま相手陣営に不測の事態、天災に見舞われ、その結果

ろくに戦力を発揮できずに、戦力差が格段に下の相手に負けるのなんてのは決して

あり得ない事ではない。

 

しかし、そういう類の幸運を、可能性の低い幸運を呼び込むには最善を尽くして

いなければその確率は限りなくゼロに近い。諦めた時点で試合は終了です。

 

諦めないで最善を尽くすにはどうすれば良いのか。どうすべきなのだろう。

 

何かを疑っていてはその原動力たり得ない。

血路を開くには何かを強固に信じなければと力になり得ない。

 

疑うことは回避する事、逃げる際には有効に作用するのかもしれない。

信じることは向かい合うと覚悟を決めるということなのかもしれない。

その迷いのない攻撃の威力は計り知れない。

 

その一撃のための一助としての占いは比較的、リスクは、代償は

易いかと思います。

 

例えるのなら、

 

自分が役者だとする。与えられた役になりきるのに台本を読んで、

その台詞の語間を読み、この役、このキャラクターはきっとこうなんだ

と想像してその役になりきる事。その「語間」に当たるのが占いかもしれない。

 

かもしれない。多分。

 

まあ、私の直感も当たらぬも八卦のようなものかもしんないですけど。

 

ともかく、今年か来年出会うという「運命の人」とはどんなんだろうねえ。

 

自由を愛する「木」な人間がお送りいたしました。

 

もう、こんな時間なのに眠くないのはレッドブルのおかげ、というより

レッドブルのせいなのかもしれない。

ライブマ搬入道中記

明日、明後日行われるであろう、行われるに違いない。いや、

行われるライブマーケットの搬入に行って参りました。

 

車を手配して積み込んで出発。

 

夕刻。薄暮。サンセット。マジックアワー。

この時間帯、特にこの季節は夕方の景色は良いものですね。

つい、車を運転しててもカメラを構えたくなる。

 

しかし、今、この瞬間、私はドライバーであり運転手である。

パイロットでもなく水先案内人でも、ましてフォトグラファーたり得ない。

残念ながら。

 

とある免許の教則本にも書いてある。夕方、薄暮の時間帯はとても

危険な時間帯であると。空は昼のように明るいが、地面は夜のように

暗い。よって、昼の感覚でいると、暗くなって居るのに気がつかない、

見えないのに見えてるつもりでいると、思わぬ事態になりかねない訳で。

 

まあ、それは置いといて、吹上から若宮大通りを西へ、矢場町へ向かっていると

名古屋名物?100メーター道路に自動車が殺到、渋滞というか信号待ちしていると

一面真っ赤なブレーキランプが遙か遠くまで続いていて、

「まるで怒り狂った王蟲の群のよう」な迫力。もうね。まあ、こっちはどんどん

離れて行くので威圧感は無いですがね。

 

まあそんなこんなで搬入を完了しました。

 

ご用でも、お急ぎでもある方でも、寄って観に来てくださればコレ幸いです。

ブースは矢場公園の特設大型テントの西側辺りとなってます。

すいません。東側テント、公園中央付近でした。

私の心と秋の虫

買い物から帰って勝手口から買ったものを入れる。

家の壁に蛾?が張り付いてる。

やたらと平ぺったい二等辺三角形のようなフォルムで

本当にへばり付いているというのが表現として合ってるかのよう。

 

低く折り曲げている前肢、ピンと一文字に伸びた触角?らしきもの。

なんか、ステルス爆撃機のような先鋭的でかっこいいねえ。

蛾?△

 

で、図鑑で調べてみたものの特定できず。多分、蛾の一種ではある

と思うけど、案外蠅、蚊の類という線も否定しきれない。頭が蛾の

それっぽくない気がするんだよねえ。

 

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で、話は変わってもう一枚。

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家の外に置いてあるパルプ溶解専用の二槽式洗濯機で作業中にノソノソと登ってくる

虫一匹。

随分と小さいけどどうやらカメムシの一種だろうねえ。

様子を見てると金属パイプの棚まで登ってじっとしてる。

これは撮るしかないだろうと、カメラを取りに家の中へ。

急いで、虫撮り用の望遠系レンズ+接写リング+小型外付けフラッシュを

装着して再び外へ。まだそこにいる。間に合った~。

 

急いで2~3枚シャッターを切ると急に羽根をひろげて飛んでいってしまった。

よってイマイチ設定を調整する前で白飛びな画像しかないんだけど、

ソフトである程度修正してみたけどやっぱりちょっとね。あれだね。

 

こいつはすぐに分かってコバネヒョウタンナガカメムシだそうで。

 

小さいながら面白い形をしている。特に特徴的なマッチョな前肢。

以前撮ったホソヘリカメムシは逆に後肢のマッチョな太ももがいいし、

ホシハラビロヘリカメムシは白い腹がいいねえ。

 

ってなんか妙にマニアックな話になってんねえ。

パルプ作品考察

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ライブマーケットの準備も佳境です。はっきり言って目標、いや理想というレベルまで

物理的な時間が足りない。制作以外の部分が気になって集中できない。

 

まあ、こんな状態はいつものこと。ここで無駄に精神をすり減らして、会場で

セルフ反省会開催モードになって自己嫌悪に陥っている状態で、観に来ている

お客さんに感じ悪くなったりでもうね。アホかと。莫迦かと。アボカド。ドリア。

 

さすがにええ加減これではいかんのですよ。以前の自分であるならそこで

そのままなんですよ。

 

久々に大型作品に手を加えて気がついた事、いや、明確に分かった、意識できた

事があります。自分のパルプの作品は完成、というよりも完了、完結することは無い

んですね。

 

手を加えればその分成長し、その形状のさらに発展する先の形が見えてくる。

そこでまた手を加えるとまた違う形のイメージが出てくる。巡り巡る造形の無限地獄。

 

通常の、根っからの理想的なアーティストであるならば、多分、ここでゴールが

見えるまで時間制限なしに突っ走る訳ですが、下手にデザインをかじってしまった

自分、私自身はどこに、いつまでに用意して展示するという、動機、きっかけを外に

依存しようとする。

 

時間的制約という厳しい枷をつけた状態でやる訳ですから、当然、理想的な形

まで至る前に時間が来てしまう。そこで自分の中で折り合いをうまくつけられず

自分の技量のなさに原因を探してしまう。しかし、本当にないのは自分の認識力の

なさ。

 

完結しない作品を作り続けても良いのではないだろうか。

つねに変化、成長し続けるのが自分の作っている作品なのだと言うこと。

 

自分の作品が完成しないものだという事と、もうひとつ分かった事がある。

 

自分の作品はどんなに切り刻もうが、溶かそうが死なない。ということ。

そこに一片の残骸がのこればそこからまた新しい形を作ることが出来る。

 

もうね、なんとも気味の悪い怪物だろうね。ある意味、不老不死。というよりも

無老無死かな。老いる、死ぬといった概念を否定するというよりそいう概念すら

無い感じ?

 

まあ、その前提にはその造形を作り続ける人間がいる事が必要なんで、完全絶対

な存在という訳ではないんですがね。

10/17-18のライブマーケット

 

つい最近

テレビを観ていると「太い事」を売りにしているであろうタレントさんが

グルメリポーター的なことをしていて、魚料理だったかを口にした瞬間こう言ったんだ。

 

「すごい脂がのってる~!」てね。

で、オイラは思わず叫んでしまったんだ。

「すごい脂がのっているのはお前だろが~!」ってね。

 

心の中で。ええ心の中。心の中ですとも。

テレビにマジにツッコミ入れるなんて痛い事をやる訳がないじゃないですか。

 

と信じたい。自分を。

 

イメージ的にはダウンタウンのごっつええ感じの確か、やくざが借金の

取り立てに行くんだけどなんやかんやで情に絆されて回収できないというコント

の中でやくざの親分役の松ちゃんが海に潜ったガチャピンが言ったという

「わー海の中には不思議な生き物がたくさんいるよ~。」的なコメントに対して

「一番不思議な生き物はお前じゃ~!」な感じで突っ込んでるのとデジャヴュ

な感じ。

 

 

そいや、先日、とあるテレビ局のバラエティの歴史を振り返る的な

この季節ありがちな特別番組があったんですけどね。

なんか、微妙でしたねえ。倉庫と見せかけてじつはスタジオって見え見え

なのは、まあ、バラエティですからそんなやらせを突っ込んだところで

演出の範疇かとは思いますが、その番組の一応のお題目を上げておきながら

最後の結論が「それはみんなの心の中にある」的な落ちてないオチをナレーション

で入れられて何とも詰まらない終わり方だったのは駄目だねえ。

 

そのお題目の制約なのかもしれないけど、「笑う犬」が触れられていないのは

どうにも納得がいかんですよ。

 

まあ、「やるやら」の映像が出てる所で結構危ないことやってたんだなあと

当時を思い出してました。まあ、番組が終了した理由が事故だったのは

なるべくしてなった。といったところですかねえ。

 

えーとそうだ、今週末、名古屋、栄の矢場町、と言う表現はあっているか

分かりませんが、その矢場公園にてライブマーケットが開催されます。

そこに出店してます。まあ、なにか売ってるというわけではないですが。

コレ系のイベントって入場料取られる事が多いですが、このイベントは

無料で自由に出入りできます。

 

週末に名古屋の栄辺りに用事のある方はどうぞ立ち寄ってみてください。