まだ梅雨っぽい天気が多いですねえ。
在るはずのものが在るべき場所に亡いと人間ってのは
フラストレーションがたまりますねえ。
在ったことを思うと、亡い現状がひどく不都合に感じるので
思いたくない。とりあえず今は。
一人の、人間という存在は身体を境界として考えてしまう
ものかと思うけど、人間の存在は身体を中心とし、外との
境界は在ると認識できる所まで、という様なことを以前、
ウェブのどこかに書いたと思うんだけど、今もやっぱり
そうじゃないかなあと思う。
認識していたものがなくなるのが寂しいのは、
悲しいのは、精神的な身体の一部が欠落して
しまった痛みなのかもしれない。
外の世界からだと、石ころ一個なくなったのと
代わりないのかもしれないけど、中の世界から
だととても掛け替えのないもの。
だから、人が見たらとてもとても些細な、馬鹿
馬鹿しい事に騒いで何を幼稚な事を言ってるのか
と思うんだろうけど、それでもいいやと。
猫を亡くして喪に服した明治の文豪の気持ちが
今ならよく分かる気がする。