人生に於いて凡ての経験は財産であるらしい。All the experiences seem to be the properties in the life.
date
6/05/2010
人生において、個人のプライバシーを衆目に晒される儀式というのがあります。
出生、経歴、家族構成、交友関係を暴露されて、さらには幼少期の夢まで。
恥ずかしがりや、照れ屋な、シャイな人間にはとても忍耐を要する儀式。
家と家との関わりの上で大切な儀式のひとつとされるが、その理由はその
ファミリーの、血だけの意味ではなく、縁という不思議なもので結ばれた
一団の、その結束、結びつきを強くする為の儀式。
プライベートな事を知ってる人間というのはやはりそれなりに親しい仲で
ある訳で。
自分を知ってくれている、その存在を理解してくれる人間がいるというのは
それだけで財産だと思います。
プライベートを曝け出すという事は晒す相手を信頼しなければあり得ない。
信じる事ができるというのは強い人間しかできません。
真に強い人間というのは信じる事ができる人間です。
それに人から信頼される人間は強くなれます。
とかく、儀式というのは、無意味で、お金の無駄。
と、最近は考えられがちですが、人脈、人間関係もとても価値のある
財産です。
親の趣味、文化的趣向はその子供にとって相続できる財産であるのと同様。
有価証券、不動産、国家の発行する紙幣ばかりが財産ではないんです。
儀式というのは「おまじない」めいていますが、医療行為の原点というのは
「おまじない」らしいです。
何らかの、物理的、精神的効用が期待できるからこそ儀式というのは存在しえます。
まあ、そんな訳で華燭の典に人生で2回目の列席をして他愛も無い、大切な事を考えた
土曜日でした。
というか、ここまで自分のつくった作品を置いてもらって恐縮でした。
良い経験もさせてもらって、申し訳ない。
自分は人から貰ったものをちゃんと返しているだろうかと思いつつ黄昏れる。
また、明日から頑張りますかねえ。
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