犬が西を向けばその尾は東を向くと言う。-Looking west dog, say the tail toward the east.-


バナナの皮は黄色いのに、乾くと茶色になるのは何故だろう。
オレンジの皮は乾いてもオレンジ色のままなのに。

ああ、でも草とか葉っぱは枯れると茶色になるな。

そいや、バナナの実は熟す前は緑だな。それが黄色くなって、
乾かなくても熟し過ぎると茶色になるな。

多くの木の葉も黄色く色付くよね。

つまり黄色は葉緑素が抜け出る一段階。
 ということなのかな。

まあ、門外漢なので正しい仮定なのかは分かりませんけど。

 まあ、でも、自分なりに考えて、推定して、考えをまとめる
ちゅうことは大事ですよね。それが間違いでも、正解でも。

いや、むしろ、積極的に間違えるべきなのかもしんないですね。

正しさというものに捕われ過ぎても、こだわり過ぎても、そんな
つねに一直線に正解を求める姿勢ちゅうのは面白いんかねえ。

正解ってのは結果とも言えないですかね。回答てのは問題のゴール、
結論であり結果。

難しい問題というのは、様々な仮定、可能性を考えて、その仮定は
 正しいのかを確かめて、自分が立てた仮説に正解があるのかを
探さないとなかなか出てきませんよね。

まあ、人によっては類い稀なる直感や、単に運が良いだけとしか
思えないように一発で正解にたどり着く方がいらっしゃいますが、
 そういうのって、基本的に、原理原則の中の例外、レアケースで
 あって、そういうスマートさに憧れてしまうと、高望みして
しまうと、どうにも無理をして近道をしだして、しまいには
カンニングとかルールを逸脱した行為に走りがちです。

たとえスゴいと思われる人間でもものすごい数の問題を解いて
いるから、新しい問題を過去の様々な回答から分析して
 答えを出せるんですよね。

 疑問、問題というのは一種のゲームです。
 例えばロールプレイングゲームでレベル100までキャラを
 育てる事を、一つの問題として仮定して、そこまで到達する
にはいくつも方法があって、その中には割合、労力が少ない
ルートがあったりします。

なかには全く労力のかからない禁じ手があったりします。

でも、そんな手を使ってまで労力を惜しんでズルをするのはもう、
ゲームをプレイする姿勢として根本的におかしいですよね。

 ゲームがめんどくさいならもう、それは続ける意味がないです。

ゲームのしちめんどくさい、手間ひまをこなしてこそキャラだけでなく、
プレイしている プレイヤーにも経験値が入るというものです。

無駄と思える行為に自分なりの意味とか価値を見出すのって活きる上で
不可欠ですよね。

ま、高々、ゲームなんかをチートまでしてプレイするなんて人間が小さいですねえ。
と、言ってしまうとちょいと語弊がありますねえ。

「ゲーム感覚で物事に当たる」と言うと不真面目にとられがちですが、それは
違いますよね。

ゲームってのは真剣に熱中してやってこそ面白いじゃないですか。

だから別段、不真面目でも何でもないです。

ゲームに熱中できない人間は何にも真剣に向き合えませんよ。

ま、ある程度の冷静さってのは何をするにおいても必要ですけどね。


さて、何か、オレンジの皮の色が乾燥しても変わらないという問いの
答えが出てない気もしますが、ここいらで終わりたいと思います。

ま、そのうち分かるかも知れないですし。急いては事を為損じるとも
言いますし。

続ける事が大事ですねえ。何事も。

ま、犬が西向きゃ尾は東のように当たり前な事ですねえ。

って、無理にタイトルと絡めて切り上げます。

では皆様。おはようございました。

描くだけが絵じゃない。写真は撮るだけじゃ意味がない。-Not only draw the picture. Then pictures are taken does not make sense.-


桜だけが花じゃない。と言いつつ桜の絵です。

どうしても、作業が立て込んでくると、やりたい事ばかりで、
収集つかないと、どうにも時間が一日が24時間で終らないですね。

時間がどんどんずれ込んで夜の住人に、アンデッドな生活になり
がちでございます。

不健康なのは分かるんですけど、自分がこうしたいと言う思いに
正直であろうとすると、一般的な模範解答ではどうにも収まりが
悪くなってしまうものです。

まあ、それでも、睡眠時間には敏感なので、一日8時間は寝てないと
体の調子というか意識をしっかりと保てないような気がしてどうにも
駄目ですね。

まあ、最近は物理的に目の疲労が誤魔化せないので完全な徹夜は無理
ですね。

よく、仕事で忙しい親御さんがお子さんに「また今度な」と言ってしまう
なんてのはまあ良くある事ですよね。

その今度が何時なのかは誰も知らない。 別段、嘘のつもりでも
なかったのに、結局はその「今度」が来ない。結果として嘘に
なってしまう。

その約束した時点では本当であっても、時間経過によって嘘になって
しまうことはいろいろあります。

 嘘をつかないと言う事は、言葉だけの事ではないですね。有言実行してこそ
それは事実であり、偽らわざる本当です。

夢を夢のままにして諦める、それは過去の自分の思いを裏切る、
今の自分が過去の自分に嘘をついて騙した事なのかもしれません。

少なくともそういう後ろめたさを感じずに居られないので、
人は色んな言い訳をするんですよね。

嘘をついた相手が自分自身だと、どうにも色々な線引きが曖昧になって
結局、自分を許せていない事に気が付かなかったりするんですよね。

そういう完結しない曖昧な感情が積もり積もっていくと、人は知らず知らず
疲弊して行くものかも知れないです。

ま、ですから、極力、自分の感情に素直に、思い立った事は可能な限り
溜め込まずに実現して行きたいと切に願って、少々の無理をしてみたり
します。

やはり、物事には終わりが無いと苦しいですよ。結果のでない中途半端なの
は意外に苦しいものです。

だから人生には終わりがある。だから救いがあるんですよ。

終らない人生。いわゆるフィクションの世界で多くの悪の権化たる
敵役が欲する不老不死ですよね。

もしも、普通の人間がそんなものをまかり間違って手に入れてしまったら
もうそれは悲劇というか、何と言う無限地獄でしょうかね。

自分という一個体が永久に生き残っても全く意味がないですよね。
孤立無縁の孤独地獄。地獄に堕ちたのと同じ事ですね。
人間ってのは「人の間」と書いて人間です。人と人との間がなければ
それは人間ではないですよ。

まあ、それでも、孤独である事に何の躊躇もせずに盲進できる時点で
そんなのは人間ではないですよね。非情で無情です。

それはもう神か悪魔でしょう。

まあ、万が一、技術の進歩で遠い未来に人間が永久的な命を
手に入れたらその瞬間に人間でなくて神になるのかもしんないです。

おっとっと、話のスケールがえらいとこまで飛んでしまいました。

ちょっと半徹で気持ち、気持ちがハイになってるかもしんないです。

まあ、こうやってブログの投稿がやたら長いのも、自分の感情を
可能な限り吐露したいという思いからなのかもと思った次第。


さて、多分ここからがこの投稿の本題です。
なんだかクイズ番組みたいな言い方だなあ。

先日絵を描く際に下地になる素材、テクスチャーといいますか
それの上に絵を描くことをしたんですが、ちょっとそれが変わった
感じで、写真を元にして、素材にして絵を描くという方向になって
きてます。

ブログ読んでる方は分かると思いますが、私は結構なペースで写真を
撮ってるのですが、実情、これはいいなと思って撮った写真も記憶装置の
中に堆く積まれているだけで、日の目を見ない画像が唸るほどあります。

自分は一体何の為に写真を撮ってるのだろうと、これは何かに
繋がらないのかなと少なからず思っていたんですけど、今日、桜の
写真 を素材にして絵を描いてみて何だかしっくりきましたね。

ああ、こういう感じというのがちょっと見えたような。

以前はコピーライト代わりに写真にちょっとラクガキする程度の
事をやっていたのですが、もっとそれを材料にして切った張ったの
作業や、PCならではの各種の色補正、フィルタを使っての総合的な
描画。

というよりも、あれですね、いわゆるモダンメティエのひとつ。
コラージュのですよね。

絵や写真を切ったり貼ったりその上に描いたりするんですから、
原理的にはコラージュですよね。

まあ、CGを専門としている方々からすると当たり前で、
「お前なに言ってんの」なレベルなのかもしんないですけど。

なんだか絵って、描くものだという固定観念って強いですよね。

どうしても写真とかをベタベタ貼って作品を作るのって世間一般的な
作品というものからすると亜流というか、マイノリティというのか。

なんか自己の画力でなくて素材の力を借りて構成しているみたいで
なんとなく卑怯臭いイメージってあると思います。

まあ、でも、厳密な事を言えば、典型的な絵画だって、支持体の上に
色材を筆に引っ掛けて運んで配置しているわけですから、完全に別なもの

と言い切ることもできないのではないかという気がします。


まあ、こういう、世間一般の常識というものを疑って新しい発見を
するというのも面白いものですよね。

まあ、かなり昔にそんな事分かっていたのかも知れないですけどね。

ですが、今、自分の感覚としてしっかりと感じられた事は大事です。

やっぱ、知識は実感が伴わないとちょっと弱いですよね。


Lantern fish dried overnight.
Lantern fish dried overnight. posted by (C)かゆきゅう

さて、結論らしい結論が出たのでここで終りたいと思いますが、
準備してた写真が余計になってしまいまみた。

失礼、噛みました。

ああ、ハダカイワシとその英名ランタンフィッシュのネタもちょっと
書きたいなあと思いましたが、ここいらが心身の限界です。

ま、言語、文化間における、価値観というか、目の付けどころの差は
比較すると面白いですよね。

人は足があればどこだって行ける。行こうと決意さえすれば。-People can go anywhere if they have legs. If you decide to go.-

エビフライさんズの図。
なんとなくポケモンの進化前と進化後みたくなってるねえ。


さてさて、いつもの小幡緑地東園から始まりますが、今日は、ここから下志段味までを
歩きます。

Yoshino cherry blossoms are in bloom.
Yoshino cherry blossoms are in bloom. posted by (C)かゆきゅう

ソメイヨシノももう結構咲いてるなあ。

Yellow flowers.
Yellow flowers. posted by (C)かゆきゅう

ひゅうがみずきだったかな。黄色い花が付いてる。

Thunberg's meadowsweet.
Thunberg's meadowsweet. posted by (C)かゆきゅう

で、こっちはユキヤナギ。まあ、別名もあるみたいだけど、札に
書いてあった。

Under the shade of trees dandelion.
Under the shade of trees dandelion. posted by (C)かゆきゅう

クスノキの木陰で咲くタンポポ。なんかいいなあ。

Dandelion colony.
Dandelion colony. posted by (C)かゆきゅう

東屋というか藤棚の前のタンポポコロニー

こっからは、オバリョクを出まして長廻間をぶらりと彷徨う。
高速脇の道を行くと長廻間緑地という案内看板が。

Giant vegetables scattered around the park.
Giant vegetables scattered around the park. posted by (C)かゆきゅう

おおお、ぬあんじゃ、こりわ~。巨大な野菜が公園に転がっちょる。
くもみ、さっそく獲りにゆくぞ~。


Chinese cabbage Type of park signage.
Chinese cabbage Type of park signage. posted by (C)かゆきゅう

って、入り口にも白菜モチーフの塊が。

なんか小さな公園とレンタル菜園が組み合わさった、変わった公園なんだな。

しらなんだわ。

で、まあ、更に高速道脇を歩く。で、遊歩道の入り口みたいなところで「太鼓ヶ根緑地」
というサインを見つける。

Rather than green and the promenade.
Rather than green and the promenade. posted by (C)かゆきゅう

確かに緑はあるが、遊歩道じゃないのコレ。

なんだかさ、緑地という言葉を乱用してないかな。これ以外にも守山区には
中志段味に安田池緑地ていうのが地図上は確認できるんだけど、現地を見る限り、
ただの林が広がってる、ほぼ整備されていないような所があったりするんですよね。

乱用でね?というかそういうものなの緑地ってさ。

個人的には「大きめの公園」という理解なんだけど。


で高速道脇の緑地を竜泉寺街道に近づいてくるとちょっとした工場地帯が見えてくる。

なんだかコーヒーのような香ばしい、でもコーヒーにしてはちょとマイルドな香り。
どこからだろうと上を見上げると看板が。


Sweet smell of fresh sign.
Sweet smell of fresh sign. posted by (C)かゆきゅう

黒豆茶か…。おいしいのかなあ。


もう少し下る。


Looking up the highway from the promenade.
Looking up the highway from the promenade. posted by (C)かゆきゅう

吉根から志段味支所まで続いてる自転車道と交差。

Roots drum months green space.
Roots drum months green space. posted by (C)かゆきゅう

何か富士山みたいな岩に太鼓ヶ根緑地のサイン。を見て自転車道へ。

Yellow tunnel before Thurs.
Yellow tunnel before Thurs. posted by (C)かゆきゅう

日の後あたりのトンネル前。

Sunlight through the yellow trees.
Sunlight through the yellow trees. posted by (C)かゆきゅう

この木何の木、黄色い木。


A very long slope.
A very long slope. posted by (C)かゆきゅう

で、志段味スポーツセンターのある高台の下辺りまで来ると何だか変なスロープ。

バリアフリーの一環なのか何なのか。

しかし、折返しの距離がハンパ無く長すぎやしないかねえ。微妙に勾配のある長いスロープ
を2回折り返すってどうなんですかね。で、折返し部分のアミのフェンスは何のためのもの
なのやら随分と気になるのですが。

すまんけど、このスロープ使うぐらいならこの脇の6~8段程度の階段使う。
自転車でも持って上がるなり下がるなりした方がマシな感じがする。

で、まあそんなこんなで、帰宅した訳ですが、いやあ、志段味は歩いてて面白いね。
いまだに未完成な住宅地だから、どんどん風景が変わっていくなあ。開発というのか
自然環境破壊ともいうのか。

まあ、商いですね、いや飽きないですねえ。

まあ、商いでもあながち文脈的に間違いじゃないかも。



Good luck in the core during production.
Good luck in the core during production. posted by (C)かゆきゅう

えんぎモン引きでモンシリーズ第2集の制作を進めてるのですが、まだこんな感じですねえ。

フォームの削り出しで一週間、盛りつけで一週間、仕上げで一週間でなんとか間に合うかな。

ああ、久々に制作関連の画像上げたな。何日ぶりだろう。

熱している鍋は混ぜ続けなければ焦げ付いてしまう。-Heat the stew pot that must continue to stir. Would otherwise burn the bottom of the pot.-

今日も今日とて、つらづらと話があっちゃこっちゃ飛びますので、まず、投稿タイトル
に即した話からしておこう。

今日、いや、すみません、コレを書いている時間からいくと昨日ですが。晩ご飯を
カレーライスにしたんです。

 カレーを何度か作った事のある方はお分かりかと存じますが、一般的な
カレーのルウのとろみというのは小麦粉や、糖分などが含まれているから
なのですが、そういうとろみを含んでいる液体というか、半個体を加熱する
際には、十分に撹拌をしないと、鍋底が焦げてきて、最悪の場合、まあ全部
焦がすという事は滅多にしなくても、焦げが重篤な状態までいくと、
焦げてない部分にも焦げたニオイが染み込んでしまいまして、正直、

マズいです。
おいしくないです。

ですから、加熱中は焦げない様によく鍋をかき混ぜないと駄目です。

ああ、別に今日、そういう失敗をした訳ではないですよ。
もう十年以上昔の話ですね。

ふと、思うのですが、昨今の日本経済の様相ってのは案外この、焦げかけてる
カレー鍋みたいなものかもしれないですね。

お金というのもおいしい、甘いものですから、一カ所に固まってしまうと鍋全体から
観ると非常によろしくない状態ですね。底の方に凝り固まって、お焦げが鍋に充満
してくると社会というカレーはどんどん焦げ臭くておいしくなくなってしまうの
ではないかなあと。

そいや王様のレストランで、毎回最初に料理にちなんだ格言みたいのが出てきて
ましたよね。

その中に、「社会で起こる事は鍋の中でも起こる」だったかその逆で、
「鍋の中で起こる事は社会でも起きる」かも知れない。そもそも「社会」で
合っているのか、もしかしたら「世界」だったかも知れない。
 まあ、その様な言葉があったんですが、

あながち誇張という訳でもなく、結構、的を得ている言葉なのかも知れないですね。


さて、さて、話は変わりますけども、まあ、この先は実に下らないので、読まなくても
結構ですけども。


先日、iPod、iPhoneのアプリが色々と復興支援の名の下にディスカウントされ、その
金額を義援金に回すとか、無料で提供というような自然発生的なキャンペーンが展開
されていたのですが、普段はおそらく目にも留めないようなアプリをダウンロード
してみたりしたんですよ。

まあ、その中にいわゆるギャルゲも含まれていたのですが、何と言いますか。

存在とか、傾向自体はネットなどを通じて何となく分かってはいたのですが、
なんちゃって半可通なマニアな私としてはここいらを機会にちょっと触って
みよかと魔が差したのですが、いやーすごいですね、最近のアプリは。

テキスト、グラフィック、音声のボリュームが半端ないですね。

ですけども、それがそれで良いとも言い難いんですよね。

大概のギャルゲってのはゲームのシステム的な区分でいうとアドベンチャーとか、
サウンドノベル的な位置づけになるんですよね。
ぶっちゃけて言うと色々な選択肢を選ぶ事によって物語が分岐する、一時期あった
書籍ジャンルのゲームブックの電子版というか。ノベルゲームというか。

まあ、ギャルゲではないけど、一番最近やったソレ系のゲームとなるともうね、
結構古いんですけど、プレイステーション版の「かまいたちの夜」だったか、「弟切草」
ぐらいしかないんですよね。

その頃のものもグラフィック面は結構キレイに出来てましたけど、さすがに「喋る」までは
なかったですねえ。まあ、その「喋る」演出方法が合ってるのかは別として。

言葉と一言でくくってしまっても、喋る言葉と、こういう風に書いている言葉って
厳密な話、異なるじゃないですか。

それを吹き出し部分だけとはいえ、音声で読まれてしまうとどうにも文章を読み
にくいなあと。

本の良い所って自分のペースで読める所がありますよね。でも、
そこに音声という要素が加わってしまうとどうにもペースが狂う。
いちいち全部の音声を聞くのが面倒というか、そこにどうしても待ち時間が
できてしまって、冗長になってしまうんですよね。

読み飛ばしてもかなりある文量なのにそんな音声をいちいち聞いていたら時間が
かかって仕様がない。

あれですね、最近のゲームでありがちな基本的に操作が出来ないムービーシーンと
同じですかね。そいや、某大作RPGをプレイしてて、最初辺りはゲーム進行上の
不都合があるといけないからと 真面目にちゃんとムービーを観てたのに、中盤以降
さすがに億劫になってしまって、結構な頻度でムービーをスキップしてましたね。

まあ、ムービーを観たい、このキャラの声を聞きたいという人もいると存じますが、
私的にはぶっちゃけて、歯に衣着せずに言ってしまえば、正直、必要ないんですよね。
制作者側に申し訳ないというしかないですが。

文章を読むときはそれに意識を集中させたいんですよね。
ぶっちゃけ、ビジュアル的なものも要らない。

ラノベで挿絵が要らないと思ってしまうぐらいのレベル。

なんというか本末転倒。

挙げ句に、かわいいキャラクターとの会話云々よりも、
うんちく知識の話に興味が向いてしまう。

いや、もっとそのパンクロックの話を詳しく聞かせてくれとか、
もうね、ギャルゲをプレイすべき態度じゃないな。完全に。

人間がすれてるから、人から訳なく妙に優しく接されると正直、
気味悪いというか、なんかコイツ企んでるんじゃないかと
身構える質でして。どうしても甘ったるい展開は苦手です。
作り話なんですから嘘くさくて当然なんですが、そこで一旦引いて観て
しまう。白けた目で事物を見てしまう自分がいる訳で。

ヒーローショーで中の人がどうとか言っちゃう中二と大差ない感じ?

ああ、なんかすんごいネガティブな自分を発見してしまったな…。
やだやだ。

まあ、今回、自分にはギャルゲが向いていない事を確認できましたとさ。

落とし神にはなれそうにありません。ま、 戯言ですが。

さて、これはこれでめでたいのかな?


ま、自分の可能性よりも不可能性を知る方が経験としては有益かもです。

可能性、出来る事をを知る事よりも、出来ない、不可能な事が分かった方が
自分の方向性、個性てのが良く理解できるものですよ。

可能性を知れば人は無理をする。不可能性を知れば人は無茶をしない。

主人公に科せられた真の使命。-The real mission of the hero-

桜がボチボチ咲き始めて、駅の窓口の定期券の購入手続きの列を見て。
春ですねえ。
ちょっと桜紅茶で、風流を気取ってみたりしてます。

作風を弄ったというか、ちょっと描き方を変えてみました。
ペンタブで、いい線を引こうとする余り、意識が妙に偏り過ぎて、
他に留意すべき点をおきっぱにしてたかなあと。
ブラシはいくつも種類があるのに、ベーシックなものしか使ってないし、
地の部分は単にペンキツールで基本ベタ塗り。

質感というか、テクスチャーて大事じゃないかなあと。

それに、キレイな線というのは自分の柄じゃないなあと。どっちかというと、
味のある線だよなあと。

まあ、割と成功している気がする。まあ、基礎力ないのを誤魔化してると
いえば誤魔化しだけど。

さて、話は変わりますが、

小学校の事を英語でプライマリースクールとかエレメンタリースクールって言うのって
なんかいいよね。

すんごい大事な事を、基礎の基礎を学ぶって感じがあるよね。

どうしても小学校レベルと言うと、低レベルでしょうもない事と受け止められて
しまいがちですけど、全ての学力の、理解力の基礎となる部分、核となる部分
ですから、ココを疎かにしたら、真っ当な学力は期待できませんよね。

モノを作るにおいても作り手の根本部分に核となるモチベーション、こうしたいという
強い思いがないと良いものは作れませんよね。

作品を作る上での最初の一歩。

「何をつくるか」「何を描くか」「何を表現したいか」

具体的なイメージが湧かないと作品はどうにも曖昧模糊としてああでもない
こうでもないをひたすら繰り返して、完成までの道のりがいつまで経っても
見えてこない。そして未完成。

分からないものを分からないなりに作るというプロセスもアリと言えば
アリですが、それをやると、とてつもなく時間がかかり、人生かけても終らない。
気力が、興味が尽きて頓挫というケースも良くあります。

何だろう、いわゆる「自分探し」と似ているかもしれませんね。

思いが、鮮明で、イメージがしっかりとしていると作品を完成させるのにさほど時間を
要しません。 目指す答えが、大体の方向が分かっていればそれに向かって進むだけです。

まあ、しかし、イメージが鮮明なのは良いですけど、そのイメージが誰かの借り物で
あったりするのはあまり頂けないですね。

いわゆる二次創作。 酷くなるとただの劣化コピー。盗作。

でも、モノを作るにおいて、摸倣とか真似は絶対的に必要不可欠ですよね。
ただ、個人的な楽しみであるならばそれは何をしようと自由です。

しかし、ひとかどの専門家として立つ為には自分なりの個性ってものがないと
なかなか難しいですよね。

まあ、しかし、その辺りのバランスというのは非常にナイーブというか、ハードな
もので、あまりにもオリジナリティが高すぎて、斬新すぎて、奇を衒い過ぎて
しまいますと、誰にも見向きもされない。というのが世の常です。

まあ、クリエイターも客商売ですので、ちょっとはお客さんの事を、いや、
出来うる限りはお客さんの事も考えないといけません。観る側の立場の
視点を忘れてはいけません。

小説でも、ドラマでも、アニメでも、あと絵本とかでも、
「ものがたり」というものは観てくれる人がいなければ存在していないのと
同じです。

人が脳内上にエミュレートした仮想の人格が、世界が織りなすものですから、
その存在を支える観客がいないと成立しません。

その不可欠な人を物語に呼び込む為に、ありがちな、決まりきった設定。
 お約束、というものがあります。

分かりやすさって、取っつきやすさって重要です。

映画ネバーエンディングストーリーの主人公のひとり、 アトレーユ。
何故に彼が、彼こそが選ばれて、過酷な冒険に出なければければならないのか
という理由です。

物語を読んでいるバスチャンが投影しやすい、感情移入できるキャラクターで
なければ、のめり込んで読んでくれなければ物語は進みません。途中で終って
しまいます。

文字通り、物語の中に読者であるバスチヤンを連れて来る事こそが本当の使命
なんですよね。

まあ、バスチャンもその為の主人公であったりしますけども。

どういう物語であれ、主人公の役割りというのは大抵そういうモノでないかと。

まあ、ですから、多くの場合、巨大な人型兵器に乗って操縦するのは少年であったり、
摩訶不思議な力で変身して街の平和を守るのは少女じゃないといけない訳ですね。

老人の気持ちが分かるのは基本的に老人だけです。少年の気持ちが分かるのは少年と、
少年時代を経験した事のある大人である訳です。

誰に向けて物語を作るかによって主人公ってのは決まります。

ですから、水戸黄門を観てるのは大概、じいちゃんですし、
渡る世間は鬼ばかりを観てるのは大抵はおばちゃんです。

まあ、お約束というのはスポーツのルールみたいなもので、それを
逸脱し過ぎると反則な訳で、読者の物語への集中を阻害し、反感を
持つものなのでは。

まあ、ただ全てお約束というルールに則ってしまいますと、非常に
陳腐というか、予定調和すぎて詰まらない。というジレンマが起きますよね。
正直で真面目すぎても詰まらないものです。人も物語も。
しあわせ過ぎてもあくびが出るし、不幸過ぎても鬱になる。人生もドラマも。

まあ、適度な「くずし」は必要ですね。
どこをどう、くずすかって個性が出ますよね。オリジナリティですね。

一匹のライオンはタンポポの夢を見るか?-Would lone lion dream of dandelions?-


今日から新年度。まあ、特にかわらないです。自分的には。

やるべき事を粛々と。それ+αですね。

専念しすぎて、次を見ていないといういつものパターンではいけませんわ。

星には願うものですが、願っている人もまた一つ一つの星なのではないでしょうか。

いわゆる地上の星ですかねえ。って中島みゆきの歌でありましたねえ。

プロジェクトXか、懐かしいなあ。襟裳岬の回は号泣したもんですわ。


まあ、それはそれとして。


一つ一つの願いでもあり、命であり、存在としての核となる紙の玉をひたすら丸めてます。

大きさが様々ですが、おおきいものだと丁度、泥団子みたいな大きさです。

磨いたりはしないですけど、なんだかそれと似た感覚のデジャヴュを覚えます。


小さい作品を無造作に置くのは色々と問題があるかもしれないですけど、

あえて、そういう風に置きたいと考えてます。

人の存在なんて宇宙規模でみたら存在していないも同然。

人が知らぬ間に踏んづけてしまいかねない小さなアリと言ってもまだまだ
オーバーすぎる位です。

そんな儚い存在一つ一つを展示する場所に表現したいかと。

観る人は神様になったかのような視点で作品に対して欲しいと。

そこから、人間の儚さと愛しさと心強さを感じて頂けたらなあ。

などと思って制作している今この現状です。

割合、適当に展示に参加を決めたのですが、意外や意外、

自分の表現したい事と上手い具合にクロスしていていやあ、人生ってほんと
面白いですね。妙ちきりんな感動を覚えてます。


またここから新たな自分の展開が見えると良いのですが、まあ、それは手前勝手な
都合ですし、変な期待をしていると痛い目を見るのは経験則ですからねえ。

でもまあ、主張すべきは主張しないとですね。

完全に人畜無害な存在なんてあり得ませんし、そんな存在は居ないのと同じです。

どんなきれい事を吐こうとも、人は所詮、クソ袋でしかありません。

別にネガティブな事でもなければ、悲観する事でもありません。

ただ、そうあるだけです。一方向から見ればそう見えるだけです。


さて、


ブログも概ね毎日投稿していると少しでもご覧になる方がいるようで。

まあ、ちょっと、ペースの維持がきついですが。

どうしても、ノパソに向かうと多弁になる性質なもので。どうにも長々とダラダラと
冗長になってしまいがちです。

まあ、しかし、検索ワードとかアクセスを見る限り、目的のものはここには置いてません。
申し訳ない。ごめんなさいです。

まあ、しっかし、ネタごとに投稿を分けた方がやっぱりよいのですかねえ。

どうにも書いてる段階での思いつきでネタがあっちゃこっちゃへ跳んでしまうんですよねえ。

で、今、書いときたいと思った瞬間に書けないと、後で書けないですね。

メモ書き残しておいても、書く気が全くおきません。

自分の中で旬じゃなくなっちゃううんですよね。


新年度なんで、とりあえずの抱負でも言っておきますか。

まあ、ひたすらに継続あるのみですね。継続は力なりです。

てなわけで、毎投稿、絵を入れる事も続けて行く所存です。

非常にむらっ気はありますが。今後ともよろしくさんです。


均衡に向かって天秤は絶えず揺れ続ける。-Aims to keep moving constantly Scales equilibrium.-

ふきあれるかぜ。はるのいぶき。


寒暖の差が大きいとどうにも身体の調子を崩しがちですね。

寒暖をわざとらしく抑揚つけて発音するとカウントダウンっぽく聞こえますよね。

そう、季節が変わっていくカウントダウンはすでに始まってますね。

と、あまり上手くない。でも、ドヤ顔で言ってみますね。

さて、さすがにしゃべり方がくどいのでここいらで止めときますね。


よし、三時という惨事は回避できそうだ。


本日買った本を5時間で読み切る。あまり関心しないなあ。

どうにもバランスってものが取れないなあ。スイッチが入ると猪突猛進して、
無茶をして身体を痛めがちですわ。

どうにも本を読むというのは、まあ、ゲームとか、でもいいですけど、
心は動いているのですが、身体は一カ所に固まってしまって不自然に停止した姿勢を
強いてしまって身体には良くないですねえ。身体がかちこちになってしまいますわ。

まあ、バランスなんて崩れてしまったら、またそこから均衡をとるべく、中庸に持って行くべく
普通に頑張ればいいんですよね。

うん、普通が良いよね。普通最高。

バランスばかりを気にして、自分自身がしたいと思う事を、欲求を抑え込むのも、
やり過ぎると問題です。


人間常に平常でいられる訳ではないです。そうでなくなってしまう瞬間というのは
どんな人間にもあります。努力して少なくできても、なくす事はできません。

かえって、「私は常に冷静だ」と高をくくるのは非常に危険です。

「こんなことは現実にあり得ない」という思い込みが危険なのはここ最近の大災害で
痛感しますよね。

世の中は原則と例外があって回ってるものです。

っと、なんだか先日と似たような事を異口同音で繰り返してますかねえ。


ペンタブの練習をここ最近コンスタントに割合、真面目に持続してやってるんですが、
描画線を洗練させようと躍起になる余り、なんだか味気のない線になってやしないかと、
躍動感のない線なってないかと思うんですが、ちょっとここいらで、制御しようとする
意識を外して、フィーリングでがしがしと線を引っ張って行こうかなと。

まあい、自分の描くタイプでない絵を、違うテイストを習得しようともしてますけども、
どうにも柄じゃない事をしすぎてるきらいがあるかなと。

努力は良いけど、無理はいけない。犬は猫にはなれないし、猫は犬になるべきでない。

あくまで自分の描画スタイルの確立を目指して。

予定調和というのもつまらないので、調和予定な感じでもうちょっと頑張ってみよう。

おっと、またバランスの話をしているなあ。