パルプ造形とカレーライスの類似点 -Pulp molding similarities and curry-

本日の制作中ダイジェスト。何か木村が多い、じゃなくて気ムラが多いので、盛り作業で調子が出る日と、塗り作業で調子が出る日と、貼り作業がスムーズにいく日がてんでバラバラで参るなあ。


ねこねこたぬうさ
ねこねこたぬうさ posted by (C)かゆきゅう

ねこたぬ
ねこたぬ posted by (C)かゆきゅう

紅い猛牛
紅い猛牛 posted by (C)かゆきゅう

えびたいたいきん
えびたいたいきん posted by (C)かゆきゅう

オレンヂのたぬき
オレンヂのたぬき posted by (C)かゆきゅう

まねきこがねラージ
まねきこがねラージ posted by (C)かゆきゅう

作品を作れば作るほどアイデアが出てくるのである意味怖いなあ。というか制作途中の作品ばかり増えて部屋の中がどんどんメモリ不足のPCの如くパフォーマンスが低下していかん。乾燥室がムービートラップだらけで発狂しそう。

まあ、どうしても完成と未完成の間が曖昧だから、区切りが付けにくい。手数をかける事は作る人間にとってある種の自身の作品に対する安心、自分自身に対する説得力みたいなトコロがあるから手数を押さえるのって割と勇気がいるものです。でも、その作品の最適な手数というものがあるからそれをオーバーすると意味がないし、一つ一つの密度を上げるとどんどん完成が遠のくし、飽き症なので、一定期間を過ぎると作品が冬眠してしまってそこで成長が止まったりする。

つまりはあれだ、自分でカレーを作る時と似ているかもしれない。カレーに関する様々なコツ、隠し味ってのは沢山ありますが、それらを駆使しすぎるとカレーの味は混沌としてきて、何をどう調整すればいいか分からなくなるし、大概くどい味になる。材料も余計な分が無駄になる。作るカレーのテイストを決めておかないと上手いカレーは出来ない訳です。

第二次まねきこがねマイブーム到来。 My second boom Maneki-Kogane.

本日の制作中ダイジェスト。

いろぬりちゅう
いろぬりちゅう posted by (C)かゆきゅう

制作中のえんぎモンズ
制作中のえんぎモンズ posted by (C)かゆきゅう

屋根の上のマネキコガネ的な図
屋根の上のマネキコガネ的な図 posted by (C)かゆきゅう

いい色イエロー
いい色イエロー posted by (C)かゆきゅう

いつものNikon D60 で単焦点レンズにワイドコンバータを付けてみたらどうもちょっと変わった効果が出るみたい。絵が柔らかくなるというか光が乱反射してる?

話は変わって。招き猫がなぜ陶器なのかというのとあのスタイルなのかという話をどっかでしたような気がしますが、量産性、型抜きのしやすさからあのカタチである訳です。

その造形手法だからこそ出来上がるデザインがあるのです。現在、パルプ造形も型を使った制作法はいくつかの作品で採用し、実験してはいるのですが、 いろいろと課題がありまして。今はパルプの乾燥と盛りを繰り返していく原始的な手法に先祖帰りしているのと。発泡スチロールなどの芯材にパルプを盛る手法のツートップ体制を採用してます。

まあ、スチロール芯材の造形は型による手法、「発泡ロストワックス」の原型を溶かして型を作る工程を省略して、そのまま造形物として完成させている ものです。内型はどうしてもパルプ造形の風合いを損ないがちで、乾燥に要する時間がかかってしまうのでだったら、芯材を削る手間があるものの、外側に盛っている分乾燥の早いスチロール芯材の方が割とやり易かったりします。まあ、ゆくゆくは外型による造形方法の開発をしたいと思っておりますが。

で、芯材による造形方法と「まねきこがね」の相性が非常に良いんですね。ああ、まねきこがねとはこのブログの書いてる人欄のアイコンのコガネムシのキャラクターの事です。去年、精力的に作っていた「むしのくに」シリーズのコガネムシをさらにアレンジして、ダルマとか招き猫的な縁起物を作り出そうという一連の流れで誕生しました。

 招き猫をパルプで作るのはそれはそれとして面白いのですが、どうも相性が良いとは言えない。作れなくないけど、現状では、一体一体作り込むというよりは、数を作りたい状況でして。どうにも一発でビシッとカタチが決まらず、何度か手直しで盛ってしまって完成が遅い。

これが、まねきこがねだとバシバシとカタチが決まる。迷わない。 それどころか派生したカタチのイメージも湧く。しっくりきてる、ギアがしっかりと噛み合ってるような手応え。

まあ、作りやすいものが良いものか良いものかどうかという疑問も無いではないけど。

パルプ造形で有る事の意味。I have meaning in pulp molding.

パルプ素材ってのは紙の原料。紙というのは、ご存知の通り、何かを書く、描く為の支持体。パソコンで例えるのなら記録メディアです。要は物を入れて運ぶ器の様な物です。この意味においては段ボールなどの梱包材も同様です。あくまで本体を固定、保護する為の存在、つまり、主役ではなく脇役です。主従関係でいけば従です。

これは、パルプという素材が、他に使い道がないという事では有りません。主な用途として広く使われているという事です。他の用途、可能性がないと言う訳ではありません。

他方、情報メディアとしての役割りの終った紙はリサイクルされていますが、金属等の素材と異なり、何度も同じ用途のものにリサイクルはできません。紙はリサイクルする度にパルプの繊維が細かくなり、確実に劣化していきます。ですから、再生紙から再生紙を作るとその再生紙は元々の再生紙より劣化します。

それに、リサイクルすると水を汚しますし、エネルギーコストと二酸化炭素が発生します。ですから、単に素材を再利用することに有意義な意味はありません。リサイクルしても次の有効な用途がなければ意味が有りません。

そこで、造形の素材としての可能性を探し、実験し、実践している訳です。「ただの紙切れ」というと価値のない物の代名詞ですが、その紙切れから新しく価値を作り出したいと考えます。まあある種の錬金術ですかねえ。価値のない物から価値の有る物を作るのですから。紙の錬金術師。うーん、弱そう。でも、弱いと言う事は見方を変えれば強さがあるということではあります。

そういうパルプ素材を元とした作品が有るという事をもっと伝えて行きたいですねえ。パルプ造形自体が社会に認知されないとそれを作っている自分自信も非常に厳しいものがあります。

空想と現実の廻間に在るもの。What Lies between fantasy and reality.

だめですねえ。忘れっぽいというか。
基本的、根幹的な事。自分の作品制作のスタンス、スタイル。

どうも招き猫というモチーフは秀逸な原型、モデルが存在するのでそっちに引っ張られる。コピーになってはいけないし、緻密で、繊細になっては自分の作品ではないんです。境目はきっちりと分けるのではなくて、段差をきっちりつけるのではなくて境界は曖昧であって、そこに決まり事なんて無い筈なんです。そんなのは子どもが横断歩道の白い部分だけ歩こうとするのと同じです。単にそういう遊びをしているに過ぎない。その遊びを遊びとして遊んでいるのなら問題ないですが、遊び上のルールを万物が避けられない絶対的な物理法則でもあるかの様に縛られては問題です。

これはある種、空想と現実の区別が付いていません。空想を現実と思い込んでいます。まあ、元々、現実と空想はさほど明確に区別なんてできない物では無いかと思いますが、自由なのに自由が無いと思って生きるのはとても勿体ない事だろうし、詰まらないし、苦しいはずです。ましてや、そんな在りもしない不自由で他人を縛り付ける様な事をしてはならないし、傷つけるのも意味が有りません。悲劇でしかない。

緻密である必要は私にはない。リアルは求めていない。求めるのは空想と現実の廻間。底に有ると思えば存在するし、無いと思えば存在しない。そんな曖昧な存在。

昔、どなたかが、私の作品を観て、「絵本の中から飛び出してきたみたいですね」と言ったのですが、まさしくそれですねえ。物として存在しながら現実の物とは思えない物。

まあ、だからもっとのびのびと剛胆に思い切って軽々と作るべきなんです。というか、作れば良い。ただ作るのにロジックなんていらない。

などと、久々に午後、近所、といっても隣の市で市外という、遠くて近い場所を散歩しながら、写真でも撮りながらそんな事を考えたりしました。しっかし、「卵によるいたずら」とは何なんでしょうかねえ。生卵でも投げつけるのかねえ。



posted by (C)かゆきゅう

開運は1日にして成らず、開運であろうとする姿勢こそが開運である。

人間、どの様な、作業、仕事、行動をする場合においてモチベーションというのは非常に重要かつ、その行為を行う上でなくてはならない。

やる気さえあれば、どんなに困難を伴う事も成し遂げられるが、逆にやる気が無かったら数センチ先にあるボタンをただ押す事すら至極面倒で、嫌悪すら覚える。まあ、その嫌悪ってのは大概、そんなものぐさな自分に対する自己嫌悪であったりします。

自己嫌悪してしまうと自然と自信を失います。何でこんな簡単な事も出来ない自分という図ができてしまいますから。そんな自分は信用できなくて当然です。自信喪失。

そういう些細なことが一つだけならさほど取るに足らない事なんですが、立て続けにそういう、やろうと思ったけど出来なかった事が発生するとそれはそれは重篤な問題となります。出来なかったという悔いばかり積み重なってもう頭が後ろ向きにしか回りません。

ですから、出来る事、やりたい事を滞り無く出来る様に自分の環境を整えたり、タイミングを観て準備したりして、うまく事を運ぶ方法を常々考えるのは人生を前向きに、幸福に生きる為に必要なすべなんではないでしょうか。

すなわちそれが、それこそがつまり、「開運」という事なんじゃないでしょうかねえ。

上手く事が進まないのなら、そこで原因を考える、やり方を変える至極当然ではありますがそういう手間を惜しんで不平不満を吐き出すだけでは何も起こりません「閉滞」ですねえ。

一時が万事で、一万歩に至る為の一歩。開運は一日にして成らず。開運とはスタートであり、ゴールまでの途上であり、開運は状態ではなく、開運であろうとする努力こそが開運なのかも知れない。

ん、なんかモチベーションについて考えていたのに「開運」につながるとはねえ。

以下、開運展進捗状況。

照明キャラ「つっくん」
照明キャラ「つっくん」 posted by (C)かゆきゅう

以前に制作途中で画像を公開してたと思います。つくし型照明のつっくんです。じつはこの作品作り始めて5年以上経過してます。大まかなカタチまでは出来ていたのですが、確かその時の用途は植木鉢の予定だった気がします。確か、デザインギャラリーの前回の展示の際、主力展示品だったつくし照明の笠部分に蔓植物を巻き付かせてみたいみたいな事をどなたか言ってて、展示が終了してしばらくしてから作り始めたハズ。まあ、ウチには何かになる筈のパルプの造形物がゴロゴロしてるからこういう、長い冬眠の後に完成する作品も今後多々あるかもしれない。


桃色招猫
桃色招猫 posted by (C)かゆきゅう

以前塗装前の状態の画像をアップロードしてた目をつぶってる招き猫。ふと、ピンク色に塗ってみた。水性ペンキに卵殻Caを混ぜて、ザラザラ感出してますが、ペンキがツヤありなのがちょっとアレかな。ツヤなしの方が質感的に好み。
 リアルにピンク色の猫なんていませんが、これ考えようによっては毛が無くて皮膚が丸出しの猫とも見ようによっては見えるのでは…。そう考えるとちょっとキモい。でも、毛がないのなら猫ってガリガリ体形だから違うよね、うん、違う。しっかし、この猫写真写りいいなあ。

ねころまねきねこ
ねころまねきねこ posted by (C)かゆきゅう

これも塗装前の画像で見せましたが寝転がってる招き猫。 ですので説明は割愛いたします。クリーム色と耳、目にオレンジ色という組み合わせはいいなあ。

パルプ造形としての招き猫のカタチの探索。-Search for pulp molding the shape of a Maneki Neko.-

世間一般的に招き猫というと、いわゆる常滑型なのですが、これは、陶器での生産に適したカタチとして、型抜きに適したというか、型で抜けるカタチにデザインされているものです。招き猫はこれ以前にも存在し、素材も陶器とは限らずに、土人形などもあったりします。ですので招き猫をパルプで作るとなると、常滑型をそのままモデルにするのではなくパルプ造形ならではのアレンジが必要かと思うのですが、まだ、しっくりと来ない。たぬきにしても、これだと思えるスタイルが未だ見えず。やはり良く出来ているし、デザインされているもんです。

ねころび招き猫
ねころび招き猫 posted by (C)かゆきゅう

アフリカの石刻のネコのイメージを取り入れつつ、このスタイルは2代目であったりします。暑い気候であろうアフリカのネコらしく後ろ足まで延ばしてねっころがってるのはネコを飼った事のある人間からすると「あるある」と思うポーズですねえ。夏場によくそういう格好をします。

招き猫
招き猫 posted by (C)かゆきゅう

この一連の造形は発泡スチロールを芯材として表面にパルプを盛っています。スチロールカッターの形状的な性能の限界で、あまり入り組んだ形状のカタチは殆ど切れないのですが、あらかじめ頭、胴体、腕パーツを一つのカタマリから切り出すのですが、切り出す際に切断面をキザギザに切るとあとで組み上げる際にパーツ同士がズレにくいのでなかなか使えるテクニックですねえ。で、発泡スチロール用のボンドを使用すれば切断、接合が思いのままで、なかなか融通の利く素材だなあと再確認。

ワークショップ用マグネット
ワークショップ用マグネット posted by (C)かゆきゅう

会場でワークショップを開催する予定なのですが、それ用のマグネットを制作中。板の上に磁石を置いて、パルプを被せてます。こいつを乾燥させて、会場で塗装と装飾をしていただこうかなあと考えています。

制作制作制作制作中。-Work work work at working-

「制作」の「制」の字の元々の意味は枝とつけた木を刀で断ち切る事だそうで。ただ、作るのではなく、捨取選択して、制御して作る、考えて作るという事。つまりはプロの仕事という事ですかねえ。そう考えると気安く、制作なんて言葉を使えない気もしますが、まあ、そこら辺は「リベンジ」とかの言葉と一緒で、あまりに気軽に使われ過ぎて言葉の価値が落ちてるのかもしれないですねえ。

信楽のたぬき村で探してきた一体。目力があるなあ。やっぱ。かわいい顔をしてますが、たぬきの置物に不可欠はアレはちゃんと付いてます。

まねきこがね
まねきこがね posted by (C)かゆきゅう


去年のメインテーマというかモチーフだった虫シリーズとえんぎモンをつなぐものだったりします。アイデア自体は今年の1月にはあって、これの前段階の試作モデルが、というよりも塗装などの仕上げがしっくりと決まらずそのまま半年以上経ってたりする。あそうそう、ツイッターのアイコンはこのマネキコガネだったりします。まあ、そういう意味では開運展のテーマの元になったもので、意外に重要な意味を持ってるアイデアなのかもしれない。


招き猫制作中
招き猫制作中 posted by (C)かゆきゅう


ええ加減、オーソドックスなスタイルの招き猫の型から脱しつつあってくずし的な感じでアレンジが入ってきてます。ええ、すいません、飽き症なもので。本来、招き猫が首に巻いているのは首輪、というよりも紐状の布を巻いてるようで、招き猫の後を見るとちゃんと結び目がデザインされています。

この結び目を前に持ってきても良いのではないかと実験。なんかスカーフでも巻いてるみたいでよい感じです。で、これはスカーフではなくて、風呂敷という設定にしようかなあと画策中。柄は風呂敷といえばこの柄しかないでしょうねえ。もちろん唐草模様。どうも、唐草模様の風呂敷は泥棒、空き巣を連想しがちでイマイチ悪いイメージが付いていますが、元々は縁起の良いとされている柄で、だからこそ、どこの家にも唐草模様の風呂敷があって、そのどこの家にもある風呂敷を使って、盗んだ物を包んで持ち去ったのが泥棒だったらしいですねえ。まあ、ですから、招き猫の中にも唐草模様をあしらったものがあったりしてなんだか直感的に「泥棒猫」という昼メロで出てきそうな言葉が思い浮かんだりしてしまいますが、本来は縁起物なんですよ。