展示のお知らせ その一 「創作ピンホールカメラとその写真展9」


なんだか随分とブログを更新していなかった様な気がしますが…、まあ気のせいですよね。

と、いった なんの益体もない事は適当にうやむやにしておいてですね、

8月の下旬に展示が三つあります。そのうちの一つは、実質、個展となっておりますが、
それはまた、別の話。

という訳で、まず、告知の第一弾は

「創作ピンホールカメラとその写真展9」です。


去年は震災の影響で半年ぐらい期間が ずれて、12月開催となっておりましたが、
今回は8月に開催となってます。

前回は初参加でとにかくカメラとして機能することで手一杯で、展示が「パルプ造形家」
としてイマイチ、アピールできなかったように思いますが、今回はもっと装飾的な展示に
したいなと思っています。まあ、でもまだ、カメラが完成しません…。

まあ、なんとか余裕があれば構造的には簡単な印画紙式も作りたいですね。


さて、大事な情報を忘れていましたが、会期は今月、8月の22日水曜日から
27日の月曜日の6日間です。

開場時間は午前11時から午後7時まで。ただし、最終日は午後5時で終了です
のでお気を付け下さい。

会場は名古屋、栄のナディアパーク、国際デザインセンター・4階デザインギャラリー
です。


端午の節句の午前十時

本日はこどもの日。

ということにちなんで武者風のパルプ製紙人形をアップ。



DSC_3062.JPG
DSC_3062.JPG posted by (C)かゆきゅう
 

こういう時節ものはその日より一ヶ月、せめて数週間は
前もってやるべきなのですが、制作が意外に手間取り
完成が昨日の23時というタイトなタイミングと相成りました。

まだまだ、こういう人形、フィギュアを作るというのに
まだ慣れないというか、作業工程にかかる所要時間と
実際の作業時間の誤差が大きいです。

まあ、背景 兼 収納箱に時間を掛けすぎてしまった
というのが大きいですかねえ。

紙を切って貼る作業をしだすと時間がいくらあっても
十全ではなりません。

つまり、完成しないということでもあります。

我流コミュニケーション論-Self-taught Communication Theory-

動画をwebにほとんど制限無くアップロードすることができるなんて
まあ、すんごい世の中になったものだなあと思える。

ISDNからネットを始めた人間からするとスピード的に、コスト的に、
ありえないよね。しかも無線でなんて、ある種のサイエンスフィクション
なレベルだよね。

まあ、そんな月並みの感慨なんて大して価値がないし、意味もない。

そのドラスティックな変化の反面、自分自身を取り巻く環境ってのは、
ディテールは変わっても本質的にはさほどの変化をしていない。

どんなコミュニケーションツールを手に入れても、使う人間の
スキル、性質に依存して、社交的な人はより幅広く、友達の少ない
人間はいつまでも孤独でいるものです。

でなきゃ、「ぼっち」だの「リア充」なんて言葉が存在している訳は
ありません。

デジタルデバイドという、情報端末を扱える人間とそうでない人間の
格差が叫ばれて、もう随分と、10年くらい経ってる気がしますが、
コミュニケーション能力における断裂、デバイドというのもあるんでは
ないでしょうかねえ。

このコミュニケーションデバイドってのはデジタルデバイドと違って、
機械によるものではなくて、コミュニケーション能力の差による
ものが大きいかと思います。

思っている事を他人に誤解無く伝える。というのは、想像以上に
難易度が高いものです。どうしても、人間は自分の感覚を真ん中に
置いて、自分を世界の中心として考えてしまいがちで、他人の感覚
気持ちを理解するのはなかなか難しいですね。

厄介なのは、ちゃんと伝えている「つもり」なだけで、他人には殆ど
わかってもらえない事に気がつかない場合が多々あるという所で、
とりあえず「伝えた」という行動、アクションに満足してしまって、
安心してあぐらをかいて、すれ違っている事に気がつかず、
気がついた時は後の祭り。というのはよくある話です。

逆に人の言っている事を「聞いた」つもりになっているけど、全く
理解していない。それどころか全く逆に理解している。なんて事
もよくあります。

まあ、ですから、コミュニケーションってものはとてもむつかしい
ものでそれ以上に、人が人として生きて行くにはとてつもなく
重要な事である。という事を念頭に置いて、きちんと「伝える」
事をこなしていくことをしていかねばなりません。

相手に「分からない」と伝えるのは相手を否定してしまっている
ようで、心苦しい面があるものですけど、必要な確認作業です。

コミュニケーションというのはギャップを確実に埋めていってこそ
信頼性を増して強固なつながりになるものの様に思います。


生きていく上でかなり重要な事なんですけど、その割りには
ちゃんと教えてもらえる事ってさほどないですね。

コミュニケーションって。

学習教科でもないですから、テスト、試験なんてものありません。
つまり、自分は苦手なのかどうかをなかなか実感できないです。

実体験で失敗、例えば失恋とかですと、割とよく自分自身が気に
しているコンプレックス、欠点を破局の原因と考えてしまう事が
理由として挙げられると思いますが、案外、重要なのは
コミュニケーションのギャップを丁寧に埋めるという積み重ねが
できたかどうかも大きいのではないかと。

ええっと、「恋愛は勘違いから始まる」とか言いませんでしたっけ。

まあ、ですから、その勘違いというギャップを埋められなければ
恋愛関係ってのはいつかは破局するものかも知れません。

人間、失敗してもちゃんと失敗した理由が分かる人間とそうでない
人間がいるものですが、そういう、「気づき」を持てる人間は
やはり、優れたコミュニケーション能力がある人だと思います。


人生においての失敗の殆どはコミュニケーションの失敗とも
言っても過言ではないかも知れません。

人生で起こる事の大半は勘違いに起因しているかと。


と、コミュニケーション能力については誰よりも自信がない
私が語るというのも、なんだか、ちゃんちゃらおかしい話では
あります。

てなわけで、この投稿の本来の目的である所の、「動画を
アップロードしたよ」から、カナリ脱線して、自分の
コミュニケーション低能の馬脚を露わにしていたりします。

ようやくカタチが見えて来ているかなあ。
三工程ほどパルプを盛った分の作業動画をまとめてアップしました。

三種類のものを作っていますが最終的にはひとつになります。


4月9日分






4月6日分





3月29日分





まあ、しかし、どうにも伝え方が上手くなくて申し訳ない。

まあ、でもどうすればよいかという事も分かりませんので、手探りでも
いろいろなカタチで伝えるという事を続けてまいります。


コミュニケーションで最終的に、究極的に大切な事はやはり「伝えたい」と
「ちゃんと理解したい」という強い思いがあるのかどうか。

気持ちというのはとても大事です。基本的に事実や真実よりも尊いものだと
考えます。


パルプをこねて回すという事は世界を回す事に等しい。

某、超有名な錬金術をテーマとした少年マンガによると、錬金術とは
3段階あって、まず、ものを理解し、そして分解し、最後に再構成という
手順を踏むそうなのですが。

パルプ造形も概ねというか、殆ど手順としては同じものです。

紙、パルプという素材の性質を理解して、その性質であるところの、
水を加えて力を加えるとカタチが崩れて分解する事を利用して、再生パルプ
に戻して、造形しやすいように脱水、糊などを加えて粘土状に練って
新しいカタチを成形、再構成して、それを安定化して、固着するために
乾燥させて水分を飛ばす。

まあ、陣を描いたりとか、ぱんと手を叩けば一瞬でカタチが出来上がったりは
しませんけどね。

そもそも、錬金術ってのはその字から分かるように、ごくありふれたものから
金のようにとても価値のあるものを作り出す事を目指した術ですから、
「パルプという、ごくありふれていて、さほど価値を見いだしにくい素材に
新しい意味をつくりたい」という、私の基本的なパルプ造形に対するスタンス
というか、思いとなんだかシンクロしているように思います。

まあしかし、紙の錬金術師というのもなんだか微妙な響きですねえ。
「紙」という音が「神」とかかってて、ちょっぴりかっこいい?

まあ、どちらかと言えば、紙というよりは「パルプの錬金術師」なんですけど。

しかし、まあ、どうにも中二病みたいな雰囲気を拭えませんので名乗ったりは
しませんけどね。

てなわけで、この投稿はまた作業風景の動画をyoutubeにアップしましたよ。
という告知の為に書いています。思いっきり話がそれてしまいましたけど…。



以下、作業動画↓↓




やはり、文章の遂行、いえ、推敲はモバイルPCとはいえ、キーボードに
限りますねえ。最近はスマホからソフトウェアキーボードでフリック入力とか
、サジェスト入力をキメて自己陶酔とか、わざわざ高精度な音声入力で
だらだら喋るとか、入力も多様化してきましたが、キーボードでカチャカチャ
やるのが指に適度な刺激がして脳が活性されるような錯覚がして実に
気持ちがよいですね。

まあ、しかし、どんなに「通」ぶってもそんなのは通でも何でもなくてただの
痛い人、つまり「痛」な人でしかないですね。

本当に文章や、文字が好きな人というのは手書きですよ、もっと言えば
数千年に渡り脈々と続いてきた毛筆こそが本物でしょうね。

コンピュータのフォントとは違って、書いた字というのは書いた人間の教養、
性格、心理状態すらも伝わるのですから、これ以上ない高密度な
コミュニケーション手段ですね。

ま、デジタルな物なんてのは、どうしても、極度に圧縮されてしまった、
カテゴリとかパラメータでソートされた仮想のもの、つまりは偽物でしか
ないですね。

まあ、ただ、偽物が悪いという訳ではなくて、偽物だからできる事だって
ありますし、オリジナルとは異なるからこそ偽物であって、その差異こそが
偽物の売りになる部分があるのかも知れません。

とにかく、広い視野こそが大事ですね。人間ってのは正義とか悪とかを
越えた更に大きな視点を持つ努力をしないと、幸福にはなれません。

と、言うだけは、以外に多くの人間ができますけどね。実践は簡単では
ありませんけども。

本題をかなり休題してしまった感もありますが、久々に長文を打てて
気持ちが良いです。

やはり、140字程度では言える事に、いえ、書ける事に限界が
あります。

「無駄」と向き合って、「無意味」を越えた先に見えるもの。

本日のパルプ造形の盛り作業をYouTubeにアップしました。
一部動画にはBGMを仕込んでいますので、音が出ます。ご注意下さい。


こういうメイキング動画にどれほどの需要があって、観たいと思う方が
いるのかどうかもよく分かりませんけども、一、作家、一アーティストは
制作物、制作の作業もワークショップ、ある種の時間芸術、作品とも言える
ものなので、試験的、実験的にやってみる事も立派な制作活動、アート活動
ではないのかと考えるものでもあります。



そもそも、資源のリサイクルというものは、一定の割合で、大きな矛盾を
抱えているものです。リサイクルする事によって生じるエネルギーコスト、
再生のために消費する資源を、出来上がる再生素材の品質、
生産コストを鑑みると、それに意味があるのか分からない。という問題を
孕むものです。



端的に言えば無駄。下手をすれば、ただの時間とエネルギーの浪費とも
言えなくもありません。

しかし、極論を言ってしまえば、人が生きる意味とは何でしょうか。
みんな生まれてたら死ぬだけです。いずれ無くなります。全てのものは
永遠ではありません。絶えず変化し続ける。それが生きると言う事です。

そんな、一見、冷え切った頭で考えれば無駄でしかない、生きると
言う事に何かしらの意味を見いだす事に意味がある。

人が無駄だとしか思えない事を突き詰めた先には、誰も知らなかった
意味が眠っているものではないでしょうか。

しかし、無駄だと思える事、確実性の無い事を続けるというのは、なかなか
どうしても難しい。

端的に言ってしまえばとても、とても、とても、不安です。怖いです。

それでもそんな事を続けるのは、ただの勘、曖昧な予感めいた、
「これには何か意味がある」という、なんとも非論理的なものであったり
します。




無駄は、無駄だと思った瞬間に無駄であり、ゴミはそれがゴミだと
認識したときに発生するものです。

ただ単に「リサイクル素材」という言葉が持っている「エコで何か良さそう」という
イメージに乗っかるような詐欺みたいな事はしたくない。

そういう思いを根幹に据えて、パルプを依り代にした制作を続けて行きます。




こねてはもる。こねては、もる。のくりかえし。

本日の作業風景を動画で記録しました。

パルプをこねる。

パルプをもる。


そして、このような机に。まだ未完成ですが、使いながら更に盛っていく予定です。


パルプのつくえ


梅の花に落ちる春の雨、略して…

梅雨と言ってしまうと全く別の季節になってしまいますねえ。

お久しぶりをしております。かゆきゅうです。




先日の日曜日に近所の東谷山フルーツパークまでサイクリングして、
梅の花の写真を撮ってきました

日曜とは言え、雨がぱらつく天気で、人は来てないだろうとも思ったのですが、
割合、賑わってました。今の時期はやはり、梅の花ですかね、あと菜の花も
咲いてました。

名物である枝垂れ桜はまだまだ先ですねぇ。