展示情報:創作ピンホールカメラとその写真展 Vol.8-Exhibition information.-

本日、「創作ピンホールカメラとその写真展 Vol.8」の
搬入に行ってきました。


会期は2011年12月14日(水)〜19日(月)まで
開場は午前11時から午後7時(最終日は午後5時で終了)
会場は名古屋、栄、ナディアパークの
国際デザインセンター・4階デザインギャラリーです



カメラもデジタル化が随分と進んで高性能でハイスピード、ネットにも
簡単にアップロードなどなど、もはや、アナログカメラととは別物の
様なぐらいに変化していますが、アナログならではの、ハンドメイド
ならでは面白さというのはあります。

カメラというものは現在、メーカーが作った製品を使うのが当たり前で、
素人が作るなんてとてもとても難しいと思われますが、穴を開けた箱と
フィルムか印画紙があれば成立します。

しっかりとしたものを、くっきりとした絵を撮るには技術が
要りますし、ある程度の知識が必要で、なかなか上手く
撮る事は難しいです。

いくつかの失敗を繰り返して、なんとかモノになるカメラ、写真が
できた時の感動というのはプライスレス。

どんどん自分で改良、開発する楽しさ、
「ここをこうすると、こういうものができないだろうか?」と
想像するのは詰まらない筈がない。

決してお手軽ではありませんが、人に用意してもらった娯楽にはない
面白さがある。


てなわけで、深く楽しむにはそれなりの知識が要求されるもの
ではありますが、個人的にはとてもユニークで面白いものが
展示されてると思います。少しでも興味を持たれた方は
ご覧になって頂けたら幸いでございますです。


おまけ?

先日の投稿の大黒屋画廊さんの「ART IN BOX」展の私の
作品なのですが。


参加する際にしっかりとした説明を聞いていなくて、でも、展示名に
「IN BOX」とあるので、よくよく考えてみれば、箱の中に入ってる
作品、というよりは、箱から出てしまっているどちらかと言うと
「ART OUT BOX」みたいな感じですね。ピンホールカメラの搬入
の帰りに画廊に立ち寄った際にそんな感じの指摘を受けて
気が付きました、というよりも、薄々は感じていました。

まあ、展示のルールに則っているのか微妙ではありますが、
個人的には小さな箱に押し込めるのは何だか「引きこもり」
みたいな感じがして、個人的な「内から外に出たい」という
欲求が表れているものだと自己分析してみます。

まあ、しかし、ひとつの題目、テーゼに対してアンチテーゼを
 投げかける事もいわゆるアートの世界では良くやられている事
 ではありますよね。

ルネサンスとか印象派とかダダイズムとか。まあ例を
挙げても恐らくキリが無いですけれども。


それがリアルだなんて、思ってる奴の幻想に過ぎない。 -Reality is an illusion that people are watching.-

いわゆる普通と称される、ごくごく平均的な環境、身体能力、精神状態
三拍子揃った人間からすれば、家から出て電車に乗って街まで
ゆく事なんて平気の平左なのだろうけども、その一つが欠けている
自分からすると、意外にそれは割と容易ではないのかも知れない。

目的や場所にもよるけれども、基本的に徒歩、もしくは自転車だけでは
済まない位に離れた場所に行くのは簡単に考えられがちだけれど、
そうではない。例えば、小学校の低学年の子どもが行くとなると、
簡単な事と割り切れない。もしくは、急遽、海外で暮らさなければ
ならなくなった人間が電車に乗って街まで出るまでには言語的に、
土地勘的に高いハードルがある。

遠出をする事に限らず、そうやって、あり得る可能性を想像する事が
できるのは大事ではあるけども、だけれども、それをやり過ぎると、
自分が対処できない事態に出くわすのではないかと、好ましくない事が
起こってしまうのではないかと考えてしまうのは別段、特殊な人間と
いう訳ではないと思う。

そして、現実にそういったアクシデントなどに遭遇してしまった人間は
また遭遇するかも知れないと少なからず恐れてしまうし、その出来事の
トラウマ、不快感を避けたいと自己防衛を始める人もいるのだろう。

完全な防御を決め込むとその人は「ひきこもり」と呼ばれる存在に
なる。

その、ひきこもりになる、ならない の分水嶺、明らかな埒は
それでも出かけるか否か。

今日はどんな日なのか、良い日なのか、悪い日なのか、それは
終わってみなければ分からない。

昨日の事はどうだったかは誰でも分かるけど、明日の事が分かる
人はいない。予測はできるけど。

今日という日が生きにくいのは昨日ばかりを見ているからなのだろう。
昨日を省みながら、嫌な事に遭わないように「安心」とか「安全」とか「安定」
で身を固めるのは人間って、弱いものだから仕方ないけど、でも、そこに依存
しすぎても良い事はないよね。

何が起こるか分からなくて怖くでも、明日というものに積極的に関わって
行かないと、向かって行かないと、結局は上手く回らない。

今の日本に必要なのは、そういう事なんじゃないのかな。


みたいな事を、外出の準備に手間取ってなかなか出られなくて
予定の時間を少し過ぎてから家を出て、歩いて駅に向かい
ながら考えた。




どうして、あの時にこうしてしまったのだろうという後悔というのは
常に人生においてしてしまうものである。

見たくもないものを見てしまった時に、自分の中の現実という
価値観、指標が、甘ったれた、実に幼稚でいい加減なものだと
思い知らされる事は残念ながら、よくあるものである。

そんな事はいわゆる「いい大人」になってしまった人間ならば
分かりきったことではあるのだけれども、しかし、そう分かった
つもりでいても、驚き、打ちのめされることはまだまだ沢山ある。

社会人の鉄則に「5分前行動」というのがある。私の場合はもっと
神経質で、慣れていない状況だと30分以上余裕を持たせる事が
割とよくある。

大小様々なロスタイムが生じても大方は問題ないのだが、日によっては
殆どロスタイムが発生しなくて、予想以上にスムージィーに現地に
到着なんて事がある。

まあ、しかし、予定時間に間に合うにしてもそれには限度というものが
あって、30分も早いと、相手に迷惑を掛けてしまいかねないので、
やはりここでも5分前というのが問題のない所だろう。

という訳で、時間を調整するために栄の錦三近辺のコンビニを
目的なく、はしごしてみる。という、なんとも意味があるのか
どうか疑問の余地があまりない事をあえて断行してみた。

普段、コンビニなんて殆ど行かない、寧ろスーパーマーケット
の方が気軽に入れる人間なのに。


名古屋でも屈指の繁華街、ビル街ということもあって、こんなに必要
なのだろうと思うぐらいコンビニエンスストアが100メートル毎に
あるような気がする。そしてなぜかやたらと目にする
「デイリーヤマザキ」 それほど歩いているつもりもないのに3店も
あった。

フタのラベル部分が良く見えるように陳列されているカップ麺の
商品ロゴが達筆すぎて読めないと思ったら、上下逆さまだった。
その昔、バイトで商品陳列をやった事のある人間としては
見過ごせずに直して、特に何も買う訳でもなく店を出た。


どこのコンビニチェーンだかは忘れてしまったが、某国民的
有名漫画家の作品を原作としている映画とのコラボとやらで、
いろいろな商品がその映画のキャラをあしらったものに
なっていたのだが、それを集めた棚に陳列されていた
丸い飴を棒をさしたキャンディ、チュッパチャップスなのか
は確認していないが、それが入った箱の中に何故か、
無造作に置かれた「ベーコン巻きおにぎり」が…。

誰が悪いとか杓子定規的に言うつもりはない。
お店の雰囲気というのは店員だけが作るものではなくて、
そこに出入りするお客というのも大切だと考える。

ちゃんと商品を元の場所に戻さない客も悪いが、
おそらく、昼、もしくは朝の混雑時にされたと予想される
ものが夕方の段階で商品棚のチェックがなされていない
のは店の管理が行き届いてるとは言い難い。

ま、そんな些細な事からうまく回っていない現実世界を
突きつけられて、感慨深げに反応してしまうのは
如何なのだろう。

と、ふざけ半分で始めたコンビニ巡りを少し後悔するのでした。



というわけで?先日告知したART IN BOX展のオープニング
パーティに出席してきました~。

どうにもこういう場では人に話掛けられなくて、今回初参加で
知り合いの方もいませんので、思いっきり「ぼっち」になって
しまいましたが、なんか、こういう経験に慣れてるのか、以前なら
手持ち無沙汰で、内心、「やべぇ、やべぇ、どうしよう!!」的に
キョドってしまうのですが、なんだろう、今回は妙に開き直って、
気ままに飲食しつつ、気を使って話掛けて下さった画廊のスタッフの
方と少し話などをしつつ、基本、ぼっちでありながら、ぜんぜん
寂しくないという、端から聞くとやせ我慢に見えなくもない不思議な
楽しい時間を過ごさせて頂きました。

まあ、こういうパーティというのはその場の雰囲気もありますよね。

そういえば、画廊の方から、私の作品を観て、私の事を知ってると
おっしゃった豊橋から来た方は誰だったんだろう。おそらくは
この前、半年前の大学の同窓会展に参加した造形大のOGの方
だとは思いますが、世間は狭いというか、意外な所で繋がる
ものですなあ。

展示場所はちょっとわかりにくいかも知れませんけど、画廊の入り口
から、壁づたいに観ていって、入り口の方向に折り返した時に見える
壁面にあります。

すんごい異形な感じでKYかもしれませんけど、観に行って頂ければ幸い
でございます。


ちこく、ちこく、ちこく、こくち。 -Exhibit announcements too late.-

展示情報


2011年12月10日(土)~18日(日)
GALLERY COLLECTION VOL.8 -ART IN BOX-
大黒屋画廊

2011年12月14日(水)~19日(月)
創作ピンホールカメラとその写真展8
ナディアパーク4階 デザインギャラリー





展示直前になってしまうと、作品を作る事や、ちゃんと展示が
できるのだろうかとか、そもそもこんな展示をする事にどんな
意味があるんだろうか、こんな事をしている自分は何なの
だろうとかを考え出すと、もうどうにも躁鬱な感じになってきて
どうにも、制作だけでも一杯一杯になってしまって告知関係が
二の次になりがちになるのはどうにかならないものかなと。

搬入に出る直前、展示場所に向かう道程の息苦しさといったら
ない。搬入に関わる以外の行動が極端に困難である。しかし、
搬入を終えての開放感は他に比べるものがない。


いろいろと場数を踏んでいるけど、まだまだ慣れきれない
し、直らない。

しかし、そういう部分というのは果たして経験でどうにかなる
ものとは限らないし、完治なり根治というのはあり得るの
だろうか。

とどのつまり、そういう不得手な部分を意固地になって
どうにかしようとする事は不自然で、出来ないことは
出来ない。そういう体質なのだからと諦めて開き直って
居直るのもひとつの方策ではないのだろうかとも考える
次第ではあります。

てなわけで、DMの類は全く出せませんでした。ごめんなさい。

まあ、DM、つまりダイレクトメール。案内告知葉書を出す
というのも厳密に考え出すと難しいものではあります。
ある種の社会人、業界人としてもマナーというのは何にも
付いて回ります。

バリバリにこなせる人間ならばバシッと決められるのでしょうが、
やれない人間からすると、デザイン、レイアウト、入れるべき
情報から始まり、適切なタイミングはどこだろうかとか、
最終的には送る際に貼る切手の柄、模様は何が良いのだろう
という、割とどうでも良いと思いつつも、ここら辺がちゃんと
やれるかの違いが、結構大事なのかも知れないとか
考えると頭の中がフリーズするのは分かってはいる。

と、平常時は迷いなく言えるが、大概、DMを出さなければ
いけないタイミングは大概、追い詰められ掛けてて、一番
物事がはかどらないで、内心はジリジリとアラームが鳴り
響いてる、サッカー実況で言うところの「今が一番辛い時間帯」
であったりする訳です。

と、いう訳で、タイミングを逸してしまいました。申し訳ありません。

ART IN BOX展は今日からです。クリスマスの買い物がてら
栄にお出かけのついでなどにいかがでしょうか。

毎日おいしいご飯が食べられる事以上のしあわせは在るか?-More than happy to eat a delicious dinner there every day?-

なんでも、流星群が観られるらしく、Twitterのトレンドにも
「#流星群に何お願いする」というハッシュタグがトレンドに入って
いたりして。

まあ、こんな願掛けというのは大して益体のないものでは
あるのですが、こういうときににパッと自分自身の願いが出て
こないというのは、あまり、望ましくないというか、
生きている甲斐がないですよね。

例えば「毎日おいしいご飯が食べられますように」という
お願いがある場合。
額面通りに受け取れば、なんとも慎ましくも、幼稚な願いのような
印象を受けますが、

真の意味で「おいしいご飯」というのは何でしょうか。

一級や特級の厳選した食材、料理人や職人がその経験、技術、知識を
惜しみなく費やして完成した逸品。
というのはほぼ、間違いのなくおいしいものであるでしょう。

しかし、それを食べる人間の健康状態、精神状態などの
コンディションが万全でなければ、おいしく感じないかも知れない。
それどころか、
食べるという気も起きないこともあり得る。

「空腹は最高のソース」であって、
料理を食べる人間がおいしく頂こうという気持ちを
持って、食べられるお腹の状態でいなければ、どんなような
御馳走を、満漢全席を もてなされても、
苦痛にすら感じるものです。

適度に空腹でいるには適度に労働なり、運動なり、仕事を
していなければお腹は空きません。
それに食い扶持を稼がなければ生活というのは
成り立ちません。なんの努力もせずにタダ飯を食らっていては
本当においしい食事はあり得ません。
食べ物の価値が分からないまま、それを手に入れる苦労を
感じられなければありがたさを自覚しないまま
貪り食らうのはある意味、生命に対する冒涜でもあります。

ですから「働かざる者食うべからず」です。

食事というのは労働に対する対価である部分、ある種の報酬的な
部分もあります。「仕事の後の一杯」がおいしいのも同じような事かと。

料理というのは味覚が一番大事のような気がしますが、思っている
以上に視覚、触覚、痛覚、聴覚などの様々な感覚使っているもの
ということだそうです。

あ、痛覚も書いてるのは、唐辛子などの辛みを感じているのは
味覚ではなくて痛覚だという事です。

そして気持ちとか、記憶による部分も重要なものなのだそうです。

人間の特定の食物の「好き嫌い」というのは経験によるものが大きいもの
で、例え、おいしいものであっても、それを食べる前後に怒られたとか
悲しいとか、苦しいとか、嫌な記憶、辛い事があると、
そのおいしかったものが嫌いになってしまうことがある。

そして、食事というのはコミニケーションですから、一人で寂しく食べる
というのは、やはり、味気のないものです。

学校という、私が随分と遠ざかった場所には、友達を作れなくて
一人で昼ご飯を食べなくてはいけなくて、それを
他の友達のいる連中に見られたくないから、個室のトイレでご飯を
食べる、いわゆる「便所飯」というものがあるそうなのですが、

確実に「しあわせ」から限りなく遠い所にいるのは間違いないですね。


まあ、いろいろと「食べる」事について、だべって来ましたが、
ここ最近考えるに、思うに、おいしいご飯が食べられたと思った日
というのはしあわせである事の証左ではないかと。

一見、じつに下らない願いですが、そこに含まれる幸福感は
とても大事であると思います。

美味しいご飯の食べられない人生はしあわせであり得ません。

ノーフード、ノーライフです。




情熱に代わる資産なし。-No alternative to enthusiasm assets.-

先日、様々な企業が集まるイベントに行く機会がありました。
まあ、通常ならば、そんな所へは行く事もないのですが、私は
経営者って感じの人種でもないですし。

イベントで意中の出展ブースを探すという行為はインターネットで
検索するのと良く似ていますねえ。

引っかかり易いサイトなり、コンテンツは、イベント会場における
出入り口、経路にまっすぐにつながる通路に面したブース。

出てきにくいサイトというのは特に用でもなければ人が来そうに
ない、場所が良くないブース。

まあ、それであっても、見つけられる人は必要な情報、探している
ブースにたどり着くものです。これはネットでも同じかと。

いろいろな企業、会社が集まるということは、ビジネスのパートナー
を探すという側面は多大にありますよねえ。専門技術、ノウハウを
持っていても 製品を流通させる方法が無かったり、資金が無ければ
どうしようもないですし、逆に、独自の新しい商品を探したり、有望な
投資、融資の先を探すというのもあります。

まあ、探しているのがどういった相手であれ、最終的にパートナーとして
組むかどうかというのは、相手の熱意であったり、やる気であったり、
積極性であったりしますよね。いくら、実績を見せつけられてもそれらが
感じられないと、どうにも決められないものです。

まあ、仕事なので、お金というのは大事なんですが、どうせなら気持ち
よく仕事したいですし、熱意のない人間と組んでも成功しそうな気が
しませんし、期待もできかねます。

情熱などのメンタルなものを、貯蓄と同じものでコツコツと積み
重ねて行くと。立派な財産になるかと。

どんな事であれ、日々の積み重ねがものをいうものです。

継続は絶対的な力になり得ます。

作品も1日にして成りません。たとえ、即興的に1日で出来上がった
としても、それは、そこに至るまでの思考、経験、技術、知識、作業
などの蓄積があるものです。

アートに於いても、継続性というのは大事です。

結局の所、一定の作業を日々蓄積できる熱意、情熱、態度を持てる事
ほど大切な財産は無いという事ですかね。

まあ、他愛のない、ありふれた感情論と言われるかも知れませんが、
でもそれが人生をより良く生きる為の究極的な事ではないだろうかと
 考える次第です。

そう考えつつ、脾肉を当座の花にしつつ、日々精進する次第。

情熱はお金で買えません。もしかしたら、ある種の才能ですかねえ。

道具が変われば表現も変わる? -Expression changes probably also change the tool.-

ペンタブレットで絵を描く際に、MacならPhotoShopが入れてあるものの、Windowsのネットブック
には高機能なソフトが入っていないのでろくに使ってもいなかったのだけれども、何の気なしに、
ComicStudioの簡易版で遊んでみたら面白いねえ。グラフィックソフトでも、特にマンガを書く事に
特化したソフトだけあって今まで使い慣れたソフトとはまた違う感じがします。

簡易バージョンといえどかなり本格的な機能が入ってる。感覚的にいわゆるペイント系とドロー系
で言うところのドロー系のソフトな感じですが、描線の描き心地がペイント系な感じでとっつき
やすくてサクサク描ける。トーン貼るのがなんか楽しいなあ。

まあ、お遊び半分で機能もフルに使えてませんけど、良い刺激になりました。まあ、これから
マンガを描くか否かと言われると定かではないですけど、いろいろ遊んでみましょうかと思います。

お話を考えるって結構難しいというか、ある種の羞恥心を克服しないとできないものです
からねえ。まあ、自己表現を生業とするものが羞恥心を持って、自己を表現することに
物怖じしてしまうというのは何とも頼りない感じがしていけませんねえ。

ただ、その葛藤に打ち克った者だけが本物の表現者なのではないかととも思う次第であります。

技術よりもまず、表現に対する姿勢って大事ですね。夢はでっかい方が良いのですが、その夢に向かって踏み出した途端に、現時点の自分の無力さを思い知ってしまって、自分の無謀さに気がついてしまって、そこで止まってしまう事は往々にしてあります。

そこで更に先に進む勇気を持てるかが大事であったりします。

自己の無謀さに気がつけない鈍感な人間が一流の表現者になる事はないです。ある程度、自分の思いだけでなく、周りの状況、現実をしっかりと見極められる人間でなければ。


と、自分自自身にも、とても耳の痛い事を叫びつつ、まあ、頑張りましょう。

って、別にマンガを描くという訳でもないですよ。自己表現全般の話です。




失われかけた冬の風物詩。-Lost tradition in winter times.-

ハローウィンというケルト民族由来のお祭りも終わりまして、さすがにアイコンがハロゥイーン
仕様なままだと、なんだかメリハリが残念な感じなので、戻そうかと思いましたが、ただ戻す
というのも何だか味気ないので新規に描いてみました。

当初の案では、防寒着的な物でフル装備な状態を描いたりもしたのですが、やはり、
冬と言えば、「コタミカ」こと、こたつにミカンですよ。

ここ最近ではコタツが家庭から無くなってしまっった。なんて話を耳にはさみます
けれども、震災以降のエネルギー効率を重視する風潮からか、コタツが見直されている
らしいのですけれども、まだまだ、復活とも呼べない現状かと思います。

そのコタツ家庭の減少に伴って、ミカンの消費量も落ちているらしいですねえ。って、
いつぞやもネタにした気が。

ともかく、果たして、冬の風物詩である「コタミカ」の復権は出来るのでしょうか?

つづく…のかな。