構えない構え。"Style without style."

状況確認。

えんぎモンの制作締め切り間近の為、単位を一日と区切らずに、制作できる時は制作。
疲れたら休憩、眠くなったら寝るといった、感覚的なサイクルに移行中。

構えない構え、こだわらないこだわり。ノンスタイルなスタイル。

武術で真の達人が達する境地、無形の位。

まあ、そんな格好良くないですけどね。


ま、今夜も眠さが限界になるまで寝ないつもり。
飲み物の補給も食い物の補給も済んだので、これからバチバチとキリクリと粛々と平々に、

状況を開始します。


絵はなくともイメージはできる。"Picture is not here, but the image can be thought."

新しい芸術のムーブメントというのは大抵、それまでの主流とされてきた、すばらしいと
されてきた事を否定することで、アンチテーゼとして出発することが良く見られますよね。

先日書いた事でもありますが、芸術ってのは特異点、出っ張った杭でなければ、認識されなくて、
普通な事をしていても、あまり意味のない事だと思います。

まあでも、しかし、観客にある種のトラウマを植え付ける事が芸術なんでしょうかね。

気味の悪い、気持ちの悪いもの、ナンセンスで、頭が困惑するもの。
醜悪なもの。挑戦的で攻撃的なもの。スキャンダラスな表現。

音楽で言うところのパンクロックな感じ。
「ファックユー」な精神。


強烈な感情でもって、欲望でもってそれらそれをぶちまける。
無心に、何も考えずに、吐露する。

熱い情熱というのはとても大事ですが、感情だけがすべてなんでしょうか。
全く制御されない生まれたままの感情をぶつける事が至上とするなら、

それが芸術ならば、

ごく普通な人間が真面目にコツコツと芸術家を目指すなんて無理ですよね。
それが大学まで行ってしまったら完全に真逆にベクトルが向いています。

生まれたままで、子どもなままが最高だとするなら、最高の芸術は
アールブリュットとか、アウトサイダーアートになると思います。


野性的な感情を持っているのも人間ですが、物事を冷静に見極める理性も人間の
持っているものではないでしょうか。

多くの人間による経験と伝承によって積み上げられた技術と思想。

芸術というものもそれらに含まれていると思います。

そういう地道な事を日々、積み重ねて、人に認められる人であろうと努力するのも
極めて人間的な事です。

動物はただ居るだけで動物ですが、人間が人間たりうる為には、絶えず
人間であろうとする事で、人でいられるのではないでしょうか。

それはある種の「やさしさ」ではないでしょうか。

人が人と穏やかにつながっていたい、関係を持っていたい気持ち。

つながり、関係に依存するのが人間。人と人の間にいるからこそ人間です。


感情的なのも人間的だと言われていますが、そこをもっと考えてみると、
人間的というよりも動物的、もっと言えば生物的な事なのかも知れません。
人間も動物の一部、動物も生物の一部でありますから。

外から受ける刺激によって生じた衝動をそのままダイレクトに行動に反映させる
のが感情的ならば、そういうことなのだと思います。



よく、昔の人間はもっと感情的で、野性的、要は原始的だったと思われがちなんです
けど、本当にそうなのでしょうか。

現代人ほどの理性を持っていなかったんでしょうか。

技術など、現代では当たり前なものがない分、妙な先入観で昔の人間を軽く、馬鹿に
して観てないでしょうか。

昔ほどの、生きる為に過酷な環境下において、団結力というのは必要不可欠ではないで
しょうか。

鋭い爪も、牙も、強靱な皮さえ持っていない裸の人間がどうやったら生き残れるのでしょうか。
集団の中の個体が感情的に気ままに動いていては集団として機能するでしょうか。

現代の方がよほど団結していなくても生きられると思います。孤独であろうと、物理的には
可能ですよね。

ですから、昔よりも今の情報ばかり溢れてしまって何だか分からない、人と人との関係性が
薄い現代の方がよっぽど感情的ではないかと単純に考えます。


そして、子どもというものに純粋で神聖なイメージを抱いてしまいがちですが、本当に
そうなんですかね。多少の未熟さが見られるものの、子どもだって立派な人間です。
人間の一様態です。

もちろん、多少の理性も備えてますよ。場の空気だって読めるし、打算的に子どもらしさを
利用する聡さも持ってます。それに早く一人前の人間として見られたいという欲求の強さは
相当なものです。人間であろうとする心は大人以上かも知れません。

ですから人間らしく努力するのが人間であるのなら、子ども以上に人間らしい人間は
いないのかも知れません。

ですから、その向上心を畏怖して大人は神聖視、ある種の尊敬をしているのかも知れません。

若干、話がそれました。


まあ、今日の昼下がりにやっていた岡本太郎の特集番組を観てて、テレビショッピングばりに
無制限に賛美されてて、もうちょっと客観的な感じにやって頂けたら何の疑問も感じなかった
のですが、どうにも取り上げられ方が変だったのでなんとも腑に落ちなくてウダウダと
岡本太郎をよく知りもしないのに、考え込んでしまいました。

でも、やっぱり、あの作品を作るスタンスの分かりやすさ、印象の鮮明さはすごいですよね。
一般的にも幅広く認知されてる筈ですよ。

ただ、ああいう極端な印象なタイプの人間は例外的な存在、特別な存在だからこそ成立する
もので、強く憧れて、そのスタンスを自分なりにローカライズしないまま生真面目に真似をした
ところで意味がないですよね。

自分的には芸術家の中の芸術家というのは、しっかりとした知識、技術、経験を元にしながら、
そこから大幅に飛躍できる、「守、破、離」の段階を踏んでいる人だと思います。

芸術家ってのは賢くて人の知らないところでしっかりと勉強しているものだと思います。
そんでもって人の持っているイメージ、先入観を上手く利用できているものですよ。
そして観客にある種の夢を見せる事ができる。


ああ、なんだか自分とはほど遠い、雲の上の存在だなあ。

ま、それでも、私は自分の信じるものをカタチにしていくだけですけどね。


さて、ちょいと、毎日連続投稿を目指して、色々やってきましたが、ここいらで一旦
リセットしてみます。ひさびさの画像なし投稿。

ええかげん、日付がどんどん遅れていってノルマ的にきつくなって、自分で上げすぎた
ハードルを自分で下げるという、自作自演。マッチポンプ。 orz

今週末はケツカッチンな感じがするので、更新できないかもしんないけど、
個人的に、月間アクセス記録更新を目指しているのでちょっと頑張ってみます。

マイノリティの中のマイノリティなレポート。"Minorities in the minority report"


さて、徹夜明けのハイな気分で書いた、痛いポエム的な何かを後に
追いやる為に始めましょうか。

さて、サンクガット イッツ フライデー。略して
TGIFなおめでたいノリで参りましょうか。

よくある深夜アニメにおける、第一話で何か色々な理由が有ったり
無かったりで、パンツやら裸が見える描写が入るのはもう何というか
儀式めいてる気がします。

もう、少女漫画における伝説的な都市伝説的な「遅刻しちゃう」と
トーストをくわえて駆け出すのと同じようなものかもしんない。

パンつながりか?

ええかげんに使い古された感が強くて、そういう作品ってのは大概、
つまらない…。とも言い切れないんだよなあ。

化物語は思いっきりそいう、描写入ってたりしたけど、それを抜きでも
十分にというか、そんなエロ要素なんかどうでもいい感じに面白かった
んだよなあ。話の持ってき方と、演出がすんごいツボったんだな。


まあ、あれだね、パチンコ屋に初めて行って大当たりとかしちゃうと、
 それが忘れられんくなってもう一度、みたいな感じでズルズルと深みに
ハマる現象と一緒かもしんない。やった事無いけど。

たまたま、見かけた深夜アニメが面白くって、「また次があるかも知れない」
とチェックしだすも、大半は微妙なものばかりで、結構、チープで下らない、
オリジナリティの低い、安直なものばっかりだったりしますわな。

さて、まだ2匹目のドジョウはいるんでしょうかねえ。



まあ、どうでもいいですが、最近、ようやく、フリークな方々が好きそうな
基本的にキャラで萌えて楽しむ、ゆるやか系というか、お約束設定のオンパレード
なアニメが苦手な自分に気が付きました。

なんか、結局、自分は普通がどうのではなくて、どこのジャンル、
グループに行っても、上手く馴染めないのかも知れません。

あれですね、働きアリの中のサボってるアリを集めて集団を作ると
サボってたアリが働き出して、また一定の割合のアリがサボってる
という話と一緒で、

マイナー人間のグループに入るとその中でも更にマイナーで孤立する
という感じ なのかもしんない。

なんだそのマイノリティーの中のマイノリティーみたいなのは。


まあ、なんか、こだわりというより壁を作っちゃってるのかもね
自分で。

こだわるってのは、「これじゃなきゃダメ」「これは絶対やだ」って感じに
排他的な事でもあるよね。

ある意味、人を許せるかどうかでもあると思う。

こだわりを捨てられないというのは人を信じられないというか、
不信感の表れなのかも。

人の価値観を認めないというのもこだわりの一つの側面なのかも。

まあ、そんなものは誰だって一定以上は持ってるものだろうけど。

特に自分はそれが強いレベルなんだろうなあ。

軽くこの人生を振り返ってみると、やたら妙な所で偏狭にこだわってた
よなあ。

まあ、しかし、捨てられるなら捨てるけど、捨てられないなら持ってるより
他はないものだよな。



って、なんだか全然おめでたくないノリになってんじゃん。

まあ、こだわりをこだわってても、何にもならないねえ。

気にしないのが一番ですわ。

とある虫のさざめき。"One of them ripple certain insects."

ワタシはだあれ?

ワタシはとしふみ。

オトシブミのとしふみ。

ワタシは思う。

極論を言ってしまえばアートというのはおかしな事。

日常ではなく非日常。通常ではなく異常。ハレであってケでは無い。

とキッチリと打ち込んだ釘ではなくて、ビョンと飛び出ている釘。

ルーチンワークではなくて、ソーシャルワーク。

アーティストってのは非日常を作り出す存在。
 日常から離れた特異点であり、非日常が日常な存在。
型を作るのではなくて、型を破る、型破りな存在。

そうありたい、そうであって欲しいとワタシは望む。

しかし、人というのは一定のリズムというものがなければ
日々を送るのも苦しい。

アーティストという存在、現象を持続していくには一定の法則が
 なければ、一貫性がなければその存在、現象はつかめない。

水源の一雫などは見えない。ひとつに集まってこそ、川になってこそ
 大河となってこそ人には見えるし、尊敬もされ、畏怖の念も持たれる。
尊厳を持てる。

不連続な連続。 日常的な非日常。絶えず変化するという万物の理を
体現し、そこに永久不変の真理を視る。

しかし、変化、異常というのはこわいものである。

一寸先が見えないのはこわい。

でも10年先が見えてしまうのもこわい。

日常では見ないで済んだワタシの持つ、ひどく脆弱で矛盾したワタシを
直視してしまう。

見えない闇を見入ってしまう。

何も見えないワタシの目など無いのと一緒だと錯覚する。

通常で異常な、変わる代わる世界においてもカラダの奥底に
自分の中心に変わらぬワタシをもっていなくてはならない。

どんなに孤独で孤立であろうとも、挫けてはならない。
諦めてはいけない。ワタシの存在を疑ってはいけない。

変わらぬ一点、曇らぬ一点を抱き、常に変わらなければ。

不連続から連続を見出し、連続から不連続を作る。


しかし、迷う、疑う、馬鹿馬鹿しくなる。

でもそんなワタシの弱さから目を背けていては意味が無い。

そんな弱さとも手を取り合って作らねばならない。
もっとワタシを知る為に。どんなワタシも信じられる様に。

アリ?ウサギ?"Ants like rabbits? Such as rabbits or ants."


先日、ベランダのプランターをうごめく小さい黒い影。
アミメアリがボチボチ今年も活動を再開したようですねえ。

全長せいぜい3ミリセンチメートル程度なので、結構コツが居る。
ええ、カメラで撮るならの話です。

マクロ撮影機能は最近のデジカメならどれにでも付いてると思いますが、
それでも余り大きく撮れないですねえ。

やっぱ、デジイチに接写リング付けて、久々に標準レンズ。

Pristomyrmex punctatus
Pristomyrmex punctatus posted by (C)かゆきゅう

ここまで寄って撮れます。

やっぱよく見ると違うなあと。

ええ、カメラの性能の話じゃなくて、一応このアミメアリをベースにして、
イメージソースとして、アミー・メアリという、ちっこいオレンジ色のキャラ
を作ったんですが、





先日のつるの絵の件でもそうですが、いまいち、アミメアリ
の形を消化しきれていなかったなあと。

というか、これはどっから出てきたアイデアなのやら。アリには
パッと見、見えないよなこれ。

ですので、

よーく見てみて、ディテールを抽出して、キャラにフィードバックして
みたらこうなりました。

うさぎ?

何とも面白いなあ。つか、以前のキャラがポケモン的な進化前でコレが
進化後みたい。

今回は偶然にハマってしまったんですが、むしをどうぶつに置き換えてキャラ化
というのもなんだか騙し絵みたいで、面白いかもしれません。

モチーフが2種類って仮面ライダーの怪人みたいだな。

まあ、てなわけで、いきなりですが、「むしのくに」の第二シーズンが私の中で
静かに始まりました。

咲いてこそさくら、散ってこそさくら。"The blooms eventually fall."

日曜日。6月に豊橋でやる展示みに向けてのミーティングに行へ。

少し早めに着いたので駅周辺を散策。

Double cherry-blossoms
Double cherry-blossoms posted by (C)かゆきゅう

Yae-zakura
Yae-zakura posted by (C)かゆきゅう

八重桜は今が満開。

After falling Sakura flower.
After falling Sakura flower. posted by (C)かゆきゅう

こっちのさくらはもうほぼ終了ですねえ。

Scattered sakura and campaign posters.
Scattered sakura and campaign posters. posted by (C)かゆきゅう
さくらの花が散った木の下の選挙ポスター掲示板。
なんか不吉かな。

The cover picture of a fire hydrant fireman.
The cover picture of a fire hydrant fireman. posted by (C)かゆきゅう

消化栓フタの絵って結構バリエーション多いのな。豊橋はこういう
良いフタが多いなあ。

This is a cover for what?
This is a cover for what? posted by (C)かゆきゅう

ちょっと古めの仕切り弁のフタ。

History of old-house feel.
History of old-house feel. posted by (C)かゆきゅう

いい感じに古い建物。

Towering department stores.
Towering department stores. posted by (C)かゆきゅう

いいかんじのビルヂング。

Manholes picture of fireworks.
Manholes picture of fireworks. posted by (C)かゆきゅう

ここにも手筒花火の絵のマンホール。

Stop at the intersection.
Stop at the intersection. posted by (C)かゆきゅう

なんとなく歩行者信号を見上げてみる。

Trains running in the road afar.
Trains running in the road afar. posted by (C)かゆきゅう

豊橋というと路面電車有名ですよね。

Toyohashi Station.
Toyohashi Station. posted by (C)かゆきゅう

駅前の路面電車。

Sun light leaking from the trees.
Sun light leaking from the trees. posted by (C)かゆきゅう

Manholes picture of the harbor.
Manholes picture of the harbor. posted by (C)かゆきゅう

今度は港の絵のマンホール。バリエーション多いなあ。

Entrance hall future children.
Entrance hall future children. posted by (C)かゆきゅう

豊橋こども未来館。ここで6月の展示に参加します。
詳細は決まり次第アプしていきますのでよろすく。

つるっと出てたつるつるなつるが机をつる。"Tsuru Tsuru desk, vine vine vine was out Innovation"


さて、ダブルヘッダーでも張り切っていきますよー。

いえ、こちらの話です、大意はありません、気になさらずに。

昨日に引き続き鶴です。昨日とはえらい違いですが。
某エクスカリバーみたいだなというか、あれは鳥なのか?
 そいや、ツタージャとエクスカリバーってなんだか似てる気がするのは
気のせいかな?
あっちはたしか動物のモチーフとしては蛇だったよな。

まあ、それは置いといて、

そうそう、名古屋周辺では机を動かすことを「机吊る」といいますよね。
あと、授業の間の休み時間の事を「放課」って言うってのもありますよね。

で、まあ、そんなことはハッキリ言って関係ないですけど。

昨日、いや、先刻のいまいちイケテナイ、イカさない鶴の絵を描いた事に
よって、ようやく鶴の鶴らしさを掴めた気がします。

哲学的に申せばイデアを掴んだといった感じです。

やっぱ、緻密に書き込んで、まるで写真のようなものが描けるより、
思いっきり簡素化された中にそのモチーフらしさを表現できた方が
断然に気持ちがいいなあ。まあ、写真のようなリアルな絵って描いた事ない
ですからサッパリと分からないのですが。

絶対途中で、「なんか違う」って思いだして、どんどんその違和感が膨らんで行って
途中で止めちゃうんですよねえ。それか、「こんだけ描けば何だか分かるだろう」
で、やや書き込みが甘い状態でストップします。

鶴とか、キリンとか、「細長い」という特徴のものってキャラ化しにくいですよね。
キャラ化ってのは大体、省略する事ですから、長い所は短くなりがちなんですよね。
で、長いものって、なんというか、リアルな感じがしますよね。人が、二頭身と、
八頭身では八頭身の方がリアルな感じがしますよね。

だからどうしても手足とかを長くするとなんだかキャラっぽくないんですよね。

そいや、「◯頭身」って「◯等身」とも書かれていますけど、本来的な意味、
頭を一単位としていくつ分かを表してるんですから、
「頭身」のほうが正しい気がしますが、どうなんでしょうねえ。

これも置いといて、

まあ、自分が描いていて気持ちのいい絵というのはぱっとひらめいて、
さらさらと、つるっと一気に短時間で描けるものだったりしますね。

なんというか、自分の中にはある種のそいう、瞬間の感覚を、
それが無くならないうちにスパッと切り取りたいという傾向が
あるような気が。でもパルプ造形はそんな風に一日で完成なんて事は
絶対ないから絵と立体は違うのかなあ。自分の感覚的に。

書道的な感覚なのかな。と、書道が苦手な人間が言っても説得力ないか。
ラクガキ的と言った方がしっくりかな。