見ながら絵を描くな。しっかり集中して描け。"Drawing should not seen motif. Draw with tightly focused."

縁起モンの引出物のペインティングの作業に入る前に復習がてら鶴の写真を見て絵を描いておこうと思うも、自己の表現力というボトルネックに直面するというか、

自分の興味のレベルがイマイチ高くないものへの観察眼のなさというか、持続的に観る
という事の難しさを感じる。

資料にした写真は「鳥 Birds」久保敬親という写真家の撮った写真集で、初版が1989年
という古めのものですが、資料としては申し分ないですねえ。

川崎に居たときにアゼリアという駅前地下街でやってたブックバーゲンで入手したん
ですが、まさか具体的に有効利用できるとは当時は思っていなかったなあ。

そうそう、鶴と一言で言っても日本では丹頂鶴のことですよね大概。
英名がJapanese Craneで日本を代表する鳥のひとつなんですねえ。

手本があるということは具体的な目標、ある種のゴールがあるわけで、
その明確な到達点があることによってある種の型にはどうしてもはまって
しまいがちです。

どうしても自分というものはメモリを、RAMをあまり積んでないPC、
もしくはプロセッサのコアが一つしか無いCPUみたいなもので、
 同時に複数の事をこなすのが大変に難題です。 下手にバックグラウンド処理
 しようとするとフリーズするというものです。

ですから、観る時は観る、描く時は描く事に専念するべきですねえ。

分かり切った嘘とかを平気で吐いたりできない人間なもので、どうしても
現物が目の前にあると嘘をつけないというか、自分の認識を疑ってしまって
対象に合わせようとするあまり、自分の得意な方向とは逆の事をしようと
 してしまって無理をしてでも、結果はイマイチという、誰得なのか分からない
事をやってしまいます。

どうも、自分の表現の傾向は、読み取ったイメージをトコトン簡略化して再構築
してシンプルなカタマリ、記号として出力されやすいようです。
パルプ造形ってのは緻密な形態には向いてないのと同じで、だから、自分の表現と
 マッチしていてやりやすいのかもしれません。

そもそもを考えると、具体的なモチーフを設定してパルプで作品を作り始めた
事自体が割と最近の話ですね。

とりあえず手の動くままに、余り意識をせずに、手の感触を頼りに、切れ端を作る。
 その切れ端に更に盛っていって、これは「こんな形の一部だろう」と徐々に形が
 見えてきて、ある程度までいってようやく具体的なイメージになる。
 
そのような手順を踏んでました。

あの頃はなんというか、抽象主義みたいな感じで、具体的なイメージを持つ事を
嫌悪して避けてたぐらいだったような記憶があります。

「何か言いたいけど、聞かないでくれ」みたくとても矛盾した心境だな。

まあ、そういう悶々とネガティブなのも若さというものかも知れません。
 認めたくないものだな、若さ故の過ちというものを。

まあ、ポジティブで活動的な事=若さと考えられがちですが、逆もしかりですよ。
プラスな方向に思い込めるという事は、マイナスな方向にも思い込めます。
徹底的に内に籠るのも若さです。

どちらにせよ、感情がどうにも抑えられないのが若さってやつです。

スマホは深い深い電子の谷を越える事はできるのか。"What smartphone would be to transcend the deep, deep valley of the digital divide?"



おニューな携帯を弄っていたら午前2時を回ってしまいました。かゆきゅうです。

いやあ、スマートフォンってホント、いいものですねえ。

写真機能を売りにしてると言う訳でもないので、大して期待してませんでしたが、

カメラ携帯と謳ってない製品でも性能は十分です。そんで、「通信」という
かなり高いアドバンテージがあるのではないでしょうかね。

そもそも、そこそこのレベルのコンデジを買う人間が持つ写真へのこだわり
なんてたかが知れてる。

 データ通信を前提としたスマートフォン、もう電話ではないですね、超小型のPC
 ですね。それにカメラは欠かせない入力デバイスです。

カメラ単品だけでは存在し得ない状況がでてくるのではないでしょうかね。
記録した画像を即その場でもウェブにアップロードして公開できるというのは
かなり革命的な事ですよ。

ちょっと前では写メなんて画質の面ではどうにも、デジカメの品質には
遠く及ばないものでしたが、デジカメで撮ったまんまの品質でユビキタスに
いつでもどこでも一対一、一対多数に送信で来てしまうんです。

コンデジというカテゴリはそういう携帯、スマホなどに食われるでしょうね。

まあ、ただ、しかし、今の最新式、最先端のガジェットとはいえ、弱点は
ありますね。

まず、まだまだ高い端末の価格。今日日は携帯本体の価格もあまり割引とか
しませんから、結構びっくりする値段ですよね。スマホなんて、普通のPCが
買えるレベルですね。まあ、それを分割にして月々数千円で金利無しに
出来たりしますが。

そして、まだ問題なのは通信料金がまだまだ高いですねえ。定額パケットの
上限が設定されたとはいえ、だいたい5000円というのはちょっと苦しいですね。
そこに通話料などがのっかってしまうとね。10000円を越えにくいとは
思いますが、できればトータルで5000円以内辺りになると取っつきやすい
かなあと。

でもですよ、その通信コストが解消されてもまだ問題があるんですよ。

バッテリーの問題。

色々なスゴい機能がついてすんごい便利なスマホですが、 それらの機能を
フルに使うと、稼働時間が非情なぐらい短くなります。

 どんな便利な携帯でも電池切れればただのオブジェですよ。

ですから、例えパケット使い放題だと言っても、バッテリー温存の為に
必要ない機能はこまめに消す。というなんともエコで慎ましい運用を
心がけないと ダメです。

それが嫌なら、予備の電源などを沢山、準備しておかなくてはいけません。

あとは、インターフェイスが直感的になったとはいえ、まだまだ操作が簡単という
訳でもないですし、ベストなパフォーマンスで使おうとするとかなりコツがいります。

結局はケータイの皮を被ったパソコンですよ。スマートフォンって。

その自由度の高さ、拡張性の高さは、複雑さや分かりにくさに繋がってます。
 まだまだ、マニアのオモチャなのかもしれないです。

ですから、この世のケータイが全てスマートフォンにはなりませんね。

 多くの人が使えるのはもっと自由度が低くて、シンプルなものじゃないですかね。
って、ガラケーじゃないのかそれは。

ことに超超高齢化の進んでいる日本においてはどれだけのお年寄りがスマートフォン
を使いこなせるかと考えたら、結構難しいですよ。まあ、お年寄りの中にも新しい事
好きの積極性をもつ方もいますけど、大概は「最近の機械はサッパリ解らん」と
開き直って全く使いこなそうとしない、じいちゃんだったりしますよ。

まあ、二極化していくんでしょうねえ。

正しくデジタルデバイド。

その両者間の谷は益々深くなっていくんでしょうねえ。

まあ、情報端末といえどただの道具です。どれをどう使いこなすかは
当人次第であります。

強力な武器にも、単なる暇つぶしの道具にもなります。

まあ、個人的には情報収集、活動発信に有意義に、有効に使いこなして
元を取りたいなあと思案中ではあります。

手始めに制作中画像をツイッターに貼っていこうかなあと。


卵の殻が先か黄身が先か?"Which came first, the egg yolk or the egg shell?"


よく物事を始める際にいきなり、続けるか分からないのに、一揃いのものをしっかりと
準備してしまってから始める人を「形から入る」などと言いますけど、
 形から入らない場合は何と言うのだろうか。

形の反対って何でしょう。
「ハード」と「ソフト」な意味だと「内容」でしょうか。
外見だとすると中身。
物質だとすると精神。

格好だけではなりきりきれない。短期間ではやはり付け焼き刃な感は
拭えませんですかねえ。

しかし、外側をしっかりと固めれば、内面がついてくることは充分に
あり得ますよね。

健全な精神は健全な肉体に宿るとも言いますし。

えっと、「僕らの七日間戦争」という映画の中で冒頭に生徒指導の
教員が「服装の乱れは心の乱れ」なんて事を言ってましたよね。

ん、でもこれってのは個人の心構えと言うよりは、団体行動上の規律を
保つ為の話ですかね。



まあ、お試し期間中とか、ある程度の基本をマスターした者が状況によって
形をくずすのが普通で、最初からガチガチにやってしまうのは違うのかも
知れないですね。もしくは、そういう事ができる財力、神経をやっかんでの
皮肉。

まあでも、始めて、ある一定の段階になると、自分自身の形をしっかりと定めないと
居住まいを正して真剣に心身を構えないと、その先のレベルには到達できませんよね。

どうせ、趣味だから。とか変に線を引いてるとレベルアップは望めませんよね。

その、先へ進む覚悟という面で、形から入るということも必要なのでは
ないかと思います。

本当の始まり、真のスタートラインに立つ為に、どう自分の形を作り込むか。

ビデオゲームのロールプレイングゲームでは、始める最初に自分の分身である
キャラクターの様々なパラメーター、能力、技能、外見、性別、職業などを
を決めるキャラクターメイキングという作業をするゲームがありますけど。
こういうキャラメイクって、現実においても自分自身をどう見せて、
どうなりたいかを考える場合、必要ですよね。

なりたい自分という上級職にクラスチェンジする為には、
自分があるべき姿にフォームチェンジすることも必要かもしんないです。

そんな事を最近考えます。

何と言うか、自分の中に感じる違和感、何か違う気がする。
でもなんだかはっきりしない。でも、このままの自分は何かちがうだろうと
自分の中から沸き上がってくるコレジャナイ感が解消できないでいる。

いわゆる普通とは離れた所に居るし、更に離れて行こうとしている自分が、
何だか冴えない普通な格好というのはどうなんだろうかと思うんです。

普通の格好ってのはいわば戦場での迷彩服ですよね。目立たない様にする為の。

特にどうにも変な癖がついてしまって、それをからかわれた人間ってのは
ひたすら隠れようとしてしまうものですよね。

とりあえず、普通という仮面で偽装して、目立たなくしてとりあえずの安寧を
得るのですが、それって本当にしあわせかって言ったら難しいですよね。

常に自分自身が嘘をつく事を人から強制されているみたい。本人がどういう
つもりでかは分からないけど、嘘をつくと人は意識的にも無意識的にも罪悪感を
感じてしまうものです。

それに嘘というのは一つ、ついてしまうとどんどんと新しい嘘を重ねなくては
いけなくなるものらしいですし。余計に辛くもなるかも。

ですが、そういう嘘をつくのを止めて、自分の本性を晒しても、世の中とか、
周りが認めてくれるとは限りません。確実に波風が立ちます。諍いが起こるかも
しれません。

でもさ、現実ってのはこういうものですよ。人に分かって貰いたい、
自分を認めてほしい。人から認めてもらえる人でありたい。
そうありたいという所で、一番無難で、手っ取り早く人に認めてもらう
方法は人に媚びる事、おもねる事。人の都合の良い自分。滅私奉公。

普通に生きるならそれも悪くないです。
でもさ、そっから離れようとしている人間なのに、決めかけて迷ってる
人間なのに、そういう所で、縮こまっていてもどうしよもないでしょうに。


アーティストってのは
信じられ、怖れられ、怖がられ、疎まれ、奉られ、
敬われ、嫌われ、忌まれ、願われにゃくてはならない。

だから存在しうるのではないかと。


って、ちょっと「化物語」からセリフを引用して改竄してみました。

まあ、本来は、「アーティスト」ってのは「怪異」という
妖怪変化、魑魅魍魎の類の事なんですけど、

アーティストってのはそういう存在でないかとも思う訳です。
異質、特異であって、普通、平凡であっては存在し得ないもの
じゃないですかね。

普通でないからこそ、その存在を許されている。

ですから、人にある程度の違和感、異質感を持ってもらう事も
必要なのでないかと思うのです。短絡的かもしれませんが。

まあ、でも、そんな些細な事で変われるものならば、どんどん変わりたい
と思います。

私は、過去の自分がどうにも嫌いで、ひたすらに「変わりたい」と
願い続けて不器用ながら生きてきた様なもんですし。

そうやって今の自分は昔と比べれば、随分とマシに思えますし、
わりと好きだと思ってます。

まあ、色々と言ってきましたが、結局の所、何か変わりたいと思うものの、

何をどう変わったら良いのかという答えはまだ見つかってません。

という、ダメダメなオチがあったりしますがね。



今回は久々にアナログで紙にお絵描きしてスキャニングしてみました。
やっぱ、アナログの方が線の質感がユニークですよねえ。

一枚目のPCで着彩した絵は「フエキ建築用ソフトカラー鉛筆」って、本来はこういう
用途に使うものでないもので書いてみました。

文具売場じゃなくて、ホームセンターの土木建築関係のコーナーにあって
資材のマーキングなどに使うペンらしいです。

クレヨンの芯のシャープペンシルみたいで、面白い線が引けます。

ある意味、大人のクレヨンかもしれないです。

まあ、2枚目は普通に文具ですが、三菱 ユニボール シグノ 超極細0.28ミリの
インク色がブルーブラックって、恐らく、普段の筆記には余り用いないであろう
ピーキーな細さと色のボールペンです。勢い良くガリガリ書いてると、紙が破け
そうですね。って、やっぱそういう用途じゃないよな多分。

さて、制作中写真でも上げて行きたいとこですが、どうにもシックリと来て
ないんですよね。

塗装作業に入ってないから地味なんだよなあ。

例え、独りぼっちであってもチームワークは必要である。"For example, teamwork is essential, even alone."

うーん、絵の描き方が、まず写真をどれ使うのかから始めると、シュチュエーション
コメディみたいなストーリーの組み方みたいな。というか、舞台から発想して
いく感じ。

場があって、そこに人が集まる。みたいな。

この絵のの元ネタの写真は2002年の4月に春日井市の落合公園で撮ったものです。

地元の人間なら知っている花見の名所ですね。

ただ、この近辺のロールのフォルダを見ても、さくらの咲いているいわゆる
ベタな絵が少ないですね。今の私なら、平気で5〜60枚は撮ってるとこですが。
まあ、メモリー、バッテリーの容量の都合というのもあるでしょう。
しかし、写真から積極性を感じない。
まあ、写真は撮れば撮るほど、上達し、積極的になるものですねえ。

変に拘ってて、妙に構えてるし、消極的だなあ。

で、これ、まず最初に卒業した大学のクラスメート数人が集まって
花見でバーベキューをした後日に、出直して撮っているんですよね。

まあ、グループでいると団体行動を重んじて、単独行動をしない彼は
なんか、写真を撮りたかったけど、周りに遠慮して、撮らなかったん
だろうなあと。

で、後日、わざわざ、サイクリングも兼ねて尾張旭から走ってきてるんですから
なんかエネルギーの使い方がおかしいな。さすが20代。

何か迷って、モヤモヤして、ネガティブなんだけど、妙な事をしだすと有り余る
体力で突っ走ってんなあ。

なんだか壊れかけの電化製品みたいだな。

まあ、そう思うと、若いのは若いなりに大変だったよなあと。
 感情を全然制御できなくてブン回されてたなあ。

それを思うと、ある程度ハンドリングできている今の自分は バランス的には
悪くないなと。

ちょっとは冷静に物事を見られるようにはなったつもりです。
が、まだまだ、思考力が足りてないし、行動力も不足しております。

まあ、こうやって、自分の撮った過去写真は日記を読み返すよりも客観的に
昔の自分を見る事ができますね。

写真ってのは撮る人間の視点が反映されますが、写したものにはその視点、
意図とを越えたものも一緒に写るものですから自分の思っていた事と現実がどう
いう関係だったのかを今の視点で推量で来ます。

日記というのは自分の感情を並べてしまいますので、事実はどうだったのか
その証拠を確認しづらいのではないかと思います。

 それに、過去の自分の精神の荒廃ぶりはさすがに直視したくないなと。
過去のラクガキを見るのでも、ちょっとした恐怖を伴ったものを、
 それを文章なんてもので見たらまた発狂しそうですよ。

 まあ、今が今とて正常でまともなのかとは限りませんけど。

 基本的に、過去の自分と今の自分、未来の自分はすべて別物ですよね。

人間て一日ごとに別人が入れ替わってるような気がします。

もっと短いスパンの可能性もありますが。




起きて寝るまでがその日の人格が生きている時間。

寝て起きるまでに新しい自分が昨日までの記憶を引き継いで新しい
自分がまた一日を始める。

でないと、昨日まで満足していた事が今日になって不満に思えたり、
妙に落ち込んでいた自分が馬鹿に思えたりってなんだかおかしな気がします。

別人なのであれば何となく納得できる様な。

まあ、一日一日、一人しかいないその日の自分を大事につないで行ってこそ、
その先には輝かしい日や、素晴らしい景色が見えてくるのではないでしょうか。

 そのすべては一人で作るんじゃなくて、その日、その日の代わりの居ない、
 休む事が出来ない自分が請け負うものでないかと。

 だれが抜けても、自分という人生は完結しません。

 せっかく過去の自分達が積み上げたものを一人の自分がぶち壊すなんては、
 本来やってはいけない。過去の自分達の思いを汲んで、例えその日が辛くても、
 悲しくても、下らなく見えても諦めてはいかんのではないかと思います。

今日の自分という存在が居ると言う事は、過去の自分達が引き継いできて
くれたからで、一人孤独に進んできた訳じゃない。自分だけであっても一人
ではない。

いろんな艱難辛苦を共にしてきた自分という人生の仲間なんです。


ま、こうやって一つのものを複数として、複数のものを一つのものとして
捉えてみると、違った景色が見えてきて面白いですね。

こうやって、視線を自由に動かせるか否かって、人生が辛いか否かに関わります。

さて、今日の自分は自分としての役割りを自分なりに果たせたのかな。
次の日の自分に良い状態でバトンを渡せたんだろうか。

まあ、それはもう、また、別の自分の話ですね。

私達は進む、夕暮れの帰り道を。"We go, way back in twilight together."

一年は四つの季節に分けられますが、その一年の四つ季節を人間の一生に
なぞらえて青春、朱夏、白秋、玄冬などと言われたりします。

人の普段の一日は大概、どこかへ出かけて行って、帰って来ますよね。
では、その一日を人の一生に例えてみた時に、人はどこかへ出かけて行ったと
すると、また同じ場所に帰るのでしょうか。

そういえば、年を取ると逆に子どもに戻って行く。なんて言いますね。
戻るにしても、往路と復路では同じ道であってもやはりいろいろと
違うものですよね。

出かける時はどうしても、ピリピリと緊張をしてしまうものですが、
帰り道というのは何だか安心感がありますよね。

まあ、ですから、帰り道の象徴である、一日を無事乗り切れたという
達成感、安堵感を得られる夕日、夕焼けというのは、個人的に、朝日、
朝焼けよりも好きなものです。

まあ、同じ夕方でも、日曜日の夕方の終ってしまった感というか、
サザエさんシンドロームな空気感はどうにも苦手ですけどね。

また、何が起こるか分からない一日が来てしまうと思うと、憂鬱なものです。
人生は善くも悪くも回りますから、それが怖いですよね。

ドキがムネムネする感じというのはたまには良いけど、それを毎日というのも
考えものです。

まあ、でも、そんな感じで、分からなくて普通です。怖くて普通なんでしょうねえ。


写真を素材にお絵描きってのは良いのですが、上記にあった様に、自分の撮ってる
写真って夕焼けが多いんですよね。暗い絵か、オレンジ色の絵に偏るかなあ。

ま、いっか。

さてさて、制作作業の写真もコンスタントに上げて行かないとなんだか
仕事してない様に思われそうですんでとりあえず、あまり、作為とかを
せずに、適当にポートレイトしてきます。

20110411Work today-1.
20110411Work today-1. posted by (C)かゆきゅう

20110411Work today-2.
20110411Work today-2. posted by (C)かゆきゅう

うーん、画像だけだと状況というか、塗装もしてないやつだから
さっぱりわからないですかねえ。ダメじゃん。

豊橋の展示用作品もボチボチペースを上げてかないと大変なんですよね。
モチーフに困るというか、モチーフに迷いますね。 なんだか自分の中で
 何かしっくりしていない部分がある。迷いがあるかな。
 
まあ、そこいら辺の自分のリミッターを外さないと中途半端になりそう。
 気を付けないとな。

引きでもんズに関しては25体分の原型というか芯の削り出しは終了してます。
随時パルプ盛りも平行して行ってますので、順調ですねえ。

まあ、とにかく、何事も、日々の積み重ねですねえ。
毎日動かして行かないと、滞ってしまいます。

まあ、本サイトの更新が停滞してて申し訳ないけど。

綺麗なバラには棘があり、美しいサクラには魔力が宿る。"Every rose has its thorn. There's no SAKURA without a magic power."

Nameko and zucchini Tomato sauce Pasta.
Nameko and zucchini Tomato sauce Pasta. posted by (C)かゆきゅう

投稿タイトルに反して、いきなりの食べ物画像。そして、備忘録的なレシピ。

先日、昼食に作った「ナメコとズッキーニのトマトソースパスタ」

材料:なめこ、ズッキーニ、ニンジン トマト缶、スープの素(コンソメ、中華何でもお好みで)、
オリーブオイル、にんにく、とうがらし、塩、こしょう、バジル(生、乾燥問わず)

スライスしたにんにく、とうがらしを適量オリーブオイルを入れたフライパンで加熱。
にんにくが茶色くなってきたら、とうがらしは取り除いて、具材を投下し、塩こしょう。
順番はニンジン、ズッキーニ、なめこの順だと各素材に適度に火が通ります。
塩こしょうはお好みの量で。
炒めたら、トマト缶の中身を投入し、スープの素を入れる。水分が少ないようなら
水を入れて濃度を調整。バジルを入れて風味を整える。

仕上げはフライパンにゆでたパスタを入れて和えても、皿に盛ったゆでパスタに
ソースをかけても、どちらでもいいですね。

パルメザンチーズを振りかけてもよさげです。


さすがに昼ご飯が即席麺ばかりだと正直、飽きが来てしまいますので、ちょっとパスタなどを。
ソースとか、ゆでたパスタを容器にいれて冷蔵庫で保管すると、暖めるだけですぐ食べられて
便利ですよね。


さて、ここからが本題です。


サクサク春のさくら祭り~。

たとえ、パン祭りは中止でも、自重モード、いえ、自粛ムードなぞなんのその。

不貞、不謹慎どんとこい。サクラは咲きます。どこにでも。


サクラには人を癒す力があるって、どこぞのヤブ医者さんも言ってました。

いやあ、サクラはスゴイですよね。すごいですが、散った後に

効果が消えて五月病突入というケースもベタで良くありますけどね。


さて、

春の陽気に誘われて、ふらりとサクラを見に行こう。

と言う訳でなく、先日の投稿通りに、家でダラダラとゲーム三昧を予定して
いましたが、急遽、名古屋の桜山まで人の用事の付き添い。

別に、そこいらの浮かれてるリア充に影響された訳じゃないんだからね。
ただ、付き合いで行っただけなんだから~。

では以下、ひたすらサクラ画像をお楽しみ下さい。


In Owariasahi. Side of the reservoir.
In Owariasahi. Side of the reservoir. posted by (C)かゆきゅう

Owariasahi towards the Nagakute.
Owariasahi towards the Nagakute. posted by (C)かゆきゅう

Like a stage drama, the scene of cherry blossoms school zone.
Like a stage drama, the scene of cherry blossoms school zone. posted by (C)かゆきゅう

Flowers still bloom.
Flowers still bloom. posted by (C)かゆきゅう

It feels like summer and spring come together.
It feels like summer and spring come together. posted by (C)かゆきゅう

Composition is predictable.
Composition is predictable. posted by (C)かゆきゅう

Sakurayama Sakura.
Sakurayama Sakura. posted by (C)かゆきゅう

Like a rose bud.
Like a rose bud. posted by (C)かゆきゅう

Sakura Yamazaki river views.
Sakura Yamazaki river views. posted by (C)かゆきゅう


Sakura of the brook in the city.
Sakura of the brook in the city. posted by (C)かゆきゅう

Sakura and Spiraea thunbergii trail.
Sakura and Spiraea thunbergii trail. posted by (C)かゆきゅう


What plane is that the cherry blossoms can be seen this.
What plane is that the cherry blossoms can be seen this. posted by (C)かゆきゅう

Families walk the path of Sakuras.
Families walk the path of Sakuras. posted by (C)かゆきゅう


本来ならば、今日も、趣味的なネタを炸裂させたかったところですが、流石にちょっと限界です。
披露、いや疲労的な意味で。

書きたいネタが湯水の如く、放射性物質の如く、増殖しているのですが、っていうのは不謹慎
極まりないか。申し訳ない。

まあ、原子炉を排泄物で説明すると分かり易いですよね。
つまり、人間も単なるクソ袋です。自制心という閉じ込めている殻が、自己の驕り高ぶった
汚物であるどす黒い感情の熱や、圧力で裂けてしまえば自分の中からひたすら、
臭いもの、汚いモノを吐き散らかす訳です。


まあ、ですが、そうなのですが、
その「綺麗」だとか、「汚い」という概念は誰が決めるのでしょう。
そんな極めて感覚的な根拠は誰が示せるでしょうか。

世の中には毒ではあるけど、有益な物質は沢山あります。

どんなに清潔に見えても、清潔であっても、当人が汚いと思えば汚いモノでしか
ありません。

どれほど、不潔で、吐き気を催しそうなものであっても、当人がケセラセラと、
箸にも棒にも掛けなければ、汚くもないです。

世の中に、綺麗なモノも、汚いモノも、存在しません。
ただ、綺麗という認識、汚いという認識が頭の中に価値観としてあるだけです。

と、話が脱線気味に動き出して危険極まりないので、ここいらで終了です。


久々に今日はノーお絵かきでフィニッシュです。



いやあ、せっかくの美しいサクラの画像載っけといて、随分と酷く汚い終わり方だな。

まあ、ですから、そう言う概念とか価値観というのは…。


そいや、美意識の中には、美しいものは美しいという美意識と、

醜い事を美とする美意識、「醜悪美」というもの

あるそうですよ。

確か、川崎生まれの偉大な芸術家がそう言ってたような気がします。

週末はウチに籠ってゲーム三昧です。-My weekend will play a video game in the house.-

土日ってブログの更新はどうしようかなあ。

習慣ってのは、やっぱ、毎日続けてこそ、意味がある訳だし。
このブログのスタンスが、ビジネス、プライベートかと問われたら
正直、微妙と言わざるを得ないかもなあ。

ま、気負わずに、いつも通りに脈絡なく参ります。


ネットの世の中というか世界では主に個人がアップする情報はマイクロブログが
中心になっていくらしいですが、
どうにも、自分は140文字とかで文章をぶつ切りにアップロードしていくと
いう事が出来ないと言う訳ではないですけど、なんかすっきりとしないというか。

いまいち気分よく使えていないなと。

どうにもツイッター等のマイクロブログだろうが長文を書きたくなってしまって、
 ツイートを連続でつぶやくのはちょっとね、フォロアーを中途半端に増やして
しまってるからリアルで面識のない方が多数で、しかも、フォローが少ない人も
中にはいますので、そういう人のタイムラインを占領してしまうのはちょっと
ばかし、気が咎めてしまいます。

 まあ、それならば、長文はやっぱし、コッチのブログで書いて行った方が、
みんな幸せなのではないかなと。

まあ、何だろう、こういう変なとこで押しが弱いのは表現者としては
駄目なのかもしんないですけど。

終末なので、って、「しゅうまつ」で変換して、最初の候補が「終末」なのは
自分自身、終ってるなあと。いやだよほんとに。


さて、週末なのでお絵描きは趣味的なネタで行こうかなと。


これを見てる方はそれ程、ゲームに関してマニアックなのか、
やり手のフリークなのかはよく分かりませんけど心持ち丁寧に
書いてみます。

ポケモンを去年末辺りからプレイし始めてどっぷりハマっております。
現行最新作のブラック&ホワイトのブラックでイッシュ図鑑が一部レア
ものを除いてもうすぐ埋まりそうなとこまで来ました。

ソフト一本で頑張りました。

そんな所に、海外版のBWが発売された様で、GTSで海外のプレーヤーと
ポケモンを交換できる様になって新しい楽しみも出て来ましたね。

まあ、ただ、肝心のサイトのリニューアルが諸般の都合で未定になって
しまっていつになるのやら。


いわゆる昔からある普通の大作RPGは新作がでても旧作もプレイ
してみようと思う事はそれほどないですよね。

で、ポケモンの面白い所、というか、えげつない所は、旧作からも
ポケモンを連れてくる事が出来るんですよね。

しかも旧作でしか出てこないポケモンも結構多い。

まあ、旧作と言っても全シリーズで出来る訳でもなくて、

一番最初に出たポケモン、ゲームボーイ、ゲームボーイカラー
で出ていたシリーズとは全くデータに互換性がないそうですね。

まあ、条件がちょっと厳しいですがゲームボーイアドバンスからの
シリーズからはドミノ的に最新作まで持って来れるそうです。

それにしても、そこまで古いデータを持ち込めるゲームというのも、
なかなか無いですよねえ。

まあ、ポケモンに関わらず、最近のゲームはデータがカートリッジとか
ディスクの中にとどまらずに、キャラとかアイテムなどを、ネットなどの
通信を介して受け渡しできるものが増えてきましたよね。

結構すごい世の中になってますよね。ちょっとしたSFですよ。
もし、今、自分が十代の子どもだったら狂喜乱舞してるますよ。
めっちゃ羨ましいですわ。

まあ、現代っ子には至極普通な事なんでしょうけどね。

で、そんな訳で、とうとう、旧作「プラチナ」にも手を出してしまった訳ですわ。

いやあ、これはこれで遜色無く面白いですねえ。

難易度的には断然プラチナの方が難しいし、やれる事が多過ぎてかなり
大変です。

きっちりと準備をしておかないとジムリーダーとか、うざい幼なじみに
あっけなく負けてしまいますわ。

こうして見てみると、ブラック、ホワイトは一旦リセットというか、
かなり構成をシンプルにして、対象年齢を若干下めに設定し直した
という印象がありますね。一応のエンディングを観るまでは旧作の
ポケモンが一切登場しませんし。

まあ、プラチナとブラック&ホワイトの間にあるソウルシルバー&ハートゴールド
はどうなっているかは知らないんですけどね。

ゲームの最初にゲームのメッセージ表示を「漢字」と「かな」が選択できる
辺りとか。便利だけどイマイチ分かりにくポケッチてきなシステムの廃止とか。

あと、状態変化がフィールド上で影響しないとか、わざマシンが無くならないとか。
マップの構造、物語展開も、基本的に一本道な感じで、次にどこへ行けば良いのか
分からなくなりにくい気がします。

何と言うか、地道な新規ユーザーの取り込みをちゃんと考えているなあ。

まあ、それでも、アニメから入ってきてる小学校低学年、幼稚園児にしてみれば
相当難しいと思われますけどね。まず、ひらがなは読めるけど、カタカナ読めない
レベル。 ウチの姪っ子が頑張ってプレイしてたのは印象的でしたわ。

まあ、課題もまだまだあるとは思いますが、その姿勢には頭が下がります。


ウチらがリアルタイムでやってきた大作RPGはどんどん対象年齢が上がり過ぎて
新規ユーザーを取り込めなくて袋小路に突っ込んでしまったのとは対照的ですよねえ。

まあ、マニアからすれば、ヌルいという事なのかもしんないですけどね。

こういうベテランとルーキーのバランスをとるというのも難しいものです。
コダワリのあるユーザーはどうしても、ちょっと変わってしまうとソッポを
向いてしまうものですし。

最悪、新規ユーザーの掘り起こしに失敗し、なおかつ、既存のユーザーの
離反を招くと言う、誰得な状態になります。

まあ、何と言うか、こういう話はゲームだけにとどまらず、いろんな業種でも
 当てはまることですよね。

アニメ業界にしても、日本の社会構造にしても。

中庸ってのは、普通ってのは本当にとっても難しいですねえ。


あらら、趣味の話をしてたのに、なんだか真面目臭い、抹香臭い話になって
しまいました。

話がワンパターンだな。いかん、いかん。

もっとふざけた話がしたいです。


てなわけで、挿絵もポケモンネタ。
いきなり、最新作でもなく、御三家でもないという、でも、序盤から入手
できるポケモンの最終進化形という微妙なマニアックさです。

申し訳ない。