週末はウチに籠ってゲーム三昧です。-My weekend will play a video game in the house.-

土日ってブログの更新はどうしようかなあ。

習慣ってのは、やっぱ、毎日続けてこそ、意味がある訳だし。
このブログのスタンスが、ビジネス、プライベートかと問われたら
正直、微妙と言わざるを得ないかもなあ。

ま、気負わずに、いつも通りに脈絡なく参ります。


ネットの世の中というか世界では主に個人がアップする情報はマイクロブログが
中心になっていくらしいですが、
どうにも、自分は140文字とかで文章をぶつ切りにアップロードしていくと
いう事が出来ないと言う訳ではないですけど、なんかすっきりとしないというか。

いまいち気分よく使えていないなと。

どうにもツイッター等のマイクロブログだろうが長文を書きたくなってしまって、
 ツイートを連続でつぶやくのはちょっとね、フォロアーを中途半端に増やして
しまってるからリアルで面識のない方が多数で、しかも、フォローが少ない人も
中にはいますので、そういう人のタイムラインを占領してしまうのはちょっと
ばかし、気が咎めてしまいます。

 まあ、それならば、長文はやっぱし、コッチのブログで書いて行った方が、
みんな幸せなのではないかなと。

まあ、何だろう、こういう変なとこで押しが弱いのは表現者としては
駄目なのかもしんないですけど。

終末なので、って、「しゅうまつ」で変換して、最初の候補が「終末」なのは
自分自身、終ってるなあと。いやだよほんとに。


さて、週末なのでお絵描きは趣味的なネタで行こうかなと。


これを見てる方はそれ程、ゲームに関してマニアックなのか、
やり手のフリークなのかはよく分かりませんけど心持ち丁寧に
書いてみます。

ポケモンを去年末辺りからプレイし始めてどっぷりハマっております。
現行最新作のブラック&ホワイトのブラックでイッシュ図鑑が一部レア
ものを除いてもうすぐ埋まりそうなとこまで来ました。

ソフト一本で頑張りました。

そんな所に、海外版のBWが発売された様で、GTSで海外のプレーヤーと
ポケモンを交換できる様になって新しい楽しみも出て来ましたね。

まあ、ただ、肝心のサイトのリニューアルが諸般の都合で未定になって
しまっていつになるのやら。


いわゆる昔からある普通の大作RPGは新作がでても旧作もプレイ
してみようと思う事はそれほどないですよね。

で、ポケモンの面白い所、というか、えげつない所は、旧作からも
ポケモンを連れてくる事が出来るんですよね。

しかも旧作でしか出てこないポケモンも結構多い。

まあ、旧作と言っても全シリーズで出来る訳でもなくて、

一番最初に出たポケモン、ゲームボーイ、ゲームボーイカラー
で出ていたシリーズとは全くデータに互換性がないそうですね。

まあ、条件がちょっと厳しいですがゲームボーイアドバンスからの
シリーズからはドミノ的に最新作まで持って来れるそうです。

それにしても、そこまで古いデータを持ち込めるゲームというのも、
なかなか無いですよねえ。

まあ、ポケモンに関わらず、最近のゲームはデータがカートリッジとか
ディスクの中にとどまらずに、キャラとかアイテムなどを、ネットなどの
通信を介して受け渡しできるものが増えてきましたよね。

結構すごい世の中になってますよね。ちょっとしたSFですよ。
もし、今、自分が十代の子どもだったら狂喜乱舞してるますよ。
めっちゃ羨ましいですわ。

まあ、現代っ子には至極普通な事なんでしょうけどね。

で、そんな訳で、とうとう、旧作「プラチナ」にも手を出してしまった訳ですわ。

いやあ、これはこれで遜色無く面白いですねえ。

難易度的には断然プラチナの方が難しいし、やれる事が多過ぎてかなり
大変です。

きっちりと準備をしておかないとジムリーダーとか、うざい幼なじみに
あっけなく負けてしまいますわ。

こうして見てみると、ブラック、ホワイトは一旦リセットというか、
かなり構成をシンプルにして、対象年齢を若干下めに設定し直した
という印象がありますね。一応のエンディングを観るまでは旧作の
ポケモンが一切登場しませんし。

まあ、プラチナとブラック&ホワイトの間にあるソウルシルバー&ハートゴールド
はどうなっているかは知らないんですけどね。

ゲームの最初にゲームのメッセージ表示を「漢字」と「かな」が選択できる
辺りとか。便利だけどイマイチ分かりにくポケッチてきなシステムの廃止とか。

あと、状態変化がフィールド上で影響しないとか、わざマシンが無くならないとか。
マップの構造、物語展開も、基本的に一本道な感じで、次にどこへ行けば良いのか
分からなくなりにくい気がします。

何と言うか、地道な新規ユーザーの取り込みをちゃんと考えているなあ。

まあ、それでも、アニメから入ってきてる小学校低学年、幼稚園児にしてみれば
相当難しいと思われますけどね。まず、ひらがなは読めるけど、カタカナ読めない
レベル。 ウチの姪っ子が頑張ってプレイしてたのは印象的でしたわ。

まあ、課題もまだまだあるとは思いますが、その姿勢には頭が下がります。


ウチらがリアルタイムでやってきた大作RPGはどんどん対象年齢が上がり過ぎて
新規ユーザーを取り込めなくて袋小路に突っ込んでしまったのとは対照的ですよねえ。

まあ、マニアからすれば、ヌルいという事なのかもしんないですけどね。

こういうベテランとルーキーのバランスをとるというのも難しいものです。
コダワリのあるユーザーはどうしても、ちょっと変わってしまうとソッポを
向いてしまうものですし。

最悪、新規ユーザーの掘り起こしに失敗し、なおかつ、既存のユーザーの
離反を招くと言う、誰得な状態になります。

まあ、何と言うか、こういう話はゲームだけにとどまらず、いろんな業種でも
 当てはまることですよね。

アニメ業界にしても、日本の社会構造にしても。

中庸ってのは、普通ってのは本当にとっても難しいですねえ。


あらら、趣味の話をしてたのに、なんだか真面目臭い、抹香臭い話になって
しまいました。

話がワンパターンだな。いかん、いかん。

もっとふざけた話がしたいです。


てなわけで、挿絵もポケモンネタ。
いきなり、最新作でもなく、御三家でもないという、でも、序盤から入手
できるポケモンの最終進化形という微妙なマニアックさです。

申し訳ない。


今宵、月が見えずとも。埒の明かない夜としても。- I can not see the moon tonight in fog. No see the outline of a dark night.-

大概、人が絶望する時は、たまたま、今まで自分が知らなかったものを
世界のとてもネガティブな面を直視してしまって、それまでの自分の中の
現実と思っていたお花畑が、単なる妄想上の産物だと思い知ったとき
なのではないでしょうかね。

単に知らなかっただけ。たまたま今の今までそんなケースに出会わ
なかっただけ。

まあ、自分の中の現実感を壊されるというのはとてつもなくショッキングな
事です。

多くの人は、正常な、不足なく充足している状態であれば、人に辛く当たる
事は、それ程ないです。ただ、それが、切羽詰まって、刺客が行く手を
塞いでいるのにも関わらず、手にしている刀が鞘から抜けない様な状態、
追い込まれていると、冷静ではいられないでしょう。心細い。

そんな様な時は、些細な事でも、どうにも心が波立ってしまって必要
以上に相手に食って掛かったり、相当冷たい仕打ちをさも当然の如くして
しまうものです。

現実は何も変わってはいない、少しばかり見方が変わっただけです。

全てが全て、ポジティブに優しい事ばかりじゃなくて。
皆が皆、ネガティブに冷たい訳じゃない。

そういう、世の中の一部分にフォーカスが合ってしまって、
それが動かなくなる不具合に気が付かない。

そういう、思考停止、視点固定状態こそが、全てを悲観する元凶です。

そういう類いの畏れに似た猜疑心が何もない筈の暗闇から鬼を呼び出したり
するんです。

 現実を直視する勇気も必要ですが、見えているけど見るべきでない、
見る必要のないものから目を逸らす、クールにスルーできる聡明さも
 持ち合わせていないと。

 逃げたいのであれば、逃げても良いんですよ。臆病者と罵られようが、
 生きてこそです。

とあるタイムマシンの出てくる映画で居ましたよね、「臆病者」と
言われる事が大嫌いで、 それをからかわれるとムキになって相手の
挑発に乗ってしまって、大失敗をする主人公が。

最終的に彼の運命を変えたのは何だったでしょうか。
えっと、タイムマシンではないです。それはきっかけに過ぎなくて、
色々な経験、失敗を重ねて自己の愚かさに気が付いたからです。

まあ、世の中色んな事がありましたが、様々な変化がありましたが、
不幸な事を経験し過ぎて、ネガティブにしか考えられなくなりがちですが、
世界の根本的な部分はなんら変わりないです。

良い奴も悪い奴も普通で目立たない奴もいるのが世界です。

ただみんな、ショックで臆病になってるだけです。

そんな臆病風に吹かれて波紋が広がっている世界ですが、それでも
愛すべき、愛おしい世界である事はいつになろうとも変わらない筈です。

泣いて過ごしても、笑って過ごしても同じ時間です。

自分の思う様に過ごせば良いんです。

で、まあ、少しでも余裕があるようなら、隣の人間の事も慮っていければ
ちょっとはマシなっていくかもしれないです。



ふー、今日の天気が、ある歌のタイトルを連想して、そこから色々と
連想が繋がってまた歌に戻るとは予想だにしませんでしたわ。

カラオケ2連チャンの影響ですかねえ。

やっぱ歌はいいですねえ。聞くのもいいけど、歌うのも歌をもっと深く
味わえて、理解度も、感動も強まりますね。
上手下手とか、人に聞かせる聞かせないとかは置いといても。


まあ、世の中、先が分からなくて、どうとでも転がるのは面白いですねえ。
全ては繋がってるんですよ。糾える縄の様に。


えっと、投稿の挿絵についても書いといた方がいいかな。
先日の投稿も分かりにくいですが矢田川の河川敷で撮った
写真を元にしてます。

昨日のが2000年で、今日のは2001年に撮ったもの。
私の愛すべき最初のデジカメ、フジのファインピクス4700ZB。

あの頃、コンデジでもそこそこの性能のものは記録メディア、
オプション込みで10万円越えたんですよね。

今なら、入門機クラスと言えどデジ一眼がレンズキット込みで
買えてしまいますねえ。

ですから、あの当時、デジカメって結構時代の最先端なイカした
ガジェットではありました。

まあ、ですから若干荒めの画像ですがそこそこ良い絵だと思って
使ってみてます。

 先日が、黄昏れる福犬(リアルバージョン)で、
今回は、むしシリーズにしようかと藐然と考えてて、
元画像を弄り回しているウチに、夕方の写真なんですが、
夜みたく加工して、じゃあ夜行性のむしがいいかなと考えて、
 クワガタですね。

まあ、ガーリーな感じですが、本来、メスのクワガタは顎部分が
それほど大きくないんですよね。

まあ、でもいいか、「くわが◯つまみ」というキャラも世の中にゃ
いますし。

ま、行き当たりばったりな絵なので特にメッセージとかないですけど、
クワガタ風な妖精と夜川辺の図ということで。

で、川の絵ちゅうことで、この投稿はスメタナのモルダウを聞きながら
お送りしましたー。男〜は大き〜な川になれ〜♪

ではみなさま、おはようございました。良い週末を。

犬が西を向けばその尾は東を向くと言う。-Looking west dog, say the tail toward the east.-


バナナの皮は黄色いのに、乾くと茶色になるのは何故だろう。
オレンジの皮は乾いてもオレンジ色のままなのに。

ああ、でも草とか葉っぱは枯れると茶色になるな。

そいや、バナナの実は熟す前は緑だな。それが黄色くなって、
乾かなくても熟し過ぎると茶色になるな。

多くの木の葉も黄色く色付くよね。

つまり黄色は葉緑素が抜け出る一段階。
 ということなのかな。

まあ、門外漢なので正しい仮定なのかは分かりませんけど。

 まあ、でも、自分なりに考えて、推定して、考えをまとめる
ちゅうことは大事ですよね。それが間違いでも、正解でも。

いや、むしろ、積極的に間違えるべきなのかもしんないですね。

正しさというものに捕われ過ぎても、こだわり過ぎても、そんな
つねに一直線に正解を求める姿勢ちゅうのは面白いんかねえ。

正解ってのは結果とも言えないですかね。回答てのは問題のゴール、
結論であり結果。

難しい問題というのは、様々な仮定、可能性を考えて、その仮定は
 正しいのかを確かめて、自分が立てた仮説に正解があるのかを
探さないとなかなか出てきませんよね。

まあ、人によっては類い稀なる直感や、単に運が良いだけとしか
思えないように一発で正解にたどり着く方がいらっしゃいますが、
 そういうのって、基本的に、原理原則の中の例外、レアケースで
 あって、そういうスマートさに憧れてしまうと、高望みして
しまうと、どうにも無理をして近道をしだして、しまいには
カンニングとかルールを逸脱した行為に走りがちです。

たとえスゴいと思われる人間でもものすごい数の問題を解いて
いるから、新しい問題を過去の様々な回答から分析して
 答えを出せるんですよね。

 疑問、問題というのは一種のゲームです。
 例えばロールプレイングゲームでレベル100までキャラを
 育てる事を、一つの問題として仮定して、そこまで到達する
にはいくつも方法があって、その中には割合、労力が少ない
ルートがあったりします。

なかには全く労力のかからない禁じ手があったりします。

でも、そんな手を使ってまで労力を惜しんでズルをするのはもう、
ゲームをプレイする姿勢として根本的におかしいですよね。

 ゲームがめんどくさいならもう、それは続ける意味がないです。

ゲームのしちめんどくさい、手間ひまをこなしてこそキャラだけでなく、
プレイしている プレイヤーにも経験値が入るというものです。

無駄と思える行為に自分なりの意味とか価値を見出すのって活きる上で
不可欠ですよね。

ま、高々、ゲームなんかをチートまでしてプレイするなんて人間が小さいですねえ。
と、言ってしまうとちょいと語弊がありますねえ。

「ゲーム感覚で物事に当たる」と言うと不真面目にとられがちですが、それは
違いますよね。

ゲームってのは真剣に熱中してやってこそ面白いじゃないですか。

だから別段、不真面目でも何でもないです。

ゲームに熱中できない人間は何にも真剣に向き合えませんよ。

ま、ある程度の冷静さってのは何をするにおいても必要ですけどね。


さて、何か、オレンジの皮の色が乾燥しても変わらないという問いの
答えが出てない気もしますが、ここいらで終わりたいと思います。

ま、そのうち分かるかも知れないですし。急いては事を為損じるとも
言いますし。

続ける事が大事ですねえ。何事も。

ま、犬が西向きゃ尾は東のように当たり前な事ですねえ。

って、無理にタイトルと絡めて切り上げます。

では皆様。おはようございました。

描くだけが絵じゃない。写真は撮るだけじゃ意味がない。-Not only draw the picture. Then pictures are taken does not make sense.-


桜だけが花じゃない。と言いつつ桜の絵です。

どうしても、作業が立て込んでくると、やりたい事ばかりで、
収集つかないと、どうにも時間が一日が24時間で終らないですね。

時間がどんどんずれ込んで夜の住人に、アンデッドな生活になり
がちでございます。

不健康なのは分かるんですけど、自分がこうしたいと言う思いに
正直であろうとすると、一般的な模範解答ではどうにも収まりが
悪くなってしまうものです。

まあ、それでも、睡眠時間には敏感なので、一日8時間は寝てないと
体の調子というか意識をしっかりと保てないような気がしてどうにも
駄目ですね。

まあ、最近は物理的に目の疲労が誤魔化せないので完全な徹夜は無理
ですね。

よく、仕事で忙しい親御さんがお子さんに「また今度な」と言ってしまう
なんてのはまあ良くある事ですよね。

その今度が何時なのかは誰も知らない。 別段、嘘のつもりでも
なかったのに、結局はその「今度」が来ない。結果として嘘に
なってしまう。

その約束した時点では本当であっても、時間経過によって嘘になって
しまうことはいろいろあります。

 嘘をつかないと言う事は、言葉だけの事ではないですね。有言実行してこそ
それは事実であり、偽らわざる本当です。

夢を夢のままにして諦める、それは過去の自分の思いを裏切る、
今の自分が過去の自分に嘘をついて騙した事なのかもしれません。

少なくともそういう後ろめたさを感じずに居られないので、
人は色んな言い訳をするんですよね。

嘘をついた相手が自分自身だと、どうにも色々な線引きが曖昧になって
結局、自分を許せていない事に気が付かなかったりするんですよね。

そういう完結しない曖昧な感情が積もり積もっていくと、人は知らず知らず
疲弊して行くものかも知れないです。

ま、ですから、極力、自分の感情に素直に、思い立った事は可能な限り
溜め込まずに実現して行きたいと切に願って、少々の無理をしてみたり
します。

やはり、物事には終わりが無いと苦しいですよ。結果のでない中途半端なの
は意外に苦しいものです。

だから人生には終わりがある。だから救いがあるんですよ。

終らない人生。いわゆるフィクションの世界で多くの悪の権化たる
敵役が欲する不老不死ですよね。

もしも、普通の人間がそんなものをまかり間違って手に入れてしまったら
もうそれは悲劇というか、何と言う無限地獄でしょうかね。

自分という一個体が永久に生き残っても全く意味がないですよね。
孤立無縁の孤独地獄。地獄に堕ちたのと同じ事ですね。
人間ってのは「人の間」と書いて人間です。人と人との間がなければ
それは人間ではないですよ。

まあ、それでも、孤独である事に何の躊躇もせずに盲進できる時点で
そんなのは人間ではないですよね。非情で無情です。

それはもう神か悪魔でしょう。

まあ、万が一、技術の進歩で遠い未来に人間が永久的な命を
手に入れたらその瞬間に人間でなくて神になるのかもしんないです。

おっとっと、話のスケールがえらいとこまで飛んでしまいました。

ちょっと半徹で気持ち、気持ちがハイになってるかもしんないです。

まあ、こうやってブログの投稿がやたら長いのも、自分の感情を
可能な限り吐露したいという思いからなのかもと思った次第。


さて、多分ここからがこの投稿の本題です。
なんだかクイズ番組みたいな言い方だなあ。

先日絵を描く際に下地になる素材、テクスチャーといいますか
それの上に絵を描くことをしたんですが、ちょっとそれが変わった
感じで、写真を元にして、素材にして絵を描くという方向になって
きてます。

ブログ読んでる方は分かると思いますが、私は結構なペースで写真を
撮ってるのですが、実情、これはいいなと思って撮った写真も記憶装置の
中に堆く積まれているだけで、日の目を見ない画像が唸るほどあります。

自分は一体何の為に写真を撮ってるのだろうと、これは何かに
繋がらないのかなと少なからず思っていたんですけど、今日、桜の
写真 を素材にして絵を描いてみて何だかしっくりきましたね。

ああ、こういう感じというのがちょっと見えたような。

以前はコピーライト代わりに写真にちょっとラクガキする程度の
事をやっていたのですが、もっとそれを材料にして切った張ったの
作業や、PCならではの各種の色補正、フィルタを使っての総合的な
描画。

というよりも、あれですね、いわゆるモダンメティエのひとつ。
コラージュのですよね。

絵や写真を切ったり貼ったりその上に描いたりするんですから、
原理的にはコラージュですよね。

まあ、CGを専門としている方々からすると当たり前で、
「お前なに言ってんの」なレベルなのかもしんないですけど。

なんだか絵って、描くものだという固定観念って強いですよね。

どうしても写真とかをベタベタ貼って作品を作るのって世間一般的な
作品というものからすると亜流というか、マイノリティというのか。

なんか自己の画力でなくて素材の力を借りて構成しているみたいで
なんとなく卑怯臭いイメージってあると思います。

まあ、でも、厳密な事を言えば、典型的な絵画だって、支持体の上に
色材を筆に引っ掛けて運んで配置しているわけですから、完全に別なもの

と言い切ることもできないのではないかという気がします。


まあ、こういう、世間一般の常識というものを疑って新しい発見を
するというのも面白いものですよね。

まあ、かなり昔にそんな事分かっていたのかも知れないですけどね。

ですが、今、自分の感覚としてしっかりと感じられた事は大事です。

やっぱ、知識は実感が伴わないとちょっと弱いですよね。


Lantern fish dried overnight.
Lantern fish dried overnight. posted by (C)かゆきゅう

さて、結論らしい結論が出たのでここで終りたいと思いますが、
準備してた写真が余計になってしまいまみた。

失礼、噛みました。

ああ、ハダカイワシとその英名ランタンフィッシュのネタもちょっと
書きたいなあと思いましたが、ここいらが心身の限界です。

ま、言語、文化間における、価値観というか、目の付けどころの差は
比較すると面白いですよね。

人は足があればどこだって行ける。行こうと決意さえすれば。-People can go anywhere if they have legs. If you decide to go.-

エビフライさんズの図。
なんとなくポケモンの進化前と進化後みたくなってるねえ。


さてさて、いつもの小幡緑地東園から始まりますが、今日は、ここから下志段味までを
歩きます。

Yoshino cherry blossoms are in bloom.
Yoshino cherry blossoms are in bloom. posted by (C)かゆきゅう

ソメイヨシノももう結構咲いてるなあ。

Yellow flowers.
Yellow flowers. posted by (C)かゆきゅう

ひゅうがみずきだったかな。黄色い花が付いてる。

Thunberg's meadowsweet.
Thunberg's meadowsweet. posted by (C)かゆきゅう

で、こっちはユキヤナギ。まあ、別名もあるみたいだけど、札に
書いてあった。

Under the shade of trees dandelion.
Under the shade of trees dandelion. posted by (C)かゆきゅう

クスノキの木陰で咲くタンポポ。なんかいいなあ。

Dandelion colony.
Dandelion colony. posted by (C)かゆきゅう

東屋というか藤棚の前のタンポポコロニー

こっからは、オバリョクを出まして長廻間をぶらりと彷徨う。
高速脇の道を行くと長廻間緑地という案内看板が。

Giant vegetables scattered around the park.
Giant vegetables scattered around the park. posted by (C)かゆきゅう

おおお、ぬあんじゃ、こりわ~。巨大な野菜が公園に転がっちょる。
くもみ、さっそく獲りにゆくぞ~。


Chinese cabbage Type of park signage.
Chinese cabbage Type of park signage. posted by (C)かゆきゅう

って、入り口にも白菜モチーフの塊が。

なんか小さな公園とレンタル菜園が組み合わさった、変わった公園なんだな。

しらなんだわ。

で、まあ、更に高速道脇を歩く。で、遊歩道の入り口みたいなところで「太鼓ヶ根緑地」
というサインを見つける。

Rather than green and the promenade.
Rather than green and the promenade. posted by (C)かゆきゅう

確かに緑はあるが、遊歩道じゃないのコレ。

なんだかさ、緑地という言葉を乱用してないかな。これ以外にも守山区には
中志段味に安田池緑地ていうのが地図上は確認できるんだけど、現地を見る限り、
ただの林が広がってる、ほぼ整備されていないような所があったりするんですよね。

乱用でね?というかそういうものなの緑地ってさ。

個人的には「大きめの公園」という理解なんだけど。


で高速道脇の緑地を竜泉寺街道に近づいてくるとちょっとした工場地帯が見えてくる。

なんだかコーヒーのような香ばしい、でもコーヒーにしてはちょとマイルドな香り。
どこからだろうと上を見上げると看板が。


Sweet smell of fresh sign.
Sweet smell of fresh sign. posted by (C)かゆきゅう

黒豆茶か…。おいしいのかなあ。


もう少し下る。


Looking up the highway from the promenade.
Looking up the highway from the promenade. posted by (C)かゆきゅう

吉根から志段味支所まで続いてる自転車道と交差。

Roots drum months green space.
Roots drum months green space. posted by (C)かゆきゅう

何か富士山みたいな岩に太鼓ヶ根緑地のサイン。を見て自転車道へ。

Yellow tunnel before Thurs.
Yellow tunnel before Thurs. posted by (C)かゆきゅう

日の後あたりのトンネル前。

Sunlight through the yellow trees.
Sunlight through the yellow trees. posted by (C)かゆきゅう

この木何の木、黄色い木。


A very long slope.
A very long slope. posted by (C)かゆきゅう

で、志段味スポーツセンターのある高台の下辺りまで来ると何だか変なスロープ。

バリアフリーの一環なのか何なのか。

しかし、折返しの距離がハンパ無く長すぎやしないかねえ。微妙に勾配のある長いスロープ
を2回折り返すってどうなんですかね。で、折返し部分のアミのフェンスは何のためのもの
なのやら随分と気になるのですが。

すまんけど、このスロープ使うぐらいならこの脇の6~8段程度の階段使う。
自転車でも持って上がるなり下がるなりした方がマシな感じがする。

で、まあそんなこんなで、帰宅した訳ですが、いやあ、志段味は歩いてて面白いね。
いまだに未完成な住宅地だから、どんどん風景が変わっていくなあ。開発というのか
自然環境破壊ともいうのか。

まあ、商いですね、いや飽きないですねえ。

まあ、商いでもあながち文脈的に間違いじゃないかも。



Good luck in the core during production.
Good luck in the core during production. posted by (C)かゆきゅう

えんぎモン引きでモンシリーズ第2集の制作を進めてるのですが、まだこんな感じですねえ。

フォームの削り出しで一週間、盛りつけで一週間、仕上げで一週間でなんとか間に合うかな。

ああ、久々に制作関連の画像上げたな。何日ぶりだろう。

熱している鍋は混ぜ続けなければ焦げ付いてしまう。-Heat the stew pot that must continue to stir. Would otherwise burn the bottom of the pot.-

今日も今日とて、つらづらと話があっちゃこっちゃ飛びますので、まず、投稿タイトル
に即した話からしておこう。

今日、いや、すみません、コレを書いている時間からいくと昨日ですが。晩ご飯を
カレーライスにしたんです。

 カレーを何度か作った事のある方はお分かりかと存じますが、一般的な
カレーのルウのとろみというのは小麦粉や、糖分などが含まれているから
なのですが、そういうとろみを含んでいる液体というか、半個体を加熱する
際には、十分に撹拌をしないと、鍋底が焦げてきて、最悪の場合、まあ全部
焦がすという事は滅多にしなくても、焦げが重篤な状態までいくと、
焦げてない部分にも焦げたニオイが染み込んでしまいまして、正直、

マズいです。
おいしくないです。

ですから、加熱中は焦げない様によく鍋をかき混ぜないと駄目です。

ああ、別に今日、そういう失敗をした訳ではないですよ。
もう十年以上昔の話ですね。

ふと、思うのですが、昨今の日本経済の様相ってのは案外この、焦げかけてる
カレー鍋みたいなものかもしれないですね。

お金というのもおいしい、甘いものですから、一カ所に固まってしまうと鍋全体から
観ると非常によろしくない状態ですね。底の方に凝り固まって、お焦げが鍋に充満
してくると社会というカレーはどんどん焦げ臭くておいしくなくなってしまうの
ではないかなあと。

そいや王様のレストランで、毎回最初に料理にちなんだ格言みたいのが出てきて
ましたよね。

その中に、「社会で起こる事は鍋の中でも起こる」だったかその逆で、
「鍋の中で起こる事は社会でも起きる」かも知れない。そもそも「社会」で
合っているのか、もしかしたら「世界」だったかも知れない。
 まあ、その様な言葉があったんですが、

あながち誇張という訳でもなく、結構、的を得ている言葉なのかも知れないですね。


さて、さて、話は変わりますけども、まあ、この先は実に下らないので、読まなくても
結構ですけども。


先日、iPod、iPhoneのアプリが色々と復興支援の名の下にディスカウントされ、その
金額を義援金に回すとか、無料で提供というような自然発生的なキャンペーンが展開
されていたのですが、普段はおそらく目にも留めないようなアプリをダウンロード
してみたりしたんですよ。

まあ、その中にいわゆるギャルゲも含まれていたのですが、何と言いますか。

存在とか、傾向自体はネットなどを通じて何となく分かってはいたのですが、
なんちゃって半可通なマニアな私としてはここいらを機会にちょっと触って
みよかと魔が差したのですが、いやーすごいですね、最近のアプリは。

テキスト、グラフィック、音声のボリュームが半端ないですね。

ですけども、それがそれで良いとも言い難いんですよね。

大概のギャルゲってのはゲームのシステム的な区分でいうとアドベンチャーとか、
サウンドノベル的な位置づけになるんですよね。
ぶっちゃけて言うと色々な選択肢を選ぶ事によって物語が分岐する、一時期あった
書籍ジャンルのゲームブックの電子版というか。ノベルゲームというか。

まあ、ギャルゲではないけど、一番最近やったソレ系のゲームとなるともうね、
結構古いんですけど、プレイステーション版の「かまいたちの夜」だったか、「弟切草」
ぐらいしかないんですよね。

その頃のものもグラフィック面は結構キレイに出来てましたけど、さすがに「喋る」までは
なかったですねえ。まあ、その「喋る」演出方法が合ってるのかは別として。

言葉と一言でくくってしまっても、喋る言葉と、こういう風に書いている言葉って
厳密な話、異なるじゃないですか。

それを吹き出し部分だけとはいえ、音声で読まれてしまうとどうにも文章を読み
にくいなあと。

本の良い所って自分のペースで読める所がありますよね。でも、
そこに音声という要素が加わってしまうとどうにもペースが狂う。
いちいち全部の音声を聞くのが面倒というか、そこにどうしても待ち時間が
できてしまって、冗長になってしまうんですよね。

読み飛ばしてもかなりある文量なのにそんな音声をいちいち聞いていたら時間が
かかって仕様がない。

あれですね、最近のゲームでありがちな基本的に操作が出来ないムービーシーンと
同じですかね。そいや、某大作RPGをプレイしてて、最初辺りはゲーム進行上の
不都合があるといけないからと 真面目にちゃんとムービーを観てたのに、中盤以降
さすがに億劫になってしまって、結構な頻度でムービーをスキップしてましたね。

まあ、ムービーを観たい、このキャラの声を聞きたいという人もいると存じますが、
私的にはぶっちゃけて、歯に衣着せずに言ってしまえば、正直、必要ないんですよね。
制作者側に申し訳ないというしかないですが。

文章を読むときはそれに意識を集中させたいんですよね。
ぶっちゃけ、ビジュアル的なものも要らない。

ラノベで挿絵が要らないと思ってしまうぐらいのレベル。

なんというか本末転倒。

挙げ句に、かわいいキャラクターとの会話云々よりも、
うんちく知識の話に興味が向いてしまう。

いや、もっとそのパンクロックの話を詳しく聞かせてくれとか、
もうね、ギャルゲをプレイすべき態度じゃないな。完全に。

人間がすれてるから、人から訳なく妙に優しく接されると正直、
気味悪いというか、なんかコイツ企んでるんじゃないかと
身構える質でして。どうしても甘ったるい展開は苦手です。
作り話なんですから嘘くさくて当然なんですが、そこで一旦引いて観て
しまう。白けた目で事物を見てしまう自分がいる訳で。

ヒーローショーで中の人がどうとか言っちゃう中二と大差ない感じ?

ああ、なんかすんごいネガティブな自分を発見してしまったな…。
やだやだ。

まあ、今回、自分にはギャルゲが向いていない事を確認できましたとさ。

落とし神にはなれそうにありません。ま、 戯言ですが。

さて、これはこれでめでたいのかな?


ま、自分の可能性よりも不可能性を知る方が経験としては有益かもです。

可能性、出来る事をを知る事よりも、出来ない、不可能な事が分かった方が
自分の方向性、個性てのが良く理解できるものですよ。

可能性を知れば人は無理をする。不可能性を知れば人は無茶をしない。

主人公に科せられた真の使命。-The real mission of the hero-

桜がボチボチ咲き始めて、駅の窓口の定期券の購入手続きの列を見て。
春ですねえ。
ちょっと桜紅茶で、風流を気取ってみたりしてます。

作風を弄ったというか、ちょっと描き方を変えてみました。
ペンタブで、いい線を引こうとする余り、意識が妙に偏り過ぎて、
他に留意すべき点をおきっぱにしてたかなあと。
ブラシはいくつも種類があるのに、ベーシックなものしか使ってないし、
地の部分は単にペンキツールで基本ベタ塗り。

質感というか、テクスチャーて大事じゃないかなあと。

それに、キレイな線というのは自分の柄じゃないなあと。どっちかというと、
味のある線だよなあと。

まあ、割と成功している気がする。まあ、基礎力ないのを誤魔化してると
いえば誤魔化しだけど。

さて、話は変わりますが、

小学校の事を英語でプライマリースクールとかエレメンタリースクールって言うのって
なんかいいよね。

すんごい大事な事を、基礎の基礎を学ぶって感じがあるよね。

どうしても小学校レベルと言うと、低レベルでしょうもない事と受け止められて
しまいがちですけど、全ての学力の、理解力の基礎となる部分、核となる部分
ですから、ココを疎かにしたら、真っ当な学力は期待できませんよね。

モノを作るにおいても作り手の根本部分に核となるモチベーション、こうしたいという
強い思いがないと良いものは作れませんよね。

作品を作る上での最初の一歩。

「何をつくるか」「何を描くか」「何を表現したいか」

具体的なイメージが湧かないと作品はどうにも曖昧模糊としてああでもない
こうでもないをひたすら繰り返して、完成までの道のりがいつまで経っても
見えてこない。そして未完成。

分からないものを分からないなりに作るというプロセスもアリと言えば
アリですが、それをやると、とてつもなく時間がかかり、人生かけても終らない。
気力が、興味が尽きて頓挫というケースも良くあります。

何だろう、いわゆる「自分探し」と似ているかもしれませんね。

思いが、鮮明で、イメージがしっかりとしていると作品を完成させるのにさほど時間を
要しません。 目指す答えが、大体の方向が分かっていればそれに向かって進むだけです。

まあ、しかし、イメージが鮮明なのは良いですけど、そのイメージが誰かの借り物で
あったりするのはあまり頂けないですね。

いわゆる二次創作。 酷くなるとただの劣化コピー。盗作。

でも、モノを作るにおいて、摸倣とか真似は絶対的に必要不可欠ですよね。
ただ、個人的な楽しみであるならばそれは何をしようと自由です。

しかし、ひとかどの専門家として立つ為には自分なりの個性ってものがないと
なかなか難しいですよね。

まあ、しかし、その辺りのバランスというのは非常にナイーブというか、ハードな
もので、あまりにもオリジナリティが高すぎて、斬新すぎて、奇を衒い過ぎて
しまいますと、誰にも見向きもされない。というのが世の常です。

まあ、クリエイターも客商売ですので、ちょっとはお客さんの事を、いや、
出来うる限りはお客さんの事も考えないといけません。観る側の立場の
視点を忘れてはいけません。

小説でも、ドラマでも、アニメでも、あと絵本とかでも、
「ものがたり」というものは観てくれる人がいなければ存在していないのと
同じです。

人が脳内上にエミュレートした仮想の人格が、世界が織りなすものですから、
その存在を支える観客がいないと成立しません。

その不可欠な人を物語に呼び込む為に、ありがちな、決まりきった設定。
 お約束、というものがあります。

分かりやすさって、取っつきやすさって重要です。

映画ネバーエンディングストーリーの主人公のひとり、 アトレーユ。
何故に彼が、彼こそが選ばれて、過酷な冒険に出なければければならないのか
という理由です。

物語を読んでいるバスチャンが投影しやすい、感情移入できるキャラクターで
なければ、のめり込んで読んでくれなければ物語は進みません。途中で終って
しまいます。

文字通り、物語の中に読者であるバスチヤンを連れて来る事こそが本当の使命
なんですよね。

まあ、バスチャンもその為の主人公であったりしますけども。

どういう物語であれ、主人公の役割りというのは大抵そういうモノでないかと。

まあ、ですから、多くの場合、巨大な人型兵器に乗って操縦するのは少年であったり、
摩訶不思議な力で変身して街の平和を守るのは少女じゃないといけない訳ですね。

老人の気持ちが分かるのは基本的に老人だけです。少年の気持ちが分かるのは少年と、
少年時代を経験した事のある大人である訳です。

誰に向けて物語を作るかによって主人公ってのは決まります。

ですから、水戸黄門を観てるのは大概、じいちゃんですし、
渡る世間は鬼ばかりを観てるのは大抵はおばちゃんです。

まあ、お約束というのはスポーツのルールみたいなもので、それを
逸脱し過ぎると反則な訳で、読者の物語への集中を阻害し、反感を
持つものなのでは。

まあ、ただ全てお約束というルールに則ってしまいますと、非常に
陳腐というか、予定調和すぎて詰まらない。というジレンマが起きますよね。
正直で真面目すぎても詰まらないものです。人も物語も。
しあわせ過ぎてもあくびが出るし、不幸過ぎても鬱になる。人生もドラマも。

まあ、適度な「くずし」は必要ですね。
どこをどう、くずすかって個性が出ますよね。オリジナリティですね。